夏休みの乗り鉄旅行2019~北関東の私鉄探訪 [鉄道・鉄道旅行]
今年の夏休み乗り鉄旅行ですが、今年は夏休みが短い(もしくは日頃の疲れがたまっている)ということで日帰りの日程で。
なので北関東(栃木・群馬方面)の私鉄もしくは三セク線を乗ってみようということで。
主な乗車対象はわたらせ渓谷鉄道線・上毛電鉄線で、最初の目的地(桐生方面)へ行くために東武特急のりょうもう号に乗ってみました。
あと観光として足尾銅山とその周辺も。
ということでまずは7時過ぎに東武線の浅草駅へ。
実は東武線を浅草駅から乗車するのは今回が初めてだったりします。
駅舎は駅ビルを兼ねた格調高い造り(というか旧来の建物を維持している)。
駅の改札で乗車券・特急券を購入して駅のホームへ。
特急券は念のため前日にネット上で予約しましたが、あまり必要なかったみたい。
今回乗車するのは特急スペーシア…ではなく
こちらの特急りょうもう号です。
車両は200系。
電車でD(Rising Stage)ではスマイリー酒井が乗車していました。
※原作(頭文字D)でのスマイリー酒井の愛車はインテグラ
行先は赤城で、自分も今回終点の赤城まで乗車します。
車両側面には「Ryomo」のロゴが。
そういえば電車でDでの当該車両では「東堂塾」のロゴがありましたが、本当はこれだったのですね。
※参考:電Dの3Dモデル
ちなみに隣に停車していたスペーシアの側面ロゴはこんな感じ。
「I」の部分がスカイツリーになっています。
スペーシア発車後に新型特急のリバティが到着しました。
この車両は初めて見ましたが、何というかやはり特撮ヒーローっぽい前面です。
スペーシア発車前に戻りますが、浅草駅のホーム先端部へ移動。
ご覧の通りすごく狭いというか窮屈…。
参考:電車でDでの浅草駅ホームの同アングル
こちらはかなりホームが広いです。
更には急カーブになっているため、場所によっては車両とホームがすれすれだったり乗車口との隙間が空いている箇所にはに渡り台が置かれているなど、かなり無茶な点も見られました。
旧来のターミナル(終点)駅の場合ホームの構造が現在の車両に合わないケースはままありますが、これほど極端なケースは滅多に見れないかも…と思ったりしました。
そうこうしているうちに発車時刻となったので、車内に乗り込み浅草駅を出発。
(ちなみに出発時点で車内はがらがらでした…)
浅草駅を発車後すぐに隅田川を渡り、川の向こうにはアサヒビールの本社ビルが目に入りました。
本社ビル奥の建物の上にある金色のオブジェですが、調べた所「聖火台の炎」をイメージしているとのこと。
といってもやはり「アレ」にしか見えないのですが…。javascript:openFixedPhrase('article__body_more','myform');
ちなみに車からだと横を走る首都高などから見たことは何度かありますが、電車上から見るのは初めてでした。
そして隣駅のとうきょうスカイツリー駅に到着。
元は業平橋という駅名で各停しか止まらなかったのですが、スカイツリー完成後に駅名を改称して特急を含むすべての列車が停車する駅に。
ちょうど京成線の日暮里駅と同じ位置づけになりました。
窓からスカイツリーを見上げたものの…頂点は見えず。
(雲がかかっていたのでどちらにせよ見えなかった)
次の停車駅は北千住。
JR常磐線など他路線との接続駅ということで、ここから乗車する方が多かったです。
(それでも客室内はまだ空いていましたが)
北千住発車後荒川を渡り、その後しばらくは複々線区間ということで速度もかなり上がります。
途中かなりすっとばしましたが、春日部の車両基地を通過。
そして東武動物公園駅に到着。
ここから日光線と伊勢崎線に分かれますが、乗車中の電車は伊勢崎線へ。
東武動物公園駅発車後すぐに、かつてのりょうもう号の車両とすれ違い。
ちなみにいまだ現役で、日光方面の「しもつけ・きりふり号」として運用中。
日光線と分かれて、伊勢崎線方面へ。
久喜駅に到着。
JR宇都宮線との接続駅ということもあってか、ここから乗車する方も多かったです。
(まだ車内は余裕がありましたが)
久喜駅発車後、JR宇都宮線と交差。
利根川を渡り…
館林駅に到着。
ここから先は単線区間なので走行速度は落ちます。
群馬県に入ったということもあり、車窓には田園地帯が広がります。
足利市駅に到着。
JR線(両毛線)の足利駅は渡良瀬川の対岸にあり、少し離れています。
もろに撮影失敗していまいましたが、後ろには森高千里さんの楽曲で有名になった渡良瀬橋が。
スバル(富士重工業)のおひざ元である太田駅に到着。
同駅で小泉線と合流、この先伊勢崎線(伊勢崎方面)と桐生線(赤城方面)へと分岐する東武線内でも主要駅となっています。
富士重工業は元々は中島飛行機(戦時中は三菱と並ぶ2大軍用機メーカー)ということで、戦前から軍事面の観点により鉄道が発展したことが伺えます。
これも見事な田園地帯。
次の藪塚駅で上りのりょうもう号とすれ違い。
新桐生駅を発車後、JR両毛線と交差。
終点赤城の1つ手前の相老(あいおい)駅。
わたらせ渓谷鉄道の乗り換え駅ですが、乗りつぶしのため敢えて下車せずに終点赤城まで乗車します。
ということで終点の赤城に到着。
浅草からの所要時間は2時間弱。
途中で何度か上りのりょうもう号とすれ違いしたことからも本数が結構あるようで、駅の時刻表を確認したところ毎時1本ペースで運行されているようです。
元々観光というよりはビジネス用途として誕生した特急(当初は急行)列車なので、特急というよりは通勤ライナー的な性格の列車なのかもしれませんね。
赤城駅の"駅舎は上毛電鉄と共用。
折り返しとなるりょうもう号を見送り…
(手前は上毛電鉄のホーム)
わたらせ渓谷鉄道の大間々駅を目指します。
約1km歩いて大間々駅に到着。
赤城駅から北に伸びる道路を直進し、道路の右手です。
わたらせ渓谷鉄道(以下わ鐡と省略)は元々国鉄足尾線(僅かにJRの期間もあった模様)ということで、国鉄時代の駅名標も残っていました。
こちらが現在の駅名標。
区画整理で山田郡大間々町→みどり市大間々町大間々、になっていることが分かります。
跨線橋から見た駅構内。
わ鐡線の車両基地も兼ねているため、駅構内は比較的広いです。
ちなみに両ホームの奥にトロッコ列車専用の0番線ホームがあります。
そうこうしているうちに目的の列車が到着。
終点の間藤(まとう)駅まで乗車します。
この後の行程としてわ鐡線をほぼ全線往復する形となるため、1日フリーきっぷ(大人1.850円)を購入しました。
列車は夏の緑の中を進みます。
大間々を発車して最初の駅となる上神梅(かみかんばい)駅に到着。
大正時代の駅舎がそのまま使われています。
(国の有形文化財に登録)
この後は山あい区間になり、線路の勾配も徐々に急になっていきます。
線路はほぼ渡良瀬川沿いを走行しますが、何か所かでダムも見られます。
最も大きいダムは草木ダムですが、この上流です。
花輪駅に到着。
ホーム右側にうさぎとかめの像が見えますが、これは童謡「うさぎとかめ」の作詞者である石原和三郎の出身地にちなんだものです。
中野といえばJR中央線の駅を思い出しますが、こちらの中野駅は山の中…。
わ鐡線の中でも基幹駅となる神戸駅に到着。
神戸と書いて「ごうど」と読みます。
というか駅名標の奥にある車両は…元東武特急のDRC!
駅舎を挟んで2両(共に中間車)ありますが、実は駅隣接のレストラン「清流」の食堂(車)として活用されているようです。
神戸駅ではしばし停車。
その間にレストランの店員さんと思われる方が弁当などを車内に入って売りにこられたので、自分も昼食用に買ってみました。
(詳細は間藤駅到着後に紹介)
神戸駅を発車後間もなく沿線最長の草木トンネルに入ります。
全長5.242mですが走行速度が遅いためか、通過するのに結構時間がかかりました。
ちなみに草木ダムもこの近辺にありますが、トンネルに入って少し先にあるためか車窓からは見ることができませんでした。
トンネルのを出た後はすぐに鉄橋(第一渡良瀬川橋梁)。
鉄橋から上流を見る。
ちょうどこの辺りがダム湖の上流になりますが、どうせなら下流側を撮ればよかったか…。
沢入=そうり、と読みます。
ここでも列車行き違いのためしばし停車。
この辺りは沿線髄一のビューポイントということで、トロッコ列車の場合速度を落として走行します。
通洞(つうどう)駅に到着。
足尾銅山の最寄り駅ですが、ひとまず終点まで行くのでそのまま乗車します。
間藤の1つ手前の足尾駅でトロッコ列車と行き違い。
ちなみにこちらは気動車の「トロッコわっしー号」。
ということで終点の間藤駅に到着。
展望台から見た間藤駅の駅舎。
無人駅ですが比較的立派な造り。
間藤駅は「時刻表2万キロ」の終着駅だそう。
駅ホームから足尾方面を見る。
駅周囲には特に何もなく、最果て感はそれなりにあります。
ちょうど昼時なので、神戸駅で買った弁当をいただくことに。
やまと豚弁当とじゃがいも。
トロッコわたらせ渓谷号の手ぬぐいも付いていました。
やまと豚弁当は1.030円と多少高めですが、手ぬぐいが単品で買うと300円位するのでそう考えるとかなりお得だったのかも…。
昼食後、折り返しの列車に乗ります(車両はそのまま)。
といっても次の足尾駅で下車することになりますが。
ホームの横奥には国鉄時代の気動車が留置されていました。
(通勤タイプのキハ35型)
その奥にはもう1両の気動車と、貨車も何両か。
特に展示車両という訳ではなく、そのまま留置されているという感じでした。
その後ちょうどトロッコ列車が到着しました。
こちらは先ほどの手ぬぐいにもあった「トロッコわたらせ渓谷号」で、ディーゼル機関車+客車の編成。
中ほどの2両が展望客車で、客車からの改造かと思いましたが調べたところ電車(元京王5000系らしい)からの改造車のようです。
両端の2両は国鉄の12系客車。
機関車の機回し(方向転換)が必要な関係で大間々~足尾間での運行となります。
(トロッコわっしー号は桐生~間藤間での運行)
改札を出て、この後は銅山を含む足尾周辺の観光へ。
足尾駅から間藤方面へ歩いて5分程度の場所にある「古河掛水倶楽部」。
明治32年に足尾銅山の迎賓館として建設されたもので、銅山の宿泊・会合にも利用。
現在でも古川機械金属(株)の福利厚生施設としても利用されています。
洋風の建物ですが一部和室(日本間)もあり、建物内には日本初のビリヤード台がある撞球場もあります。
入場料:大人500円
土日祝日のみ営業(平日は事前予約制)
冬季(11月下旬~翌年4月下旬)は休館している模様
建物内部の他周囲は庭園になっていて、庭園内も見学可能です。
建物の裏手。
表の白色の外観とは逆に黒色で、やや日本風な感じ。
掛水倶楽部の横には重役役宅が並んでおり、かつての鉱山住宅の雰囲気を残しています。
敷地の一番奥にある所長役宅。
所長役宅を含め重役役宅の建物も内部見学可能です。
隣接するテニスコート内にあるレンガ倉庫。こちらは外からしか見れません。
一通り見学した後は一旦足尾駅に戻り、そこから逆方向へ進み尾銅山へ。
足尾銅山の最寄り駅は1駅先の通洞駅になりますが、さすがに次の列車を待っていられないので徒歩にて移動。
途中渡良瀬川に接近する地点も。
ということでようやく足尾銅山(足尾銅山観光)に到着。
ここには小学生の時に家族旅行で来たことがありますが、それ以来になります。
階段を少し降りたところにトロッコ列車の乗車口(入坑券売り場)が。
銅山内にはトロッコ列車に乗る必要がある(徒歩では入れない)ため、ここで入坑券を購入します。
(大人:820円)
当日はやや混雑気味で、トロッコ列車に乗るまで待ち時間30分ほどかかりました。
ようやく乗車ホームに進んで線路を見たところ、真ん中にラックレールが。
これはもしや…アプト式?
程なく乗車するトロッコ列車が到着。
写真は後ろ側ですが、前寄りに機関車(補機)が付いていてこの先の急勾配を走行するという仕組み。
トロッコ車は坑内移動用の車両を模したものなので窮屈ですが、とにかく乗車します。
急勾配区間を走行中。
たまたま最前列の次の座席だったので、先頭に機関車が付いている様子が確認できました。
何分「アプト式」なので走行速度はかなりゆっくり。
途中で(乗り場へ向かう)回送車両とすれ違い。
実はかつてここが旧ステーション(乗り場)でした。
さらにこことで機関車の付け替えを行うため少々停車。
乗車中の列車から機関車が切り離され、反対側に停まっている回送車両に連結するところ。
…といってもこれだけではどうなっているのか分からないと思うので、詳細は後程説明します。
付け替え作業完了後再度出発、いよいよ坑内へ。
ここから先はほぼ平坦なので、トロッコ車のみで走行可能。
坑内の降車場に到着。
乗車したトロッコ列車は降車後程なくして回送車として元の方向に戻ります。
※トロッコ列車は基本往路専用です
降車場から先も真っすぐに坑道が続きますが、ここから先は進入禁止。
ちなみに足尾銅山の坑道の総延長は1.234m(東京~博多間に相当)だというからびっくりですね。
ということで引き返して、坑道内展示の順路へ進みます。
例によって坑内はかなり涼しく、湿り気たっぷり。
坑道内展示は大きく分けて「江戸時代」「明治・大正時代」「昭和時代」の3つがありますが、まずは江戸時代。
手押し車で鉱物を運ぶ坑夫の人形が。
人形がリアルなのが坑道内展示の特徴です。
(これは以前来た時もありました…)
こちらは鉱物を背負って運ぶ坑夫。
ピントが合っていませんが、役人が監査(?)している様子。
江戸時代なので作業は全て人力。
狭い所に入る人夫の姿も…。
こちらは明治・大正時代の展示。
機械が導入されて作業効率が大幅に改善されましたが、ばい煙などの健康被害が発生したのもこの時期。
足尾銅山と言えば国内で最初に公害が発生した場所でもありますが、それも明治時代のことでした。
途中当時の岩盤が露出している箇所も。
展示は昭和時代に移ります。
作業員もヘルメットを被るように。
トロッコに乗って移動する作業員も。
ダイナマイトでの発破操作をする様子。
やはり何というか、人形がかなりリアル…。
ちなみに近年のリニューアルに際して展示の特定箇所でボタンを押すことにより当時の作業会話が流れて臨場感が増しています。
休憩中の作業員(の展示)も。
ここでも作業会話のボタンがあり、作業員の愚痴めいた会話を聞くことができます。
坑道の奥には神社も。
ちなみに開運洞という名称。
もうすぐ出口ですが、展示はあとちょっと続きます。
坑道の出口。そのまま展示室につながっています。
立坑を再現した展示。
上にある「安全専一」は「セーフティファースト」を直訳した当時のスローガン。
坑道内専用の電機機関車とトロッコ。
営業用を除けばこれが国内初の電機機関車らしいです。
銅のインゴットや鉄のプレートといった素材の展示も。
展示室から外に出ると再び江戸時代に。
江戸時代の選鉱・製錬作業の展示。
選鉱作業には女性も携わっていたようです。
坑内を走る当時の車両の展示。
電機機関車と人車・鉱物運搬車など。
削岩機の体験コーナーもありました。
機材は実物のようですが、音だけで振動はしませんでした。
(さすがに実物と同様に動いたら危険すぎる…)
トロッコの線路(旧ステーション付近)に戻ってきましたが、ここで先ほど紹介しきれなかった機関車付け替えの作業の一連を解説。
まずは上り(新ステーションに戻る)回送列車が停車中の状態(1)。
反対側の線路に下り(坑内に向かう)列車が到着(2)。
下り列車から機関車が切り離され(3)。
機関車がバックして今度は上り回送列車に連結されます(4)。
その後下り列車が発車(5)。
乗客を乗せたまま坑道のトンネルに入ります(6)。
振り返ると今度は上り回送列車が発車(7)。
機関車がトロッコ車を後ろから押す形でアプト勾配区間を登って新ステーションへと向かいます(8)。
そして再び振り返るとトンネルから回送列車が戻ってきました(9)。
その後旧ステーションに入り(1)の状態に戻る…
というのが一連の流れになります。
特に機関車を付け替える動作が半ば自動化されており実にスピーディーというか匠の仕事ぶりという感じでした。
旧ステーションの構内。
リニューアル前まではここが乗車口だったようです。
(自分も以前来た時にここからトロッコに乗ったはずですが、全く記憶にない…)
何故ここから短区間でしかもアプト式を導入してまで線路を延長したのかですが、バリアフリーの観点からということでしょうね。
ちなみに障がい者の方は例外として復路も旧ステーション~新ステーション間の乗車が可能のようです。
旧ステーションの横に「鋳銭座」という江戸時代の貨幣(主に寛永通宝)を展示した施設をざっと見て、最後は売店で土産を購入して足尾銅山を後にします。
足尾銅山から5分ほどで通洞駅に到着。
駅員のいる(有人)駅で、駅舎もきれい。
実は次の桐生行きの列車の発車時刻が差し迫っていたので急いで駅に来たのですが、次に来るのがトロッコ列車。
運賃の他に座席整理券(指定席券に相当、550円だったか)が必要ですが、次の普通列車が1時間後なので迷わず改札で整理券を購入して乗車するとします。
到着したのは気動車2両編成の「トロッコわっしー6号」。
残念ながら後ろのトロッコ車は団体客が乗車する関係で乗れず、前の座席者の乗車となりました。
(それでもボックスシートがあるので普通車よりはグレードが高いですが)
ちなみに快速列車に相当するため、途中通過する駅があります。
通洞駅を出発してすぐに銅山の精錬所跡地を通過。
観光列車ということもあり、ビューポイントでは速度を落として運行します。
第二渡良瀬川橋梁を通過。
※以後桐生までかぶりつきで撮影
途中落石除け?と思われる覆いも。
沿線髄一のビューポイントということで、この辺りはゆっくりと走行。
こうして撮影してみると、結構きつい勾配であることが分かります。
(再び)第一渡良瀬川橋梁を通過。
神戸(ごうど)駅に到着、再びDRCにまみえる。
(半ば木々に埋もれている感じですが…)
神戸駅を発車して間もなく、鉄道の車窓からしか見えない滝を通過。
なるほど線路のすぐ脇で周囲に道路がないので、他の移動手段がないらしい。
ガラス越しなのでどうしてもピントが合わないのが泣き所…。
(トロッコ車ならばばっちり撮れるはず)
ようやく山の麓に来た感じ。
大間々駅を過ぎ、この辺りは完全に平地。
上毛電鉄の線路をくぐります。
(上毛電鉄はこの後乗車することになる)
相老駅に到着するところ。
右側の架線のある線路は東武桐生線。
終点の桐生手前で渡良瀬川を渡りますが、この地点は既にJR両毛線の線路。
間もなく桐生駅。
ということで到着。
わ鐡線のホームは1番線。
降りた後にトロッコ車を撮影してみました。
ちなみにこの「トロッコわっしー号」は通年運行していますが、冬季(寒い時期)は2両とも窓付きの車両で運行される模様。
ここでJR線に乗り換えればそのまま高崎方面に行けますが、この後上毛電鉄に乗ってみるので駅の改札を出ます。
ということでJR桐生駅を後にして…。
北方向に5分ほど歩いて上毛電鉄の西桐生駅に到着。
やや(というかかなり)レトロな感じの駅舎。
駅名標はいかにも地方私鉄風といった感じ。
車両は元京王の3000系(ワンマン運転の2両編成)。
元京王3000系といえば直近では静岡の岳南電車で乗車しました。
(直近といっても数年前ですが)
この車両は少し小柄(17m級車体に該当するのか?)のため地方私鉄への譲渡例が多く、他にも松本電鉄や伊予鉄道などがあります。
その上毛電鉄ですが、鉄道むすめも存在。
名前は「北原ゆうき」。
例によって苗字・名前とも駅名からの由来ですが、名前の方は桐生球場前が元なのか…?
ご覧の通り駅の自販機等で紹介されています。
(写真は赤城駅で撮影)
ちなみにわ鐡線でも鉄道むすめが存在しますが、公式キャラクターの「わっしー」を大々的にアピールしているためか現地では確認できませんでした…。
西桐生駅を発車。
ワンマン運転で先頭ドアの前に料金回収箱があり、運転席の窓ガラスまでやや距離があるのでかぶりつきでの撮影が困難な車両でした。
なので写真はかなりトリミングして縮小しています。
再び渡良瀬川を渡りますが、奥に両毛線の鉄橋が見えます。
今度はわ鐡線の上を通ります。
(写真の奥が大間々駅方面)
赤城駅に到着するところ。
右に対向列車、左に東武線の車両が停まっています。
新里(にいさと)駅。
奥にホッパー車(ホキ)がありますが、まだ貨物列車の運行があるということでしょうか?
次の膳(ぜん)駅は自分の好きな一文字の駅ですが、駅名標の撮影に失敗したので駅舎(待合室)を撮影。
上毛電鉄は桐生と前橋の間をほぼ直線で結ぶ(対してJR両毛線は伊勢崎を経由する関係で南方向にV時状に折れる線形)ため赤城山がよく見えるはずなのですが、当日な残念ながら雲隠れでした。
反対の南側は田んぼが広がる風景。
鉄道むすめの苗字に由来する北原駅。
地方路線の沿線で最近よく見かけるようになったソーラーパネルの列がここでも何か所か見られました。
車両基地のある大胡(おおご)駅に到着。
駅ホーム奥の傾斜地に以前走っていた旧車両の模型がありましたが、何故か登山電車のような急勾配…。
もはやアプト式でないと無理か?
心臓血管センター…バス停名ならばも問題ないですが、鉄道の駅名だと…。
どうやら新しくできた駅のようですが、地元住民の要望があったからかもしれません。
このあたりは地域密着型の鉄道ならではといったところでしょうか?
こちらが心臓血管センターの建物。
結構大規模な施設のようです。
赤城山ですがやはり雲隠れのまま…でした。
ということで終点の中央前橋駅に到着。
西桐生からの所要時間は50分位。
先程「地域密着型の鉄道」と触れましたが、実は上毛電鉄線は自転車持ち込みでの乗車OK。
(後部車両のみの乗車や時間帯など一部制限あり)
なので上の写真でちらっと自転車でホームを移動している姿が確認できます。
(さすがに自転車に乗りながら移動するのはどうかと思いますが…)
中央前橋駅の駅舎は西桐生駅とは異なり近代的。
JR前橋駅とはやや距離がある(徒歩15分位?)ということもあり両駅間でシャトルバスも運行。
そのシャトルバスがすぐに発車するということで、駅舎の写真を撮った後すぐにバスに乗り込みました。
※運賃は100円
そしてJR前橋駅に到着。
ここから初めてJR線に乗車します。
(といっても後は帰るだけですが…)
両毛線では以前は107系などが走っていましたが、車両の世代交代が完了して現在は211系で統一されています。
雪除けのためか、全面下部スカートの形状に変化が見られます。
日没にさしかかっていますが、妙義山も雲隠れ?な感じでした。
高崎駅に到着。
最後はいつもの車両で首都圏方面へ。
グリーン車に乗ろうと思いましたが空いていたので今回は普通車でした。
(しかしビールは飲んだ)
ということで当日の行程終了…。
割といっぱいめなスケジュールでしたが、日帰りなのでまあ良いかと。
群馬エリアでの私鉄路線と言えば高崎から下仁田へと向かう上信電鉄線がありますが、こちらは機会があれば乗ってみたいと思います。
(富岡製糸場の見学と組み合わせで行くのが良いかも)
***終わり***
なので北関東(栃木・群馬方面)の私鉄もしくは三セク線を乗ってみようということで。
主な乗車対象はわたらせ渓谷鉄道線・上毛電鉄線で、最初の目的地(桐生方面)へ行くために東武特急のりょうもう号に乗ってみました。
あと観光として足尾銅山とその周辺も。
ということでまずは7時過ぎに東武線の浅草駅へ。
実は東武線を浅草駅から乗車するのは今回が初めてだったりします。
駅舎は駅ビルを兼ねた格調高い造り(というか旧来の建物を維持している)。
駅の改札で乗車券・特急券を購入して駅のホームへ。
特急券は念のため前日にネット上で予約しましたが、あまり必要なかったみたい。
今回乗車するのは特急スペーシア…ではなく
こちらの特急りょうもう号です。
車両は200系。
電車でD(Rising Stage)ではスマイリー酒井が乗車していました。
※原作(頭文字D)でのスマイリー酒井の愛車はインテグラ
行先は赤城で、自分も今回終点の赤城まで乗車します。
車両側面には「Ryomo」のロゴが。
そういえば電車でDでの当該車両では「東堂塾」のロゴがありましたが、本当はこれだったのですね。
※参考:電Dの3Dモデル
ちなみに隣に停車していたスペーシアの側面ロゴはこんな感じ。
「I」の部分がスカイツリーになっています。
スペーシア発車後に新型特急のリバティが到着しました。
この車両は初めて見ましたが、何というかやはり特撮ヒーローっぽい前面です。
スペーシア発車前に戻りますが、浅草駅のホーム先端部へ移動。
ご覧の通りすごく狭いというか窮屈…。
参考:電車でDでの浅草駅ホームの同アングル
こちらはかなりホームが広いです。
更には急カーブになっているため、場所によっては車両とホームがすれすれだったり乗車口との隙間が空いている箇所にはに渡り台が置かれているなど、かなり無茶な点も見られました。
旧来のターミナル(終点)駅の場合ホームの構造が現在の車両に合わないケースはままありますが、これほど極端なケースは滅多に見れないかも…と思ったりしました。
そうこうしているうちに発車時刻となったので、車内に乗り込み浅草駅を出発。
(ちなみに出発時点で車内はがらがらでした…)
浅草駅を発車後すぐに隅田川を渡り、川の向こうにはアサヒビールの本社ビルが目に入りました。
本社ビル奥の建物の上にある金色のオブジェですが、調べた所「聖火台の炎」をイメージしているとのこと。
といってもやはり「アレ」にしか見えないのですが…。javascript:openFixedPhrase('article__body_more','myform');
ちなみに車からだと横を走る首都高などから見たことは何度かありますが、電車上から見るのは初めてでした。
そして隣駅のとうきょうスカイツリー駅に到着。
元は業平橋という駅名で各停しか止まらなかったのですが、スカイツリー完成後に駅名を改称して特急を含むすべての列車が停車する駅に。
ちょうど京成線の日暮里駅と同じ位置づけになりました。
窓からスカイツリーを見上げたものの…頂点は見えず。
(雲がかかっていたのでどちらにせよ見えなかった)
次の停車駅は北千住。
JR常磐線など他路線との接続駅ということで、ここから乗車する方が多かったです。
(それでも客室内はまだ空いていましたが)
北千住発車後荒川を渡り、その後しばらくは複々線区間ということで速度もかなり上がります。
途中かなりすっとばしましたが、春日部の車両基地を通過。
そして東武動物公園駅に到着。
ここから日光線と伊勢崎線に分かれますが、乗車中の電車は伊勢崎線へ。
東武動物公園駅発車後すぐに、かつてのりょうもう号の車両とすれ違い。
ちなみにいまだ現役で、日光方面の「しもつけ・きりふり号」として運用中。
日光線と分かれて、伊勢崎線方面へ。
久喜駅に到着。
JR宇都宮線との接続駅ということもあってか、ここから乗車する方も多かったです。
(まだ車内は余裕がありましたが)
久喜駅発車後、JR宇都宮線と交差。
利根川を渡り…
館林駅に到着。
ここから先は単線区間なので走行速度は落ちます。
群馬県に入ったということもあり、車窓には田園地帯が広がります。
足利市駅に到着。
JR線(両毛線)の足利駅は渡良瀬川の対岸にあり、少し離れています。
もろに撮影失敗していまいましたが、後ろには森高千里さんの楽曲で有名になった渡良瀬橋が。
スバル(富士重工業)のおひざ元である太田駅に到着。
同駅で小泉線と合流、この先伊勢崎線(伊勢崎方面)と桐生線(赤城方面)へと分岐する東武線内でも主要駅となっています。
富士重工業は元々は中島飛行機(戦時中は三菱と並ぶ2大軍用機メーカー)ということで、戦前から軍事面の観点により鉄道が発展したことが伺えます。
これも見事な田園地帯。
次の藪塚駅で上りのりょうもう号とすれ違い。
新桐生駅を発車後、JR両毛線と交差。
終点赤城の1つ手前の相老(あいおい)駅。
わたらせ渓谷鉄道の乗り換え駅ですが、乗りつぶしのため敢えて下車せずに終点赤城まで乗車します。
ということで終点の赤城に到着。
浅草からの所要時間は2時間弱。
途中で何度か上りのりょうもう号とすれ違いしたことからも本数が結構あるようで、駅の時刻表を確認したところ毎時1本ペースで運行されているようです。
元々観光というよりはビジネス用途として誕生した特急(当初は急行)列車なので、特急というよりは通勤ライナー的な性格の列車なのかもしれませんね。
赤城駅の"駅舎は上毛電鉄と共用。
折り返しとなるりょうもう号を見送り…
(手前は上毛電鉄のホーム)
わたらせ渓谷鉄道の大間々駅を目指します。
約1km歩いて大間々駅に到着。
赤城駅から北に伸びる道路を直進し、道路の右手です。
わたらせ渓谷鉄道(以下わ鐡と省略)は元々国鉄足尾線(僅かにJRの期間もあった模様)ということで、国鉄時代の駅名標も残っていました。
こちらが現在の駅名標。
区画整理で山田郡大間々町→みどり市大間々町大間々、になっていることが分かります。
跨線橋から見た駅構内。
わ鐡線の車両基地も兼ねているため、駅構内は比較的広いです。
ちなみに両ホームの奥にトロッコ列車専用の0番線ホームがあります。
そうこうしているうちに目的の列車が到着。
終点の間藤(まとう)駅まで乗車します。
この後の行程としてわ鐡線をほぼ全線往復する形となるため、1日フリーきっぷ(大人1.850円)を購入しました。
列車は夏の緑の中を進みます。
大間々を発車して最初の駅となる上神梅(かみかんばい)駅に到着。
大正時代の駅舎がそのまま使われています。
(国の有形文化財に登録)
この後は山あい区間になり、線路の勾配も徐々に急になっていきます。
線路はほぼ渡良瀬川沿いを走行しますが、何か所かでダムも見られます。
最も大きいダムは草木ダムですが、この上流です。
花輪駅に到着。
ホーム右側にうさぎとかめの像が見えますが、これは童謡「うさぎとかめ」の作詞者である石原和三郎の出身地にちなんだものです。
中野といえばJR中央線の駅を思い出しますが、こちらの中野駅は山の中…。
わ鐡線の中でも基幹駅となる神戸駅に到着。
神戸と書いて「ごうど」と読みます。
というか駅名標の奥にある車両は…元東武特急のDRC!
駅舎を挟んで2両(共に中間車)ありますが、実は駅隣接のレストラン「清流」の食堂(車)として活用されているようです。
神戸駅ではしばし停車。
その間にレストランの店員さんと思われる方が弁当などを車内に入って売りにこられたので、自分も昼食用に買ってみました。
(詳細は間藤駅到着後に紹介)
神戸駅を発車後間もなく沿線最長の草木トンネルに入ります。
全長5.242mですが走行速度が遅いためか、通過するのに結構時間がかかりました。
ちなみに草木ダムもこの近辺にありますが、トンネルに入って少し先にあるためか車窓からは見ることができませんでした。
トンネルのを出た後はすぐに鉄橋(第一渡良瀬川橋梁)。
鉄橋から上流を見る。
ちょうどこの辺りがダム湖の上流になりますが、どうせなら下流側を撮ればよかったか…。
沢入=そうり、と読みます。
ここでも列車行き違いのためしばし停車。
この辺りは沿線髄一のビューポイントということで、トロッコ列車の場合速度を落として走行します。
通洞(つうどう)駅に到着。
足尾銅山の最寄り駅ですが、ひとまず終点まで行くのでそのまま乗車します。
間藤の1つ手前の足尾駅でトロッコ列車と行き違い。
ちなみにこちらは気動車の「トロッコわっしー号」。
ということで終点の間藤駅に到着。
展望台から見た間藤駅の駅舎。
無人駅ですが比較的立派な造り。
間藤駅は「時刻表2万キロ」の終着駅だそう。
駅ホームから足尾方面を見る。
駅周囲には特に何もなく、最果て感はそれなりにあります。
ちょうど昼時なので、神戸駅で買った弁当をいただくことに。
やまと豚弁当とじゃがいも。
トロッコわたらせ渓谷号の手ぬぐいも付いていました。
やまと豚弁当は1.030円と多少高めですが、手ぬぐいが単品で買うと300円位するのでそう考えるとかなりお得だったのかも…。
昼食後、折り返しの列車に乗ります(車両はそのまま)。
といっても次の足尾駅で下車することになりますが。
ホームの横奥には国鉄時代の気動車が留置されていました。
(通勤タイプのキハ35型)
その奥にはもう1両の気動車と、貨車も何両か。
特に展示車両という訳ではなく、そのまま留置されているという感じでした。
その後ちょうどトロッコ列車が到着しました。
こちらは先ほどの手ぬぐいにもあった「トロッコわたらせ渓谷号」で、ディーゼル機関車+客車の編成。
中ほどの2両が展望客車で、客車からの改造かと思いましたが調べたところ電車(元京王5000系らしい)からの改造車のようです。
両端の2両は国鉄の12系客車。
機関車の機回し(方向転換)が必要な関係で大間々~足尾間での運行となります。
(トロッコわっしー号は桐生~間藤間での運行)
改札を出て、この後は銅山を含む足尾周辺の観光へ。
足尾駅から間藤方面へ歩いて5分程度の場所にある「古河掛水倶楽部」。
明治32年に足尾銅山の迎賓館として建設されたもので、銅山の宿泊・会合にも利用。
現在でも古川機械金属(株)の福利厚生施設としても利用されています。
洋風の建物ですが一部和室(日本間)もあり、建物内には日本初のビリヤード台がある撞球場もあります。
入場料:大人500円
土日祝日のみ営業(平日は事前予約制)
冬季(11月下旬~翌年4月下旬)は休館している模様
建物内部の他周囲は庭園になっていて、庭園内も見学可能です。
建物の裏手。
表の白色の外観とは逆に黒色で、やや日本風な感じ。
掛水倶楽部の横には重役役宅が並んでおり、かつての鉱山住宅の雰囲気を残しています。
敷地の一番奥にある所長役宅。
所長役宅を含め重役役宅の建物も内部見学可能です。
隣接するテニスコート内にあるレンガ倉庫。こちらは外からしか見れません。
一通り見学した後は一旦足尾駅に戻り、そこから逆方向へ進み尾銅山へ。
足尾銅山の最寄り駅は1駅先の通洞駅になりますが、さすがに次の列車を待っていられないので徒歩にて移動。
途中渡良瀬川に接近する地点も。
ということでようやく足尾銅山(足尾銅山観光)に到着。
ここには小学生の時に家族旅行で来たことがありますが、それ以来になります。
階段を少し降りたところにトロッコ列車の乗車口(入坑券売り場)が。
銅山内にはトロッコ列車に乗る必要がある(徒歩では入れない)ため、ここで入坑券を購入します。
(大人:820円)
当日はやや混雑気味で、トロッコ列車に乗るまで待ち時間30分ほどかかりました。
ようやく乗車ホームに進んで線路を見たところ、真ん中にラックレールが。
これはもしや…アプト式?
程なく乗車するトロッコ列車が到着。
写真は後ろ側ですが、前寄りに機関車(補機)が付いていてこの先の急勾配を走行するという仕組み。
トロッコ車は坑内移動用の車両を模したものなので窮屈ですが、とにかく乗車します。
急勾配区間を走行中。
たまたま最前列の次の座席だったので、先頭に機関車が付いている様子が確認できました。
何分「アプト式」なので走行速度はかなりゆっくり。
途中で(乗り場へ向かう)回送車両とすれ違い。
実はかつてここが旧ステーション(乗り場)でした。
さらにこことで機関車の付け替えを行うため少々停車。
乗車中の列車から機関車が切り離され、反対側に停まっている回送車両に連結するところ。
…といってもこれだけではどうなっているのか分からないと思うので、詳細は後程説明します。
付け替え作業完了後再度出発、いよいよ坑内へ。
ここから先はほぼ平坦なので、トロッコ車のみで走行可能。
坑内の降車場に到着。
乗車したトロッコ列車は降車後程なくして回送車として元の方向に戻ります。
※トロッコ列車は基本往路専用です
降車場から先も真っすぐに坑道が続きますが、ここから先は進入禁止。
ちなみに足尾銅山の坑道の総延長は1.234m(東京~博多間に相当)だというからびっくりですね。
ということで引き返して、坑道内展示の順路へ進みます。
例によって坑内はかなり涼しく、湿り気たっぷり。
坑道内展示は大きく分けて「江戸時代」「明治・大正時代」「昭和時代」の3つがありますが、まずは江戸時代。
手押し車で鉱物を運ぶ坑夫の人形が。
人形がリアルなのが坑道内展示の特徴です。
(これは以前来た時もありました…)
こちらは鉱物を背負って運ぶ坑夫。
ピントが合っていませんが、役人が監査(?)している様子。
江戸時代なので作業は全て人力。
狭い所に入る人夫の姿も…。
こちらは明治・大正時代の展示。
機械が導入されて作業効率が大幅に改善されましたが、ばい煙などの健康被害が発生したのもこの時期。
足尾銅山と言えば国内で最初に公害が発生した場所でもありますが、それも明治時代のことでした。
途中当時の岩盤が露出している箇所も。
展示は昭和時代に移ります。
作業員もヘルメットを被るように。
トロッコに乗って移動する作業員も。
ダイナマイトでの発破操作をする様子。
やはり何というか、人形がかなりリアル…。
ちなみに近年のリニューアルに際して展示の特定箇所でボタンを押すことにより当時の作業会話が流れて臨場感が増しています。
休憩中の作業員(の展示)も。
ここでも作業会話のボタンがあり、作業員の愚痴めいた会話を聞くことができます。
坑道の奥には神社も。
ちなみに開運洞という名称。
もうすぐ出口ですが、展示はあとちょっと続きます。
坑道の出口。そのまま展示室につながっています。
立坑を再現した展示。
上にある「安全専一」は「セーフティファースト」を直訳した当時のスローガン。
坑道内専用の電機機関車とトロッコ。
営業用を除けばこれが国内初の電機機関車らしいです。
銅のインゴットや鉄のプレートといった素材の展示も。
展示室から外に出ると再び江戸時代に。
江戸時代の選鉱・製錬作業の展示。
選鉱作業には女性も携わっていたようです。
坑内を走る当時の車両の展示。
電機機関車と人車・鉱物運搬車など。
削岩機の体験コーナーもありました。
機材は実物のようですが、音だけで振動はしませんでした。
(さすがに実物と同様に動いたら危険すぎる…)
トロッコの線路(旧ステーション付近)に戻ってきましたが、ここで先ほど紹介しきれなかった機関車付け替えの作業の一連を解説。
まずは上り(新ステーションに戻る)回送列車が停車中の状態(1)。
反対側の線路に下り(坑内に向かう)列車が到着(2)。
下り列車から機関車が切り離され(3)。
機関車がバックして今度は上り回送列車に連結されます(4)。
その後下り列車が発車(5)。
乗客を乗せたまま坑道のトンネルに入ります(6)。
振り返ると今度は上り回送列車が発車(7)。
機関車がトロッコ車を後ろから押す形でアプト勾配区間を登って新ステーションへと向かいます(8)。
そして再び振り返るとトンネルから回送列車が戻ってきました(9)。
その後旧ステーションに入り(1)の状態に戻る…
というのが一連の流れになります。
特に機関車を付け替える動作が半ば自動化されており実にスピーディーというか匠の仕事ぶりという感じでした。
旧ステーションの構内。
リニューアル前まではここが乗車口だったようです。
(自分も以前来た時にここからトロッコに乗ったはずですが、全く記憶にない…)
何故ここから短区間でしかもアプト式を導入してまで線路を延長したのかですが、バリアフリーの観点からということでしょうね。
ちなみに障がい者の方は例外として復路も旧ステーション~新ステーション間の乗車が可能のようです。
旧ステーションの横に「鋳銭座」という江戸時代の貨幣(主に寛永通宝)を展示した施設をざっと見て、最後は売店で土産を購入して足尾銅山を後にします。
足尾銅山から5分ほどで通洞駅に到着。
駅員のいる(有人)駅で、駅舎もきれい。
実は次の桐生行きの列車の発車時刻が差し迫っていたので急いで駅に来たのですが、次に来るのがトロッコ列車。
運賃の他に座席整理券(指定席券に相当、550円だったか)が必要ですが、次の普通列車が1時間後なので迷わず改札で整理券を購入して乗車するとします。
到着したのは気動車2両編成の「トロッコわっしー6号」。
残念ながら後ろのトロッコ車は団体客が乗車する関係で乗れず、前の座席者の乗車となりました。
(それでもボックスシートがあるので普通車よりはグレードが高いですが)
ちなみに快速列車に相当するため、途中通過する駅があります。
通洞駅を出発してすぐに銅山の精錬所跡地を通過。
観光列車ということもあり、ビューポイントでは速度を落として運行します。
第二渡良瀬川橋梁を通過。
※以後桐生までかぶりつきで撮影
途中落石除け?と思われる覆いも。
沿線髄一のビューポイントということで、この辺りはゆっくりと走行。
こうして撮影してみると、結構きつい勾配であることが分かります。
(再び)第一渡良瀬川橋梁を通過。
神戸(ごうど)駅に到着、再びDRCにまみえる。
(半ば木々に埋もれている感じですが…)
神戸駅を発車して間もなく、鉄道の車窓からしか見えない滝を通過。
なるほど線路のすぐ脇で周囲に道路がないので、他の移動手段がないらしい。
ガラス越しなのでどうしてもピントが合わないのが泣き所…。
(トロッコ車ならばばっちり撮れるはず)
ようやく山の麓に来た感じ。
大間々駅を過ぎ、この辺りは完全に平地。
上毛電鉄の線路をくぐります。
(上毛電鉄はこの後乗車することになる)
相老駅に到着するところ。
右側の架線のある線路は東武桐生線。
終点の桐生手前で渡良瀬川を渡りますが、この地点は既にJR両毛線の線路。
間もなく桐生駅。
ということで到着。
わ鐡線のホームは1番線。
降りた後にトロッコ車を撮影してみました。
ちなみにこの「トロッコわっしー号」は通年運行していますが、冬季(寒い時期)は2両とも窓付きの車両で運行される模様。
ここでJR線に乗り換えればそのまま高崎方面に行けますが、この後上毛電鉄に乗ってみるので駅の改札を出ます。
ということでJR桐生駅を後にして…。
北方向に5分ほど歩いて上毛電鉄の西桐生駅に到着。
やや(というかかなり)レトロな感じの駅舎。
駅名標はいかにも地方私鉄風といった感じ。
車両は元京王の3000系(ワンマン運転の2両編成)。
元京王3000系といえば直近では静岡の岳南電車で乗車しました。
(直近といっても数年前ですが)
この車両は少し小柄(17m級車体に該当するのか?)のため地方私鉄への譲渡例が多く、他にも松本電鉄や伊予鉄道などがあります。
その上毛電鉄ですが、鉄道むすめも存在。
名前は「北原ゆうき」。
例によって苗字・名前とも駅名からの由来ですが、名前の方は桐生球場前が元なのか…?
ご覧の通り駅の自販機等で紹介されています。
(写真は赤城駅で撮影)
ちなみにわ鐡線でも鉄道むすめが存在しますが、公式キャラクターの「わっしー」を大々的にアピールしているためか現地では確認できませんでした…。
西桐生駅を発車。
ワンマン運転で先頭ドアの前に料金回収箱があり、運転席の窓ガラスまでやや距離があるのでかぶりつきでの撮影が困難な車両でした。
なので写真はかなりトリミングして縮小しています。
再び渡良瀬川を渡りますが、奥に両毛線の鉄橋が見えます。
今度はわ鐡線の上を通ります。
(写真の奥が大間々駅方面)
赤城駅に到着するところ。
右に対向列車、左に東武線の車両が停まっています。
新里(にいさと)駅。
奥にホッパー車(ホキ)がありますが、まだ貨物列車の運行があるということでしょうか?
次の膳(ぜん)駅は自分の好きな一文字の駅ですが、駅名標の撮影に失敗したので駅舎(待合室)を撮影。
上毛電鉄は桐生と前橋の間をほぼ直線で結ぶ(対してJR両毛線は伊勢崎を経由する関係で南方向にV時状に折れる線形)ため赤城山がよく見えるはずなのですが、当日な残念ながら雲隠れでした。
反対の南側は田んぼが広がる風景。
鉄道むすめの苗字に由来する北原駅。
地方路線の沿線で最近よく見かけるようになったソーラーパネルの列がここでも何か所か見られました。
車両基地のある大胡(おおご)駅に到着。
駅ホーム奥の傾斜地に以前走っていた旧車両の模型がありましたが、何故か登山電車のような急勾配…。
もはやアプト式でないと無理か?
心臓血管センター…バス停名ならばも問題ないですが、鉄道の駅名だと…。
どうやら新しくできた駅のようですが、地元住民の要望があったからかもしれません。
このあたりは地域密着型の鉄道ならではといったところでしょうか?
こちらが心臓血管センターの建物。
結構大規模な施設のようです。
赤城山ですがやはり雲隠れのまま…でした。
ということで終点の中央前橋駅に到着。
西桐生からの所要時間は50分位。
先程「地域密着型の鉄道」と触れましたが、実は上毛電鉄線は自転車持ち込みでの乗車OK。
(後部車両のみの乗車や時間帯など一部制限あり)
なので上の写真でちらっと自転車でホームを移動している姿が確認できます。
(さすがに自転車に乗りながら移動するのはどうかと思いますが…)
中央前橋駅の駅舎は西桐生駅とは異なり近代的。
JR前橋駅とはやや距離がある(徒歩15分位?)ということもあり両駅間でシャトルバスも運行。
そのシャトルバスがすぐに発車するということで、駅舎の写真を撮った後すぐにバスに乗り込みました。
※運賃は100円
そしてJR前橋駅に到着。
ここから初めてJR線に乗車します。
(といっても後は帰るだけですが…)
両毛線では以前は107系などが走っていましたが、車両の世代交代が完了して現在は211系で統一されています。
雪除けのためか、全面下部スカートの形状に変化が見られます。
日没にさしかかっていますが、妙義山も雲隠れ?な感じでした。
高崎駅に到着。
最後はいつもの車両で首都圏方面へ。
グリーン車に乗ろうと思いましたが空いていたので今回は普通車でした。
(しかしビールは飲んだ)
ということで当日の行程終了…。
割といっぱいめなスケジュールでしたが、日帰りなのでまあ良いかと。
群馬エリアでの私鉄路線と言えば高崎から下仁田へと向かう上信電鉄線がありますが、こちらは機会があれば乗ってみたいと思います。
(富岡製糸場の見学と組み合わせで行くのが良いかも)
***終わり***
2019-08-14 09:47
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