春休みの乗り鉄旅行2021~上信州巡り(1回目) [鉄道・鉄道旅行]
少し休みができた関係で年始に実行できなかった乗り鉄旅行に行ってみました。
緊急事態宣言が解除されたものの、まだ泊りの旅行は厳しいので日帰り旅行×2回という変則的に日程です。
ということで1日目(1回目)ですが都心からJR線で高崎まで移動し、高崎から上信電鉄を走破しつつ途中観光名所を巡るという行程です。
観光名所を巡るといっても2箇所だけでしたが、その一つが世界遺産となっている富岡製糸場なので鉄道・観光が半々位のボリュームといった感じです。
一応18きっぷを利用しているため、高崎までは在来線(高崎線)に乗車。
武蔵小杉からの乗車でしたがたまたま到着したのが湘南新宿ライン経由の高崎行きだったので途中乗り換えなしで高崎まで行けました。
写真は途中の籠原駅で撮影したもの。
(後述しますがこの後車両の切り離しが行われる)
普段高崎線はグリーン車(中間車)に乗車しますが今回は先頭車両に乗車したので、珍しくかぶりつきにての撮影を。
スタートは赤羽付近で撮影。
左側に写っているのは埼京線の車両。
相鉄・JR直通線の開業で最近見る機会が多くなった車両です。
荒川の鉄橋を通過するところ。
この区間は湘南新宿ラインと既存の宇都宮・高崎線の線路とが独立していて、湘南新宿ラインの線路は一番左側を走行します。
正確に言うと東北貨物線の線路を借用しているので、途中貨物列車とすれ違うこともあります。
大宮を出発して程なく、鉄道博物館(鉄博)の横を通過。
高崎線の沿線は基本住宅街か畑ですが、一部林の中を通る箇所もあります。
冒頭で触れましたが途中の籠原駅で前の5両を切り離しされます。
後ろの車両(10両編成)に移動し、改めて出発。
駅(恐らく岡部駅)停車中のホーム越しに撮影したものですが、神社の桜がきれいでした。
珍しく特急列車とすれ違い(あかぎもしくは草津?)。
利根川の支流となる神流川の鉄橋を渡るところ。
地図で見ると埼玉県と群馬県の県境でした。
高崎線はかつて(上越新幹線が開業する前まで)多くの特急列車が走っていたことから、途中駅でも通過待ち用の待避線ホームが設けられていることが多いです。
写真は新町駅で真ん中の線路が取り外されていますが、その名残かと。
高麗川・寄居方面から来た八高線と合流。
奥に見える北藤岡駅は八高線のみにある駅。
共に利根川の支流となる烏川・鏑川の合流地点。
(左手が鏑川、右手が烏川)
鏑川は後ほど取り上げる富岡製糸場の横を流れます。
高崎に到着。
武蔵小杉からの所要時間は2時間10分程度。
駅名標もSL列車をイメージしたシックなデザインです。
ホーム内の自販機もSL風?
高崎駅西口。
新幹線の停車駅ということもあって駅ビルも兼ねた大規模な建物です。
ちょうど前日は群馬県内で聖火リレーが開催されていました。
高崎からは上信電鉄に乗車。
JR線ホームの脇にひっそりと改札があります。
上信電鉄線(以下「上信線」)のホームは「0番線」の1線のみ。
ホームは乗車用と降車用の2面に分かれています。
上信線の鉄道むすめは「富岡しるく」。
名前の由来は富岡の名産品となる絹の生糸(シルク)から。
もちろん富岡製糸場にも関連しています。
上信線の沿線には名所も多いですが…
上信線の全線(高崎~下仁田間)を走破という目的があるため、観光地巡りは富岡製糸場と貫前神社の2箇所に絞ることに。
ホームに到着したのはJRから譲り受けた元107系。
しかもJR時代と変わらない姿(JRラッピング車)!
JRのロゴがあった部分には上信電鉄の略称である「JDK」のロゴが。
これは粋な計らい。
駅付近の車庫には譲渡後そのまま留置されている編成もあり、行先表示や側面のロゴもJR時代のままでした。
※高崎線の車内から撮影
参考までに、JR時代の107系。
全面の連結器周りが変わっている他は印象派変わりないです。
側面の形式表示。
譲渡に当たって形式は700形に改められました。
「クモハ」を含め書体をJR時代(旧国鉄)と同じにしているのがこだわりを感じます。
再び参考までに、JR時代の形式表示。
…確かに同じだ!
ちなみに更新後は真ん中のピンク帯の色が濃くなっているのが確認できます。
車内についても、シートの柄以外はほぼ原形をとどめています。
(ワンマン運転用の料金箱や天井にモニタ設置など、細かな変更点はあり)
車内の形式表示も改められました。
以前取り上げたこともありましたが、JR時代は手書きだったことも…。
ということで、高崎駅を出発。
奥に停車中の車両も元107系車でした。
というか右手前に写っている、貨車に載せられている屋根上クーラーと思わしき部品が気になる…
※この写真を含め、以降下仁田往路まで逆かぶりつきにて撮影
上越新幹線の高架下に設けられた信号所(列車行き違い設備)。
再び上越新幹線の高架を潜り抜けた後、烏川を渡ります。
沿線の桜も綺麗ですが、私鉄ローカルによく見られる細い架線柱もポイント高いです。
上信線内では群馬県の旧国名である上野(こうずけ)を意味する「上州」のつく駅名が多いです。
ちなみにJR線では群馬県内で上野もしくは上州つく駅名は無く、「群馬~」という駅名がいくつか見られます(群馬総社・群馬八幡など)。
川沿いの桜も綺麗でした。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
今回後ろ寄りの車両に乗ったのは(後部車両が)ワンマン運転で乗務員のいないため逆かぶりつき撮影に適しているという理由もありますが、モーター付き車両(クモハ)であることからその走行音を聴くという目的もありました。
上の音声ファイル(MP3)はその走行音を録音したもので、JR東日本圏内ではほぼ聴けなくなった国鉄形車両独特の「唸る」モーター音(形式で言うとMT54系列)を久しぶりに堪能できました。
ちなみに元107系はJR化後に新製されましたものの主電動機(モーター)・台車などの足回りは当時廃車された急行型車両(165系)の発生品が使われているなど、国鉄形車両とつながりが深い形式と言えます。
なのでJRからそのまま上信電鉄に車両が譲渡されたのは国鉄時代の遺産を継承するという点でも良かったのではないかと…。
そうこう(走行?)しているうちに富岡製糸場の最寄り駅となる上州富岡駅に到着。
ちなみに前よりの車両(クハ)の屋根上クーラーが個別(分散式)になっていますが、これも107系新製時に急行型車両の発生品を利用したものでJR時代と変わりないです。
屋根上では先頭部分のアンテナが変更されたことと、クーラー両脇にあったベンチレーター(通風機)が無くなったことです(細かいことで恐縮ですが…)。
反対側(上り線)に派手なラッピング車が到着。
こちらは全面の形状から元西武の車両っぽい。
側面には鉄道むすめのラッピングも。
真新しい上州富岡駅の駅舎。
駅構内でも世界遺産となった富岡製糸場をアピールしています。
駅から徒歩10~15分位で富岡製糸場の正門に到着。
※入館料:1.000円(JAF会員証提示で団体割引の900円になります)
正門を入って正面に見えるのが東置繭所。
生糸の原料となるカイコの繭(まゆ)を貯蔵する施設として利用されました。
入館した後ちょうど解説員によるガイドツアーが始まるということでしたので、ひとまずガイドツアーに参加してその後改めて場内を見学することに。
※ガイドツアー参加料:200円 所要時間:40分程度
東置繭所の通路吹き抜けの上には「明治5年」の表記が。
富岡製糸場は明治5年(1872)に主要な建物が完成し、国内初の官営製糸工場として創業しました。
その後民間の企業に払い下げとなり経営会社も3代に渡りましたが、昭和62年(1987年)まで115年間操業し続けました。
券売所の横には建物に使用されたレンガや、原料のカイコ繭・繰糸器などが展示。
東置繭所を別の角度(繰糸所方面)から撮影。
いわゆる「倉庫」なので横長の建物です。
手前の小屋は発電設備を備えた施設。
"裏(西)側から見た東置繭所。
2階部分にベランダ(外廊下)が設けられています。
東置繭所の2階は当時事務所・作業場として使用されており、現在は展示施設となっています。
2階は当時の倉庫のままの状態で保存され、ベランダ横の階段を上がって一部が見学可能です。
こちらは反対側にある西置繭所。
建物の構造・規模は東置繭所と同じです。
西置繭所を別の角度から撮影。
西置繭所の2階ベランダから撮影。
西置繭所は昨年10月から保存修理が完了して内部の公開が開始され、1階が展示コーナーとホール、2階の一部を展示コーナーとして見学が可能です。
西置繭所2階ベランダから見た鉄水溜・煙突・乾燥場などの各施設。
現在は外からの見学のみです。
煙突の奥に見えるのが乾燥場の建物ですが現在保存修理工事中で、工事用の建屋で覆われています。
置繭所などの施設の南隣にあるのが繰糸所。
繭から生糸を取る作業が行われていた場所です。
繰糸所の内部。
創業当初はフランス式の繰糸器が設置されていましたが、現在展示されているのは昭和41年以降に設置され、操業停止まで使われていた自動繰糸機です。
(メーカーは日産とのこと)
建物の小屋組みは従来の日本建築にはない「トラス式」という建築工法が用いられ、中央に柱が無い広い空間が実現できたことが特徴です。
その他彩光のための多くのガラス窓(当時は電灯が無かった)や屋根上には蒸気抜きの越屋根(二重屋根)が設けられるなど、当時最先端の建築技術が用いられています。
繰糸所(左側)と東置繭所(右側)の間には当時連絡用の渡り廊下があったらしいです。
繰糸所の左(南)隣にある首長館(ブリュナ館)。
創業時に製糸場の指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居で、ブリュナが帰国した後は宿舎や工女に読み書きや裁縫を教える学校として利用されました。
地下にはワインセラーとして利用されたとされるレンガ作りの地下室も残っています。
※建物外観見学のみ
ブリュナ館の裏側。
改装後のままの姿と思われますが、こうして見ると確かに住居というよりは校舎っぽいです。
手前の広場も校庭として使用されたのかも。
ちなみにこれらの施設は企業内教育の先駆けと言われています。
(西置繭所の展示コーナーには当時開催されていた運動会や文化祭といった行事の写真もある)
検査人館(上の写真)と女工館(下の写真)。
検査人館は生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居として、女工館は日本人工女に器械による糸取り技術を教えるフランス人女性教師の住居として建設されたものです。
※いずれも建物外観見学のみ
場内には工場専用の診療所や病室も設けられていて、当時の施設内で日常生活の全てが完結できていたことが分かります。
※建物外観見学のみ
ブリュナ館の奥(場内の南西部)には昭和初期に建てられた寄宿舎がそのまま残っていましたが、
何分簡易的な構造なため(当時物資の調達に苦労したという説明書きがあった)建物の痛みが甚だしい状態でした…。
それぞれ浅間寮・妙義寮という名称があります。
※建物外観見学のみ
製糸場の南側を流れる鏑川。
製糸場の用水として鏑川の水を利用していた時期もありました。
そもそもこの富岡に製糸場が建設された理由ですが、
・元々養蚕が盛んで原料の繭が確保しやすかった
・既存の用水を使うことで製糸に必要な水の確保ができた
・燃料の石炭が近くの高崎で採れる
ことが挙げられました。
(その他工場建設用の広い土地が用意できた、外国人指導の工場建設に周囲の住民の同意が取れたといった理由も含まれる)
こちらは先程の寄宿舎と反対側(北側)にある社宅群。
家族持ちの社員向けの住居で、住居の造りからして昭和の戦後になってからのものと思われます。
住居の中には当時使われていたテレビなどの家具が一部残されています。
※内部の一部が見学可能
社宅群の横には生体展示用の桑の生木も植えられています。
(桑はカイコの飼料となる)
写真の奥に見える社宅(社宅76)内ではカイコ(蚕)の生体展示もされていました。
何分カイコはガの幼虫なので、虫が苦手が人は注意が必要かも…
※現状モニタでのリモート映像にての展示
ちなみに手前に見える袴姿のマスコットキャラクターは「お富ちゃん」という名称だそう。
そんな感じで場内を一巡するのに2時間強かかりましたが、今年の大河ドラマ的にも富岡製糸場を見学したのはタイムリーだったと思います。
まあ結果論なのですが、今後の大河ドラマの展開が楽しみになりました。
再び上州富岡駅に戻り、下仁田方面へ。
上州富岡駅は線内の基幹駅ということもあり、3番線までホームがあります。
(一番手前のホームは上州富岡止まりの列車が使用すると思われる)
先に高崎行きの電車が到着。
これまた派手なラッピングです。
反対側に群馬サファリパークのラッピング車が到着。
(車両は700形=元JR107系)
こちらに乗車して終点の下仁田まで。
上州富岡駅の周辺は住宅地の中をすり抜ける感じ。
またこの区間は大体直線で、それなりのスピードが出ます。
(運転席の速度計を見たところ90km/hくらい出ていた)
相変わらず国鉄車の唸るモーター音を堪能できるのは良いのですが、JR線と比べて路盤状況が悪いためか車内はかなり揺れます。
(上の写真でも何となく線路が波打っている様子が分かる)
しばらくは鏑川に沿って走行します。
終点に近づくにつれて山が近づいてきました。
途中駅でオリジナル色の700形とすれ違い。
700形の第1編成ですが、これがデビュー当時のオリジナル色らしいです。
その途中駅ですが南蛇井=なんじゃい、という全国屈指の珍駅名だったりします。
上信線に乗るのは今回が初めてですが、この南蛇井という駅名は昔から知っていたので駅名標を撮るのを楽しみに(というか目的の一つに)していました。
南蛇井から先はいわゆる山あい区間に突入。
急カーブが連続し線路の勾配もきつくなります。
※終点の下仁田まで逆かぶりつきにて撮影
末端区間は駅間も長いためか、途中に信号所も…。
まるで鉄道模型のような急カーブ。
ごくわずかですがトンネルもあります。
終点の近くは国道に沿って走行。
終点の下仁田に到着。
横には高崎から乗車した107系リバイバルカラーの車両が停車していました。
下仁田駅の駅名標。
ちなみに上信電鉄という社名からして開業当初は下仁田から信濃(方向からして佐久)方面へ延伸する計画があったそうですが資金繰りができず(戦前の世界恐慌の影響らしい)、計画は頓挫して現在に至っても代替となるバス路線すらできていない状態です。
こじんまりとした下仁田駅の駅舎。
いかにもローカル線の終着駅的な雰囲気ではありますが。
下仁田駅は富岡製糸場と同じく世界遺産に登録されている「荒船風穴」の最寄り駅となっていますが、ここからタクシー利用で30分という距離(バス路線もない)なので今回は行かずにそのまま高崎方面に戻ることにします。
(機会があれば車で行くのが良いかも)
まだ昼食をとっていなかったのでどこか食事できる場所がないか駅周辺を回ったところ、ちょうど食堂が。
下仁田といえばこんにゃくが名産品でですが、かつ丼も名物ということで注文してみました。
かつはたれ仕込みですがボリュームがあってなかなかの美味でした。
この後みやげ屋(雑貨屋?)でこんにゃくを購入して駅に戻りました。
駅の構内には昔の貨車が留置されていました。
使われなくなってからかなり経過しているようで、半ば放置状態…。
少し待つと高崎方面の電車が到着。
到着したのは上信線の(事実上の)最新車両となる7000形。
上信線内で最も新しくデビューしたのは700形ですが、既に解説した通りJRからの譲渡車のため、新製からの経年数としてはこの7000形が最新と言えます。
この車両は上野三碑のラッピング車。
7000形は久々の自社発注の車両であることと、車内もクロスシートでグレードが高いのがポイントです。
下仁田駅を発車して間もない時点ではほぼ山の中。
大きな赤い橋が見えますが、ちょうど山間部の入口あたり。
再びなんじゃい?駅に到着。
駅名の下にもありますが世界遺産に登録されたのが「富岡製糸場と絹産業遺産群」という枠なので、製糸場の他に下仁田駅の先にある荒船風穴や藤岡市にある高山社跡などいくつかの施設があります。
南蛇井駅付近は上信越道(高速道路)との交差地点で、上信越道の下仁田ICも近くにあります。
ここから先は再び長い直線が続きます。
※かぶりつきにて撮影
途中の上州一ノ宮駅で下車。
駅名にもなっている上州(上野)の一ノ宮である貫前(ぬきさき)神社に行ってみます。
駅から徒歩10分ほどで貫前神社の入口に到着。
ここから上り坂と階段が続くのですが、道の両側の桜が綺麗です。
坂を上った後は参拝者用の駐車場で、奥に見える階段を上った先の鳥居の下あたりが頂上です。
その先に神社本殿の入口。
入口の左手にも駐車場があるので、ここまで車で来ることができます。
登り切ったと思ったら本殿までは下りの階段。
神社の立地で上がってまた下がるというのは珍しいかもしれません。
(今までの経験だと上り坂の頂上か平地なので)
門(?)の下に賽銭箱が見えますが、本殿はこの奥です。
上州一ノ宮ということもあって、本殿は豪華な造り。
反対側から撮影。
本殿の横にある、"神楽堂とおぼしき堂。
この他宝物館もありましたが当日は休館日だったので、参拝と御朱印を頂いて終わりとしました。
神社敷地の頂上(鳥居の下)からの眺めは抜群でした。
再び上州一ノ宮駅へ。
古き良きローカル線の駅舎という雰囲気です。
先に旧塗装ラッピングの車両が下仁田方面へと発車するところ。
高崎まで乗車するのがこちらの下仁田ジオパークラッピング車。
貫通扉上部の行先表示がLEDではなく従来の巻き上げ式ですが、JR時代のものをそのまま利用しているっぽいです。
川沿いの桜並木。
都心では桜は散り始めですが群馬県では今が見ごろでした。
途中の信号所で対向列車と行き違い。
※高崎までかぶりつきで撮影。
写真ではよくわかりませんが、遠くに新幹線の高架橋が見えます。
再び烏川を渡るところ。
鉄橋途中の架線柱が特徴的です。
その奥には新幹線の高架橋。
終点高崎駅の手前ですが、かつての上信線顔の車両も見えます。
(自社発注の1000形もしくは6000形)
今回乗車できなかったのは残念でしたが…
高崎に戻ってきた後は再びJR線へ。
そのまま高崎線で東京方面に戻ってもよかったのですが、追加の乗りつぶしを行うために都心とはやや逆方向の両毛線の電車に乗ります。
前橋の手前、利根川を渡るところ。
両毛線は伊勢崎まで乗車。
(高崎からの電車が伊勢崎止まりだったので)
JRの改札を出て東武伊勢崎線に乗り換え。
伊勢崎線の末端区間はまだ乗車していなかったので、ここから乗りつぶし開始。
伊勢崎線の末端区間ではかつて東武線での大所帯であった8000系の末裔が活躍中。
ただ編成は3両と短いですが…。
間もなく日没なので車窓の撮影はこのあたりが限界。
剛志=ごうし、何となく強そうな駅名。
太田駅で赤城方面から来た特急リバティ(リバティりょうもう号)と接続。
太田から先は去年りょうもう号で乗車したので、既存の乗車区間になります。
途中の野州山辺(やしゅうやまべ)駅で下りのりょうもう号と行き違い。
りょうもう号は通勤ライナー的な性格もあってか、夕方の時間帯は本数が多いようです。
駅名の「野州」ですが下野(しもつけ)の野州で、上州に対抗して「下州」になならなかったようです。
(ちなみにJR線は野州ではなく下野がつく駅名が存在)
「ふくい」といっても福井ではないです。
「県」と書いて「あがた」と読みます。
自分が好きな一文字の駅名ですが、東武線内ではこの駅だけかも。
伊勢崎から乗車した電車は"館林が終点だったため、ここで乗り換え。
久喜まで乗車しJR線(宇都宮線)に乗り換えて都心方面に戻り、当日の行程終了です。
最後は蛇足的な乗りつぶしだったため、帰宅が1時間くらい遅くなったかも…。
JR線内は18きっぷ利用でしたが今回の行程では何分私鉄線の乗車が多かったので、ぎりぎり元をとれたかとれないか位の利用範囲でした。
ということでまた次回(2回目に続く)。
緊急事態宣言が解除されたものの、まだ泊りの旅行は厳しいので日帰り旅行×2回という変則的に日程です。
ということで1日目(1回目)ですが都心からJR線で高崎まで移動し、高崎から上信電鉄を走破しつつ途中観光名所を巡るという行程です。
観光名所を巡るといっても2箇所だけでしたが、その一つが世界遺産となっている富岡製糸場なので鉄道・観光が半々位のボリュームといった感じです。
一応18きっぷを利用しているため、高崎までは在来線(高崎線)に乗車。
武蔵小杉からの乗車でしたがたまたま到着したのが湘南新宿ライン経由の高崎行きだったので途中乗り換えなしで高崎まで行けました。
写真は途中の籠原駅で撮影したもの。
(後述しますがこの後車両の切り離しが行われる)
普段高崎線はグリーン車(中間車)に乗車しますが今回は先頭車両に乗車したので、珍しくかぶりつきにての撮影を。
スタートは赤羽付近で撮影。
左側に写っているのは埼京線の車両。
相鉄・JR直通線の開業で最近見る機会が多くなった車両です。
荒川の鉄橋を通過するところ。
この区間は湘南新宿ラインと既存の宇都宮・高崎線の線路とが独立していて、湘南新宿ラインの線路は一番左側を走行します。
正確に言うと東北貨物線の線路を借用しているので、途中貨物列車とすれ違うこともあります。
大宮を出発して程なく、鉄道博物館(鉄博)の横を通過。
高崎線の沿線は基本住宅街か畑ですが、一部林の中を通る箇所もあります。
冒頭で触れましたが途中の籠原駅で前の5両を切り離しされます。
後ろの車両(10両編成)に移動し、改めて出発。
駅(恐らく岡部駅)停車中のホーム越しに撮影したものですが、神社の桜がきれいでした。
珍しく特急列車とすれ違い(あかぎもしくは草津?)。
利根川の支流となる神流川の鉄橋を渡るところ。
地図で見ると埼玉県と群馬県の県境でした。
高崎線はかつて(上越新幹線が開業する前まで)多くの特急列車が走っていたことから、途中駅でも通過待ち用の待避線ホームが設けられていることが多いです。
写真は新町駅で真ん中の線路が取り外されていますが、その名残かと。
高麗川・寄居方面から来た八高線と合流。
奥に見える北藤岡駅は八高線のみにある駅。
共に利根川の支流となる烏川・鏑川の合流地点。
(左手が鏑川、右手が烏川)
鏑川は後ほど取り上げる富岡製糸場の横を流れます。
高崎に到着。
武蔵小杉からの所要時間は2時間10分程度。
駅名標もSL列車をイメージしたシックなデザインです。
ホーム内の自販機もSL風?
高崎駅西口。
新幹線の停車駅ということもあって駅ビルも兼ねた大規模な建物です。
ちょうど前日は群馬県内で聖火リレーが開催されていました。
高崎からは上信電鉄に乗車。
JR線ホームの脇にひっそりと改札があります。
上信電鉄線(以下「上信線」)のホームは「0番線」の1線のみ。
ホームは乗車用と降車用の2面に分かれています。
上信線の鉄道むすめは「富岡しるく」。
名前の由来は富岡の名産品となる絹の生糸(シルク)から。
もちろん富岡製糸場にも関連しています。
上信線の沿線には名所も多いですが…
上信線の全線(高崎~下仁田間)を走破という目的があるため、観光地巡りは富岡製糸場と貫前神社の2箇所に絞ることに。
ホームに到着したのはJRから譲り受けた元107系。
しかもJR時代と変わらない姿(JRラッピング車)!
JRのロゴがあった部分には上信電鉄の略称である「JDK」のロゴが。
これは粋な計らい。
駅付近の車庫には譲渡後そのまま留置されている編成もあり、行先表示や側面のロゴもJR時代のままでした。
※高崎線の車内から撮影
参考までに、JR時代の107系。
全面の連結器周りが変わっている他は印象派変わりないです。
側面の形式表示。
譲渡に当たって形式は700形に改められました。
「クモハ」を含め書体をJR時代(旧国鉄)と同じにしているのがこだわりを感じます。
再び参考までに、JR時代の形式表示。
…確かに同じだ!
ちなみに更新後は真ん中のピンク帯の色が濃くなっているのが確認できます。
車内についても、シートの柄以外はほぼ原形をとどめています。
(ワンマン運転用の料金箱や天井にモニタ設置など、細かな変更点はあり)
車内の形式表示も改められました。
以前取り上げたこともありましたが、JR時代は手書きだったことも…。
ということで、高崎駅を出発。
奥に停車中の車両も元107系車でした。
というか右手前に写っている、貨車に載せられている屋根上クーラーと思わしき部品が気になる…
※この写真を含め、以降下仁田往路まで逆かぶりつきにて撮影
上越新幹線の高架下に設けられた信号所(列車行き違い設備)。
再び上越新幹線の高架を潜り抜けた後、烏川を渡ります。
沿線の桜も綺麗ですが、私鉄ローカルによく見られる細い架線柱もポイント高いです。
上信線内では群馬県の旧国名である上野(こうずけ)を意味する「上州」のつく駅名が多いです。
ちなみにJR線では群馬県内で上野もしくは上州つく駅名は無く、「群馬~」という駅名がいくつか見られます(群馬総社・群馬八幡など)。
川沿いの桜も綺麗でした。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
今回後ろ寄りの車両に乗ったのは(後部車両が)ワンマン運転で乗務員のいないため逆かぶりつき撮影に適しているという理由もありますが、モーター付き車両(クモハ)であることからその走行音を聴くという目的もありました。
上の音声ファイル(MP3)はその走行音を録音したもので、JR東日本圏内ではほぼ聴けなくなった国鉄形車両独特の「唸る」モーター音(形式で言うとMT54系列)を久しぶりに堪能できました。
ちなみに元107系はJR化後に新製されましたものの主電動機(モーター)・台車などの足回りは当時廃車された急行型車両(165系)の発生品が使われているなど、国鉄形車両とつながりが深い形式と言えます。
なのでJRからそのまま上信電鉄に車両が譲渡されたのは国鉄時代の遺産を継承するという点でも良かったのではないかと…。
そうこう(走行?)しているうちに富岡製糸場の最寄り駅となる上州富岡駅に到着。
ちなみに前よりの車両(クハ)の屋根上クーラーが個別(分散式)になっていますが、これも107系新製時に急行型車両の発生品を利用したものでJR時代と変わりないです。
屋根上では先頭部分のアンテナが変更されたことと、クーラー両脇にあったベンチレーター(通風機)が無くなったことです(細かいことで恐縮ですが…)。
反対側(上り線)に派手なラッピング車が到着。
こちらは全面の形状から元西武の車両っぽい。
側面には鉄道むすめのラッピングも。
真新しい上州富岡駅の駅舎。
駅構内でも世界遺産となった富岡製糸場をアピールしています。
駅から徒歩10~15分位で富岡製糸場の正門に到着。
※入館料:1.000円(JAF会員証提示で団体割引の900円になります)
正門を入って正面に見えるのが東置繭所。
生糸の原料となるカイコの繭(まゆ)を貯蔵する施設として利用されました。
入館した後ちょうど解説員によるガイドツアーが始まるということでしたので、ひとまずガイドツアーに参加してその後改めて場内を見学することに。
※ガイドツアー参加料:200円 所要時間:40分程度
東置繭所の通路吹き抜けの上には「明治5年」の表記が。
富岡製糸場は明治5年(1872)に主要な建物が完成し、国内初の官営製糸工場として創業しました。
その後民間の企業に払い下げとなり経営会社も3代に渡りましたが、昭和62年(1987年)まで115年間操業し続けました。
券売所の横には建物に使用されたレンガや、原料のカイコ繭・繰糸器などが展示。
東置繭所を別の角度(繰糸所方面)から撮影。
いわゆる「倉庫」なので横長の建物です。
手前の小屋は発電設備を備えた施設。
"裏(西)側から見た東置繭所。
2階部分にベランダ(外廊下)が設けられています。
東置繭所の2階は当時事務所・作業場として使用されており、現在は展示施設となっています。
2階は当時の倉庫のままの状態で保存され、ベランダ横の階段を上がって一部が見学可能です。
こちらは反対側にある西置繭所。
建物の構造・規模は東置繭所と同じです。
西置繭所を別の角度から撮影。
西置繭所の2階ベランダから撮影。
西置繭所は昨年10月から保存修理が完了して内部の公開が開始され、1階が展示コーナーとホール、2階の一部を展示コーナーとして見学が可能です。
西置繭所2階ベランダから見た鉄水溜・煙突・乾燥場などの各施設。
現在は外からの見学のみです。
煙突の奥に見えるのが乾燥場の建物ですが現在保存修理工事中で、工事用の建屋で覆われています。
置繭所などの施設の南隣にあるのが繰糸所。
繭から生糸を取る作業が行われていた場所です。
繰糸所の内部。
創業当初はフランス式の繰糸器が設置されていましたが、現在展示されているのは昭和41年以降に設置され、操業停止まで使われていた自動繰糸機です。
(メーカーは日産とのこと)
建物の小屋組みは従来の日本建築にはない「トラス式」という建築工法が用いられ、中央に柱が無い広い空間が実現できたことが特徴です。
その他彩光のための多くのガラス窓(当時は電灯が無かった)や屋根上には蒸気抜きの越屋根(二重屋根)が設けられるなど、当時最先端の建築技術が用いられています。
繰糸所(左側)と東置繭所(右側)の間には当時連絡用の渡り廊下があったらしいです。
繰糸所の左(南)隣にある首長館(ブリュナ館)。
創業時に製糸場の指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居で、ブリュナが帰国した後は宿舎や工女に読み書きや裁縫を教える学校として利用されました。
地下にはワインセラーとして利用されたとされるレンガ作りの地下室も残っています。
※建物外観見学のみ
ブリュナ館の裏側。
改装後のままの姿と思われますが、こうして見ると確かに住居というよりは校舎っぽいです。
手前の広場も校庭として使用されたのかも。
ちなみにこれらの施設は企業内教育の先駆けと言われています。
(西置繭所の展示コーナーには当時開催されていた運動会や文化祭といった行事の写真もある)
検査人館(上の写真)と女工館(下の写真)。
検査人館は生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居として、女工館は日本人工女に器械による糸取り技術を教えるフランス人女性教師の住居として建設されたものです。
※いずれも建物外観見学のみ
場内には工場専用の診療所や病室も設けられていて、当時の施設内で日常生活の全てが完結できていたことが分かります。
※建物外観見学のみ
ブリュナ館の奥(場内の南西部)には昭和初期に建てられた寄宿舎がそのまま残っていましたが、
何分簡易的な構造なため(当時物資の調達に苦労したという説明書きがあった)建物の痛みが甚だしい状態でした…。
それぞれ浅間寮・妙義寮という名称があります。
※建物外観見学のみ
製糸場の南側を流れる鏑川。
製糸場の用水として鏑川の水を利用していた時期もありました。
そもそもこの富岡に製糸場が建設された理由ですが、
・元々養蚕が盛んで原料の繭が確保しやすかった
・既存の用水を使うことで製糸に必要な水の確保ができた
・燃料の石炭が近くの高崎で採れる
ことが挙げられました。
(その他工場建設用の広い土地が用意できた、外国人指導の工場建設に周囲の住民の同意が取れたといった理由も含まれる)
こちらは先程の寄宿舎と反対側(北側)にある社宅群。
家族持ちの社員向けの住居で、住居の造りからして昭和の戦後になってからのものと思われます。
住居の中には当時使われていたテレビなどの家具が一部残されています。
※内部の一部が見学可能
社宅群の横には生体展示用の桑の生木も植えられています。
(桑はカイコの飼料となる)
写真の奥に見える社宅(社宅76)内ではカイコ(蚕)の生体展示もされていました。
何分カイコはガの幼虫なので、虫が苦手が人は注意が必要かも…
※現状モニタでのリモート映像にての展示
ちなみに手前に見える袴姿のマスコットキャラクターは「お富ちゃん」という名称だそう。
そんな感じで場内を一巡するのに2時間強かかりましたが、今年の大河ドラマ的にも富岡製糸場を見学したのはタイムリーだったと思います。
まあ結果論なのですが、今後の大河ドラマの展開が楽しみになりました。
再び上州富岡駅に戻り、下仁田方面へ。
上州富岡駅は線内の基幹駅ということもあり、3番線までホームがあります。
(一番手前のホームは上州富岡止まりの列車が使用すると思われる)
先に高崎行きの電車が到着。
これまた派手なラッピングです。
反対側に群馬サファリパークのラッピング車が到着。
(車両は700形=元JR107系)
こちらに乗車して終点の下仁田まで。
上州富岡駅の周辺は住宅地の中をすり抜ける感じ。
またこの区間は大体直線で、それなりのスピードが出ます。
(運転席の速度計を見たところ90km/hくらい出ていた)
相変わらず国鉄車の唸るモーター音を堪能できるのは良いのですが、JR線と比べて路盤状況が悪いためか車内はかなり揺れます。
(上の写真でも何となく線路が波打っている様子が分かる)
しばらくは鏑川に沿って走行します。
終点に近づくにつれて山が近づいてきました。
途中駅でオリジナル色の700形とすれ違い。
700形の第1編成ですが、これがデビュー当時のオリジナル色らしいです。
その途中駅ですが南蛇井=なんじゃい、という全国屈指の珍駅名だったりします。
上信線に乗るのは今回が初めてですが、この南蛇井という駅名は昔から知っていたので駅名標を撮るのを楽しみに(というか目的の一つに)していました。
南蛇井から先はいわゆる山あい区間に突入。
急カーブが連続し線路の勾配もきつくなります。
※終点の下仁田まで逆かぶりつきにて撮影
末端区間は駅間も長いためか、途中に信号所も…。
まるで鉄道模型のような急カーブ。
ごくわずかですがトンネルもあります。
終点の近くは国道に沿って走行。
終点の下仁田に到着。
横には高崎から乗車した107系リバイバルカラーの車両が停車していました。
下仁田駅の駅名標。
ちなみに上信電鉄という社名からして開業当初は下仁田から信濃(方向からして佐久)方面へ延伸する計画があったそうですが資金繰りができず(戦前の世界恐慌の影響らしい)、計画は頓挫して現在に至っても代替となるバス路線すらできていない状態です。
こじんまりとした下仁田駅の駅舎。
いかにもローカル線の終着駅的な雰囲気ではありますが。
下仁田駅は富岡製糸場と同じく世界遺産に登録されている「荒船風穴」の最寄り駅となっていますが、ここからタクシー利用で30分という距離(バス路線もない)なので今回は行かずにそのまま高崎方面に戻ることにします。
(機会があれば車で行くのが良いかも)
まだ昼食をとっていなかったのでどこか食事できる場所がないか駅周辺を回ったところ、ちょうど食堂が。
下仁田といえばこんにゃくが名産品でですが、かつ丼も名物ということで注文してみました。
かつはたれ仕込みですがボリュームがあってなかなかの美味でした。
この後みやげ屋(雑貨屋?)でこんにゃくを購入して駅に戻りました。
駅の構内には昔の貨車が留置されていました。
使われなくなってからかなり経過しているようで、半ば放置状態…。
少し待つと高崎方面の電車が到着。
到着したのは上信線の(事実上の)最新車両となる7000形。
上信線内で最も新しくデビューしたのは700形ですが、既に解説した通りJRからの譲渡車のため、新製からの経年数としてはこの7000形が最新と言えます。
この車両は上野三碑のラッピング車。
7000形は久々の自社発注の車両であることと、車内もクロスシートでグレードが高いのがポイントです。
下仁田駅を発車して間もない時点ではほぼ山の中。
大きな赤い橋が見えますが、ちょうど山間部の入口あたり。
再びなんじゃい?駅に到着。
駅名の下にもありますが世界遺産に登録されたのが「富岡製糸場と絹産業遺産群」という枠なので、製糸場の他に下仁田駅の先にある荒船風穴や藤岡市にある高山社跡などいくつかの施設があります。
南蛇井駅付近は上信越道(高速道路)との交差地点で、上信越道の下仁田ICも近くにあります。
ここから先は再び長い直線が続きます。
※かぶりつきにて撮影
途中の上州一ノ宮駅で下車。
駅名にもなっている上州(上野)の一ノ宮である貫前(ぬきさき)神社に行ってみます。
駅から徒歩10分ほどで貫前神社の入口に到着。
ここから上り坂と階段が続くのですが、道の両側の桜が綺麗です。
坂を上った後は参拝者用の駐車場で、奥に見える階段を上った先の鳥居の下あたりが頂上です。
その先に神社本殿の入口。
入口の左手にも駐車場があるので、ここまで車で来ることができます。
登り切ったと思ったら本殿までは下りの階段。
神社の立地で上がってまた下がるというのは珍しいかもしれません。
(今までの経験だと上り坂の頂上か平地なので)
門(?)の下に賽銭箱が見えますが、本殿はこの奥です。
上州一ノ宮ということもあって、本殿は豪華な造り。
反対側から撮影。
本殿の横にある、"神楽堂とおぼしき堂。
この他宝物館もありましたが当日は休館日だったので、参拝と御朱印を頂いて終わりとしました。
神社敷地の頂上(鳥居の下)からの眺めは抜群でした。
再び上州一ノ宮駅へ。
古き良きローカル線の駅舎という雰囲気です。
先に旧塗装ラッピングの車両が下仁田方面へと発車するところ。
高崎まで乗車するのがこちらの下仁田ジオパークラッピング車。
貫通扉上部の行先表示がLEDではなく従来の巻き上げ式ですが、JR時代のものをそのまま利用しているっぽいです。
川沿いの桜並木。
都心では桜は散り始めですが群馬県では今が見ごろでした。
途中の信号所で対向列車と行き違い。
※高崎までかぶりつきで撮影。
写真ではよくわかりませんが、遠くに新幹線の高架橋が見えます。
再び烏川を渡るところ。
鉄橋途中の架線柱が特徴的です。
その奥には新幹線の高架橋。
終点高崎駅の手前ですが、かつての上信線顔の車両も見えます。
(自社発注の1000形もしくは6000形)
今回乗車できなかったのは残念でしたが…
高崎に戻ってきた後は再びJR線へ。
そのまま高崎線で東京方面に戻ってもよかったのですが、追加の乗りつぶしを行うために都心とはやや逆方向の両毛線の電車に乗ります。
前橋の手前、利根川を渡るところ。
両毛線は伊勢崎まで乗車。
(高崎からの電車が伊勢崎止まりだったので)
JRの改札を出て東武伊勢崎線に乗り換え。
伊勢崎線の末端区間はまだ乗車していなかったので、ここから乗りつぶし開始。
伊勢崎線の末端区間ではかつて東武線での大所帯であった8000系の末裔が活躍中。
ただ編成は3両と短いですが…。
間もなく日没なので車窓の撮影はこのあたりが限界。
剛志=ごうし、何となく強そうな駅名。
太田駅で赤城方面から来た特急リバティ(リバティりょうもう号)と接続。
太田から先は去年りょうもう号で乗車したので、既存の乗車区間になります。
途中の野州山辺(やしゅうやまべ)駅で下りのりょうもう号と行き違い。
りょうもう号は通勤ライナー的な性格もあってか、夕方の時間帯は本数が多いようです。
駅名の「野州」ですが下野(しもつけ)の野州で、上州に対抗して「下州」になならなかったようです。
(ちなみにJR線は野州ではなく下野がつく駅名が存在)
「ふくい」といっても福井ではないです。
「県」と書いて「あがた」と読みます。
自分が好きな一文字の駅名ですが、東武線内ではこの駅だけかも。
伊勢崎から乗車した電車は"館林が終点だったため、ここで乗り換え。
久喜まで乗車しJR線(宇都宮線)に乗り換えて都心方面に戻り、当日の行程終了です。
最後は蛇足的な乗りつぶしだったため、帰宅が1時間くらい遅くなったかも…。
JR線内は18きっぷ利用でしたが今回の行程では何分私鉄線の乗車が多かったので、ぎりぎり元をとれたかとれないか位の利用範囲でした。
ということでまた次回(2回目に続く)。
2021-04-05 10:07