春休みのお出かけ~日比谷公園と皇居乾通り散策 [お出かけ・小旅行]
不定期の春休みのお出かけ(もしくは乗り鉄)ですが、今年は春の皇居乾通り一般公開に合わせて乾通りの散策に行ってきました。
その前哨戦で日比谷公園の散策も。
※期日は3月30日(土)
ということでまずは日比谷公園の散策から。
北(北西)側の入口となる霞門から入りました。
※門の右側に見えるのは地下鉄(東京メトロ)霞が関駅の出入口
日比谷公園の案内板。
この地は幕末までは松平肥前守などの屋敷地で明治初期には陸軍練兵場となっていて、その後の市区改正設計(都市計画)において明治36年(1903年)に開園。
当初から近代的な都市公園として計画・造成された本格的な公園であると同時に日本初の洋式庭園として開園したと説明があります。
日比谷公園と周辺の地図。
方角的に皇居の南側に位置していることが分かります。
当日の行程(前写真の地図を一部拡大して矢印を加筆)
日比谷公園を一通り(霞門から反時計回りに進む感じ)で周り、その後皇居方面に進み坂下門から入場。
普段入ることのできない乾通りを進み乾門へ。
追加で北桔橋門から皇居東御苑に入り、最終的に大手門に辿り着くという感じです。
前置きが長くなりましたが公園内の散策へ。
まずは霞門を入って正面に見える雲形池。
手前に見える桜の開花が始まり、写真を撮る方もちらほら。
ちなみに池の中央に見える鶴形の噴水ですが…
手前の案内板によると、公園等の装飾用噴水としては日本で3番目に古い噴水とのこと。
明治38年(1905年)完成とのことで、公園の開園から間もない頃にできたということですね。
通りを挟んで雲形池の反対側にある大音楽堂。
「日比谷の野音」として屋外の音楽堂としては最も有名な場所ですが、当日はステージの準備中らしく外側からしか撮影できませんでした。
大音楽堂の裏手にある、公園西側の入口となる西幸門。
西幸門横の角地にあるかもめの広場。
広場の中央には「カモメの噴水」が。
桜のビューポイントにもなっていますが、開花状態は5分咲きといったところ。
公園の南西にある中幸門。
奥に見える茶色の建物は…
日比谷公会堂。
建物の正面から撮影(1階は公会堂の入口)
日比谷公会堂の案内板の案内板。
本格的なホールを備えた国内初の施設として昭和4年(1929年)に竣工し、建物全体が茶褐色のタイルに覆われたネオ・ゴシック様式の建物と説明があります。
日比谷公会堂は現在閉鎖中(保存公開に向けて整備中?)のためご覧の通り入口は閉まっていますが、入口上の時計は動いている模様…。
公園の南側の幸門。
奥に見えるのは公会堂併設の市政会館の入口。
幸門の横には江戸城外郭(市ヶ谷御門の石垣)から移されたとされる烏帽子岩が。
明治時代に付近の道路拡張の際に石塁が取り壊された際に保存のため当公園に移されたと説明があります。
幸門の隣にある新幸門。
奥には日比谷公会堂の公会堂側入口が見えます。
※引き続き日比谷公園の散策
その前哨戦で日比谷公園の散策も。
※期日は3月30日(土)
ということでまずは日比谷公園の散策から。
北(北西)側の入口となる霞門から入りました。
※門の右側に見えるのは地下鉄(東京メトロ)霞が関駅の出入口
日比谷公園の案内板。
この地は幕末までは松平肥前守などの屋敷地で明治初期には陸軍練兵場となっていて、その後の市区改正設計(都市計画)において明治36年(1903年)に開園。
当初から近代的な都市公園として計画・造成された本格的な公園であると同時に日本初の洋式庭園として開園したと説明があります。
日比谷公園と周辺の地図。
方角的に皇居の南側に位置していることが分かります。
当日の行程(前写真の地図を一部拡大して矢印を加筆)
日比谷公園を一通り(霞門から反時計回りに進む感じ)で周り、その後皇居方面に進み坂下門から入場。
普段入ることのできない乾通りを進み乾門へ。
追加で北桔橋門から皇居東御苑に入り、最終的に大手門に辿り着くという感じです。
前置きが長くなりましたが公園内の散策へ。
まずは霞門を入って正面に見える雲形池。
手前に見える桜の開花が始まり、写真を撮る方もちらほら。
ちなみに池の中央に見える鶴形の噴水ですが…
手前の案内板によると、公園等の装飾用噴水としては日本で3番目に古い噴水とのこと。
明治38年(1905年)完成とのことで、公園の開園から間もない頃にできたということですね。
通りを挟んで雲形池の反対側にある大音楽堂。
「日比谷の野音」として屋外の音楽堂としては最も有名な場所ですが、当日はステージの準備中らしく外側からしか撮影できませんでした。
大音楽堂の裏手にある、公園西側の入口となる西幸門。
西幸門横の角地にあるかもめの広場。
広場の中央には「カモメの噴水」が。
桜のビューポイントにもなっていますが、開花状態は5分咲きといったところ。
公園の南西にある中幸門。
奥に見える茶色の建物は…
日比谷公会堂。
建物の正面から撮影(1階は公会堂の入口)
日比谷公会堂の案内板の案内板。
本格的なホールを備えた国内初の施設として昭和4年(1929年)に竣工し、建物全体が茶褐色のタイルに覆われたネオ・ゴシック様式の建物と説明があります。
日比谷公会堂は現在閉鎖中(保存公開に向けて整備中?)のためご覧の通り入口は閉まっていますが、入口上の時計は動いている模様…。
公園の南側の幸門。
奥に見えるのは公会堂併設の市政会館の入口。
幸門の横には江戸城外郭(市ヶ谷御門の石垣)から移されたとされる烏帽子岩が。
明治時代に付近の道路拡張の際に石塁が取り壊された際に保存のため当公園に移されたと説明があります。
幸門の隣にある新幸門。
奥には日比谷公会堂の公会堂側入口が見えます。
※引き続き日比谷公園の散策
2024-04-07 10:25
続・初詣2024(+プチ乗り鉄あり) [お出かけ・小旅行]
2月11日 川崎大師
お参り後にプチ乗り鉄をしたので別枠で記事を作成。
毎度のことながら(京急)大師線で川崎大師駅まで乗車しますが、今回はJR川崎駅から乗り換えで大師線へ。
(武蔵小杉駅から乗車した南武線の電車が快速だったため、尻手~八丁畷乗り換えというルートが取れなかった)
川崎大師駅に到着。
そして川崎大師の山門前へ。
当日は祝日(建国記念日)ということで、境内は結構な混み具合でした。
特に御守り売り場の混雑が激しく、ご覧の通り行列ができるほど。
何とか御守り(とお札)を入手した後は昼食。
例年通りというか、屋台でお好み焼きとふりふりポテトを購入。
昼食後は薬師堂方面へ。
こう見るとこのエリアだけアジア的な風景に見えます。
まあそもそもこの薬師堂がアジア風な建物なので。
薬師堂内の休憩室にはひっそりと「ひらまくん」のパネルが置かれていました。
一通り周ったところで川崎大師を後にします。
この後はプチ乗り鉄へ。
お参り後にプチ乗り鉄をしたので別枠で記事を作成。
毎度のことながら(京急)大師線で川崎大師駅まで乗車しますが、今回はJR川崎駅から乗り換えで大師線へ。
(武蔵小杉駅から乗車した南武線の電車が快速だったため、尻手~八丁畷乗り換えというルートが取れなかった)
川崎大師駅に到着。
そして川崎大師の山門前へ。
当日は祝日(建国記念日)ということで、境内は結構な混み具合でした。
特に御守り売り場の混雑が激しく、ご覧の通り行列ができるほど。
何とか御守り(とお札)を入手した後は昼食。
例年通りというか、屋台でお好み焼きとふりふりポテトを購入。
昼食後は薬師堂方面へ。
こう見るとこのエリアだけアジア的な風景に見えます。
まあそもそもこの薬師堂がアジア風な建物なので。
薬師堂内の休憩室にはひっそりと「ひらまくん」のパネルが置かれていました。
一通り周ったところで川崎大師を後にします。
この後はプチ乗り鉄へ。
続きを読む:新車が導入された南部支線・鶴見線を中心にプチ乗り鉄
2024-02-12 16:35
初詣2024 [お出かけ・小旅行]
1月4日:靖国神社
さすがに神田明神はこの日に行くと激混みと思われるため、今年は靖国神社からスタート。
当日はご覧の通り晴天でした。
拝殿への入口。
今年はそれほど混雑していない感じ。
待ち時間10分位で参拝できました。
(イベントの舞踊を見た後で参拝)
参拝後は遊就館方面へ。
馬と鳩の象がありましたが、軍用動物の慰霊碑ということでしょうか?
解説によると戦没馬・鳩・軍犬の慰霊象とのこと。
馬は移動用ということで想像が付きますが、鳩と軍犬は英訳で「Carrier Pigeons,and Dogs」とあるので伝令役(鳩の場合伝書鳩)に供されたと思われます。
反対側には戦闘機兵の銅像も。
案内板によるとタイトルは「特攻勇士の像」。
特攻勇士=英訳では「Kamikaze Pirot」でした。
最後は遊就館エントランスにある蒸気機関車C56型と零戦52型を拝見して終了。
展示されているC56型は戦時中にタイに遠征した際に供用された車両です。
1月17日:(番外)つば九郎神社
JR信濃町駅ビルの2階にあるつば九郎神社。
(仕事の現場で昼休み中に立ち寄り)
東京ヤクルトスワローズのマスコットキャラである「つば九郎」を御神体(?)とした神社。
信濃町駅もスワローズの本拠地となる神宮球場に近いということで造られたと思いますが…。
やはり願掛けはスワローズの必勝祈願か?
併設で近年(2013年以降)のスワローズのユニホームも展示されていました。
個人的にはあまり強く見えないような…(個性的ではあるが)。
1月20日:神田明神
御茶ノ水(新御茶ノ水)で下車して現地へ。
JR中央線・東京メトロ丸の内線とが立体交差する定番の撮影スポット?
(写真を撮影されている方が多かったので自分もちょいと撮影)
実は更に下の地下を千代田線が通っています。
神田明神の入口に到着。
当日はかなり寒かったです…。
更に雨も降ってきました。
比較的境内が空いていたのが幸いか。
併設の大黒様(上)と童子の姿をしたえびす様(下)にもお参り。
入口の門の横には「足元にご注意ください」と注意を促す巫女さんの看板も。
さしずめロボ巫女さんといったところか?
さすがはハイテク(死語)の街秋葉原といった感じです。
さすがに神田明神はこの日に行くと激混みと思われるため、今年は靖国神社からスタート。
当日はご覧の通り晴天でした。
拝殿への入口。
今年はそれほど混雑していない感じ。
待ち時間10分位で参拝できました。
(イベントの舞踊を見た後で参拝)
参拝後は遊就館方面へ。
馬と鳩の象がありましたが、軍用動物の慰霊碑ということでしょうか?
解説によると戦没馬・鳩・軍犬の慰霊象とのこと。
馬は移動用ということで想像が付きますが、鳩と軍犬は英訳で「Carrier Pigeons,and Dogs」とあるので伝令役(鳩の場合伝書鳩)に供されたと思われます。
反対側には戦闘機兵の銅像も。
案内板によるとタイトルは「特攻勇士の像」。
特攻勇士=英訳では「Kamikaze Pirot」でした。
最後は遊就館エントランスにある蒸気機関車C56型と零戦52型を拝見して終了。
展示されているC56型は戦時中にタイに遠征した際に供用された車両です。
1月17日:(番外)つば九郎神社
JR信濃町駅ビルの2階にあるつば九郎神社。
(仕事の現場で昼休み中に立ち寄り)
東京ヤクルトスワローズのマスコットキャラである「つば九郎」を御神体(?)とした神社。
信濃町駅もスワローズの本拠地となる神宮球場に近いということで造られたと思いますが…。
やはり願掛けはスワローズの必勝祈願か?
併設で近年(2013年以降)のスワローズのユニホームも展示されていました。
個人的にはあまり強く見えないような…(個性的ではあるが)。
1月20日:神田明神
御茶ノ水(新御茶ノ水)で下車して現地へ。
JR中央線・東京メトロ丸の内線とが立体交差する定番の撮影スポット?
(写真を撮影されている方が多かったので自分もちょいと撮影)
実は更に下の地下を千代田線が通っています。
神田明神の入口に到着。
当日はかなり寒かったです…。
更に雨も降ってきました。
比較的境内が空いていたのが幸いか。
併設の大黒様(上)と童子の姿をしたえびす様(下)にもお参り。
入口の門の横には「足元にご注意ください」と注意を促す巫女さんの看板も。
さしずめロボ巫女さんといったところか?
さすがはハイテク(死語)の街秋葉原といった感じです。
2024-01-28 18:42
GWのお出かけor乗り鉄2023(その2) [お出かけ・小旅行]
2回目(5月4日)は東京23区の北東部の足立区・葛飾区エリアの散策及び移動を兼ねての乗り鉄ということで。
(一部前日に散策した場所を含んでいます)
当日の最初の目的地は西新井大師になりますが、東京メトロ日比谷線で終点の北千住へ行き、そのまま東武線(スカイツリーライン)直通という形で乗車します。
ということで中目黒駅からスタート。
東武線直通の北越谷行きなので、最寄りの1つ手前(西新井)までこれ1本で行けます。
ふと車内にあった注意シールですが、久しぶりに東京メトロのマスコットキャラ「駅乃みちか」を見ました。
微妙なキャラ設定(いわゆる「萌えキャラ」ではない)で人気がないのか…と思いきや、ネットで確認したところ鉄道むすめ版の「萌えキャラ」仕様の駅乃みちかも出たらしく、そのデザインが物議をかもして炎上騒ぎがあったということであまり見かけなくなったのか…。
こちらは東武のマスコットキャラとして定着した「姫宮なな」。
(注意シールは駅のトイレ内で撮影したものですが…)
駅乃みちかと比較すると非常に落差があります(?)
※ちなみに姫宮ななは鉄道むすめ出身のキャラ
中目黒駅を出発後路線の大半を占める地下区間については省略。
終点近くの南千住駅付近で地上に出たところ。
側面から見えた墨田貨物駅。
隅田川を渡り…
(日比谷線の終点の)北千住駅に到着。
尤も乗車中の電車はそのまま東武線に直通しますが…。
北千住駅を発車して程なく、荒川を渡るところ。
正面に見える鉄橋はつくばエクスプレス線、その奥がJR常磐線(+東京メトロ千代田線)。
荒川を渡った後は大きくカーブして進路方向を北に変えます。
咄嗟で撮影しましたが、多数の路線とクロスする地点。
左からつくばエクスプレス線・JR常磐(快速)線・東京メトロ千代田線(常磐緩行線)の順。
ちらっとつくばエクスプレス線が見えています。
途中にある梅島駅ですが、上下線のホームが入れ違いに縦列で並んでいるという変わった構造をしています。
上り線ホームの北側に(スライドして)下り線ホームがあるという構造。
高架化・複々線化した際に駅ホームを作る十分なスペースが取れなかったための苦肉の策だそうです。
ちなみに上り線ホームと下り線ホームの境目(全体で見ると中央の部分)に階段などの駅施設があり、上り/下り線ホームの間を通り抜けできる構造になっているそう。
梅島の次の駅となる西新井駅に到着。
同駅で下車して西新井大師に向かう大師線に乗り換えます。
次の大師前駅まで1駅のみで、車両も2両編成という東武線内でも超ミニマムな路線。
西新井駅を出発後、左に折れて…。
高架ですが単線区間。
その先が終点の大師前駅です。
大師前駅に到着。
駅のホームは2両分しか停車するスペースはないものの、ホーム自体は広いです。
ちなみに1駅の区間しかない東武大師線ですが、はるか昔(戦前の頃)に大師前から鹿浜・板橋付近を経由して東上線まで延伸する計画があったようです。
(戦前の混乱と用地買収の面で計画は頓挫してしまいましたが…)
列車自体はほぼ10分間隔で運行されているようで、思ったより待たずに乗車できる感じです。
(便数的には京急大師線と同じくらい?)
駅間も短い(乗車時間も2分足らず)ので、1編成のみの車両でピストン運行しているといった運用。
ホーム端の階段を降りて…。
緑色をまとった「草だんご列車」なる編成も運行されているようですが、当日はノーマル塗装の編成でした。
同駅の改札ですが、有人改札の跡らしきものが残っているだけな状態。
改札の外に出て、大師前駅の駅舎を撮影。
改札周りには駅員さんの人気は無い様子。
券売機のスペースもシャッターが降りたままでした。
その横には「当駅ではきっぷの販売はいたしておりません」との案内があり、自動改札機はおろかICカード用のタッチ端末すらない模様。
つまり同駅では自動券売機も含めて駅の改札業務を一切行っておらず、運賃は全て隣の西新井駅(の改札)で清算するという仕組みを取っているようです。
1駅しかない超ミニマム路線ならではの運用体系ですね。
駅のすぐ近くを環七通りが通ります。
駅の横の参道(実は裏参道だった)を進んで…。
西新井大師の山門前に到着。
さすがに立派な門です。
この後は西新井大師の境内を散策。
(一部前日に散策した場所を含んでいます)
当日の最初の目的地は西新井大師になりますが、東京メトロ日比谷線で終点の北千住へ行き、そのまま東武線(スカイツリーライン)直通という形で乗車します。
ということで中目黒駅からスタート。
東武線直通の北越谷行きなので、最寄りの1つ手前(西新井)までこれ1本で行けます。
ふと車内にあった注意シールですが、久しぶりに東京メトロのマスコットキャラ「駅乃みちか」を見ました。
微妙なキャラ設定(いわゆる「萌えキャラ」ではない)で人気がないのか…と思いきや、ネットで確認したところ鉄道むすめ版の「萌えキャラ」仕様の駅乃みちかも出たらしく、そのデザインが物議をかもして炎上騒ぎがあったということであまり見かけなくなったのか…。
こちらは東武のマスコットキャラとして定着した「姫宮なな」。
(注意シールは駅のトイレ内で撮影したものですが…)
駅乃みちかと比較すると非常に落差があります(?)
※ちなみに姫宮ななは鉄道むすめ出身のキャラ
中目黒駅を出発後路線の大半を占める地下区間については省略。
終点近くの南千住駅付近で地上に出たところ。
側面から見えた墨田貨物駅。
隅田川を渡り…
(日比谷線の終点の)北千住駅に到着。
尤も乗車中の電車はそのまま東武線に直通しますが…。
北千住駅を発車して程なく、荒川を渡るところ。
正面に見える鉄橋はつくばエクスプレス線、その奥がJR常磐線(+東京メトロ千代田線)。
荒川を渡った後は大きくカーブして進路方向を北に変えます。
咄嗟で撮影しましたが、多数の路線とクロスする地点。
左からつくばエクスプレス線・JR常磐(快速)線・東京メトロ千代田線(常磐緩行線)の順。
ちらっとつくばエクスプレス線が見えています。
途中にある梅島駅ですが、上下線のホームが入れ違いに縦列で並んでいるという変わった構造をしています。
上り線ホームの北側に(スライドして)下り線ホームがあるという構造。
高架化・複々線化した際に駅ホームを作る十分なスペースが取れなかったための苦肉の策だそうです。
ちなみに上り線ホームと下り線ホームの境目(全体で見ると中央の部分)に階段などの駅施設があり、上り/下り線ホームの間を通り抜けできる構造になっているそう。
梅島の次の駅となる西新井駅に到着。
同駅で下車して西新井大師に向かう大師線に乗り換えます。
次の大師前駅まで1駅のみで、車両も2両編成という東武線内でも超ミニマムな路線。
西新井駅を出発後、左に折れて…。
高架ですが単線区間。
その先が終点の大師前駅です。
大師前駅に到着。
駅のホームは2両分しか停車するスペースはないものの、ホーム自体は広いです。
ちなみに1駅の区間しかない東武大師線ですが、はるか昔(戦前の頃)に大師前から鹿浜・板橋付近を経由して東上線まで延伸する計画があったようです。
(戦前の混乱と用地買収の面で計画は頓挫してしまいましたが…)
列車自体はほぼ10分間隔で運行されているようで、思ったより待たずに乗車できる感じです。
(便数的には京急大師線と同じくらい?)
駅間も短い(乗車時間も2分足らず)ので、1編成のみの車両でピストン運行しているといった運用。
ホーム端の階段を降りて…。
緑色をまとった「草だんご列車」なる編成も運行されているようですが、当日はノーマル塗装の編成でした。
同駅の改札ですが、有人改札の跡らしきものが残っているだけな状態。
改札の外に出て、大師前駅の駅舎を撮影。
改札周りには駅員さんの人気は無い様子。
券売機のスペースもシャッターが降りたままでした。
その横には「当駅ではきっぷの販売はいたしておりません」との案内があり、自動改札機はおろかICカード用のタッチ端末すらない模様。
つまり同駅では自動券売機も含めて駅の改札業務を一切行っておらず、運賃は全て隣の西新井駅(の改札)で清算するという仕組みを取っているようです。
1駅しかない超ミニマム路線ならではの運用体系ですね。
駅のすぐ近くを環七通りが通ります。
駅の横の参道(実は裏参道だった)を進んで…。
西新井大師の山門前に到着。
さすがに立派な門です。
この後は西新井大師の境内を散策。
続きを読む:西新井大師の境内を散策、プチ乗り鉄をしつつ柴又帝釈天などへ
2023-05-05 11:28
GWのお出かけor乗り鉄2023(その1) [お出かけ・小旅行]
今年のGWお出かけは2回に分けて近場を回るということで。
1回目は久しぶり(確認したところ前回は2019年だったので5年ぶり)に青梅の塩船観音つつじ祭りへ。
その後併せてJR八高線・相模線を中心としたプチ乗り鉄も…。
当日は曇り気味でしたが、つつじは見ごろを迎えたといった感じでした。
塩船観音の最寄り駅はJR青梅線の河辺(かべ)駅ですが、まずは立川まで南武線に乗車。
(途中の稲城長沼駅にて撮影)
途中下車した稲城長沼駅の改札前でも、塩船観音つつじ祭りが紹介されていました。
府中本町駅に向かって多摩川を渡るところ。
向かって左側に見える橋が武蔵野貨物線、右奥に東京競馬場のスタンドが見えます。
府中本町駅を発車してすぐに見えたのがこちら。
「東京競馬場から日本一近いパチンコ店」とのことですが、これはギャンブル漬けということか?
IRを推進するとか言っている場合じゃないかも…。
それはともかく、立川で青梅線に乗り換え。
車両は中央快速線と共通ですが。
早速運転室前(かぶりつきポジション)に着いたのですが、ちょうど運転席後ろの壁にあった広告がこちら。
JR東日本の路線から東海道線・中央快速線・大糸線の3路線を収録したトレインシミュレーターのソフト。
PC版(Steam)でのダウンロード販売ということで、基本パックで3路線の一部区間・追加DLコンテンツでそれぞれの路線の全区間(東海道線は東京~熱海間)が体験できるというもの。
この位置に広告があるということは、かぶりつき者御用達のソフトということなのか?
まあ基本パックで2.980円なので、試してみる価値はあるのかもしれません。
立川駅を発車した後ですが、青梅線は青梅(正確に言うと青梅の少し手前)までは複線ではあるものの、この写真を見る限りでは単線区間?
実のところこれは中央快速線から青梅線に直通する下り線(青梅方面)専用の連絡線で、この区間だけ単線なのです。
この後西立川駅の手前で青梅線の本線と合流します。
途中の拝島駅に停車中。
前方に駅ホームが延長されていて、中央快速線12両化の準備はできている感じでした。
拝島駅を発車後、線路が3方面に分岐。
真ん中を直進するのが青梅線(複線)で、向かって左手が五日市線、右手が八高線(それぞれ単線)。
手前が隠れていますが青梅線の線路からポイントを経由して八高線の線路に直通できる構造になっています。
(以前は中央快速線方面から八高線の高麗川まで直通する列車がありましたが、現在はない模様)
途中ふっさ(福生)・おざく(小作)と、やや難読な駅名があったりします。
青梅に近づくにつれて、山が見えてきました。
そうこうしているうちに最寄りの河辺駅に到着。
以前は留置線だった場所に新しいホームができていました。
(12両化にも対応している模様)
河辺駅の駅前。
思ったほど混雑はしていませんでした。
駅に着いて次のバスが来るのが20分位後でしたが、つつじ祭りということで10分程で臨時便のバスが到着したので乗車します。
(しかも最寄りバス停までの直行便でした)
1回目は久しぶり(確認したところ前回は2019年だったので5年ぶり)に青梅の塩船観音つつじ祭りへ。
その後併せてJR八高線・相模線を中心としたプチ乗り鉄も…。
当日は曇り気味でしたが、つつじは見ごろを迎えたといった感じでした。
塩船観音の最寄り駅はJR青梅線の河辺(かべ)駅ですが、まずは立川まで南武線に乗車。
(途中の稲城長沼駅にて撮影)
途中下車した稲城長沼駅の改札前でも、塩船観音つつじ祭りが紹介されていました。
府中本町駅に向かって多摩川を渡るところ。
向かって左側に見える橋が武蔵野貨物線、右奥に東京競馬場のスタンドが見えます。
府中本町駅を発車してすぐに見えたのがこちら。
「東京競馬場から日本一近いパチンコ店」とのことですが、これはギャンブル漬けということか?
IRを推進するとか言っている場合じゃないかも…。
それはともかく、立川で青梅線に乗り換え。
車両は中央快速線と共通ですが。
早速運転室前(かぶりつきポジション)に着いたのですが、ちょうど運転席後ろの壁にあった広告がこちら。
JR東日本の路線から東海道線・中央快速線・大糸線の3路線を収録したトレインシミュレーターのソフト。
PC版(Steam)でのダウンロード販売ということで、基本パックで3路線の一部区間・追加DLコンテンツでそれぞれの路線の全区間(東海道線は東京~熱海間)が体験できるというもの。
この位置に広告があるということは、かぶりつき者御用達のソフトということなのか?
まあ基本パックで2.980円なので、試してみる価値はあるのかもしれません。
立川駅を発車した後ですが、青梅線は青梅(正確に言うと青梅の少し手前)までは複線ではあるものの、この写真を見る限りでは単線区間?
実のところこれは中央快速線から青梅線に直通する下り線(青梅方面)専用の連絡線で、この区間だけ単線なのです。
この後西立川駅の手前で青梅線の本線と合流します。
途中の拝島駅に停車中。
前方に駅ホームが延長されていて、中央快速線12両化の準備はできている感じでした。
拝島駅を発車後、線路が3方面に分岐。
真ん中を直進するのが青梅線(複線)で、向かって左手が五日市線、右手が八高線(それぞれ単線)。
手前が隠れていますが青梅線の線路からポイントを経由して八高線の線路に直通できる構造になっています。
(以前は中央快速線方面から八高線の高麗川まで直通する列車がありましたが、現在はない模様)
途中ふっさ(福生)・おざく(小作)と、やや難読な駅名があったりします。
青梅に近づくにつれて、山が見えてきました。
そうこうしているうちに最寄りの河辺駅に到着。
以前は留置線だった場所に新しいホームができていました。
(12両化にも対応している模様)
河辺駅の駅前。
思ったほど混雑はしていませんでした。
駅に着いて次のバスが来るのが20分位後でしたが、つつじ祭りということで10分程で臨時便のバスが到着したので乗車します。
(しかも最寄りバス停までの直行便でした)
2023-04-23 17:19
初詣2023(後) [お出かけ・小旅行]
前回の続きということで…。
・2/11 上野周辺散策→神田明神→科学博物館見学
最早初詣の時期から逸れていますが、まあ初めてのお参りには変わりないので。
前回に引き続き上野に来た目的は国立科学博物館開催の特別展「毒」を見るため。
かなり好評な特別展らしく当日分(2/11)の事前予約が取れなかったので、当日枠で発行される入場券を狙って10時頃に現地に到着。
時間指定はできないものの14:30からの枠の入場で予約を確保できたので、その間の待ち時間で上野周辺散策(の続き)をしてみることにしました。
前回は主に上野公園の南側を散策したので今回は北側、寛永寺本堂方面を散策してみることに。
こちらは国立博物館正門の西側にある"旧因州池田屋敷表門(黒門)。
元々丸の内付近にあった因州(鳥取藩)池田家上屋敷の正門だったものを明治時代に当時の東宮御所正門として移され、更に昭和29年(1954年)に現在の場所(国立博物館の敷地内)に移築されたものです。
土日祝日と年始(1/1~1/3)に門が開放されるとのことですが、(当日は祝日だったので)確かに門が開いています。
(撮影時には気づきませんでした…)
続いて博物館敷地の角にある謎の建造物ですが…
封鎖されている入口の横には「博物館動物園駅跡」の銘板が。
京成線(京成本線)が京成上野(当時は上野公園)まで延伸開業した時にできた「博物館動物園駅」の入口(駅舎)で、立地的にふさわく西洋風の立派な佇まいで造られたものの、地下にあるホームが短く4両編成の列車までしか停車できないなどの理由により1997年に営業休止し、2004年に廃止となりました。
駅廃止後2018年に駅舎のリニューアルが行われ、門扉が新しくなり上の写真の銘板が掲げられました。
リニューアル後不定期ながらも駅内の一般公開もされているようです。
参考:旧博物館動物園駅 京成電鉄
その後東京芸大の前を通り抜けて寛永寺本堂の入口に到着。
立派な佇まいの寛永寺本堂(根本中堂)。
建物の横にあった寛永寺本堂の解説によると、元々の本堂は幕末に起きた兵火によって焼失して明治9年(1874年)に川越の喜多院の本地堂が移築されて現在の本堂となったとのことです。
前回不忍池弁天堂でも見た寛永寺の敷地(東叡山)の全景。
全景を少し拡大。
前回は上野大仏→不忍池弁天堂→清水観音堂に行きましたが、今回は根本中堂(現在地)から徳川歴代将軍御霊廟→開山堂・輪王殿→上野東照宮(旧寛永寺五重塔)の順に回っていきます。
本堂の手前にある鐘楼。
本堂境内の端には旧本坊表門と根本中堂の鬼瓦が展示されていました。
この門を出て寛永寺本堂を後にしますが、ちょうど本堂が正面に見えるので"こちらが表門ということですね…。
・2/11 上野周辺散策→神田明神→科学博物館見学
最早初詣の時期から逸れていますが、まあ初めてのお参りには変わりないので。
前回に引き続き上野に来た目的は国立科学博物館開催の特別展「毒」を見るため。
かなり好評な特別展らしく当日分(2/11)の事前予約が取れなかったので、当日枠で発行される入場券を狙って10時頃に現地に到着。
時間指定はできないものの14:30からの枠の入場で予約を確保できたので、その間の待ち時間で上野周辺散策(の続き)をしてみることにしました。
前回は主に上野公園の南側を散策したので今回は北側、寛永寺本堂方面を散策してみることに。
こちらは国立博物館正門の西側にある"旧因州池田屋敷表門(黒門)。
元々丸の内付近にあった因州(鳥取藩)池田家上屋敷の正門だったものを明治時代に当時の東宮御所正門として移され、更に昭和29年(1954年)に現在の場所(国立博物館の敷地内)に移築されたものです。
土日祝日と年始(1/1~1/3)に門が開放されるとのことですが、(当日は祝日だったので)確かに門が開いています。
(撮影時には気づきませんでした…)
続いて博物館敷地の角にある謎の建造物ですが…
封鎖されている入口の横には「博物館動物園駅跡」の銘板が。
京成線(京成本線)が京成上野(当時は上野公園)まで延伸開業した時にできた「博物館動物園駅」の入口(駅舎)で、立地的にふさわく西洋風の立派な佇まいで造られたものの、地下にあるホームが短く4両編成の列車までしか停車できないなどの理由により1997年に営業休止し、2004年に廃止となりました。
駅廃止後2018年に駅舎のリニューアルが行われ、門扉が新しくなり上の写真の銘板が掲げられました。
リニューアル後不定期ながらも駅内の一般公開もされているようです。
参考:旧博物館動物園駅 京成電鉄
その後東京芸大の前を通り抜けて寛永寺本堂の入口に到着。
立派な佇まいの寛永寺本堂(根本中堂)。
建物の横にあった寛永寺本堂の解説によると、元々の本堂は幕末に起きた兵火によって焼失して明治9年(1874年)に川越の喜多院の本地堂が移築されて現在の本堂となったとのことです。
前回不忍池弁天堂でも見た寛永寺の敷地(東叡山)の全景。
全景を少し拡大。
前回は上野大仏→不忍池弁天堂→清水観音堂に行きましたが、今回は根本中堂(現在地)から徳川歴代将軍御霊廟→開山堂・輪王殿→上野東照宮(旧寛永寺五重塔)の順に回っていきます。
本堂の手前にある鐘楼。
本堂境内の端には旧本坊表門と根本中堂の鬼瓦が展示されていました。
この門を出て寛永寺本堂を後にしますが、ちょうど本堂が正面に見えるので"こちらが表門ということですね…。
2023-02-19 13:43
初詣2023(前) [お出かけ・小旅行]
今年はてんこ盛り(?)になったので、記事を2回に分けて記載します。
・1/1
元日は地元の神社にお参りした後に例年行く近所の高台にて富士山を撮影。
快晴&真っ白な富士山でした。
今回は(普段持ち歩かない)望遠レンズに差し替えて撮影してみました。
デジタルズームとは違い山肌までくっきり見えるので、このあたりはさすが(光学ズームの)望遠レンズの実力といったところか。
・1/2:藤沢 遊行寺
母が藤沢の遊行寺に行ってみたいということで行ってきました。
当日は箱根駅伝の1日目(往路)で付近の遊行寺坂もコースになっているので、ランナーが通り過ぎた後の午後に行ってみることに。
2日の午後(14:30頃)ですがご覧の通り屋台が多く出ていて、元日ほどではないもののそれなりに賑わっていました。
(尤も自分も遊行寺に来たのは初めてなので元日の混雑ぶりがどれほどなのかは把握していないのですが)
立派な佇まいの本堂。
本堂を別の角度から撮影。
かなり大きなお堂ですが、木造としては東海道随一の規模だそう。
本堂の手前にある時宗の宗祖、一遍上人像。
両手を合わせて祈るポーズのリアルな銅像で、(昨年国立博物館で見た)空也上人像に似たような雰囲気があります。
ちなみにここ遊行寺は時宗の総本山で正式には「藤澤山無量光院清浄光寺」と号し、遊行寺は通称名となります。
境内の西側、僧堂・寺務所方面の入口に当たる中雀門。
安政六年(1859)に建立された遊行寺境内で最も古い建造物で、市指定重要文化財に指定されています。
中雀門の奥には庭園もあり、この辺りは散策可能です。
庭園内には放生池という名称の池もあり、池には錦鯉の姿も見受けられました。
本堂と中雀門の間にある鐘楼。
境内の中央にある、ご神木の大銀杏。
冬なので葉は散っていますが、それでもかなり巨大な枝ぶりが確認できます。
向かって左側の枝がかけているように見えますが、以前台風の被害により枝が折れてしまったそうです。
大銀杏の拡大写真。
樹齢は500年ないしは700年といわれ、藤沢市の天然記念物に指定されています。
本堂の裏手にある長生院。
別名で小栗堂とも言い、浄瑠璃で名高い小栗判官・照手姫ゆかりのお寺でお堂の裏手には小栗判官と照手姫の墓があります。
小栗判官・照手姫の墓と歴代上人御廟所を進んだ先にある宇賀神社。
弁財天が祀られていますが、当日は周辺が工事中の様子だったので早々にお参りを済ませて立ち去りました。
境内に戻る参道から見た放生池・寺務所方面。
いろは坂と呼ばれる境内に至る参道。
行きは境内の横(駐車場側)から入ったので、帰りはこちらから。
ということで坂を下っています。
いろは坂の名前の由来は入口の惣門から続く石段が四十八段と呼ばれていて、いろは四十八文字にちなんで愛称としたとのことです。
入口の惣門。
通称「遊行寺の黒門」と呼ばれています。
門の右側に「時宗総本山」、 左側に「清浄光寺」と彫り込んだ大きな木札がかかっているのが確認できます。
(手前右側の石塔には「時宗総本山 遊行寺」と記されています)
参道手前の道(国道467号線)の周辺は旧東海道藤沢宿に当たり、かつての宿場町の雰囲気を残しています。
西側の小田急線藤沢本町方面に歩くと宿場町の本陣や白旗神社などがありますが、今回は1人ではないので南方面の藤沢駅まで歩いて行程終了としました。
・1/1
元日は地元の神社にお参りした後に例年行く近所の高台にて富士山を撮影。
快晴&真っ白な富士山でした。
今回は(普段持ち歩かない)望遠レンズに差し替えて撮影してみました。
デジタルズームとは違い山肌までくっきり見えるので、このあたりはさすが(光学ズームの)望遠レンズの実力といったところか。
・1/2:藤沢 遊行寺
母が藤沢の遊行寺に行ってみたいということで行ってきました。
当日は箱根駅伝の1日目(往路)で付近の遊行寺坂もコースになっているので、ランナーが通り過ぎた後の午後に行ってみることに。
2日の午後(14:30頃)ですがご覧の通り屋台が多く出ていて、元日ほどではないもののそれなりに賑わっていました。
(尤も自分も遊行寺に来たのは初めてなので元日の混雑ぶりがどれほどなのかは把握していないのですが)
立派な佇まいの本堂。
本堂を別の角度から撮影。
かなり大きなお堂ですが、木造としては東海道随一の規模だそう。
本堂の手前にある時宗の宗祖、一遍上人像。
両手を合わせて祈るポーズのリアルな銅像で、(昨年国立博物館で見た)空也上人像に似たような雰囲気があります。
ちなみにここ遊行寺は時宗の総本山で正式には「藤澤山無量光院清浄光寺」と号し、遊行寺は通称名となります。
境内の西側、僧堂・寺務所方面の入口に当たる中雀門。
安政六年(1859)に建立された遊行寺境内で最も古い建造物で、市指定重要文化財に指定されています。
中雀門の奥には庭園もあり、この辺りは散策可能です。
庭園内には放生池という名称の池もあり、池には錦鯉の姿も見受けられました。
本堂と中雀門の間にある鐘楼。
境内の中央にある、ご神木の大銀杏。
冬なので葉は散っていますが、それでもかなり巨大な枝ぶりが確認できます。
向かって左側の枝がかけているように見えますが、以前台風の被害により枝が折れてしまったそうです。
大銀杏の拡大写真。
樹齢は500年ないしは700年といわれ、藤沢市の天然記念物に指定されています。
本堂の裏手にある長生院。
別名で小栗堂とも言い、浄瑠璃で名高い小栗判官・照手姫ゆかりのお寺でお堂の裏手には小栗判官と照手姫の墓があります。
小栗判官・照手姫の墓と歴代上人御廟所を進んだ先にある宇賀神社。
弁財天が祀られていますが、当日は周辺が工事中の様子だったので早々にお参りを済ませて立ち去りました。
境内に戻る参道から見た放生池・寺務所方面。
いろは坂と呼ばれる境内に至る参道。
行きは境内の横(駐車場側)から入ったので、帰りはこちらから。
ということで坂を下っています。
いろは坂の名前の由来は入口の惣門から続く石段が四十八段と呼ばれていて、いろは四十八文字にちなんで愛称としたとのことです。
入口の惣門。
通称「遊行寺の黒門」と呼ばれています。
門の右側に「時宗総本山」、 左側に「清浄光寺」と彫り込んだ大きな木札がかかっているのが確認できます。
(手前右側の石塔には「時宗総本山 遊行寺」と記されています)
参道手前の道(国道467号線)の周辺は旧東海道藤沢宿に当たり、かつての宿場町の雰囲気を残しています。
西側の小田急線藤沢本町方面に歩くと宿場町の本陣や白旗神社などがありますが、今回は1人ではないので南方面の藤沢駅まで歩いて行程終了としました。
2023-02-12 10:32
SWのお出かけ~皇居周辺巡り(後編) [お出かけ・小旅行]
皇居周辺巡りの後編(9/25 2日目)は北の丸公園方面から入り日本武道館・千鳥ヶ淵戦没者墓苑を経て皇居周辺の西側(半蔵門・桜田門)経由で皇居外苑~大手門へと至る行程です。
2日前と違い当日は終始晴天に恵まれました。
(逆に少々暑かったですが…)
スタート地点の下車駅は地下鉄の九段下駅。
上の写真はちょうど九段下駅の階段から地上にから出たところで、手前のお堀は牛ヶ淵。
水面というよりは全面蓮の葉で覆われています。
北の丸公園の入口付近(九段坂公園)には灯台のような建造物と銅像が並んでいます。
手前にある解説によると灯台のような建造物は靖国神社の燈籠で高燈籠(常燈明台)という名称。
靖国神社の燈籠としてではなく、かつては東京湾からも望むことができたので実際に灯台としての役目も果たしていました。
(前回の記事でも触れましたが、昔はここからでも海岸線が近かった)
ちなみに靖国神社は目の前の通り(靖国通り)を挟んで向かい側です。
(1枚目の写真の右側)
高燈籠の奥にあるのが品川弥二郎像。
高杉晋作らと尊王攘夷運動・戊辰戦争で活躍し、その後の明治時代には政治家として内務大臣などの要職を歴任しました。
剣術を学んだ練兵館に近いことからここ九段坂公園に像が設置されました。
さらに奥にあるのが大山巌像。
日清戦争・日露戦争で活躍した陸軍の大将で、海軍の東郷平八郎と対をなして「陸の大山・海の東郷」と称されました。
銅像は軍服を着た乗馬姿で、近代の軍人像の中では数少ない乗馬像の一つです。
江戸時代以前の武士では乗馬像は割と見かけますが、確かに近代の軍人だと少ないかも。
九段坂公園から見た千鳥ヶ淵。
(奥が皇居方面)
ちなみに当日(9/25)の2日後に安倍元総理の国葬が執り行われましたが、ここ九段坂公園に一般参列者用の献花台が設けられました。
ようやく北の丸公園に入るのですが、公園の北口となる田安門から入城。
こちらは手前の高麗門。
皇居東御苑のように手荷物検査は無かったものの、門の前には警察員が駐在していました。
高麗門をくぐった先にある田安門の櫓門。
案内板の解説によると田安門は江戸城の総構完成当時から現存する唯一の建造物とのこと。
(重要文化財に指定)
田安門を抜けると目の前に言わずと知れた日本武道館が。
別の角度から撮影。
翌々日にはここで安倍元総理の国葬が執り行われる予定ですが…。
当日は空手道の全国大会が開催されていました。
本来ならば国葬の準備のため早くから武道館周辺(北の丸公園)が封鎖されてもおかしくなかったのですが、この大会が行われる関係で当日まで公園内に入ることは可能でした。
建物の手前にある武道館設立の碑。
北の丸公園の案内図。
これだとちょっと分かりにくいので…
案内図を少し拡大
右(北)側に武道館と田安門、中央やや下(東)側に科学時術館と清水門、その左(南)側に近代美術館、そして案内図の上(西)側には旧近衛師団司令部庁舎(元近代美術館工芸館)があります。
ということでこの後は北の丸公園を周回してみることに。
2日前と違い当日は終始晴天に恵まれました。
(逆に少々暑かったですが…)
スタート地点の下車駅は地下鉄の九段下駅。
上の写真はちょうど九段下駅の階段から地上にから出たところで、手前のお堀は牛ヶ淵。
水面というよりは全面蓮の葉で覆われています。
北の丸公園の入口付近(九段坂公園)には灯台のような建造物と銅像が並んでいます。
手前にある解説によると灯台のような建造物は靖国神社の燈籠で高燈籠(常燈明台)という名称。
靖国神社の燈籠としてではなく、かつては東京湾からも望むことができたので実際に灯台としての役目も果たしていました。
(前回の記事でも触れましたが、昔はここからでも海岸線が近かった)
ちなみに靖国神社は目の前の通り(靖国通り)を挟んで向かい側です。
(1枚目の写真の右側)
高燈籠の奥にあるのが品川弥二郎像。
高杉晋作らと尊王攘夷運動・戊辰戦争で活躍し、その後の明治時代には政治家として内務大臣などの要職を歴任しました。
剣術を学んだ練兵館に近いことからここ九段坂公園に像が設置されました。
さらに奥にあるのが大山巌像。
日清戦争・日露戦争で活躍した陸軍の大将で、海軍の東郷平八郎と対をなして「陸の大山・海の東郷」と称されました。
銅像は軍服を着た乗馬姿で、近代の軍人像の中では数少ない乗馬像の一つです。
江戸時代以前の武士では乗馬像は割と見かけますが、確かに近代の軍人だと少ないかも。
九段坂公園から見た千鳥ヶ淵。
(奥が皇居方面)
ちなみに当日(9/25)の2日後に安倍元総理の国葬が執り行われましたが、ここ九段坂公園に一般参列者用の献花台が設けられました。
ようやく北の丸公園に入るのですが、公園の北口となる田安門から入城。
こちらは手前の高麗門。
皇居東御苑のように手荷物検査は無かったものの、門の前には警察員が駐在していました。
高麗門をくぐった先にある田安門の櫓門。
案内板の解説によると田安門は江戸城の総構完成当時から現存する唯一の建造物とのこと。
(重要文化財に指定)
田安門を抜けると目の前に言わずと知れた日本武道館が。
別の角度から撮影。
翌々日にはここで安倍元総理の国葬が執り行われる予定ですが…。
当日は空手道の全国大会が開催されていました。
本来ならば国葬の準備のため早くから武道館周辺(北の丸公園)が封鎖されてもおかしくなかったのですが、この大会が行われる関係で当日まで公園内に入ることは可能でした。
建物の手前にある武道館設立の碑。
北の丸公園の案内図。
これだとちょっと分かりにくいので…
案内図を少し拡大
右(北)側に武道館と田安門、中央やや下(東)側に科学時術館と清水門、その左(南)側に近代美術館、そして案内図の上(西)側には旧近衛師団司令部庁舎(元近代美術館工芸館)があります。
ということでこの後は北の丸公園を周回してみることに。
続きを読む:北の丸公園・千鳥ヶ淵戦没者墓苑を経て皇居の西側を歩く
2022-10-02 21:00
SWのお出かけ~皇居周辺巡り(前編) [お出かけ・小旅行]
今年の9月連休(SW=シルバーウイーク)ですが、9/23と25日の2日間で皇居周辺巡りをしてみました。
元々予定は無かったものの成り行きで…。
1日目(9/23)は地下鉄竹橋駅付近からスタート。
写真に映っているお堀は平川濠、奥に見えるビル群は大手町方面。
上の写真は竹橋で、奥に見えるのは近代美術館。
実は近代美術館の企画展(ゲルハルト・リヒター展)を見る目的で竹橋に来たのですが、そのついでに皇居周辺を回ってみようかとふと思ったのが今回の行程のきっかけでした。
1日目は皇居東御苑の散策になりますが、当日は北部の出入門となる北桔橋門(きたはねばしもん)から入園しました。
北桔橋門の名前は江戸城本丸の北端に位置し、有事に備えて跳ね上がる構造の橋があったことに由来します。
北桔橋門のアップ写真。
門の前には警備員がいてかばんなどの手荷物チェックが行われていました。
(この辺りは後日行われる重要イベントのテロ対策といったところですが…)
北桔橋門を入ると見えるのが江戸城の天守台。
もちろんかつてはこの上に天守があったのですが…。
天守台についての解説を見ると、徳川家康の入城以来慶長度天守(1607年)・元和度天守(1623年)・寛永度天守(1638年)の3度にわたって天守が建てられましたが、寛永度天守が明暦の大火(1657年)により焼失した後に天守再建を目指して万治元年(1659年)に築かれたものとのこと。
ただしその後幕府内で天守は不要との結論が下されたため、この天守台には天守が建てられないままとなりました。
江戸時代の江戸城は天守があった50年間の後天守のない状態が210年間続きました、と記載があります。
天守台からの眺めその1。
写真の中央に北桔橋門がちらっと。
その奥には日本武道館の屋根も見えます。
天守台からの眺めその2。
写真の中央に見えるのは桃華楽堂。
香淳皇后(昭和天皇の皇后)のご還暦をお祝いして建設された音楽堂です。
その奥に見えるのは大手町のビル街。
天守台から見た江戸城本丸御殿の跡地。
現在では開放された芝生地になっています。
皇居東御苑は皇居の東地区(旧江戸城本丸・二の丸・三の丸の一部)を皇居付属の庭園として整備して昭和43(1968)年に完成し、宮中行事に支障のない限り一般に公開されています。
入園料:無料
休園日:月曜日・金曜日(祝日にあたる場合は開園)
※当日(9/23)は金曜日でしたが祝日(秋分の日)でしたので開園していました。
参考:皇居東御苑の略図(宮内庁ホームページ)
江戸城本丸御殿の案内。
本丸御殿は表・中奥・大奥という3つの空間に分かれていたと説明があります。
一つ前の写真で奥から表・中奥・大奥の順。
上の案内の写真では上から表・中奥・大奥の順で、右下が天守台です。
天守台・本丸の敷地と二の丸庭園の間にある汐見坂。
名前の由来はこの坂の上から海が望めたからだそう。
現在ではこの場所から海は到底見えませんが、江戸時代は現在よりも海岸線が近かったのでここからでも海を見ることができたと思われます。
汐見坂の途中から見た白鳥濠。
お堀を挟んで左側が二の丸庭園、右側が本丸の敷地ですがかなりの高低差があることが分かります。
当日は秋分の日(お彼岸)ということもあり、僅かながらもヒガンバナが咲いていました。
平川門の手前にある天神濠。
二の丸庭園から更に1段下にあります。
平川門の裏手に到着。
皇居東御苑の出入門の1つで、北東部の入口になっています。
門から外に出てしまうと再入園時にまた手荷物チェックを受けなければならないので裏手で引き返して二の丸庭園まで来た道を戻ります。
元々予定は無かったものの成り行きで…。
1日目(9/23)は地下鉄竹橋駅付近からスタート。
写真に映っているお堀は平川濠、奥に見えるビル群は大手町方面。
上の写真は竹橋で、奥に見えるのは近代美術館。
実は近代美術館の企画展(ゲルハルト・リヒター展)を見る目的で竹橋に来たのですが、そのついでに皇居周辺を回ってみようかとふと思ったのが今回の行程のきっかけでした。
1日目は皇居東御苑の散策になりますが、当日は北部の出入門となる北桔橋門(きたはねばしもん)から入園しました。
北桔橋門の名前は江戸城本丸の北端に位置し、有事に備えて跳ね上がる構造の橋があったことに由来します。
北桔橋門のアップ写真。
門の前には警備員がいてかばんなどの手荷物チェックが行われていました。
(この辺りは後日行われる重要イベントのテロ対策といったところですが…)
北桔橋門を入ると見えるのが江戸城の天守台。
もちろんかつてはこの上に天守があったのですが…。
天守台についての解説を見ると、徳川家康の入城以来慶長度天守(1607年)・元和度天守(1623年)・寛永度天守(1638年)の3度にわたって天守が建てられましたが、寛永度天守が明暦の大火(1657年)により焼失した後に天守再建を目指して万治元年(1659年)に築かれたものとのこと。
ただしその後幕府内で天守は不要との結論が下されたため、この天守台には天守が建てられないままとなりました。
江戸時代の江戸城は天守があった50年間の後天守のない状態が210年間続きました、と記載があります。
天守台からの眺めその1。
写真の中央に北桔橋門がちらっと。
その奥には日本武道館の屋根も見えます。
天守台からの眺めその2。
写真の中央に見えるのは桃華楽堂。
香淳皇后(昭和天皇の皇后)のご還暦をお祝いして建設された音楽堂です。
その奥に見えるのは大手町のビル街。
天守台から見た江戸城本丸御殿の跡地。
現在では開放された芝生地になっています。
皇居東御苑は皇居の東地区(旧江戸城本丸・二の丸・三の丸の一部)を皇居付属の庭園として整備して昭和43(1968)年に完成し、宮中行事に支障のない限り一般に公開されています。
入園料:無料
休園日:月曜日・金曜日(祝日にあたる場合は開園)
※当日(9/23)は金曜日でしたが祝日(秋分の日)でしたので開園していました。
参考:皇居東御苑の略図(宮内庁ホームページ)
江戸城本丸御殿の案内。
本丸御殿は表・中奥・大奥という3つの空間に分かれていたと説明があります。
一つ前の写真で奥から表・中奥・大奥の順。
上の案内の写真では上から表・中奥・大奥の順で、右下が天守台です。
天守台・本丸の敷地と二の丸庭園の間にある汐見坂。
名前の由来はこの坂の上から海が望めたからだそう。
現在ではこの場所から海は到底見えませんが、江戸時代は現在よりも海岸線が近かったのでここからでも海を見ることができたと思われます。
汐見坂の途中から見た白鳥濠。
お堀を挟んで左側が二の丸庭園、右側が本丸の敷地ですがかなりの高低差があることが分かります。
当日は秋分の日(お彼岸)ということもあり、僅かながらもヒガンバナが咲いていました。
平川門の手前にある天神濠。
二の丸庭園から更に1段下にあります。
平川門の裏手に到着。
皇居東御苑の出入門の1つで、北東部の入口になっています。
門から外に出てしまうと再入園時にまた手荷物チェックを受けなければならないので裏手で引き返して二の丸庭園まで来た道を戻ります。
2022-09-26 20:30
初詣2022(+鉄道ネタあり) [お出かけ・小旅行]
変異株による感染拡大が続いている昨今ですが、今年は例年通りの場所に初詣に行ってきました。
(最後に鉄道ネタも加えています)
・1/4 靖国神社
靖国神社の参拝は2年ぶり。
(奇しくも前回も1/4に参拝していました)
今回は見事な快晴でしたが…
拝殿手前の門からこの行列…。
ここまでの行列に出くわしたのは初めてでした。
お参りまで40分位を要しました。
まあ年初め早々なのでやむを得ないのですが。
ちなみというか案の定神田明神では当日が仕事始めということもあり例年通りの混雑ぶりだったので、そちらに行っていると大変なことになっていたようです…。
お参り後も引き続き行列が続いていました。
お参り後に遊就館に足を運びましたが、中の展示は見ずに入口に展示されている零戦52型などを見て引き返しました。
例年よりやや数は少ないものの、屋台も出ていました。
(自分はポテトを購入)
・1/7 神田明神
少し日程をずらして神田明神へ。
上野の科学博物館の特別展示(大英博物館ミイラ展)を見に行った後に行きましたが、さすがに混雑は回避できたようでした。
とはいっても例年のように正面の門から直接境内には入れず、左右の通路から境内に入るような措置が取られていました。
ちなみに雪が残っていますが、前日は都心もかなり雪が降りました。
境内左手、神田会館前にある大黒様(大黒天)。
石造りの大黒天像としては日本最大だそう。
こちらは神田会館の脇(というか一角)にあるえびす様(恵比寿天)。
弁財天っぽいですが恵比寿天です。
境内に掲げられている絵馬ですが以前のような痛絵馬は見られなくなり、お気に入りのアイドルグループのメンバー(推しメンというのか?)の活躍を願う内容のものが多く見られました。
(相変わらずイラスト入りのものが多いですが)
神田明神ではラブライブのメンバー達がすっかり公式キャラとして採用されているようで…。
(最後に鉄道ネタも加えています)
・1/4 靖国神社
靖国神社の参拝は2年ぶり。
(奇しくも前回も1/4に参拝していました)
今回は見事な快晴でしたが…
拝殿手前の門からこの行列…。
ここまでの行列に出くわしたのは初めてでした。
お参りまで40分位を要しました。
まあ年初め早々なのでやむを得ないのですが。
ちなみというか案の定神田明神では当日が仕事始めということもあり例年通りの混雑ぶりだったので、そちらに行っていると大変なことになっていたようです…。
お参り後も引き続き行列が続いていました。
お参り後に遊就館に足を運びましたが、中の展示は見ずに入口に展示されている零戦52型などを見て引き返しました。
例年よりやや数は少ないものの、屋台も出ていました。
(自分はポテトを購入)
・1/7 神田明神
少し日程をずらして神田明神へ。
上野の科学博物館の特別展示(大英博物館ミイラ展)を見に行った後に行きましたが、さすがに混雑は回避できたようでした。
とはいっても例年のように正面の門から直接境内には入れず、左右の通路から境内に入るような措置が取られていました。
ちなみに雪が残っていますが、前日は都心もかなり雪が降りました。
境内左手、神田会館前にある大黒様(大黒天)。
石造りの大黒天像としては日本最大だそう。
こちらは神田会館の脇(というか一角)にあるえびす様(恵比寿天)。
弁財天っぽいですが恵比寿天です。
境内に掲げられている絵馬ですが以前のような痛絵馬は見られなくなり、お気に入りのアイドルグループのメンバー(推しメンというのか?)の活躍を願う内容のものが多く見られました。
(相変わらずイラスト入りのものが多いですが)
神田明神ではラブライブのメンバー達がすっかり公式キャラとして採用されているようで…。
2022-02-13 13:07