STUDIO @-o2 BLOG
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/
ゲーム・アニメ・PC・鉄道旅行・アウトドア(釣り・登山)の話題など、日々の感想を綴っています。
ao2
2024-03-17T09:06:11+09:00
ja
-
ao2の鉄道模型レイアウト制作プロジェクト~その2
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2024-03-17
前回(2023年8月)から大分経ってしまいましたが、引き続きこつこつと制作中の鉄道模型レイアウトについて進捗のレポートを。今回は駅下のスロープからトンネル周りと鉄橋周辺の作りこみが中心といったところです。前回(その1)の完成状態。まずはここから、左奥から手前に向かう感じでスロープ部分の壁とトンネルになる部分を作っていきます。地面・地形の造形用の素材は引き続きスタイロフォームを使用しますが、接着剤を既存の木工用ボンドに加えて発泡素材専用の「スチのり」も使用していきます。スチのりは久しぶりに使いますが(学生時代に建築模型の制作などに使った記憶がある)、結構強力な接着力があります。スロープ部分の壁、施工前。手前の駅ホームの下に加工したパーツを取り付け。直線部分の「壁」は比較的加工・設置とも順調に進みましたが…曲線&段差が少ないこの辺はなかなか加工が難しいです。前回から使用している勾配用のベースも併用しつつ、何とか収めました。手前の曲線部分の壁も付けて、このセクションについてはこれでひとまず完成。次はトンネル部分の制作に入るのですが、トンネルのポータル(坑口=入口部分)にはグリーンマックス製のトンネルポータルセットを使用します。「非電化単線用」のもので古い石積み風のデザインで、ポータルの高さも少し低め。トンネルポータルセットのパッケージ。「創る楽しみいっぱい!」のキャッチフレーズはともかく非電化単線用ということで気動車が描かれていますが、一体いつの時代の気動車なのか?という感じです。※尚入手したパッケージは旧製品のもので、現行品のパッケージでは「創る楽しみいっぱい!」のキャッチフレーズは記載されていません。トンネルポータル両脇につける壁部分のパーツは(下のように)2つに分割して使用します。トンネルポータル(と両脇壁部分のパーツ)を設置した状態。トンネルポータル周囲の造形をして上を屋根状態にして塞いだ状態。トンネル内の「壁」も作っていますが、詳細は後程反対側の入口制作時に記載します。
ホビー(鉄道模型)
ao2
2024-03-17T09:06:11+09:00
今回は駅下のスロープからトンネル周りと鉄橋周辺の作りこみが中心といったところです。
前回(その1)の完成状態。
まずはここから、左奥から手前に向かう感じでスロープ部分の壁とトンネルになる部分を作っていきます。
地面・地形の造形用の素材は引き続きスタイロフォームを使用しますが、接着剤を既存の木工用ボンドに加えて発泡素材専用の「スチのり」も使用していきます。
スチのりは久しぶりに使いますが(学生時代に建築模型の制作などに使った記憶がある)、結構強力な接着力があります。
スロープ部分の壁、施工前。
手前の駅ホームの下に加工したパーツを取り付け。
直線部分の「壁」は比較的加工・設置とも順調に進みましたが…
曲線&段差が少ないこの辺はなかなか加工が難しいです。
前回から使用している勾配用のベースも併用しつつ、何とか収めました。
手前の曲線部分の壁も付けて、このセクションについてはこれでひとまず完成。
次はトンネル部分の制作に入るのですが、トンネルのポータル(坑口=入口部分)にはグリーンマックス製のトンネルポータルセットを使用します。
「非電化単線用」のもので古い石積み風のデザインで、ポータルの高さも少し低め。
トンネルポータルセットのパッケージ。
「創る楽しみいっぱい!」のキャッチフレーズはともかく非電化単線用ということで気動車が描かれていますが、一体いつの時代の気動車なのか? という感じです。
※尚入手したパッケージは旧製品のもので、現行品のパッケージでは「創る楽しみいっぱい!」のキャッチフレーズは記載されていません。
トンネルポータル両脇につける壁部分のパーツは(下のように)2つに分割して使用します。
トンネルポータル(と両脇壁部分のパーツ)を設置した状態。
トンネルポータル周囲の造形をして上を屋根状態にして塞いだ状態。
トンネル内の「壁」も作っていますが、詳細は後程反対側の入口制作時に記載します。
続いては鉄橋周辺の作りこみ。
まずは鉄橋の両サイドにデッキガーター橋を設置するのですが…
今回入手したのが「津川洋行」という聞きなれないメーカーの製品。
デッキガーター橋のキットではグリーンマックスも同様の製品がありましたが、当製品は軟質素材使用でカーブ状態の鉄橋も作れる!ということでこちらを選んでみました。
※津川洋行ホームページ
ストラクチャー(建造物)・レイアウト用品を中心に出していますが、一部車両もラインアップされています。
そしてデッキガーター橋のレール部分に使用するのがこちらのKATO製フレキシブルレール。
長さ90cm位のレール1本で販売されていて、(レイアウトに合わせて)適宜の長さに切って使用するという製品。
更に「フレキシブル」という名の通り任意にカーブが付けられるという特徴を持っています。
別売りのレールジョイント(写真の下に写っている銅製のパーツ)にて他のレールと接続する構造。
実はこの製品、KATOが現行品の「ユニトラック」以前に出していた固定レイアウト向けレールの名残で、現在でも販売中の製品。
(しかも最近枕木の部分が白い「PC道床」タイプのフレキシブルレールも出たらしい)
基本的に同社のユニトラックとの組み合わせ使用が前提ですが、他社(TOMIX)のレールとの組み合わせも可能ではあります(ジョイント部分の加工が多少必要ではありますが)。
デッキガーター橋の組み立てとフレキシブルレールの加工を済ませた状態。
前述したように少し「カーブ」を付けて組み立てています。
軟質素材なのでこのような形態も作れますが、素材的な欠点として少々脆いのが玉の傷か。
(この辺はガンプラでザクなどの動力パイプで軟質素材が採用されることがあり、同様の欠点がある)
制作したデッキガーター橋(とレール)をレイアウトの線路に組み込んだ状態。
デッキガーター橋を片側のみ拡大して撮影。
既存製品の橋脚に「乗っかかる」ようにするために下部の両端を適宜切り欠くなどして加工しています。
ここまで進んだ後にレイアウトの台自体を180度回転させ、鉄橋周辺が手前に来るように配置変更。
鉄橋周辺の地形の修正と、トンネル反対側の作りこみに着手します。
一旦レールを撤去し、地面部分に当たるスタイロフォームを敷きなおします。
勾配を考慮して(なるべく均等になるように)下部分のレールを敷きなおしていきます。
高架部分のレールも再配置して地形の修正はひとまず完了。
次にトンネル反対側の作りこみですが、こちらは施工前(仮配置)の状態。
※レールを外した段階での撮影
まずはトンネル内部の横壁を設置。
反対側のトンネルポータルを取り付け。
トンネルポータル周りの斜面?を設置。
屋根をかぶせて一応完成。
分からないかもしれませんが、トンネルポータルの位置を少し後退させました。
更に薄手のスタイロボードも併用して…
鉄橋手前の地形を修正。
これでひと段落終わったところです。
(トンネル上の山は今後地形を考慮の上で進めてきます)
レイアウト制作中での試験走行の風景を動画を交えて紹介。
まずは高崎地区で活躍している(していた)107系とJR東日本標準の気動車形式ではるキハ110系(キハ111+キハ112)。
107系がトンネルから出てきたところ。
※107系はトミーテック(鉄道コレクション)製
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
107系走行中の動画(レイアウト反転前に撮影)。
鉄道コレクションは既製品(TOMIX・KATO等)で製品化されない車両がラインアップされるのでありがたい存在なのですが、動力ユニット・走行ユニットがオプションパーツなので揃えるとやっぱり高くつくのが難点といえば難点か。
107系の実車写真。
こちらはJR在籍時のもの(2015年1月 JR信越線横川駅にて撮影)。
107系は現在ではJR線から撤退しましたが、同じく高崎を起点とする私鉄の上信電鉄に移籍して活躍中です。
写真はJRリバイバルカラーカラーの車両(2021年4月 上信電鉄線上州富岡駅にて撮影)。
続いてはキハ110系、駅停車中の状態。
(キハ111+キハ112 KATO製)
鉄橋を通過中。
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
キハ110系走行中の動画。
2両編成なので、勾配も楽々登っていきます。
キハ110系の実車写真。
(2018年8月 JR奥羽本線・花輪線大舘駅にて撮影)
最後に紹介するのはDE10形牽引の2軸貨車編成。
有蓋車(ワム)に混じって冷凍車・コンテナ車・タンク車など各種車両を混成。
最後尾は車掌車の「ヨ6000形」。
現在では貨物列車はほぼコンテナ車に統一されていますが、かつてはこういった雑多な種類の貨物車編成が見られました。
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
DE10+2軸貨車走行中の動画。
牽引する車両の両数がかさむと、ちょっと勾配がきつい気もしなくもないです…。
DE10形の実車写真。
(2022年5月 いすみポッポの丘にて撮影)
ヨ6000形の実車写真。
(2016年8月 青森駅近くのメモリアルシップ八甲田丸船内にて撮影)
今回のレイアウト制作に関する記事はここまで。
次回は川の造形に着手する予定です(他は駅周辺の整備と山の造形など)。
]]>
-
続・初詣2024(+プチ乗り鉄あり)
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2024-02-12
2月11日 川崎大師お参り後にプチ乗り鉄をしたので別枠で記事を作成。毎度のことながら(京急)大師線で川崎大師駅まで乗車しますが、今回はJR川崎駅から乗り換えで大師線へ。(武蔵小杉駅から乗車した南武線の電車が快速だったため、尻手~八丁畷乗り換えというルートが取れなかった)川崎大師駅に到着。そして川崎大師の山門前へ。当日は祝日(建国記念日)ということで、境内は結構な混み具合でした。特に御守り売り場の混雑が激しく、ご覧の通り行列ができるほど。何とか御守り(とお札)を入手した後は昼食。例年通りというか、屋台でお好み焼きとふりふりポテトを購入。昼食後は薬師堂方面へ。こう見るとこのエリアだけアジア的な風景に見えます。まあそもそもこの薬師堂がアジア風な建物なので。薬師堂内の休憩室にはひっそりと「ひらまくん」のパネルが置かれていました。一通り周ったところで川崎大師を後にします。この後はプチ乗り鉄へ。
お出かけ・小旅行
ao2
2024-02-12T16:35:47+09:00
お参り後にプチ乗り鉄をしたので別枠で記事を作成。
毎度のことながら(京急)大師線で川崎大師駅まで乗車しますが、今回はJR川崎駅から乗り換えで大師線へ。
(武蔵小杉駅から乗車した南武線の電車が快速だったため、尻手~八丁畷乗り換えというルートが取れなかった)
川崎大師駅に到着。
そして川崎大師の山門前へ。
当日は祝日(建国記念日)ということで、境内は結構な混み具合でした。
特に御守り売り場の混雑が激しく、ご覧の通り行列ができるほど。
何とか御守り(とお札)を入手した後は昼食。
例年通りというか、屋台でお好み焼きとふりふりポテトを購入。
昼食後は薬師堂方面へ。
こう見るとこのエリアだけアジア的な風景に見えます。
まあそもそもこの薬師堂がアジア風な建物なので。
薬師堂内の休憩室にはひっそりと「ひらまくん」のパネルが置かれていました。
一通り周ったところで川崎大師を後にします。
この後はプチ乗り鉄へ。
川崎大師駅から大師線で再び京急川崎駅に戻ってきましたが、大師線では新1000形の他に600形も運用についていました。
見かけは新1000形と変わり映えしませんが、モーター音は明らかに違います。
(GTOサイリスタ特有のノイジーなモーター音)
この後は南武支線を目指しますが、京急本線で八丁畷乗り換えではなく敢えて(京急川崎駅から)JR川崎駅まで歩いて南武線に乗車。
1駅先の尻手駅で乗り換えます。
駅名標の下にはスキー(スノボと言った方が良いのか?)の広告が並んでいましたが、今シーズンのJR SKISIKIのキャッチコピーは「雪よ、推してくれ。」だそうです。
南武支線への乗り換えで30分近く待ち時間がありましたが、列車案内には「4ドア」の表示。
ということは…
やはり到着したのは新車(E127系)ではなく既存車の205系でした。
新車のE127系は2編成導入されたとのことなので、残る1編成としてこの1003番の編成が生き残りということか。
そんな感じで尻手駅を発車。
尻手駅からしばらくは単線です。
※先頭車側はかぶりつき先客がいたため、後方(逆かぶりつき)にて撮影
八丁畷駅に停車中。
左側に見える複線の線路は東海道貨物線。
ちなみに走行中の南武支線の線路は武蔵野貨物線への連絡線を兼ねています。
この辺りから複線に変わる感じ。
川崎新町駅は上下線にホームが分かれており、列車交換が可能な構造。
次の小田栄駅も複線。
左側に見えるのが尻手方面(上り線?)のホームですが、浜川崎方面のホームは右奥にあります。
(千鳥状のホーム構造になっている)
浜川崎駅の手前、東海道貨物線の線路を横切る恰好で…。
終点の浜川崎駅に到着。
乗車した電車はそのまま折り返しの尻手行きに。
残り1編成となった205系は日中のピストン運行を担当しているようで、まだまだ活躍ぶりを見られそうです。
浜川崎駅(のホーム)は東海道貨物線の脇にあるという感じで、駅ホームのすぐ隣を貨物線(の本線)が通っています。
駅ホームからは朽ち果てた入れ替え機の姿も。
駅改札までの通路は回廊みたいな感じ。
改札のそばには新車両のE127系デビューの告知も。
昨年(2023年)9月13日運転開始ということですが、「E127系・205系どちらかの車両で運転します」とあるのでしばらくは両形式での併用が続くようです。
南武支線の浜川崎駅改札を出て…。
道路の反対側にある鶴見線の浜川崎駅改札へ。
程なく浜川崎始発の電車が入線。
真新しい感じの車両ですが…。
こちらは新車でした。
車内も新車の匂いがプンプン(笑)。
車両は最近首都圏のローカル線に導入が進んでいるE131系の鶴見線バージョン。
番台は0(房総ローカル)・500(相模線)・600(日光線)に続く1000番台。
鶴見線バージョン(1000番台)の大きな特徴が、車体側面が従来の広幅ではなくストレートの構造になっています。
理由としては路線内に広幅(拡張)車体の入線が制限されている箇所があるため(急カーブが多い、路線内ホームの構造など)の模様。
ちなみに東急線の2020系列と車体側面がそっくりだという意見もあるようで…
参考までに、東急線の2020系列の側面。
(写真は大井町線の6020系)
窓のサイズが異なるものの、確かに似てなくもない…。
1000番台のもう1つの特徴。
前面が(他の番台と同じく)貫通扉があるように見えますが、実は非貫通。
よく見ると中央の扉部分に車内機器があり、扉は開かない構造です。
参考までに、房総ローカルのE131系0番台。
広幅車体&貫通扉になっています。
そんな感じで浜川崎駅を発車。
(南武支線に続きかぶりつき先客がいたので逆かぶりつきにて撮影)
武蔵白石駅を発車したところですが、ホームの奥に見えるのが大川駅に続く「大川支線」。
この辺りは貨物用線路と並行しています。
あんぜん=安全ではなく「安善」です。
沿線が工業地帯だけに縁起のいい駅名かも。
海芝浦支線との分岐駅となる浅野駅。
真っすぐ奥に続く線路が本線(浜川崎・扇町方面)で、右側にカーブする線路が海芝浦支線(海芝浦方面)。
海芝浦支線側のホームが三角状になっているのも駅ホームの特徴。
(但し本線側のホームは長らく使われていない感じ…)
次の弁天橋駅に停車中。
同駅には鶴見線の車両基地がありますが…。
ここに南武支線の新車(E127系・一番手前)がいました!
その奥には鶴見線の車両が停車中。
新車に混じって205系の姿も見られます。
(ただこちらは次回のダイヤ改正よって姿を消す予定)
次の駅は鶴見小野。
なんだかんだ言って1駅ずつ駅を紹介していますね。
ちなみに鶴見線は駅ナンバリングで使われる路線記号は「JI」。
「JR TSURUMI」の略ですが、Tからのアルファベットが他の路線で使われている&RだのJRになってしまうので末尾のIが採用されたらしいです。
鶴見小野駅を発車したところ。
奥に見える高架は産業道路と首都高横羽線。
次の国道駅に到着。
今回はこの国道駅で下車して鶴見行きの電車を見送ります。
大きくカーブしている駅のホーム。
ある意味鉄道模型に出てきそうな構造ですが、この辺りが広幅車体が採用できなかった理由かも。
ホーム先端から見た浜川崎方面。
ホーム先端のすぐ先が鶴見川(の鉄橋)です。
こちらは逆側のホーム先端(奥が鶴見方面)。
鶴見側先端から見たホーム全体。
高架(ホーム)の下にある改札へ…
改札の前から撮影しましたが、(昭和時代に)タイムスリップしたというよりは時間が止まっている感じですねこれは。
かつては店で賑わっていたと思われますが、ご覧の通り大半の入口がベニヤ板で塞がれている状態。
中には辛うじてのれんが残っている所もありますが、実際に営業している店はあるのでしょうか?
タイムトンネルの出口?的な駅の南口(鶴見川方面)。
ぱっと見では駅の入口であることは分からないと思われます。
反対側の北口(国道15号・東海道線方面)。
こちらは駅の表札があるので駅の入口であることが分かる(はず)。
少し離れた場所(道路の反対側)から撮影した駅の北口。
更に離れた場所から撮影。
今更ですが駅名の「国道」は目の前を走る国道15号線(第一京浜)が由来。
ここは箱根駅伝のコースにもなっていますね。
その国道15号を横浜方面に少し歩いて…
京急線の花月総持寺駅に辿り着きました。
駅改札の横には花月総持寺駅の説明パネルが。
実は駅名が「花月総持寺」に変わったのは近年のことで、それまでの駅名は「花月園前」でした。
当駅の近くに旧駅名の由来となった花月園という名称の遊園地がありましたが、その後競輪場に変わりその競輪場も閉鎖されたため、当駅と鶴見駅との間にある総持寺(曹洞宗の大本山)と合わせて現在の駅名になりました。
反対側の入口。
JR線を跨ぐ歩道橋とつながっています。
そのJR線を跨ぐ歩道橋はかなり長い感じ。
歩道橋フェンスの隙間から通過する電車の様子を撮影。
まずは東海道線の電車(E231系)。
一番端の2線を走るのが横須賀線の電車(E217系)。
JR線だけでも計8本の線路があります。
(横須賀線・京浜東北線・東海道線・東海道貨物線がそれぞれ2本ずつ)
ちなみに奥に見える水色の鉄橋は鶴見線。
更に京急線の線路もあるので、手前に見える踏切はほぼ「開かずの踏切」でしょうか?
※フェンスの網目から撮影しているので網目もぼやけて映っています
歩道橋からの撮影はこれまでにして駅ホームへ。
電車が傾いているように見えますが、これは線路自体が傾いている(専門用語で「カントがついている」という)ため。
当駅は普通列車しか停車せず快特などの優等列車は高スピードで通過するため、遠心力対策でカントをつけています。
ということで、到着した普通列車に乗車して横浜まで。
次の生麦駅に到着するところ。
生麦駅に停車中ですが、すぐ先のポイントが真っすぐなのでそのまま進むと行き止まり?
(その後ポイントが変わって左方向に進みます)
生麦駅を発車後JRの貨物線(高島貨物線)の下をくぐります。
その奥に見えるのは首都高の横浜北線。
京急新子安駅に停車中。
踏切の先に見えるのがJR新子安駅。
次の子安駅も線路に傾斜が付いている感じ。
(同駅も普通列車のみ停車)
車両基地の中にある神奈川新町駅。
同駅で特急待ち合わせのため少々停車。
リニューアルされた感じの…
京急東神奈川駅。
同駅も近年駅名が変更されましたが、旧駅名は「仲木戸」でした。
JR東神奈川駅に隣接しているので、確かにこの方が分かりやすいかも…。
こちらが横浜の手前にある…
神奈川駅。
県名と同じ駅名ですが、普通列車しか停車しないコンパクトな駅です。
神奈川駅を出発してすぐに…
横浜駅に到着。
これにて本日の行程終了ですが、追記で京急線での話題を1つ。
昨年11月のことですが、京急線ではエアポート急行が「急行」に変わるという改正がありました。
エアポート急行は列車案内では「急行」と表示されるため、特に外国人観光客(インバウンド)の方の誤乗が相次いだため変更に至ったということです。
上の写真のように、代わりに列車種別ではなく行先が羽田空港の時に(飛行機)マークが付くようになりました。
今回は単に呼称が急行に変わった(正確に言うと復活)だけで、停車駅などの運用に関しては特に変わりないようです。
ちなみにこの時乗車した車両は特別車両のLe Ciel(ル・シエル)でした。
]]>
-
初詣2024
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2024-01-28
1月4日:靖国神社さすがに神田明神はこの日に行くと激混みと思われるため、今年は靖国神社からスタート。当日はご覧の通り晴天でした。拝殿への入口。今年はそれほど混雑していない感じ。待ち時間10分位で参拝できました。(イベントの舞踊を見た後で参拝)参拝後は遊就館方面へ。馬と鳩の象がありましたが、軍用動物の慰霊碑ということでしょうか?解説によると戦没馬・鳩・軍犬の慰霊象とのこと。馬は移動用ということで想像が付きますが、鳩と軍犬は英訳で「Carrier Pigeons,and Dogs」とあるので伝令役(鳩の場合伝書鳩)に供されたと思われます。反対側には戦闘機兵の銅像も。案内板によるとタイトルは「特攻勇士の像」。特攻勇士=英訳では「Kamikaze Pirot」でした。最後は遊就館エントランスにある蒸気機関車C56型と零戦52型を拝見して終了。展示されているC56型は戦時中にタイに遠征した際に供用された車両です。1月17日:(番外)つば九郎神社JR信濃町駅ビルの2階にあるつば九郎神社。(仕事の現場で昼休み中に立ち寄り)東京ヤクルトスワローズのマスコットキャラである「つば九郎」を御神体(?)とした神社。信濃町駅もスワローズの本拠地となる神宮球場に近いということで造られたと思いますが…。やはり願掛けはスワローズの必勝祈願か?併設で近年(2013年以降)のスワローズのユニホームも展示されていました。個人的にはあまり強く見えないような…(個性的ではあるが)。1月20日:神田明神御茶ノ水(新御茶ノ水)で下車して現地へ。JR中央線・東京メトロ丸の内線とが立体交差する定番の撮影スポット?(写真を撮影されている方が多かったので自分もちょいと撮影)実は更に下の地下を千代田線が通っています。神田明神の入口に到着。当日はかなり寒かったです…。更に雨も降ってきました。比較的境内が空いていたのが幸いか。併設の大黒様(上)と童子の姿をしたえびす様(下)にもお参り。入口の門の横には「足元にご注意ください」と注意を促す巫女さんの看板も。さしずめロボ巫女さんといったところか?さすがはハイテク(死語)の街秋葉原といった感じです。
お出かけ・小旅行
ao2
2024-01-28T18:42:43+09:00
さすがに神田明神はこの日に行くと激混みと思われるため、今年は靖国神社からスタート。
当日はご覧の通り晴天でした。
拝殿への入口。
今年はそれほど混雑していない感じ。
待ち時間10分位で参拝できました。
(イベントの舞踊を見た後で参拝)
参拝後は遊就館方面へ。
馬と鳩の象がありましたが、軍用動物の慰霊碑ということでしょうか?
解説によると戦没馬・鳩・軍犬の慰霊象とのこと。
馬は移動用ということで想像が付きますが、鳩と軍犬は英訳で「Carrier Pigeons,and Dogs」とあるので伝令役(鳩の場合伝書鳩)に供されたと思われます。
反対側には戦闘機兵の銅像も。
案内板によるとタイトルは「特攻勇士の像」。
特攻勇士=英訳では「Kamikaze Pirot」でした。
最後は遊就館エントランスにある蒸気機関車C56型と零戦52型を拝見して終了。
展示されているC56型は戦時中にタイに遠征した際に供用された車両です。
1月17日:(番外)つば九郎神社
JR信濃町駅ビルの2階にあるつば九郎神社。
(仕事の現場で昼休み中に立ち寄り)
東京ヤクルトスワローズのマスコットキャラである「つば九郎」を御神体(?)とした神社。
信濃町駅もスワローズの本拠地となる神宮球場に近いということで造られたと思いますが…。
やはり願掛けはスワローズの必勝祈願か?
併設で近年(2013年以降)のスワローズのユニホームも展示されていました。
個人的にはあまり強く見えないような…(個性的ではあるが)。
1月20日:神田明神
御茶ノ水(新御茶ノ水)で下車して現地へ。
JR中央線・東京メトロ丸の内線とが立体交差する定番の撮影スポット?
(写真を撮影されている方が多かったので自分もちょいと撮影)
実は更に下の地下を千代田線が通っています。
神田明神の入口に到着。
当日はかなり寒かったです…。
更に雨も降ってきました。
比較的境内が空いていたのが幸いか。
併設の大黒様(上)と童子の姿をしたえびす様(下)にもお参り。
入口の門の横には「足元にご注意ください」と注意を促す巫女さんの看板も。
さしずめロボ巫女さんといったところか?
さすがはハイテク(死語)の街秋葉原といった感じです。
1月26日:乃木神社・日枝神社
1月26日は赤坂周辺の神社2社のお参り。
まずは乃木神社ということで最寄り駅の東京メトロ千代田線の乃木坂駅で下車。
今となっては乃木坂46の由来ということで知名度が高い駅名ということで、乃木坂ファンと思われる方がメンバーの写真と一緒に駅名標を撮影していました。
千代田線の出口を出た目の前が…
駅名の由来になっている乃木坂。
案内板(木)の裏の解説によると元々は幽霊坂という名前で大正元年(1912年)乃木将軍の葬儀と同時に乃木坂に改められたとのことです。
そういえば以前NHKの番組で坂の名前の由来で触れられていた記憶が…。
少し離れた場所から見た乃木坂の全景。
中ほど左側に千代田線の出口、その奥隣が乃木神社の入口になります。
(奥方向が赤坂方面)
前置きが少々長くなりましたが乃木神社へ。
乃木神社の境内案内図。
陸軍大将の乃木希典(のぎまれすけ)が明治天皇崩御と共に殉死された際に創建された神社で、乃木将軍(と妻の静子)を神社の御神体としています。
神社境内の横に乃木家旧邸があり、敷地内の庭園が一般公開されています。
神社の拝殿。
2月前なのに既に左側の梅の木が花を咲かせていました。
境内の横には辰年のお祝い(酒)が。
教育の碑。
明治41年に乃木将軍が学習院院長に任命された際に明治天皇より賜った御製。
「教育 いさをある人を をしえの親として おほしたてなむ やまとなでしこ」とあります。
境内に掲げられている祈願絵馬もやはりというか乃木坂46関連の願い事が多かったです。
(推しのメンバーの活躍祈願やライブのチケットが当たりますようにといった内容)
尤も希望校の合格祈願といった内容のものもありましたが。
(神社本来の御利益としては必勝祈願・学問・安産祈願など)
更によく見ると、乃木坂メンバー本人の祈願絵馬も。
やはりここは乃木坂46(とそのファン)にとって聖地ということなのか…。
乃木神社には摂社が2つあり、こちらはその1つの赤坂王子稲荷神社。
お稲荷さんということで、赤い鳥居が多数並んでいるのが特徴的。
もう1つの摂社の正松(せいしょう)神社への入口。
手前にはさざれ石、その奥にはしだれ桜があります。
こちらが正松神社。
境内の一番奥にあります。
一通りお参りを済ませた後は隣にある乃木家旧邸へ。
敷地内の庭園が一般公開されています。
乃木家旧邸の手前にある乃木大将と辻占売り少年像。
乃木大将が用務で金沢に訪れた際に偶然出会った辻占売りの少年を励ます様子を表現した銅像です。
乃木家旧邸(旧乃木邸)の案内板も。
残念ながら建物の内部は見学できませんでした。
庭園内にある乃木大将夫妻の瘞血之處(えいけつのところ)の碑。
瘞血之處とは(乃木大将夫妻が)殉死された時の血の付いた物を埋めるところ、と説明がありました。
乃木家旧邸の正門近くにある厩(馬小屋)。
木造とレンガ造りをミックスした造りが趣があります。
乃木家旧邸の正門。
一通り周ったのでこの後は日枝神社方面へ向かいます。
乃木坂駅に戻って地下鉄で直接日枝神社に向かっても良かったのですが、途中寄ってみたい場所があったので結局歩いて行くことに…。
途中で寄ったのがこちらの高橋是清翁記念公園。
国道246号線(青山通り)に面していて、地下鉄の駅で言うと銀座線の青山一丁目と赤坂見附の間くらいにあります。
高橋是清翁記念公園の案内図。
この公園は大正から昭和初期にかけて首相・蔵相などを務めた政治家「高橋是清」翁の邸宅があった場所で、昭和11年(1936年)の2・26事件により翁が世を去った場所でもあります。
翁の没後に公園として整備され、第二次大戦によって主だった建物は焼失しました(母家は多磨霊園に移築されていたので焼失を免れた)が、翁の銅像と石造・石灯籠は残されています。
公園の中心部にある池と石灯籠。
公園内には石灯籠の他に石像も点在していますが、この石像は朝鮮半島由来のものでしょうか?
公園の一番奥にある高橋是清翁像。
この後は赤坂方面に歩き、途中で昼食を取った後に日枝神社へ。
日枝神社の入口に到着。
手前の道路は外堀通り。
「山王日枝神社」が正式名称のようです。
境内の案内図を見ると、現在地はちょうど神社本殿の裏側のようです。
丘の上の神社本殿に向かうには左側の稲荷参道か右側の西参道が近道の模様。
右側の西参道を通ろうかと思いましたが、西参道の階段は閉鎖中でした。
その先の山王橋側からお入りくださいと案内があったので、山王橋側の入口にある鳥居へ。
階段も大きく大通り(外堀通り)にも面しているので、現状こちらがメインの入口ということか。
というか階段の両脇にエスカレーターが設けられていて、この辺りはさすが都会の神社といった趣です。
ちなみにこの階段(とエスカレーター)が山王橋という名称のようです。
階段の途中で振り返ると…
下の鳥居の先が外堀通り、その奥が赤坂方面で、ビルの谷間の奥(ちょうど写真の中央あたり)にTBS放送センターのビルが見えます。
再び境内の案内図。
現在地は境内の向かって左側(南側)のようです。
案内図にある雲は山上にある神社というイメージなのでしょうか?
正面の門(神門)に回り…
神社の本殿へ。
日枝神社では拝殿は無く、そのまま本殿がお参りする場所となっているようです。
お参り後は本殿の正面にある階段(男坂)から出ました。
つまりはこちらの階段が本来の正面入り口ということか。
その後は溜池山王駅から地下鉄に乗って行程終了。
ちなみに写真には映っていませんが駅入口の右側にとても立派な建物がありましたが、後程地図で確認したところやはり首相官邸でした…。
]]>
-
年初めの乗り鉄2024~千葉エリア私鉄線乗りつぶし(流山からちはら台まで)
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2024-01-07
ということで今年も年初めの乗り鉄旅行に行ってきました。今回はタイトルにもある通り千葉エリアの私鉄線の乗りつぶし(まだ乗ったことのない路線を中心に乗車する)なので、前回(富士山方面)と比べてかなり近場になります。「流山からちはら台まで」というサブタイトルにもありますが、メインの対象路線は総武流山電鉄線(流鉄線)と新京成線になります。まずは都心から常磐線(各駅停車)にて流鉄線の乗換駅となる馬橋(まばし)駅まで移動。乗車したのは東京メトロ千代田線の車両。(千代田線からそのまま常磐線に直通する電車でした)前哨戦ということで馬橋まで移動する途中のかぶりつき(前面展望)の写真をちらっと紹介。綾瀬駅を出発した直後。千代田線の車両基地にもつながる綾瀬支線を跨ぐため、左端の上りの高架橋を進みます。綾瀬支線を跨いで他の線路と合流したところ。右側に見えるのは快速線の上り(上野方面)の電車。金町の先、江戸川の鉄橋を渡るところ。間もなく松戸駅に到着。走行している線路が左から3番目に変わりましたが、少し前で快速線と線路が入れ替わっています。松戸駅を出発。右手に見える大きくカーブする線路は新京成線の線路。(こちらは後程乗車します)北松戸を経て馬橋駅に到着。(前哨戦はここまで)流鉄線のホームは快速線の線路を挟んだ向かい側。跨線橋上から見た馬橋駅の構内。まだ流鉄線の電車は到着していませんが…。跨線橋の先が駅の入口という構造。ちょうどJRの表札が見える場所の左手が流鉄線のホームにつながる階段です。階段の手前にあった時刻表。拝見したところ日中は20分間隔、朝夕ラッシュ時は15分間隔といったところで、分かりやすいダイヤですね。ホームに降りたところ電車が到着していましたが、到着した車両はカラフルなピンク色の「さくら」。流鉄線の車両は編成ごとに色分けされていて、それぞれ愛称が付けられています。一応流鉄線の駅名標も…。車両の側面の窓には、鉄道模型メーカーのKATOの広告がありました。(ということはKATOが流鉄線の模型を出しているということか)そんな感じで馬橋駅を出発。気のせいか線路が波打っているように見えます…。(実際車両が結構揺れる)ビルの谷間をすり抜ける感じで…。※上に見えるのはJR武蔵野線の高架橋次の幸谷駅に到着。馬橋からまだ1駅先ですが、同駅で一旦下車します。駅改札口の横で鉄道むすめ(のパネル)を発見。(馬橋駅でも同じパネルを見かけたのですが、ちょ..
鉄道・鉄道旅行
ao2
2024-01-07T17:35:51+09:00
今回はタイトルにもある通り千葉エリアの私鉄線の乗りつぶし(まだ乗ったことのない路線を中心に乗車する)なので、前回(富士山方面)と比べてかなり近場になります。
「流山からちはら台まで」というサブタイトルにもありますが、メインの対象路線は総武流山電鉄線(流鉄線)と新京成線になります。
まずは都心から常磐線(各駅停車)にて流鉄線の乗換駅となる馬橋(まばし)駅まで移動。
乗車したのは東京メトロ千代田線の車両。
(千代田線からそのまま常磐線に直通する電車でした)
前哨戦ということで馬橋まで移動する途中のかぶりつき(前面展望)の写真をちらっと紹介。
綾瀬駅を出発した直後。
千代田線の車両基地にもつながる綾瀬支線を跨ぐため、左端の上りの高架橋を進みます。
綾瀬支線を跨いで他の線路と合流したところ。
右側に見えるのは快速線の上り(上野方面)の電車。
金町の先、江戸川の鉄橋を渡るところ。
間もなく松戸駅に到着。
走行している線路が左から3番目に変わりましたが、少し前で快速線と線路が入れ替わっています。
松戸駅を出発。
右手に見える大きくカーブする線路は新京成線の線路。
(こちらは後程乗車します)
北松戸を経て馬橋駅に到着。
(前哨戦はここまで)
流鉄線のホームは快速線の線路を挟んだ向かい側。
跨線橋上から見た馬橋駅の構内。
まだ流鉄線の電車は到着していませんが…。
跨線橋の先が駅の入口という構造。
ちょうどJRの表札が見える場所の左手が流鉄線のホームにつながる階段です。
階段の手前にあった時刻表。
拝見したところ日中は20分間隔、朝夕ラッシュ時は15分間隔といったところで、分かりやすいダイヤですね。
ホームに降りたところ電車が到着していましたが、到着した車両はカラフルなピンク色の「さくら」。
流鉄線の車両は編成ごとに色分けされていて、それぞれ愛称が付けられています。
一応流鉄線の駅名標も…。
車両の側面の窓には、鉄道模型メーカーのKATOの広告がありました。
(ということはKATOが流鉄線の模型を出しているということか)
そんな感じで馬橋駅を出発。
気のせいか線路が波打っているように見えます…。
(実際車両が結構揺れる)
ビルの谷間をすり抜ける感じで…。
※上に見えるのはJR武蔵野線の高架橋
次の幸谷駅に到着。
馬橋からまだ1駅先ですが、同駅で一旦下車します。
駅改札口の横で鉄道むすめ(のパネル)を発見。
(馬橋駅でも同じパネルを見かけたのですが、ちょうど逆光になっていてうまく撮れませんでした)
「幸谷なのは」という名前ですが、幸谷はずばり当駅名が由来。
「なのは」は駅名ではなく流鉄線車両の愛称の1つである「なの花」が由来です。
幸谷駅の入口ですが駅階段の左手には「流鉄カーサ新松戸」と書かれたマンションの表札があり、駅というよりはマンションの入口っぽい感じです。
駅前の踏切から幸谷駅全体を撮影した写真ですが、ご覧の通りちょうどマンションの1階が駅ホームとなっている構造になっています。
マンションと一体化した駅舎というのも珍しいですね。
踏切を渡ってすぐ(100m)先がJR新松戸駅。
※頭上の高架橋は武蔵野線
という訳ですぐさま新松戸駅に到着。
ここから最初の観光(散策)開始です。
新松戸駅前にある周辺の地図。
目指すのは…
青丸で囲んだ場所にある幸谷観音(福昌寺)。
駅から徒歩10分くらいといったところか。
ひとまずガードをくぐって線路の向こう側へ。
途中で神社(赤城神社という名前)の境内を通り抜けます。
ちらっとですが背後に武蔵野線の車両が映っています。
少し歩いて福昌寺(幸谷観音)に到着。
幸谷観音は通称ですが、このお堂に観音像が祀られていることが名前の由来か。
(詳しく中は拝見できませんでしたが)
境内の横には七福神の一つとなる布袋尊の象が。
幸谷観音の向かって反対側が福昌寺の本堂。
福昌寺のすぐ横に武蔵野線の線路があり、電車が通っていきました。
(写真の奥が新松戸駅方面)
福昌寺を後にして(ほぼ武蔵野線の線路に沿って歩く感じで)新松戸駅まで戻り…
(流鉄線の)幸谷駅に戻ってきました。
次に来たのは緑色の「若葉」。
車内には流鉄のゆるキャラ「りゅうのしん」が紹介されていました。
(服はなの花をモチーフにしている模様)
幸谷駅を発車後左にカーブしていき…。
次の駅が見えてきました。
次は小金城趾駅。
駅名にもなっている小金城趾に行くため、当駅で下車します。
流鉄線(流山線)は全部で6つの駅がありますが、両端の馬橋と流山を除いてここ小金城趾駅が唯一列車行き違いができる駅となっています。
程なく上り(馬橋方面)の電車が到着。
車両は先程乗車した「さくら」。
上り下り電車が横並び。
流鉄線では現状5編成が運用されている模様。
さくら・若葉・なの花の他に「流星」「あかぎ」があるようです。
※参照:流鉄ホームページ
駅改札(跨線橋)から見た線路。
写真の奥が新松戸方面。
小金城趾駅の駅舎。
駅改札につながる階段の横に駅名の看板がぽつんと立っているだけなので、ぱっと見駅舎には見えないかも(ただの跨線橋に見える)。
駅前にあった周辺の地図を見ましたが、目的地の小金城趾(公園)は見当たらず。
スマホの地図(GoogleMap)で確認したら徒歩5分位の位置にあるそうなので、歩いてみるとします。
GoogleMapをたよりに歩くと、ここが目的地っぽい感じ。
大谷口歴史公園という名前ですが、ここで間違いない模様。
公園の全体図。
(後程出口で撮影したもの)
城趾といっても櫓や石垣が残っているわけではなく、空堀が残っている程度のようです。
入口には小さい紫色の花(実)が咲いている木がありましたが…
コムラサキシキブ(小紫式部)という木らしいです。
紫式部といえば今年の大河ドラマの主人公ですね。
ということで上に続く階段を登ってみます。
階段を登った先には入口らしき門が。
ここは小金城の虎口(出入口)の1つとなる金杉口の跡とのこと。
解説によると小金城にはここ金杉口を含めて4箇所の虎口があったとのことです。
1枚前の写真はその虎口の門。
更に階段を登ると丘上の広場に出ました。
ここが一番高い場所なので、城の天守に当たる場所なのでしょうか?
広場の一角には小金城の説明板(石?)が。
小金城の別名が大谷口城とのこと。
一段下に降りると小さい広場があり、その先に…
堀らしき穴がありました。
畝堀と呼ばれる空堀の跡とのこと。
頂上の広場を挟んで反対側にもう1箇所空堀の跡がありました。
こちらは障子堀という名前です。
障子堀の近くの階段を降りると、公園のもう1つの入口に着きました。
特に説明はなかったのですが、ここも城の虎口(出入口)の1つなのでしょうか?
(冒頭に載せた公園の全体図はこの場所にありました)
少し歩いて元の入口へ。
散策は終わりにして、駅に戻るとします。
駅の近くに来ると次の電車が到着したっぽいので、ダッシュ!
速攻で切符を買って、ほぼ飛び乗る感じで乗車です。
※写真の左の車両(若葉)に乗車
ここから先は終点の流山駅まで乗車。
次の駅はひれがさき(鰭ヶ崎)。
鰭ヶ崎駅の駅舎と改札。
この辺りは複線分の用地がある感じ。
1つ手前の平和台駅に停車中ですが、既に終点の流山駅が見えています。
流山駅に到着するところ。
ということで流山駅に到着。
乗車した電車は折り返しで馬橋行きになります。
駅構内には待機中の他の3編成の姿も。
車両の正面にあるネームプレートは未確認ですが、左から「あかぎ」「なの花」「流星」でしょうか?
右奥の「なの花」は編成が切り離されているので待機中というより整備中の状態ですね。
駅のホームには流鉄の車両を模した自販機も見られました。
(カラーリングからして「流星」を模したものらしい)
改札前には鉄道むすめ(幸谷なのは)の他のキャラのパネルもありました。
改札を出て、流山駅の駅舎を撮影。
こぢんまりとしたいかにもローカル線らしい駅舎ですが、それゆえに味わい深いものがあるかも。
駅の奥にある車庫も覗いてみました。
※手前が「あかぎ」、奥が「なの花」
言い忘れていましたが写真の車両も含む流鉄線の全車両は元西武鉄道で運用されていたもの(新101系)で、流鉄線内では5000形としています。
更に車庫の奥に進むと…
保守用のものなのか、パンタグラフが置かれていました。
鉄道模型(Nゲージ:1/150)だとパンタグラフは指でつまめる位の小さなパーツですが、さすがに実車ものだと人力で運ぶのも困難な大きさですね(、ふと思いました)。
改めて駅前に戻り、駅前広場にある流山周辺のマップを確認。
「流山本町江戸回廊」ということで色々と見どころがあるようです。
早速現地方向に向かうと、確かに古い町並みが残っている感じです。
(呉服新川屋店舗)
こちらは「ましや」という名前の呉服店で現在も営業中の模様。
回廊の北側の端(江戸川の上流側)にある大杉神社。
大杉神社の境内。
まだ初詣期間中ということもあって、門松などの飾り物が置かれていました。
神社お参り後、一旦江戸川の河川敷に出てみます。
江戸川の河川敷に出てみたところ。
写真の奥が上流側で、遠くに見える橋は常磐道のようです。
この辺りですが、矢河原(やっから)の渡しの跡地とのこと。
江戸川の各所に存在していた渡しの1つで、昭和35年頃まで存在していたそうです。
幕末期には新選組隊長であった近藤勇が新政府に包囲されて出頭する際にこの渡しを通って流山を去りました(と説明に記載)。
元の道(江戸回廊)に戻って南側(江戸川の下流側)を歩いてみます。
こちらは「丁字屋」とありますが、かなり古い建物な感じです。
丁字屋の少し先にある浅間神社。
神社本殿の裏手には富士塚と名付けられた小高い丘が。
富士塚は富士山信仰の場所として各所で見られますが、ここの富士塚は(実際の)富士山の溶岩を集めて作られたとのことでかなり本格的なものです。
頂上までの参道(?)もつづら折りになっていて、足場も決して良いとは言えないので登るのには注意が必要です。
(入口の案内には「夜間の登頂は禁止」と注意書きがありました)
富士塚の頂上にある碑。
ちなみにですが浅間神社の名称も富士山のふもとにある浅間神社が由来です。
入口の案内には頂上付近から富士山が見えるとのことでしたが、富士山の姿は確認できず…。
神社&富士塚のお参りを済ませて少し先へ。
この奥に(新選組の)近藤勇陣屋跡があるとのことですが…。
建物修理中につき中には入れませんでした。
表の説明パネルには「新選組局長近藤勇・副長土方歳三離別の地」とありました。
また少し歩くと古い建物が。
こちらは現役のお店のようですが…
説明パネルには「寺田園旧店舗」とあり。
お茶の葉を販売してた店らしく、昭和38年まで店舗として利用されていた建物とのこと。
現在は「万華鏡ギャラリー見世蔵」という名称の店となっており、万華鏡作品の展示・販売と日本茶をテーマにしたカフェがあります。
※残念ながら当日は営業していませんでした。
この後は再び江戸川の河川敷へ。
写真の奥が下流側になりますが、遠くに見える鉄橋はJR武蔵野線のもの。
(最初はつくばエクスプレス線かと思いましたが武蔵野線でした)
江戸川の手前にあるみりん工場方面へ歩いてみます。
みりん工場(流山キッコーマン株式会社)の壁面には白みりんに関する歴史的な資料を掲示する「流山本町まちなかミュージアム」が設置されています。
付近の観光スポットを示した「流山みりんマップ」もあり。
まちなかミュージアムの壁面のくぼみに庚申塔が。
(くぼみというよりは壁が庚申塔を避けている感じですが)
庚申塔の位置からまちなかミュージアム入口の方面を見た写真。
この後写真の奥方向(南方向)へと進みます。
場所を移して、今度は一茶双樹記念館へ。
みりんの開発者の一人と言われる五代目秋元三左衛門の住まいですが、江戸時代の歌人である小林一茶が度々訪れ、ここ流山の地で多くの句を詠んでいます。
(秋元三左衛門も双樹と号して俳句をたしなんでいた)
一番手前にある写真の建物が秋元本家で、1階の一部と2階が展示室になっています。
秋元本家の奥にある一茶庵と双樹亭。
写真の左奥が一茶庵で、右手前のふすまが空いている建物が双樹亭になります。
双樹亭の縁側から見た庭園。
庭園の入口から見た双樹亭。
庭園手前の一角には小林一茶の句碑(石碑)がありました。
句碑には一茶が流山で詠んだ句の一つ「夕月や流残りのきりぎりす」が刻まれています。
一茶双樹記念館を後にして更に南に歩いた先にある赤城神社。
ご覧のように入口の門には立派なしめ縄が吊るされています。
参道の横にはこの「大しめ縄行事」の説明と、赤城神社と赤城山の関係についての説明がありました。
説明によると(群馬県にある)赤城山の土(あるいはお札)がこの地に流れ着いたという伝説があり、これが「流山」という地名の由来とも言われている、とありました。
参道から階段を登った高台にある赤城神社の本殿。
そういえば新松戸駅の近くにあった神社も赤城神社という名前でしたが、この神社と関係があるのかと思います。
赤城神社を最後に流山の観光を終えますが、戻ってきたのは流山駅ではなく1つ手前の平和台駅。
しかし平和台駅はスルーして流鉄線には乗らずに…。
つくばエクスプレス線(TX線)の流山セントラルパーク駅に辿り着きました。
距離にして約1kmほど離れていますが、駅に向かって歩いている途中でタイミング良く流山セントラルパーク駅行きのバスが来たので乗車しました。
(そのため途中写真は無し)
駅ホームで少し待つと…
秋葉原行き(上り方面)の電車が到着したので乗車します。
TX線の車両は何ともかぶりつきがしずらい前面です。
間もなくトンネル区間に入り…。
1駅先の南流山駅に到着。
当初はこのまま北千住まで戻ろうかと考えていましたが、この後の行程に時間的余裕があまりなさそうな感じなので同駅で下車することにします。
TX線の南流山駅は地下ホームのため、地上に出てJR武蔵野線に乗り換えます。
JR武蔵野線の南流山駅は高架ホーム。
すぐさま電車が到着したので、そのまま乗車します。
(といっても乗車するのはまた1駅先までですが)
新松戸駅の手前で線路を跨ぎますが、これは流鉄線ではなく貨物用の連絡線の模様。
こちらが流鉄線の線路。
ちょうど真下が幸谷駅になりますが、こうして見ると本当にビルの隙間をぬって線路が通っているのが分かります。
新松戸駅に到着(というか戻ってきました)。
同駅で常磐線(各駅停車)に乗り換えて、松戸駅まで。
※東京メトロの車両ですが常磐線です
馬橋で再度流鉄線の車両を見えました。
この車両は「あかぎ」でしょうか?
松戸駅に到着。
この後は新京成線に乗り換えるのですが…
昼食を取るため一旦改札の外に出ます。
昼食後、改めて新京成線のホームへ。
新京成線の車両はピンクと白基調のカラフルな色合いですね。
(写真がかなり逆光なので恐縮です)
ということで松戸駅を出発。
駅を出発後すぐさま右方向にカーブします。
※左側の線路は常磐線
新京成線に乗車するのは今回初めてですが、京成本線と同じく新しい路線ではないためか比較的カーブが多い(=線形が悪い)気がします。
対向列車とすれ違い。
新京成線の車両もいくつか種類があると思いますが、現行車についてはカラーリングは統一されているようです。
JR武蔵野線との乗換駅となる八柱駅。
(武蔵野線側は新八柱)
カーブが多いことに加えてアップダウンも少々ある(線路が波打っている)感じ。
ただ新京成線は現状各駅停車のみの運行なためか、それほど遅い感じはしない(運行が安定してる)気がします。
くぬぎ山付近の車庫線の横を通過するところ。
一昨年に北総線に乗車した時にこの車庫線が見えました。
北総線の高架の下を通り…
新鎌ヶ谷駅に到着するところ。
(手前の北初富駅は省略)
新鎌ヶ谷駅では北総線の他東武野田線(アーバンパークライン)と接続。
次駅の初富駅。
この辺りは東武野田線と並行しています。
(奥に見えるのが野田線の線路)
次駅の鎌ヶ谷大仏駅に到着。
駅名にもなっている鎌ヶ谷大仏を見るために同駅で下車します。
ホームには旧カラーデザイン(?)の自販機も。
「市民から愛される鎌ヶ谷大仏」とのことですが…。
その下には「駅前の いつもの場所で 待ってます」という俳句(?)も。
鎌ヶ谷大仏駅の駅舎。
大仏様は写真の向かって左方向にある模様。
先に大仏様の手前にある神社(八幡神社)でお参り。
そしてこれがかの大仏様。
墓地の中に建っています。
鎌ヶ谷大仏の説明パネル。
江戸時代に造られた鋳造(青銅製)の釈迦如来仏。
高さ1.8mというサイズは屋外にある鋳造の仏像としては国内で最小とのことです。
近くから撮影。
説明パネルには「その柔和なまなざしは、永く後世の人々に平和をさとすかのようです。」とありましたが、確かに穏やかな表情ですね。
最後に全景を撮影。
大仏と言うにはかなりコンパクトですが、それ故に親しみやすい(=市民から愛される)ということでしょうか?
大仏様のある墓地は延命寺というお寺が管理しているとのことだったので、その延命寺にも行ってみました。
(新京成線の線路を挟んで反対側に歩いた先にある)
その後鎌ヶ谷大仏駅に戻って再び新京成線に乗車します。
三咲=みさき、という萌える駅名。
(萌え要素はこの後登場しますが…)
高根公団、近くにある公団(現在はURか?)の団地が駅名の由来ですが、かつては団地がステイタスだったことを伺わせますね。
同様のパターンでは東武スカイツリーラインの松原団地がありましたが、こちらは現在獨協大学前に駅名が変更されています。
次の駅は高根木戸ですが、どうやら新京成線にも鉄道むすめがいるらしいです。
(ということで急遽下車します)
新京成線の鉄道むすめは「五香たかね」という名前。
苗字・名前とも新京成線内の駅名が由来です。
五香駅の駅名標は撮り損ねたので、隣駅(元山)で代用。
高根木戸駅ですが行先案内も…
小サイズの駅名標も。
かなり鉄道むすめを推している様子でした。
ちなみに新京成線は来年に(本家の)京成線に統合される予定ですが、そうなった場合鉄道むすめの設定はどうなるのでしょうか?
(ちなみに今回新京成線に乗車したのも統合前に乗っておきたいと思った次第です)
色々撮影しているうちに次の電車が来たので乗車します。
(新京成線は日中10分間隔で運行している)
次の北習志野駅では東葉高速鉄道線と接続。
「習志野」駅は実は新京成線に存在したのですね。
(先の北習志野の他、JR京葉線に新習志野が存在)
こちらは旧タイプの駅名標(前原駅)。
JR総武線と接続する新津田沼駅(JR側は津田沼)。
新津田沼を出た後、次の京成津田沼までは単線。
しかもやたら線路がくねくねしています。
京成津田沼駅(新京成線の終点)に到着するところ。
乗車中の電車は京成千葉線に直通するので、そのまま左側の京成千葉線の線路にに入ります。
(右側にカーブするのが京成本線の線路)
京成千葉線はほぼJR総武線と並行する恰好。
途中幕張車両センターの横を走行します。
(ちょうど京成線の車両と行違うところ)
幕張本郷(京成幕張本郷)駅に到着するところ。
次の京成幕張駅から先、京成千葉まで少し(総武線と)線路が離れます。
検見川駅に到着するところ。
奇しくも対向列車は同じ新京成線の車両でした。
(奇しくもといっても確率的には2分の1だと思う)
遠くにそごうなどの建物も見え、いよいよ千葉に近づいた感じ。
京成千葉駅に到着するところ。
ホームの上を通っているのは千葉都市モノレール線でしょうか?
前の写真でも確認できますが、京成千葉駅は線路と共にホームが大きく湾曲している感じです。
※前に見えるのはJR内房線(or外房線)の電車
終点の千葉中央駅に到着するところ。
千葉中央駅に到着。
今まで乗車した電車は千葉中央止まりなので同駅で下車します。
この先のちはら台行き電車の到着を待ちますが、その間に先程乗車した車両が折り返しの松戸行きとなって反対側ホームに入線してきました。
(千葉中央駅のホームに降りて)10分後にちはら台行きの電車が到着したので乗車します。
千葉中央駅から1駅先の千葉寺駅に到着。
現状千原線は単線ですが、将来の複線化に対応できるように複線分の路盤は作られていて駅のホームも2番線分まで完成しています(現状片側のホームしか使用されていない状態)。
※駅名標は千葉方面に戻ってくる際に撮影(以下学園前とちはら台以外も同様)。
この写真だと単線なものの路盤は複線分あることが分かると思います。
大森台駅に停車中の写真ですが、同駅のみ列車交換が可能になっています。
(複線分の線路があり、ホームも両面使用されている)
沿線はマンションやショッピングモール等大規模な施設も見受けられますが、このように原野が広がっている箇所も多いです。
学園前駅に到着。
何の学園かと地図で確認したところ、明徳短大の最寄り駅の模様。
ちはら台の1つ手前、おゆみ野駅に到着するところ。
駅の構造は千葉寺駅と同じといった感じ。
おゆみ野駅を出発するところですが、この写真が(千原線内の)かぶりつきで一番クリアに撮影できたかもしれませんね。
終点のちはら台駅に到着するところ。
右側のソーラーパネルが設置されてい場所は将来の留置線用に確保している土地かもしれません。
ちはら台駅に到着。
乗車した電車は折り返しで京成上野行きになるようです(長)。
現状ちはら台駅が終点ですが、ホームの先を見るとこの先延伸が可能な造りになっていることが分かります。
(この後改札を出てその先の様子を見ることとします)
駅の改札付近には千原線開業時に撮影したと思われる写真がありました。
尤も当初は第三セクターの千葉急行線として開業したものの、その後の経営破綻により京成千原線となった経緯があります。
中にはちはら台駅にスカイライナーの入線もあったと思わしき写真も…。
(試運転の際の写真と思われます)
広いスペースのちはら台駅駅前。
尤も現状では過大なスペースかと思われますが…。
駅前から少し離れた場所から見たちはら台駅駅のホーム。
大まかに日没前までにちはら台駅に到着できることを当日の目標としていましたが、ぎりぎり日没前に到着できた感じです。
駅南側の橋から延伸予定方向を見た写真。
線路はこの先で途切れていますが、駅ホームからそれなりの長さの線路があります。
また右側にはもう1線分線路が敷けるほどのスペースもあります。
線路の終端部分。
この先も少しの間用地が確保されていることが分かります。
角度を変えて撮影。
線路予定の用地は結構先まで続いている感じ。
ちなみに計画ではこの先辰巳台などを経て小湊鉄道の海士有木(あまありき)まで延伸予定だそうです。
この辺りが用地の終端な模様(フェンスが境界線か?)。
かなり小さいですが遥か彼方に富士山も見えました。
(ちょうど写真の真ん中あたり)
これ以上は歩いても仕方がないと思うのでそろそろ駅方向に引き返すとします。
駅の近くに戻ってきたところ、ちょうどホームに電車が到着した感じでした。
事前に撮影したちはら台駅の時刻表。
毎時3本ということは20分間隔なので、到着した電車を乗り過ごすと結構なロスになるので急いで改札に向かうとします。
ちなみにこのダイヤだと現状の単線のままでも支障がないレベル。
そもそも開通当初に見込んでいた利用者数の半分にも満たないためないために先程触れた延伸はおろか複線化にも至っていない状態です。
駅付近の車の台数を見てもそれなりの人口はいると思いますが、付近に在住の知人の話によると既存のJR線(内房線or外房線)に利用者が流れているため千原線の利用者自体が伸び悩んでいるらしいです。
それはともかく電車には間に合ったので千葉方面へ。
日没直前ですが、遠くに富士山が見えました。
千葉にちかくなりましたが、工業地帯の夜景(トワイライトというべきか?)も綺麗ですね。
ここからも富士山が見えました。
その手前には外房線の線路も。
京成千葉駅に到着。
JR線に乗り換えるため、ここで下車します。
京成線の改札を出て…。
横断歩道を渡って反対側にあるJR線の改札へ。
土産を購入した後は快速線で一気に都心方面へ向かうとします。
東京を経由して(神奈川県の)武蔵小杉まで乗車。
千葉からの所要時間は約1時間だったので、さすがに早いです。
ここからはおまけの記事ですが、その武蔵小杉駅の変化について。
まずは上の写真ですが、新たに下り(南行)のホームができました。
現在いるのが南行ホームで、奥に見えるのが既存ホーム。
既存ホームは片側(写真では手前方向)が柵に囲われて上り(北行)専用ホームとなりました。
横須賀線の武蔵小杉駅は近年のタワマン建設ラッシュなどの影響で利用者が劇的に増えたために混雑解消の目的で新たなホーム設置に至ったようです。
横須賀線武蔵小杉駅のもう1つの変化がこちら。
既存の北改札(南武線口)と新南改札(横須賀線口)の他に、新たに綱島街道改札ができました。
こちらが綱島街道改札。
北改札(南武線口)へ向かう通路の途中にあります。
綱島街道改札を反対(入口)側から見たところ。
この改札は東急線の乗り換えがしやすいようにショートカットの歩道を設けたということなので、実際に試してみます。
まずは改札を出た後新幹線高架の下を通り…。
綱島街道の下に出ます。
綱島街道歩道につながる連絡階段も設けられました。
その後も新たに整備された歩道を通り…。
東急線の武蔵小杉駅前の広場に出ました。
そのまま武蔵小杉駅の改札へ。
JR綱島街道改札からの所要時間は約6分でした。
周辺地図を見る限りでも最短距離でJRから東急線(の改札)に移動できるようになったことが分かります。
途中に信号やアップダウンもないので、かなり便利になった感がありました。
おまけが付きましたが、これで今回の行程終了です。
今回は近場ということもあり、帰宅時刻も早くて済みました。
]]>
-
謹賀新年2024
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2024-01-01
あっという間に2024年になってしまいました。世間的にはコロナの5類移行により都心・各観光地(自分が行ったのは夏休みの日光や11月の大山など)で観光客(特に海外からの訪問者)が目に見えて増えたといったところでしょうか?コロナといえば自分は未だ感染したことがないですが、10月下旬にインフルに感染して2~3日熱でうなされる羽目に。以前のかかりつけ医だった内科が閉まってしまいましたので、代わりの内科を探すのに多少難儀しましたが…。(熱が出た当初はコロナかと危惧しましたが、検査の結果コロナではなくインフルだった)それはともかく…今年(2024年 辰年)の年賀状。去年は喪中だったので年賀状の作成は2年ぶりになります。中央の龍のイラストは以前自分で作成したものからの流用。謹賀新年・辰の文字や背景の模様は年賀状ソフトの素材集から拝借の上加工しました。(つまり龍のイラスト以外は例年通りということで)相変わらず成り行きに任せて纏めた感がありますが…。例年と同じく近所の高台から見た富士山。去年・一昨年と3年連続で雲一つない快晴で真っ白な富士山を拝むことができました。前日(大晦日)に雨が降ったので今年はどうかと思いましたが心配は無用でした。そんな感じで、今年もよろしくお願いします。
その他
ao2
2024-01-01T16:26:42+09:00
世間的にはコロナの5類移行により都心・各観光地(自分が行ったのは夏休みの日光や11月の大山など)で観光客(特に海外からの訪問者)が目に見えて増えたといったところでしょうか?
コロナといえば自分は未だ感染したことがないですが、10月下旬にインフルに感染して2~3日熱でうなされる羽目に。
以前のかかりつけ医だった内科が閉まってしまいましたので、代わりの内科を探すのに多少難儀しましたが…。
(熱が出た当初はコロナかと危惧しましたが、検査の結果コロナではなくインフルだった)
それはともかく…
今年(2024年 辰年)の年賀状。
去年は喪中だったので年賀状の作成は2年ぶりになります。
中央の龍のイラストは以前自分で作成したものからの流用。
謹賀新年・辰の文字や背景の模様は年賀状ソフトの素材集から拝借の上加工しました。
(つまり龍のイラスト以外は例年通りということで)
相変わらず成り行きに任せて纏めた感がありますが…。
例年と同じく近所の高台から見た富士山。
去年・一昨年と3年連続で雲一つない快晴で真っ白な富士山を拝むことができました。
前日(大晦日)に雨が降ったので今年はどうかと思いましたが心配は無用でした。
そんな感じで、今年もよろしくお願いします。
]]>
-
秋の大山登山2023
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-11-05
前回(夏休みの乗り鉄旅行)から大分経ってしまいましたが、年1回の大山登山(大山詣り)に。今年は例年通りの11月3日(文化の日)に行ってきました。今回は蓑毛(秦野市側)から登山です。折しも天気は快晴でした。去年までは横浜まで出て相鉄線乗り換えで海老名まで行くという経路でしたが、今年3月の東急・相鉄直通線(新横浜線)の開通により最寄り駅(日吉)から直接海老名まで行けるようになりました。折しも海老名行きの電車が到着したので、これで一気に海老名まで。(この後少々鉄道ネタが続きます…)日吉を出発後すぐにトンネルに入るところ。※これだけ以前撮影した写真なので、イメージということで…途中新横浜を経由して…。いきなり相鉄線にワープ!?した感じ。(西谷からしばらくの間かぶりつきポジションを占有されていたため、大和~相模大塚間にて撮影)終点海老名の手前の厚木連絡線の分岐点付近(旧相模国分駅付近)にて撮影。線路越しに大山が見えます。終点の海老名に到着。乗車した電車は折り返しの快速横浜行きになる模様。東急車でも相鉄線内のみの運用になることもままあるようです。海老名駅でさりげなく運賃表をチェックしたところ、どうやら新横浜経由の方が割高になる模様。海老名~新横浜間が400円、海老名~横浜間が330円なので70円高くなります。ちなみに東急線で日吉~新横浜間が250円、日吉~横浜間が230円なので20円の差。合わせると90円割高になるという計算ですね。ただ所要時間的には新横浜経由の方が明らかに短くなるので、今回は時間を優先した格好です。(但し途中の待ち時間が発生すると微妙な差になるかもしれない…)海老名から先は例年通り小田急線に乗車ですが、今回は秦野まで乗車するので例年の下車駅となる伊勢原は通過します。ご覧の通り快晴なので、車窓から大山もばっちり見えました。(伊勢原~鶴巻温泉間にて撮影)東海大学前~秦野間にあるトンネルに入るところ。ということで秦野駅で下車(鉄道ネタはここまで)。秦野駅前のバス停にはヤビツ峠行きのバス待ちの行列ができていました。自分は途中の蓑毛で下車しますが、結局増便分のバスに乗車することに。秦野駅から約30分くらいで蓑毛バス停に到着。当日は折しもバス停付近にある大日堂(蓑毛大日堂)の特別公開日でした。通常は堂内の拝観ができませんが、特別公開ということで堂内の仏像を見ることができました。(大日如来坐像や十王坐像など)境内にある神..
アウトドア(釣り・登山・スキー等)
ao2
2023-11-05T15:51:35+09:00
今年は例年通りの11月3日(文化の日)に行ってきました。
今回は蓑毛(秦野市側)から登山です。
折しも天気は快晴でした。
去年までは横浜まで出て相鉄線乗り換えで海老名まで行くという経路でしたが、今年3月の東急・相鉄直通線(新横浜線)の開通により最寄り駅(日吉)から直接海老名まで行けるようになりました。
折しも海老名行きの電車が到着したので、これで一気に海老名まで。
(この後少々鉄道ネタが続きます…)
日吉を出発後すぐにトンネルに入るところ。
※これだけ以前撮影した写真なので、イメージということで…
途中新横浜を経由して…。
いきなり相鉄線にワープ!?した感じ。
(西谷からしばらくの間かぶりつきポジションを占有されていたため、大和~相模大塚間にて撮影)
終点海老名の手前の厚木連絡線の分岐点付近(旧相模国分駅付近)にて撮影。
線路越しに大山が見えます。
終点の海老名に到着。
乗車した電車は折り返しの快速横浜行きになる模様。
東急車でも相鉄線内のみの運用になることもままあるようです。
海老名駅でさりげなく運賃表をチェックしたところ、どうやら新横浜経由の方が割高になる模様。
海老名~新横浜間が400円、海老名~横浜間が330円なので70円高くなります。
ちなみに東急線で日吉~新横浜間が250円、日吉~横浜間が230円なので20円の差。
合わせると90円割高になるという計算ですね。
ただ所要時間的には新横浜経由の方が明らかに短くなるので、今回は時間を優先した格好です。
(但し途中の待ち時間が発生すると微妙な差になるかもしれない…)
海老名から先は例年通り小田急線に乗車ですが、今回は秦野まで乗車するので例年の下車駅となる伊勢原は通過します。
ご覧の通り快晴なので、車窓から大山もばっちり見えました。
(伊勢原~鶴巻温泉間にて撮影)
東海大学前~秦野間にあるトンネルに入るところ。
ということで秦野駅で下車(鉄道ネタはここまで)。
秦野駅前のバス停にはヤビツ峠行きのバス待ちの行列ができていました。
自分は途中の蓑毛で下車しますが、結局増便分のバスに乗車することに。
秦野駅から約30分くらいで蓑毛バス停に到着。
当日は折しもバス停付近にある大日堂(蓑毛大日堂)の特別公開日でした。
通常は堂内の拝観ができませんが、特別公開ということで堂内の仏像を見ることができました。
(大日如来坐像や十王坐像など)
境内にある神社(御嶽神社)にもお参り。
一通り拝観を済ませた後、改めて大山山頂を目指すことに。
ここ(ルート案内を一部拡大)から大山山頂までのルートですが、上の写真のバス停付近にあったルート案内に近いです。
ルート案内を一部拡大。
蓑毛バス停からスタートして蓑毛越へ。
その先は阿夫利神社下社を経由して16丁目に辿り着くルートになっていますが、今回は蓑毛越から直接16丁目に行く感じのルートで(蓑毛越からうっすらと大山山頂へ向かう矢印の道)。
16丁目から山頂までは図のルート通りです。
山頂からの下山ルートは図では来た道(本坂)を下って阿夫利神社下社に戻る道順になっていますが、今回は見晴台経由で下社に辿り着く道順です(自分的には例年通りのルート)。
全体的な行程としてはこんな感じ。
(撮影した地図に矢印を書き加えたもの)
下社から先は女坂で大山寺を経由して最終的に大山ケーブルバス停に辿り着くという行程です。
行程の説明が長くなりましたが、少し歩いて最初の分岐点に到達。
向かって左手がヤビツ峠方面、右手が蓑毛越・阿夫利神社下社方面です。
前回は左手のヤビツ峠方面に進みましたが、今回は右手の蓑毛越方面に進みます。
ここからは本格的な山道に。
このルートは大山山頂への裏参道となっていたためか、一部は石畳になっている(残っている)部分があります。
途中何か所かで林道をまたぎます。
この辺りは土がえぐれた間を通る感じ。
途中には関東ふれあいの道の碑も。
山頂方面へショートカットできる道との分岐点に到達。
上の写真の左手がショートカットの道ですが、今回は右手の蓑毛越方面に進みます。
石垣がある場所を進み…
蓑毛越に到着。
蓑毛バス停から結構歩いたので、ここで小休止します。
蓑毛越は蓑毛バス停方面・阿夫利神社下社方面・高取山方面・大山山頂方面の4箇所へ向かう十字状の分岐点になっています。
蓑毛越(休憩地)の全景。
上の写真で手前が山頂方面・左手が下社方面・右手が蓑毛バス停方面・奥が高取山方面という感じです。
一休みした後は山頂方面へ登山再開。
少し上った先にある、先程のショートカット道との合流地点。
今回は蓑毛越で小休止したかったのでこのルートは避けましたが、所要時間を短縮したい場合はこちらの方が良いのかもしれません。
道の脇にあるお地蔵さん(の地点)を通過。
しばらくの間上り坂が続きますが、このように木の橋(?)が設けられている箇所は確かに歩きやすいです。
この後少しの間平坦な道のりになります。
途中にある女人禁制の碑。
案内板の解説によると、江戸時代にはこれより山上への女性の登山は禁止されていたとのこと。
(もちろん現在では男女問わず登山できます)
少し下って…。
西の峠分岐点に到着。
休憩地でもあるので、再度小休止します。
西の峠の案内板。
この地点は大山山頂方面と阿夫利神社下社方面との分岐点で、一つ前の写真でそのまま直進(奥へ進む)と大山山頂方面へ、右手に進むと阿夫利神社下社方面(かごや道)に進みます。
付近には昔の道標があり、二十丁目(?)の記載があり。
どこから二十丁目なのかは不明ですが…(もしかしたら蓑毛バス停あたりからなのか)。
小休止後、再度山頂を目指して出発。
次の目的地は本道と合流する16丁目。
この辺りは土がえぐれている間が登山道となっている感じで、2枚目の写真左側のように木の根が浮き出ている状態になっている箇所もあります。
こちらの木(写真の右側)は根の下の土が完全に無くなっている状態。
そんな感じで"間もなく16丁目に到着。
16丁目は本道との合流地点ということもあってか、登山客が一気に増えた感じです。
16丁目の広場からちょっと脇にそれたところ、ばっちり富士山が見えました。
小休止後再度山頂に向けて出発。
この辺りも土がえぐれた谷間が登山道になっています。
途中急な坂もあり。
ちなみに紅葉は色づき始めといった感じか。
20丁目、富士見台に到着。
ここからの富士山の眺めは絶景とのことですが…。
確かにこれは絶景!
これほど雲一つない状態は久しぶりですね。
この先も急な坂が続きますが、足場の悪い場所ではご覧の通り渋滞状態に…。
石階段ではないものの、更に急な坂が続きます。
途中のビューポイントで撮影。
ちょうど真ん中に見えるのは秦野市街か。
この後ちょっとだけ平坦な道になります。
24丁目の石碑の後ろに石が積まれていました。
25丁目、ヤビツ分岐に到着。
ここまで来れば山頂まであと僅か。
両脇にシカ防止用の柵がある地点。
足元のグレーチングもシカ防止対策のものです。
鳥居が見えたのであと少し。
山頂の手前、27丁目。
ほぼ山頂からの富士山の眺め。
間もなく山頂。
「阿夫利神社本社」の石碑も見えます。
山頂に到着…というか登山客でいっぱい。
恒例の下界の眺め。
その1は平塚方面。
下界の眺めその2、厚木・伊勢原方面。
ちょうど写真中央に見えるのが東名・新東名の伊勢原ジャンクション。
下界の眺めその3、海老名方面。
写真では見えませんが、遥か彼方にみなとみらい地区が見えました。
山頂からの富士山の眺め。
やはりこれがベストアングルか。
山の下部がうっすらと雲に覆われている様子がまた味わい深いです。
富士山の右側、幾層の尾根が連なっていますが一番奥が丹沢山方面?
中央に宮ケ瀬湖が見える地点。
更に奥は高尾山方面になるのか?
昨年高尾山から大山は見えましたが、その逆では確認できそうにないです…。
山頂での昼食&一通り周った後は下山ルートへ。
例年通り見晴台を経由して下社に辿り着くというルートです。
出だしはまだ眼下に下界が見える感じ。
その後少しの間平坦な道になります。
少しいい感じで紅葉しています。
この辺りは「大山の肩」と呼ばれる地点。
不動尻分岐に到着。
分岐地点の左手に進むと不動尻・七沢方面に向かいますが、距離が長く難易度が高いルートになるため今回も右手の見晴台方面へと進みます。
不動尻分岐付近にあるビューポイントから見たところですが、ここは年々斜面が削れていく感じです。
ここから先、見晴台まで下り坂が続きます。
途中秦野方面が見渡せるビューポイントがあり。
写真の中央に見えるのは高取山でしょうか?
この先渋滞が発生している模様。
先に滑落事故多発地点があり、通過に時間がかかっている様子でした。
下に下社方面の道が見えてきたので、見晴台まではあと少し。
少し上り坂になり…。
見晴台に到着。
休憩地点まで進み、振り返って山頂方面を見たところ。
ベンチに座って休憩中…。
ススキが綺麗です。
昨年は直進して日向薬師方面に進みましたが、今回は折り返しで下社方面へ。
(昨年と逆方向)
下社までは基本的に平坦な道のりですが、終始斜面に沿って進む感じです。
斜面ということでがけ崩れが頻発して通行止めになることが多かったこのルートですが、このようにがけ崩れが起きた場所に橋が架けられてからは比較的通行止めになることは少なくなりました。
途中にあるご神木?
この後少し下り坂になり…
二重社に到着。
二重社の隣にある二重滝。
この先の階段を登って…
おつかれさまでした。
(この看板は今まで気づかなかった…)
ということで下社の茶屋前に到着。
紅葉は色づき始めといったところ。
茶屋の入口にある、すっかり名物となった感があるルーメソ。
そして今回も山菜ラーメン(ルーメソ)を…。
以前は山菜そばを食べることが多かったですが、最近は山菜ラーメンが定番になりましたね。
茶屋前広場の下にいる鹿さんですが、今回はお尻だけ見えている状態でした。
階段を登って…。
下社にお参り。
下社展望台からの眺め。
遠くがかすんで見えませんが、多分奥が江の島方面かと。
下りのケーブルカーも混雑している様子だったので、下社から下までも徒歩で。
さすがに男坂で一気に下るのはきつい(しかも日没にさしかかっている)ので、女坂で下るとします。
途中ケーブルカーを見送って…
大山寺に立ち寄り。
今回はお参りのみに留めました。
大山寺前の階段。
こちらはまだ紅葉前の状態でした。
引き続き坂を下り…
大山ケーブル駅前に到着。
この後こま参道(みやげ街)でお土産を購入して…
こま参道の入口に到着して今回の行程終了。
さすがに全行程徒歩だったので、足が限界でした。
しかし天候には恵まれたので、これは良かったのかと。
]]>
-
夏休みの乗り鉄or旅行2023~日光詣
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-08-19
毎年恒例の夏休みの乗り鉄旅行ですが、今年はベタな観光地である日光へ。ただ一口に日光といっても観光する場所は多岐に渡るので、今回は観光する範囲を東照宮周辺に留めました。交通手段は往路は特急、帰路はJRと東武の普通列車を交互に乗り継ぎ、寄り道しつつ都心方向に戻るといいた感じです。(尚今回記事のカテゴリについては乗り鉄というよりは観光が主体な感じなので、久しぶりに「旅行」のカテゴリとしました)ということで出発は東武スカイツリーラインの浅草駅から。浅草駅出発は3回目ですが、今回は駅到着時に特急列車の発車時刻が差し迫っていたので駅舎の撮影は無し。乗車するのは特急「スペーシアけごん」の東武日光行き。発車5分前くらいだったので、ほぼ飛び乗り状態でした。尚東武では次世代特急列車の「スペーシアX」がデビューしましたが、今回は敢えて従来のスペーシア(100系)に乗車です。(そもそもスペーシア自体乗ったことが無かったので…)指定の車両が前から2両目の「2号車」だったのでホームの先端方向へ。以前にも記事に取り上げたことがありますが浅草駅の場合ホーム先端がカーブになっているので、ご覧の通り車両とホームとのすき間が結構空いている感じになります。以前このすき間を埋めるステップが設けられていたのを見たことがありますが、今回は無かったので落ちないよう気を付けて乗車するとします…。列車のきっぷ(特急券)ですが前日予約だけしたものの予約用のQRコードが使えなかった(発車15分前までだった)ので、結局普通に券売機できっぷを買うことに。7:50発のけごん7号浅草~東武日光間で、特急料金併せて計3.050円也。同様の距離でJRと比較すれば安い金額ではないかと。尤も上位の「スペーシアX」だと特急料金はこれより高くなるはずです。そんな感じで浅草駅を出発。出発食後、まるで鉄道模型のような急カーブを通り隅田川を渡ります。次の「とうきょうスカイツリー」も特急停車駅ですが、同駅は上り線のみ高架化が完了した模様。次の停車駅は北千住ですが、同駅は特急専用ホームに停車します。(次駅の行先が「とうぶどうぶつこうえん」または「かすかべ」になっている)北千住を発車後すぐに荒川を渡ります。北千住から先はしばらく複々線区間ということもあり、自社(東武)の通勤型車両の他に東急・東京メトロといった様々な車両と行き交います。かすかべ=春日部に停車。以前乗車した「りょうもう」は北千住の後は先..
旅行
ao2
2023-08-19T09:12:48+09:00
ただ一口に日光といっても観光する場所は多岐に渡るので、今回は観光する範囲を東照宮周辺に留めました。
交通手段は往路は特急、帰路はJRと東武の普通列車を交互に乗り継ぎ、寄り道しつつ都心方向に戻るといいた感じです。
(尚今回記事のカテゴリについては乗り鉄というよりは観光が主体な感じなので、久しぶりに「旅行」のカテゴリとしました)
ということで出発は東武スカイツリーラインの浅草駅から。
浅草駅出発は3回目ですが、今回は駅到着時に特急列車の発車時刻が差し迫っていたので駅舎の撮影は無し。
乗車するのは特急「スペーシアけごん」の東武日光行き。
発車5分前くらいだったので、ほぼ飛び乗り状態でした。
尚東武では次世代特急列車の「スペーシアX」がデビューしましたが、今回は敢えて従来のスペーシア(100系)に乗車です。
(そもそもスペーシア自体乗ったことが無かったので…)
指定の車両が前から2両目の「2号車」だったのでホームの先端方向へ。
以前にも記事に取り上げたことがありますが浅草駅の場合ホーム先端がカーブになっているので、ご覧の通り車両とホームとのすき間が結構空いている感じになります。
以前このすき間を埋めるステップが設けられていたのを見たことがありますが、今回は無かったので落ちないよう気を付けて乗車するとします…。
列車のきっぷ(特急券)ですが前日予約だけしたものの予約用のQRコードが使えなかった(発車15分前までだった)ので、結局普通に券売機できっぷを買うことに。
7:50発のけごん7号浅草~東武日光間で、特急料金併せて計3.050円也。
同様の距離でJRと比較すれば安い金額ではないかと。
尤も上位の「スペーシアX」だと特急料金はこれより高くなるはずです。
そんな感じで浅草駅を出発。
出発食後、まるで鉄道模型のような急カーブを通り隅田川を渡ります。
次の「とうきょうスカイツリー」も特急停車駅ですが、同駅は上り線のみ高架化が完了した模様。
次の停車駅は北千住ですが、同駅は特急専用ホームに停車します。
(次駅の行先が「とうぶどうぶつこうえん」または「かすかべ」になっている)
北千住を発車後すぐに荒川を渡ります。
北千住から先はしばらく複々線区間ということもあり、自社(東武)の通勤型車両の他に東急・東京メトロといった様々な車両と行き交います。
かすかべ=春日部に停車。
以前乗車した「りょうもう」は北千住の後は先の東武動物公園に停車して春日部は通過しますが、日光行きの「けごん」は春日部停車です。
乗車中の「けごん」は代わりに東武動物公園は通過し、そのまま日光線へ。
途中でJR線との接続駅となる栗橋駅を通過するところ。
その先にあるJRと東武との接続線。
JR新宿駅発着の「特急日光・きぬがわ」はここ栗橋でJR線から東武線に入るため、この接続線を通ります。
大きなカーブを通り利根川を渡るところ。
右奥に利根川の鉄橋と、左中ほどに対向列車が見えます。
利根川を渡る途中。
川は前日の雨で水かさが増している感じでした。
利根川を渡った後は渡良瀬川(正確には渡良瀬川遊水池?)に沿って走行。
そしてその渡良瀬川を渡るところ。
浅草を出発してしばらくの間は晴れ間が見えていましたが、目的地に近づくと天候が怪しくなってきました。
春日部の次の停車駅は栃木。
一気に埼玉県から栃木県に入り、通過駅もこの区間が一番多かったかも。
栃木の次駅、宇都宮線との接続駅となる新栃木駅にある車両基地の横を通過。
渡良瀬川・利根川の支流となる思川を渡るところ。
栃木の次の停車駅となる新鹿沼に到着。
新鹿沼から先は山が近くなってきた感じ。
車窓もいわゆる「山あい区間」に。
下今市の手前、線路の隣の車庫に見えたのはSL大樹代役のディーゼル機関車でしょうか?
写真右手に見える車庫の建物には「東武鉄道 下今市機関区」の表記があるので、ここがSL大樹の本拠地の模様。
奥にはターンテーブルも見えます。
駅に到着する間際、そのターンテーブルを正面から見たところ。
下今市に到着。
駅名標もレトロなデザイン、というか昔のものを再現しています。
もうすぐ終点の東武日光ですが、やはり雲行きが怪しい…。
ということで終点の東武日光駅に到着。
浅草を7:50に出発して東武日光到着が9:40頃。
2時間弱(1時間50分位)の乗車時間でしたが、特急といえど長い。
さすが電車でDのバトル路線で最長距離だけのことはあります。
今回乗車した100系「スペーシア」の雄姿。
ふと気が付きましたが、スペーシア登場時のオリジナルカラーだったのですね。
※注:確認したところリバイバルカラーということらしい
こうして見ると東武のフラッグシップトレインたる風格を感じます。
車内にあった車両番号プレートですが、国鉄車両っぽい書体が何とも。
その横には1991年(平成3年)にブルーリボン賞を受賞した旨のプレートも。
ちなみに100系が登場したのが前年の1990年ですが、国内の有料特急用車両(新幹線・JR車を含む)で初めてVVVFインバータ制御を採用したのがこの100系だそう。
今となっては少数派のGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御車で、発車時に特有のノイズ音を堪能できました。
車体の側面には「クレヨンしんちゃんも30周年」のステッカーも。
今年が2023年なので30年前だと1993年(もしくは1994年)なので原作(漫画)ではなくアニメの放映が始まった年ということではないかと。
駅構内には後継車両となる「スペーシアX」デビューの案内も。
特急用ホーム(4番線)側から見た駅構内。
駅ホームが全体で三角形(もしくはYの字状)の形をしていて、中央に中庭があるという配置。
かなり広い感じを受けます。
改札側から見た駅構内。
中庭を挟んで普通列車用と特急列車用ホームとで分かれている構造。
向かって右側が普通列車用ホーム(1・2番線)、左側が特急列車用ホーム(4~6番線)となっています(3番線は欠番)。
こちらは普通列車用ホーム。
少し前に南栗橋行きの列車が発車したので、撮影時はがら空きの状態でした。
改札前の階段には「ようこそ徳川家康公ゆかりの地 日光へ」と書かれた横断幕も。
横断幕の左端には現在放送中のNHK大河ドラマ「どうする家康」のタイトルロゴも見受けられました。
改札を出て駅舎の2階へ向かう階段の途中にある案内板を見ると「祈禱室」なる部屋がある模様。
こちらが祈禱室。男女分かれて部屋が設けられています。
来た時は封鎖されている状態でしたが、恐らくは海外からの旅行客向けの施設なのかもしれません。
(逆に海外の駅だと一般的にあるものなのでしょうか?)
駅の外に出ると、大きな三角屋根が特徴的な東武日光駅の駅舎が。
(洋風の)山小屋をイメージしたデザインといったところでしょうか?
駅前広場にはかつて運行されていた日光軌道線の車両が展示されていました。
車両の足元には日光軌道線についての案内パネルが。
日光軌道線は国鉄(現JR)日光駅と馬返(いろは坂の入口付近)までを結んでいた路面電車規格の鉄道路線で、元来は貨物輸送用として開通したものの途中から旅客輸送も担うようになりました。
更に馬返から明知平までをケーブルカーで、明知平から展望台までロープウェイで結ばれ、かつてはここから明知平まで「鉄道」で移動できたということですね。
その日光軌道線ですがいろは坂(第一・第二いろは坂)の開通の影響で旅客数や貨物数が激減して1968(昭和43)年に廃止されてしまいました。
馬返からのケーブルカーも廃止されているので現在では末端のロープウェイのみ現存することになり、現在の公共交通機関での移動はバスのみとなっています。
尤も1968年というとかなり前(半世紀以上前)の話になりますが…。
冒頭がかなり長くなりましたが、この後はいよいよ東照宮方面へ。
駅前には日光の観光地が一通り掲載されている観光マップが。
日光の観光地は大きく分けて日光山内(東照宮周辺)・中禅寺湖(華厳の滝・男体山等)・奥日光(戦場ヶ原・湯ノ湖方面)と分かれていますが、今回はさすがに中禅寺湖の方には行けないので日光山内の散策になります。
駅前広場にはもう一つ日光中心部の案内マップも。
案内マップを拡大。
バスを利用することも可能でしたが、神橋まで徒歩で向かうことに。
(写真の右下が現在地の東武日光駅前で、ちょうど中央あたりが神橋)
ということで駅前の道を真っすぐに向かいます。
道路の案内板を見ると「日光道」と記載がありますが、これは「日光宇都宮道路」のことでしょうか?
神橋の手前ですが、いよいよ雨が降ってきました。
神橋(しんきょう)の入口に到着。
少し離れた場所から撮影した神橋の全景。
川の辺りに少し霧がかかっています。
神橋を渡ることはできますが別途拝観料がかかります。
※拝観料:300円
御朱印を頂いた後渡ることにしました。
神橋は日光二荒山神社に属する建造物に当たります。
案内板の説明によると、現在の神橋は明治37年(1904年)に再建されたものとのこと。
※重要文化財に指定
橋を渡るところ。
このはし(端)渡るべからず、ということではないかもしれませんが、両端の欄干に触る箇所には入れないように柵が設けられていました。
橋上から川(大谷川)の上流方面を見たところ。
川面がしぶきも相まって霧がかっている様子が確認できます。
橋を渡り抜けることはできないようになっているので、ここで折り返します。
橋のすぐ横にはライトアップ用の照明を置く台になっている建造物がありますが、これは日光軌道線の橋脚と思われる跡かと。
反対側にも橋脚跡が残っています。
(神橋に対して斜め45度に設けられている感じ)
橋のふもとにも日光軌道線に関する写真が展示されていました。
掲載写真を一部拡大して撮影。
神橋のすぐ横を路面電車が通り過ぎていく様子が映っています。
神橋を後にしていよいよ東照宮方面へ。
「日光の社寺」ということで世界遺産に登録されています。
そういえば前回(年初め)も富士山だったので、世界遺産続きですね…(今更気づきましたが)
世界遺産「日光の社寺」の区域案内図。
輪王寺・東照宮・二荒山神社の二社一寺がメインの観光対象となります。
そういえば(2)東照宮行きのバスの行先が「世界遺産」と表示されていました。
手始めに、先程の入口付近にある「本宮神社」へ。
本宮神社(ほんぐう神社)は二荒山神社(御本社)に先駆けてできた神社で、二荒山神社発発祥の地と言われています。
本宮神社と輪王寺の間にある御旅所(おたびしょ)。
一見神社のように見受けられますが…
手前にある御旅所の案内板。
「Mikoshi or portable shrines' resting place」という英訳があったので、建物の用途としては御神輿用の休憩所ということでしょうか?
※門が閉じられていたので内部の拝観は不可
御旅所から少し歩くと輪王寺の入口(駐車場)に到着。
中央に見える像は日光を開山した勝道上人(しょうどうしょうにん)。
輪王寺を拝観する前に少し戻って四本龍寺(しほんりゅうじ)へ。
本堂である観音堂と三重塔が現存しています。
境内から振り返ると本宮神社の裏手が。
実は本宮神社のすぐ隣でした…。
改めて輪王寺へ。
輪王寺=りんのうじ、と読みます。
本堂(三仏堂)を拝観する前に、宝物殿と庭園へ。
※拝観料:1.000円(三仏堂・大猷院・宝物館とのセット料金)
宝物殿の展示を見た後に庭園へ。
池の周囲をぐるっと回る「回遊式庭園」の構造。
庭園の名前は「逍遙園(しょうようえん)」といい、江戸時代の作庭家である小堀遠州の作と伝わっています。
池に沿って進みますが、周囲の木々の緑が美しいです。
庭園の奥側から入口の宝物殿方面を見たところ。
足元には「なまず石」なるものが。
案内板の説明によると、庭園の池は琵琶湖を模しており、琵琶湖ではなまずが有名であるものの生きたなまずを琵琶湖から運ぶのは困難なことから石として作られたと伝えられてきたとのことです。
尚なまずは地震を予知すると言われることから災難除のご利益もあるとのこと。
更に池の周囲を歩いて入口方面に戻る方向へ。
池の横には石塔も。
庭園を一通り周った後は本堂となる三仏堂へ。
三仏堂は日光山の総本堂で、堂の大きさは幅33m・奥行25m・高さ26mと東日本で最大の木造建築とのこと。
堂の内部には千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音の三仏がご本尊として祀られています。
三仏堂の裏手にある護摩堂と相輪橖。
相輪橖(そうりんとう)は高さ16mの仏塔で、元々は東照宮内にあったものが後に二荒山神社へ、更に明治時代に神仏分離によって現在の輪王寺境内に移されたとのこと。
独特な形状をしており、自分が小学生の時に修学旅行で日光に来た際もこの塔のことは記憶に残っていました。
相輪橖を別の角度から撮影(奥は三仏堂)。
塔の手前にある灯篭も豪華な装飾です。
輪王寺境内を一通り周った後は東照宮方面へ。
東照宮へ続く表参道に出ました。
東照宮の入口に到着しましたが、ここから左に曲がり二荒山神社方面に向かいます。
二荒山神社への参道も真っすぐな道。
高くそびえる杉並木もさることながら、その下の苔に覆われている石垣も味わい深いです。
二荒山神社の入口に到着。
「下野國一之宮」の記載もあるので、一宮巡りも兼ねることに。
(ちなみに前回は上総一ノ宮の玉前神社)
ただここでも二荒山神社は後程拝観することにして、更に奥の大猷院に向かいます。
神社入口の横にあった自販機ですが、黒地に徳川家の家紋もあり、「徳川仕様」になっていました(!?)
※コカコーラの自販機の模様
神社入口の少し奥が大猷院(たいゆういん)の入口。
右側の石柱には「日光廟大猷院」とありますが、ここは三代将軍徳川家光公の廟所(墓所)になります。
※輪王寺の共通券で拝観可能(単独の拝観券:550円)
大猷院入口の仁王門。
名前の通り門の左右に仁王像が安置されています。
仁王門を抜けた先にある、樹齢約400年と言われる高野槙(こうやまき)の大木。
こちらも何とも、木に苔が垂れ下がっているのが面白いです。
この先は立ち入り禁止のエリア。
本殿への階段の途中にある二天門。
二天門の案内板。
名前の由来は門の左右に(四天王のうちの)持国天・増長天を安置している事から。
裏側の左右には雷神・風神が安置されています。
二天門から本殿への階段の途中には展望所があり、そこから石灯籠が並んでいるのが見られます。
これらの石灯籠は当時の大名からの献上品とのことです。
本殿の入口にある夜叉門。
名前の由来は四体の夜叉像が安置されていることから。
夜叉門の手前左右にある鐘楼(上)と鼓楼(下)。
それぞれ釣鐘の太鼓が保管されています。
夜叉門を抜けると大猷院の拝殿と本殿が。
建物の内部は拝観可能(拝殿の途中まで)
拝殿・本殿を別の角度から。
ちょうどこの頃から雨が少し強く降ってきました。
奥の院(家光公のお墓所)に続く皇嘉門(こうかもん)。
門の形から別名【竜宮門】と呼ばれています。
※ここから先は拝観不可
一番奥まで来たので、来た道を引き返します。
そして改めて二荒山神社へ。
二荒山神社の拝殿でお参り。
拝殿の横に霊泉などがある「神苑」の入口がありますが、神苑内は別途拝観料がかかります。
※拝観料:300円
神苑内から見た二荒山神社の本殿。
神苑内にもいくつかの建造物があり、写真の右側が朋友神社、左側にちらっと見えるのが大黒殿。
鳥居の奥が神秘の湧水がある「二荒霊泉」。
隣にある茶屋(東屋)では霊泉を使用した抹茶などがいただけます。
霊泉の奥にある日光連山遙拝所。
霊泉や日光連山遙拝所の上を通れる歩道があり、各所に七福神の像が設けられています。
上の写真は弁財天。
歩道側から見た本殿と拝殿。
神苑の入口(出口)の裏手にはひっそりと巫女風のキャラクターが。
名前は「八乙女さん」とのことですが、萌えキャラとしてはちょっとインパクトが薄いか?
一通り周ったところで"二荒山神社を後にして…。
いよいよメインの東照宮へ。
入口に着いたものの、券売機前に行列ができていました…。
拝観券を購入するのに20分位かかりましたが、購入後は行列が更に長くなっていました。
※拝観料:1.300円(東照宮単独)・2.100円(東照宮+宝物館のセット)
東照宮入口の表門。
(裏からの撮影のため、写真の奥が入口側)
表門を抜けてすぐに見えるのが上神庫・中神庫・下神庫の「三神庫」。
上(1枚目)の写真が三神庫のうちの上神庫と中神庫。
上神庫の屋根下には2頭の象の彫刻が。
狩野探幽の下絵を元に造られたものですが、実際の象と姿が異なることから「想像の象」と呼ばれています。
三神庫を別の角度から撮影。
(一番手前が想像の象がある上神庫)
下神庫は修理工事中のため、建物全体が仮囲いで覆われていました。
三神庫の反対側にある神厩(しんきゅう)舎。
ご神馬をつなぐ厩(うまや)にあたる建物。
神厩舎の屋根下には猿の彫刻がありますが、中でも有名なのが真ん中にある「見ざる聞かざる言わざる」の三猿。
それぞれが目・耳・口を押えていて、子供を悪事から遠ざけることを教えることを表現しています。
三猿以外にも猿の彫刻があり、全体で猿の一生を通じて人間の生涯を風刺したものと言われています。
三神庫・神厩舎の後は陽明門方面へ。
陽明門の手前には水屋もありますが、さすが東照宮だけあって水屋も豪華仕様です。
陽明門の前に到着。
前の神厩舎もそうでしたが、さすがに有名どころということもあって観光客が多いです。
陽明門の案内板(もちろん国宝)。
いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」の別名もあります。
屋根下の彫刻も豪華。
中央の額には「東照大権現」の文字が。
門の横には巨大な燈篭も…。
陽明門の手前左右にある鐘楼(1枚目)と鼓楼(2枚目)。
先に拝観した大猷院にもメインの門(夜叉門)の下に鐘楼と鼓楼がありましたが、大猷院が東照宮を模した構造としたと言えるのかも。
陽明門に戻りますが、門の中にもいくつかの彫像があります。
実はこちらの柱だけは…。
柱に装飾されている渦巻文様が下向きになっていることから「逆柱」と呼ばれています。
完璧な状態ではすぐに魔が差すことから意図的に向きを逆にして未完の状態を示し、崩壊を防ぐために施されたとのことです。
陽明門の奥にある唐門。
その奥には東照宮の御本社(本殿・石の間・拝殿)があります。
(唐門・御本社共に国宝)
唐門の装飾も豪華です。
唐門の手前にある神楽殿。
御本社(拝殿)でお参りした後は家康公の御墓所がある奥社へ。
奥社へ続く参道の入口にある坂下門の屋根下には、先程の三猿と同様に有名な「眠猫」の彫刻が。
眠猫をアップで撮影。
そういえば三猿と眠猫の置物(貯金箱を兼ねていた)は子供の頃の日光みやげの定番だったような…。
奥社へ続く参道。
この先は長い階段になります。
奥社参道の案内板によると、回廊(坂下門)から奥社に至るまでの階段は207段あるとのこと。
奥社までの長い階段。
さすがに計207段はきつい…。
階段の途中には東照公(家康公)の御遺訓が。
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」とあります。
長い階段を登った末に奥社に到着。
家康公の御墓所は奥社のすぐ先に。
御墓所と奥社を周回する形で順路が続きます。
御墓所の門(唐門-1枚目)と裏から見た奥社(2枚目)。
家康公の御墓所となる奥社宝塔。
奥社宝塔の案内板。
御墓所は昭和40年の東照宮350年祭を機に公開されたと説明があります。
小学生の修学旅行でもここに来た記憶があります(その時は昭和50年代だった)。
奥社の御神木である「叶杉」。
階段を下る途中で見た御本社方面。
木で隠れていますがちょうど写真中央が陽明門かと。
眠猫を再度撮影。
正確には坂下門の屋根下ではなく、その手前の回廊の屋根下にあるということか…。
御本社・陽明門前に戻ってきました。
陽明門の裏側を撮影。
門の表側も再度撮影。
ちょうど雨も止んでいたので先程よりは上手く撮れた感じ。
陽明門を降りた後は鳴龍のある本地堂へ。
「鳴龍 薬師堂」とありますが、薬師堂は本地堂の別名。
東照宮内にあってこの本地堂のみ輪王寺に所属する建物であるためか、参拝は神社形式の二礼二拍一礼ではなく合掌でお願いしますとのこと。
ちなみに鳴龍ですが、道内の全体で反響音がする訳ではなく、特定の位置(ちょうど天井にある龍の目の辺り)でしか反響しませんでした。
※実際に手を叩くことはできず、ガイドさんによる拍子木による実演のみ
陽明門付近から神厩舎方面を撮影。
相変わらず神厩舎(三猿)周辺は賑わっていました。
水屋の隣にある輪蔵(紹介が漏れていたので掲載)。
神厩舎も再度撮影。
入口側から撮影した表門。
表門の外側にある五重塔。
神社に五重塔があるのか?と思ったりもしましたが、恐らくこれも輪王寺に所属する建造物ではないかと。
(少なくとも小学校の修学旅行時に来た時にはそう記憶している)
五重塔の東側、東照宮宝物館近くにある御仮殿。
(東照宮の)御本社を修理する際に祭神を一時的に移すための御殿。
東照宮での混雑ぶりからうって変わって静けさが漂う雰囲気です。
ラストは東照宮宝物館へ。
主に徳川家康公の遺愛品(刀剣・鎧等)や将軍家・大名家からの奉納品・祭器具などが展示されています。
※入館料:1.000円(単独)
東照宮とのセット券だと計2.100円なので、それぞれ単独より200円割引になります。
(東照宮単独が1.300円なので)
一通り周った後は日光駅方面に戻るのですが、まずは広々とした表参道を下ります。
この辺りの標高は634mということで、ちょうど東京スカイツリーと同じ高さの位置らしいです。
輪王寺の外側を歩いて…。
輪王寺入口にある勝道上人銅像の前に再び来ました。
勝道上人銅像の説明。
勝道上人は奈良時代の天平神護2年(766年)に日光山を開かれた修行僧。
この銅像は昭和30年(1955年)に日光市政施行を記念して建立されました。
坂を下って神橋前に戻ってきました。
神橋隣の道路橋から見た大谷川の下流側。
霧は無くなりましたが雨が降ったためか水量はやや多めな感じ。
駅に向かう前に神橋近くのレストランで遅めの昼食、ゆばラーメンを食べました。
昼食後バスに乗り、JR日光駅に到着。
駅舎は明治時代の洋風な感じです。
駅の改札前にある駅名の看板や"駅名標も古風(レトロ)なデザイン。
次の電車の発車時刻が約8分後なので、駅に着いたのがちょうど良いタイミングでした。
(16:19発で現在時刻が16:11)
日光線も新型車両が導入されました。
前回相模線でも乗車したE131系。
日光線の普通列車用車両は国鉄時代の115系から107系・205系600番台を経て今回のE131系が導入されたのですが、先代・先々代が他線からの移籍(もしくは廃車車両の部品流用)だったのに対して今回は新車でのデビューとなりました。
こちらは先代の205系600番台。
※2015年1月 宇都宮駅にて撮影
E131系の日光線仕様は600番台で、制御電動車クモハE131を含む3両編成。
区分番台が600となったのは先代の205系を引き継いだ形か。
日光駅のホームは3番線まであるように見受けられますが、実質1番線しか使われていない感じ?
駅構内にある留置線も1本の線路しかなく、残りの線路は取り外された状態。
国鉄時代には隣の東武線と競い合って優等列車が行き交っていましたが、現在では普通列車のみの運行となってしまったのでこの辺はやむを得ないのか…。
※ちなみに既に駅を出発しています。
日光駅出発後、まずは坂を下る感じ。
少し平地になりました。
それにしてもこの車両、かぶりつき(の撮影)がしにくいです。
(前回相模線のときもそうでしたが…)
日光の次の停車駅となる今市駅に到着。
平仮名で「いまいち」と書かれると…うーん。
少しの間杉並木の横を並走します。
下野大沢(しもつけおおさわ)駅に到着。
私鉄線も含めて栃木県内で旧国名の「下野」がつく駅名はここだけです。
(後述しますが東武線の場合は「野州」)
ようやく晴れ間が見えてきた感じ。
日光線で途中の主要駅とる鹿沼駅に到着。
日光線は単線ながらも比較的線形が良く、この辺りは直線が続く区間。
遠くに東北自動車道の高架橋が見えます。
宇都宮の1つ手前の鶴田駅で対向列車と行き違い。
終点の手前で宇都宮線(東北本線)と合流。
更に東北新幹線と合流して…。
終点の宇都宮駅に到着。
日光線のホームなので駅名標もレトロデザイン。
改札を出て宇都宮駅の西口に出たところ。
上層が新幹線のホームとなっているので、いかにも基幹駅という感じです。
ちなみに最近開通した宇都宮LRTは反対の東口側なので今回は様子は見られませんでした。
何故西口に降りたのかというと、ここから東武宇都宮駅を目指すため。
バスもあったかもしれませんが、やはりというか徒歩で。
(体力は使うがこの方が確実かと…)
途中宇都宮二荒山神社の前を通りましたが、さすがに立ち寄る時間は無かったです…。
東武宇都宮駅まであと340mの表示。
反対のJR宇都宮駅が1.4kmなので、移動距離は延べ1.7km強ということか。
アーケード街を抜けて…。
東武宇都宮駅に到着したものの、次の電車の発車1分前!
(次の発車が17:26で現在時刻が17:25)
よって駅舎の撮影はできずに…(といっても東武デパートの建物内に駅があるのですが)。
駅名標を撮るのが精いっぱいでした。
乗車中の東武宇都宮線ですが、今年が栃木県が誕生して150年にあたることと栃木県がいちごの生産量が日本一であることを記念して「いちご王国ライン」という愛称が付けられました。
ちなみにこの愛称は1年間限定とのこと(2023年6月10日から2024年5月末まで)。
東武宇都宮線(及び日光線の南栗橋以北)の普通列車用車両ですが、元日比谷線直通用の車両(20000系)を転用・リニューアルして運用されています。
真夏とはいえさすがに日没が近くなってきました。
「おもちゃのまち」駅に到着。
平仮名そのままの駅名ですが、名前の由来は周辺に玩具メーカーの工場(もしくは会社ビル)が集積していることから。
当初は当駅で下車して駅の近くにある「おもちゃのまちバンダイミュージアム」に行く予定でしたが、当日が休館日に当たることから予定は取りやめたものの、どのみちこの時間では行けなかったですね…。
まあこれはまた後日ということで。
先頭車のポジションが空いたので途中からかぶりつきを開始。
対向列車と行き違い(この駅はホームが千鳥状になっているのか…?)。
途中川を渡り…
みぶ(壬生)駅に到着。
東武宇都宮線も比較的線形が良く、この辺りは直線が続きます。
利根川・渡良瀬川の支流である思川を渡るところ。
やしゅうおおつか=野州大塚駅に到着。
日光線の際に触れましたが東武線の場合「下野」ではなく「野州」となります。
次駅の「野州平川」も含め、東武線内では他にも野州の付く駅名はいくつかあり。
(東武)日光線と合流して新栃木駅に到着するところ。
日光線の普通列車に加えて特急スペーシアの回送車両も見受けられます。
新栃木駅に到着。
乗車中の電車は日光線直通の南栗橋行きなので、このまま乗車を続けます。
栃木駅に到着(というか戻ってきた)。
駅名標の奥はJR両毛線のホーム。
東武宇都宮から乗車した電車は同駅で下車して、今度は隣ホームのJR両毛線に乗り換えます。
私鉄→JR乗り換えなので一旦改札を出ます。
上の写真は栃木駅の南口。
JR両毛線の改札の上の案内を見ると、これまたジャストなタイミング。
(次の高崎行きの電車が18:12発で現在時刻が18:08)
JR線の駅名標も一応撮影。
JR線・東武線共に基幹駅ということもあって、比較的広い駅構内。
ホームに着いた時にちょうど特急スペーシアの上り列車が発車するとこころでした。
(朝に乗車した時と同じ車両かもしれない…)
と思ったら今度は下りの特急スペーシアが到着。
こちらは豪華な色合い。
そして高崎行きの電車が到着。
途中の足利まで乗車します。
日没が更に近くなってきました。
東武佐野線との乗換駅となる佐野駅。
近年開業したあしかがフラワーパーク駅。
隣の富田駅とはかなり駅間が短いです。
乗車中の車両の型番は「モハ210-3004」でした。
なお両毛線を含む高崎地区の211系は全て3000番台(寒冷地区向けのロングシート車)です。
足利駅に到着。
駅名標がおしゃれな感じ。
栃木から乗車した車両を後にして…
駅の南口から出て渡良瀬川方面へ。
程なくして渡良瀬川川沿いに到着。
イルミネーションが付けられた橋が見えますがこれはかの渡良瀬橋ではなく…
1つ上流側の橋が渡良瀬橋でした。
反対側から撮影した渡良瀬橋。
橋を実際に渡ってみました。
(脇の歩道橋なので厳密には渡良瀬橋ではないのかもしれませんが…)
橋の上から渡良瀬川の上流側を撮影。
ほぼ日没寸前ですが、雲が無ければ「渡良瀬橋で観る夕陽」が見れたかもしれません。
橋のトラス越しに下流側を撮影。
この後そのまま橋を渡り切ってしまいましたが肝心の「渡良瀬橋の歌碑」が見当たらず、果たしてどこにあるのか探しましたが…。
川の北側(JR足利駅側)の川沿いの車道を挟んで反対側、ちょうど橋の全体が見える位置に歌碑がありました。
こちらが森高千里さんの渡良瀬橋の歌碑。
今まで何度か歌碑を目にしたことはありますが、大体が演歌の歌碑(前回は「矢切の渡し」だった)でいわゆるJ-POPに属する楽曲の歌碑というのは珍しいかと思います。
ちなみに左にちらっと見えるボタンを押すと実際に「渡良瀬橋」の曲が流れるそうな。
(今回は押しませんでしたが…)
そういうことで(一旦戻ったので)再度橋を渡ることに。
すっかり陽も暮れてしまいました。
そして東武伊勢崎線の足利市駅に到着。
駅到着後すぐに電車が来たので、ここでもジャストタイミング。
(例の「渡良瀬橋」の駅メロが聞こえたので間に合わないかと思いましたが…)
ちなみに先程下車したJR足利駅の駅メロも「渡良瀬橋」でした。
足利市駅からの電車は館林止まりなので、同駅で乗り換え。
今度は久喜行きの電車に乗車。
久喜行きの電車が発車するまでの合間に、特急リバティが到着。
すぐさま反対側からりょうもう号が。
(色も昔のりょうもう号の復活カラーでした)
久喜からはJR線で都心まで。
(この間、駅前で夕食を取りました)
東京駅で少々停車中に…。
ホームの反対側には寝台特急「サンライズ」が停車していました。
以前出雲市駅で見たのと田町(現在は高輪ゲートウェイ)の車庫で姿を見かけたことはありますが、東京側で営業運転中の車両を見かけたのは初めてかも…。
他の方も写真を撮られていました。
「クハネ」という形式も現役車両ではこの車両(285系)が唯一になりました。
※末尾の「ネ」が寝台車を意味する
かつては東京駅からも数多の寝台特急が行き交っていましたが、現在ではこの「サンライズ瀬戸・出雲」が唯一。
写真では「サンライズ瀬戸 高松行き」になっていますが、前7両がサンライズ瀬戸で後ろ7両がサンライズ出雲(出雲市行き)のはず。
この高松行きというのも今となっては貴重な存在ですね。
そして最後に品川駅で検測車の「East-i」を見かけました!
これにて本日の行程終了ですが、天候には恵まれなかったものの帰路の電車の乗り継ぎタイミングとレア車両の遭遇には(奇跡的といっていいほど)恵まれた1日でした。
この時点で22時少し前。
日光へ日帰りだとやはり目いっぱいの行程になりますね…。
]]>
-
ao2の鉄道模型レイアウト制作プロジェクト~その1
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-08-14
前回記事のその0(準備編)に引き続き今回はその1ということで、いよいよ本格的なレイアウト制作に入りたいと思います。といっても今回は基礎的なレイアウト土台の構築(施工)と、想定している線路配置でのレール敷設までということで。10年くらい前レールを仮配置した状態の写真(前回の記事でも掲載)ですが、イメージとしてはこんな感じ。1400×910(mm)の台に二重の円状(もしくは8の字状)に単線の線路を配置してレイアウト全体で勾配を付けて立体交差を設けているのが主な特徴で、仮配置段階では勾配部分を段差を付けたベニヤ板と既存所有の高架橋脚と鉄橋を併用して再現。全体的なイメージとしては筆者が当ブログの記事で多用している「山あい区間」のローカル路線の風景の再現を目指しています。参考:山あい区間のイメージ※2016年4月 JR磐越東線の区間にて撮影前の写真の仮設置状態の配置の元となった線路配置の図面(10年くらい前に書いた手書きのもの)。今回計画しているのも大まかにはこれと変わりはないです。(ホーム周辺の直線部分を少し長くして4両編成まで停車できるようにしたのが変更点か)使用するレールは全てTOMIX製。筆者が元々同社のレールを所有していて既存所有のレールも一使用し、他社(KATO製のユニトラックなど)のレールの併用はできないことから、レールはTOMIX一択になります。レールの種類は直線レール(図面上でSの表記、S280・S140等)とカーブレール(図面上でCの表記、C317-45・C280-45等)が主体で、S72.5やC280-15といった短いサイズのレールをレイアウト全体の調整用として使用しています。駅構内に当たる部分は(列車の行き違いが可能なように)複線とし、そのために駅構内の両サイドにポイントを設けています(図面上でPと表記)。ちなみに今回使用するポイントがちょっと特殊なもので…こちらのカーブポイント(左右1組)を使用。今回の計画では横幅1400mmの台に直線で4両分の駅ホームを設置できるスペースを確保するため曲線上にポイントを設ける関係で、この形状のポイントの使用が必須となります。TOMIX製のレールはこうした特殊な形態のレールを多くラインアップしているのが他社(といっても対象はKATOのみですが…)と比較しての利点だったりします。ただこのポイントですが、構造上かなり脱線しやすいのが難点。繰り返し行った動作確認の結果か..
ホビー(鉄道模型)
ao2
2023-08-14T09:07:58+09:00
といっても今回は基礎的なレイアウト土台の構築(施工)と、想定している線路配置でのレール敷設までということで。
10年くらい前レールを仮配置した状態の写真(前回の記事でも掲載)ですが、イメージとしてはこんな感じ。
1400×910(mm)の台に二重の円状(もしくは8の字状)に単線の線路を配置してレイアウト全体で勾配を付けて立体交差を設けているのが主な特徴で、仮配置段階では勾配部分を段差を付けたベニヤ板と既存所有の高架橋脚と鉄橋を併用して再現。
全体的なイメージとしては筆者が当ブログの記事で多用している「山あい区間」のローカル路線の風景の再現を目指しています。
参考:山あい区間のイメージ
※2016年4月 JR磐越東線の区間にて撮影
前の写真の仮設置状態の配置の元となった線路配置の図面(10年くらい前に書いた手書きのもの)。
今回計画しているのも大まかにはこれと変わりはないです。
(ホーム周辺の直線部分を少し長くして4両編成まで停車できるようにしたのが変更点か)
使用するレールは全てTOMIX製。
筆者が元々同社のレールを所有していて既存所有のレールも一使用し、他社(KATO製のユニトラックなど)のレールの併用はできないことから、レールはTOMIX一択になります。
レールの種類は直線レール(図面上でSの表記、S280・S140等)とカーブレール(図面上でCの表記、C317-45・C280-45等)が主体で、S72.5やC280-15といった短いサイズのレールをレイアウト全体の調整用として使用しています。
駅構内に当たる部分は(列車の行き違いが可能なように)複線とし、そのために駅構内の両サイドにポイントを設けています(図面上でPと表記)。
ちなみに今回使用するポイントがちょっと特殊なもので…
こちらのカーブポイント(左右1組)を使用。
今回の計画では横幅1400mmの台に直線で4両分の駅ホームを設置できるスペースを確保するため曲線上にポイントを設ける関係で、この形状のポイントの使用が必須となります。
TOMIX製のレールはこうした特殊な形態のレールを多くラインアップしているのが他社(といっても対象はKATOのみですが…)と比較しての利点だったりします。
ただこのポイントですが、構造上かなり脱線しやすいのが難点。
繰り返し行った動作確認の結果からTOMIXやKATOなどの主要な製品では(スピードを出し過ぎない限りは)脱線は起こりにくいのですが、動力車以外で比較的自重の軽い車両(鉄道コレクションなど先頭車にライトユニットを搭載していない車両)だと脱線率は高いです。
しかしながらこの性質の組み合わせで上手くいくとドリフトが発生する ことも!
「電車でD」の主要テクニックである複線ドリフトです。
ドリフトが成功した例を撮影した動画がこちら。
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
逆状態(内→外)のドリフトですが、3回中2回成功しています。
半分脱線していてガリガリ音を立てていますが、ポイント合流後に元に戻り通常走行に至っているのでなかなか良い成功例かと。
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
もう1例。
こちらは後ろの車両がドリフト状態になり、車輪の脱線もなくスムーズに通過していく感じです。
※2例ともテスト走行時の線路にて撮影
で、このようなカーブポイントは実際の路線の線路で実在するのかとふと疑問に思っていたのですが…。
実在しました!
※JR相模線 海老名駅構内にて(以前の記事「GWの乗り鉄orお出かけその1」の行程中にて撮影したもの)
そのカーブポイントを電車が通過していくところ。
前置きはここまでにして、ここからは実際にレイアウトを作る過程の様子を紹介したいと思います。
まずはテスト走行用として配置していた線路を撤去し、いわゆる「更地」の状態に。
その上で台を180度回転。
テスト走行で線路を敷いていた期間は2か月くらいですが、直射日光の影響で線路を敷いていた部分の日焼け跡が残っています。
(台を180度回転しているので、ちょうど上の写真での手前が日焼けした部分に相当?)
手前の勾配が付いた細いベニヤ板を敷いている部分は線路の勾配部分になります。
(これは当初から計画していたもの)
「更地」の状態から全体的に地形を造っていく(土木工事でいう「盛り土」)のですが、極力レイアウト全体の軽量化をしたいため、素材はスタイロフォームを使用。
以前からかき集めていたものに加えて厚さ20mmの一畳分(910×1800mm)の品を追加で購入。
(後ろに立て掛けているもの)
スタイロフォームは建物の断熱材としての使用が本来の目的で主にホームセンターで販売されていますが、ホームセンターの場合一畳分のサイズで売られているのでこのサイズで入手するしかないです。
(実際のところその半分くらいのサイズで足りそうなのすが…)
勿論今回のように鉄道模型レイアウト・ジオラマの素材としても多用される関係で模型店・ボビーショップでもスタイロフォームは入手できるのですが、ホームセンターよりは割高な感じです。
いよいよ土台造り。
追加入手した新品のスタイロフォームを大胆に使用しつつ、昔制作したコンサート用の看板文字の残り(これも素材はスタイロフォーム)も併用していきます。
その上に更にスタイロフォームの台を載せ、空いている部分も既存のスタイロフォームを利用して埋めていきます。
この状態で一旦レールを仮設置。
一応はこれでほぼ想定通りの配置ができましたが、色々問題もあるのでこの後仮設置したレールを撤去します。
仮設置の状態でレイアウト上の最高地点(ちょうど鉄橋の部分)からの両サイドの勾配がきつすぎて車両の走行ができない(勾配を登りきれない)という問題が生じたため、高台(駅ホーム周辺)の部分を10mm程度かさ上げして勾配差を少しでも解消することに。
(Nゲージの縮尺が1/150なので10×150=1500→実寸法で1.5m高くなる計算)
一旦高台の2枚を外し、手前側に敷いた20mmのスタイロフォームを(上に乗せる)台のサイズ分切り抜き、そこに看板文字の素材を更に埋め込みます。
看板文字の素材の厚みが30mmなので、ここに上の台(厚み30mm)を乗せればこの部分は10mm高さがアップするということになります。
※部分的な施工になるので、外周部分の線路はそのまま残して施工部分の線路のみ一旦撤去。
手前の台を乗せた状態。
同様に奥の台も「かさ上げ」するのですが、奥の台は厚さ20mmなので、ここはすき間に厚さ10mm相当で切った素材をかませるという対処方法で。
奥の部分を拡大したところ。
ただ向かって左奥手前の部分(ちょうど外周の線路が通る部分)はかさ上げする必要がないため、この部分だけメインの台と分離する形で切り抜き、従来通りの高さの位置で貼り付けします。
かさ上げ施工後に再度線路を配置。
これで基礎的なレイアウト土台の構築の段階まで持っていけました。
ということでこの段階でのテスト走行を…。
今回のテスト走行はこの2編成。
211系0番台(手前)と115系1000番台(奥)になります。
※共に4両編成、メーカーはKATO
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
まずは211系のテスト走行シーン。
上り坂の部分でやや速度が落ちますが、比較的走行は安定。
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
次に115系。
211系とは逆回りの走行ですが、こちらも安定した走り。
ちなみに動画でははっきり分かりませんですが、両編成とも前面ライトは点灯します。
一応実車の写真も。
まずは211系。
※2021年4月 JR両毛線伊瀬崎駅にて撮影(高崎地区の3000番台)
211系はJR東日本の首都圏地区から撤退して久しいですが、同社の高崎地区及び長野地区(主に中央東線)で活躍しているので、現在でも比較的乗車機会は多いです。
115系(1000番台)。
※2015年1月 JR我妻線大前駅にて撮影
115系は現在JR東日本からは撤退したため、実車に乗車するとしたらJR西日本の地区になりますね。
模型の話に戻り、今回テスト走行させた車両の編成構成の補足説明を。
まずは211系からですが、先に触れた通り近年地方ローカル線でお世話になっている(乗車機会が多い)車両ということから、急遽4両編成で入手しました。
前回の583系と同様に各店舗を回ってバラ(単品)での入手ですが、583系ほど中古市場には出回ってはいないらしく、少々難航しました。
入手したのは国鉄仕様(JRのロゴ無し)の0番台(東海道線向けのセミクロスシート仕様)で、クハ211・モハ211・モハ210・クハ210の4両。
クハ(Tc)+モハ(M')+モハ(M)+クハ(Tc)という4両としてはオーソドックスな編成構成ですが、調べたところ実際には211系の場合4両編成ではこの組み合わせでの運用は無く、実車での運用はクモハ(M'c)+モハ(M)+サハ(T)+クハ(Tc)の組み合わせのみだったりします。
現状4両編成の運用は高崎地区ローカルとJR東海区間でありますが、いずれも上記での組み合わせ。
更には新製時からの過去の運用でも変わりないです。
少し前に相模線の新型車両(E131系)がクモハ+モハ+サハ+クハの編成構成だったのにびっくりしましたが、実は211系の方が先だったのですね。
ちなみに模型ではクモハ+モハ+サハ+クハ(もしくはクモハ+モハ+クハの3両)での運用とクモハがパンタ付き車(M'cのクモハ211)であることからか、動力車がパンタ無しのモハ210での設定となっています。
※多分訳が分からないので再度補足説明
Tc(ク)=制御車(運転台のある車両)
M(モ)=電動車(中間車でモーター付き。M'だとパンタグラフもあり)
T(サ)=付随車(中間車でモーター無し)
Mc(クモ)=制御電動車(運転台ありでかつモーター付き。(M'cだとパンタグラフもあり)
「ハ」は普通車の意。
続いて115系。
こちらも4両編成ですが…
こちらは逆にクモハ+モハ+サハ+クハの組み合わせ。
※クモハ115(Mc)・モハ114(M')・サハ115(T)・クハ115(Tc)
115系の場合4両編成ではこの組み合わせは少なく、クハ2両+モハ2両の組み合わせが殆どです。
(そもそも115系のサハはかなり少数)
この製品も以前単品購入したものですが、最初サハ以外の3両を入手して後程サハを追加購入したという感じ。
話がかなり脱線しましたが、少々線路構成を変えてみてひとまず今段階の完成状況。
(余談ですがテスト走行中に脱線が頻発するため、今回に限って脱線はNGワードかもしれない)
線路構成の図面も再度書いてみました(相変わらず手書きですが…)。
図面の右上部分で、「C354-45」という大径のカーブレールを2本使用しています。
ちなみにカーブポイントの正式な型番は「CPR317/280-45・CPL317/280-45」という長いものでした。
色々試行錯誤した結果このようにまとまったので線路構成はこれで決まりかと思いますが、今後の進行状況によって少し変わるかもしれません。
で、今後の制作予定ですが…
この部分の下の線路は上部に山を築き、トンネル区間にする予定です。
この部分は未調整なので、土地の造成も含めて作りこんでいきます。
(今後川も配置する計画もあり)
それと外側の高架部分の勾配にも難があり…
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
583系のフル編成(7両)を走行させたところ、上り坂の途中で空回りして何とか登り切ったという感じでした(特に2周目)。
なので勾配角度の調整(全体的に勾配角度が均等になるように)も課題ですね。
尤もこのレイアウトはあくまでローカル線のイメージなので、7両といった長編成の走行はあまり考慮していないのですが…。
ということでようやくレイアウト制作の第一歩を踏み出したのですが、山岳区間の地形など今までやったことのないことばかりなので先はかなり長いですが、引き続き地道にコツコツと制作作業を続けたいと思います。
とりあえず創る楽しみいっぱい!(byグリーンマックス) を合言葉に…。
※追記:冒頭に記載した「ドリフトする車両」の紹介
左側:113系2000番台(JR西日本紀勢本線) メーカー:TOMYTEC(鉄道コレクション)
右側:キハ25+キハユニ26(国鉄一般色) メーカー:KATO
113系2000番台は鉄道コレクション(鉄コレ)の製品を偶然にも中古で安価で入手して追加で動力/走行ユニットを導入したもの。
動力ユニットが新品なので動作は安定していますが、走行ユニット(非動力)側の車体がかなり軽量なためか、ドリフト(=脱線)しやすい特性に。
同じ構成のキハ126形(前回に紹介)は何故かドリフトしませんでした。
気動車2両(キハ25・キハユニ26)はKATOの旧製品で前面ライト非点灯のモデルですが、非動力車がライトユニット非搭載でその分自重が軽いので偶然ドリフトが発生したということか…。
当初動作が非常に不安定でしたが、念入りなメンテを行った結果こちらも復活を遂げました。
113系2000番台(紀勢本線)の実車写真。
※2015年8月 JR紀勢本線御坊駅にて撮影
入手した模型ではオーシャングリーンを基調としてラベンダーの帯という非常に美しい色合いでしたが、上の写真では和歌山地区の単色塗装(青緑?)に変更されていました。
更に現在では新型車両導入により既に廃車となった模様…。
キハ20系(キハ52形)の実車写真
※2022年5月 いすみ鉄道大多喜駅構内にて撮影
キハ20系列の片運転台車キハ25、片運転台+郵便荷物合造車キハユニ26は恐らく現存しないため、同系列のキハ52形の実車写真で。
といってもこれもJR線では現存しないので、譲渡先の1つであるいすみ鉄道の大多喜駅構内で撮影したもの。
同線で観光列車として動態保存的な運用をされていますが、近年相方のキハ28形が引退したのでどういった運用になるのでしょうか?
]]>
-
ao2の鉄道模型レイアウト制作プロジェクト~その0(準備編)
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-07-09
以前から水面下で準備はしていたのですが、GW中から鉄道模型(Nゲージ)のレイアウトを制作するプロジェクトに乗り出しました。(プロジェクトといっても1人で制作を進めるのですが)かれこれ10年位前にレイアウト用の台(台枠)だけ組み立てたもののそのまま放置状態でしたが、いい加減進行を進めてみようかと思った次第です。Nゲージの車両については以前から当ブログで記事(ホビーのカテゴリー)に乗せたことがありますが、この度記事の新カテゴリーとして「ホビー(鉄道模型)」を設けました。まずは準備段階ということで制作済みの台枠に上板(と一部地形造成用の構造材)を取り付けた状態で、走行テスト用の線路ということで仮に設置。自室の一部にレイアウト台の設置場所を確保して(この作業が結構大掛かりだった…)ひとまず車両を常時走行できる状態に持っていきました。こちらは台枠を組み立てた状態の写真。撮影日時が「2012年6月24日」になっているので、やはり10年以上経っています…。台枠に上板を仮に取り付けた状態。レイアウトの計画通りに線路を敷いた状態。線路に勾配があるレイアウトを計画しているため、高架橋脚などを使って高低差を確保しています。ここまでの3枚が2012年に撮影した写真で、この時は自分のベッドの上にしか台を置くスペースが無かったため、その後しばらくの間台枠の状態で部屋の隅に立てかける感じで放置状態でした…。ここから再び現在の写真に戻りますが、ひとまずレイアウト制作に取り掛かる前に手持ちの車両がちゃんと動くかどうかの動作チェック作業から。パワーユニット(Nゲージを動かすための制御機器)も新調して、車両のメンテナンス・クリーニング用の用具を一通り揃えてみました。(レールクリーナー・動力車用の潤滑油・リレーラー・クリーニング用綿棒など)尤もパワーユニットについては10年以上前に中古で購入したものなのでまんま新品ではありませんが、現行製品の規格には合っているようです。※レール・制御機器はTOMIX製ここからは手持ち車両の紹介(併せて実車車両の写真も)。まずは国鉄急行型気動車のキハ28系(右)と、山陰本線の韋駄天キハ126系(左)。キハ28系(キハ58・キハ28・キロ28の3両)はTOMIX製の旧製品ですが少々のクリーニングのみで難なく走行。キハ126系(キハ126-1・キハ126-1001)はトミーテックの鉄道コレクション(鉄コレ)の製品に動力ユニッ..
ホビー(鉄道模型)
ao2
2023-07-09T10:38:58+09:00
(プロジェクトといっても1人で制作を進めるのですが)
かれこれ10年位前にレイアウト用の台(台枠)だけ組み立てたもののそのまま放置状態でしたが、いい加減進行を進めてみようかと思った次第です。
Nゲージの車両については以前から当ブログで記事(ホビーのカテゴリー)に乗せたことがありますが、この度記事の新カテゴリーとして「ホビー(鉄道模型)」を設けました。
まずは準備段階ということで制作済みの台枠に上板(と一部地形造成用の構造材)を取り付けた状態で、走行テスト用の線路ということで仮に設置。
自室の一部にレイアウト台の設置場所を確保して(この作業が結構大掛かりだった…)ひとまず車両を常時走行できる状態に持っていきました。
こちらは台枠を組み立てた状態の写真。
撮影日時が「2012年6月24日」になっているので、やはり10年以上経っています…。
台枠に上板を仮に取り付けた状態。
レイアウトの計画通りに線路を敷いた状態。
線路に勾配があるレイアウトを計画しているため、高架橋脚などを使って高低差を確保しています。
ここまでの3枚が2012年に撮影した写真で、この時は自分のベッドの上にしか台を置くスペースが無かったため、その後しばらくの間台枠の状態で部屋の隅に立てかける感じで放置状態でした…。
ここから再び現在の写真に戻りますが、ひとまずレイアウト制作に取り掛かる前に手持ちの車両がちゃんと動くかどうかの動作チェック作業から。
パワーユニット(Nゲージを動かすための制御機器)も新調して、車両のメンテナンス・クリーニング用の用具を一通り揃えてみました。
(レールクリーナー・動力車用の潤滑油・リレーラー・クリーニング用綿棒など)
尤もパワーユニットについては10年以上前に中古で購入したものなのでまんま新品ではありませんが、現行製品の規格には合っているようです。
※レール・制御機器はTOMIX製
ここからは手持ち車両の紹介(併せて実車車両の写真も)。
まずは国鉄急行型気動車のキハ28系(右)と、山陰本線の韋駄天キハ126系(左)。
キハ28系(キハ58・キハ28・キロ28の3両)はTOMIX製の旧製品ですが少々のクリーニングのみで難なく走行。
キハ126系(キハ126-1・キハ126-1001)はトミーテックの鉄道コレクション(鉄コレ)の製品に動力ユニットと走行ユニットを取り付けて走行可能にしたもの。
動力ユニットもほぼ新品の状態なので、こちらも難なく走行できました。
キハ126系の実車写真。
(2018年1月 山陰本線大田市駅にて撮影)
キハ58形&28形の実車写真。
(2018年1月 津山まなびの鉄道館にて撮影)
続いてはこちら、国鉄特急形の代表的形式である485系(左)と583系(右)。
485系は自分が中学生の頃に入手したものなので40年近く経つ年代物。
(動力車のみ壊れたために後年買いなおしています)
583系はつい最近(GW中)にバラの中古品をかき集めて入手しました。
485系・583系共にKATO製。
(583系も世代的には手持ちの485系より少し後の製品といった感じなので、発売後30年くらいは経っていると思われます)
各6両編成で並べてみたところ。
手持ち車両のフル編成はこれにグリーン車(サロ)を加えた7両ですが、この配置だと7両では収まらないので…。
583系を7両バラで揃えるのはやや困難かと思われましたが中古鉄道模型市場では割と在庫が豊富らしく、秋葉原内のいくつかの店舗を回って揃えることができました。
購入価格も7両で計1万円ちょっとだったので安く入手できたのではないかと。
(現行製品もしくはそれに近いセット品だと2万円は超えると思う)
485系の実車写真ですが、適当なものが見当たらず辛うじて紹介できるのがこれだけ。
2014年8月に北陸本線(現あいの風とやま鉄道線)の高岡駅で撮影したもので大幅にリニューアルされた3000番台の車両。
特急「北越」で運行されていましたが、翌年の北陸新幹線開業時に北越は廃止されました。
583系の実車写真は手持ちではないので、近郊型車両に改造された419系であれば辛うじてあったので…。
中間車を先頭車に改造されたもので、その形状から「食パン電車」というあだ名がつけられていたそう。
2014年8月に氷見線に乗車中に捉えたもので、既に運用を外れて留置線に置かれていた状態だったので恐らくこの後程なくして廃車解体されたと思われます。
583系については京都鉄道博物館に先頭車両のクハネ581形が展示されているので、今後行く機会があれば見てみたいと思います。
模型の話に戻りますが、紹介した485系と583系は先頭車前面のトレインマーク(ヘッドマーク)が専用のドライバーを用いて変換が可能で、更にオプションで発売されている変換装置を交換することによって様々なヘッドマークを再現できる仕様になっています。
手持ちの485系の先頭車もヘッドマーク部分が経年劣化で色褪せしてしまったことから、今回オプション品の変換装置を入手してヘッドマーク部分を交換してみました。
交換後に前面ライトとヘッドマークを点灯させてみたところ。
(左:はつかり 右:鳥海)
入手したオプション品の変換装置は現行製品用だったので同封されていた説明書と違う作業手順でしたが、変換装置本体の形状は昔の製品と変わっていないので難なく取り付けることができました。
(というか40年近く前の製品でこのシステムを実現していたのが凄いと思う…)
583系も同様のシステムでオプション品の変換装置も発売されているので、頃合いを見てこちらも試してみたいと思います。
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
実際に模型をテスト走行させているシーンの動画。
まずは485系。
前面ライトの点灯がやや不安定ですが、無事走行しています。
(この動画では7両フル編成で走行)
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
続いて583系の走行シーン(同じく7両フル編成)。
ジャンク品(動作保証無し)扱いで入手しましたが、動力車の走行・ライト点灯共に比較的安定しています。
この583系の模型(KATO製)は中学生の頃憧れの製品だったので今回急遽入手しました(ほぼ衝動買いに近い)が、これはこれで良かったと思います。
続いてのテスト走行させたのはこちら。
交直流急行形電車の457系(右)と、関西地区で新快速などで運用されていた117系(左)。
この2編成は兄の所有物。
457系(模型)も485系と同様かなりの年代物で最初は動力車がうんともすんとも動かない状態でしたが、中のモーター本体は動作するので念入りなメンテナンス(特に電気の接点部分のクリーニング)を行った後奇跡的に復活しました。
117系の方は元々走行が安定していたので、軽いメンテナンスで復帰。
※いずれもKATO製
457系のみ前面ライトを点灯させたところ。
国鉄急行形特有のデカ目ライトなので、点灯時は非常に明るいです。
457系(475系)の実車写真。
奇しくも交直流電車急行色&デカ目ライトという、模型に近い仕様の実車写真がありました。
※2014年8月に北陸本線(現あいの風とやま鉄道線)の高岡駅で撮影
先ほど475系と書きましたが、当時北陸地域で残存していた交直流急行形電車は交流60㎐専用の475系が大半で交流50㎐・60㎐両用の457系はごくわずか。
(457系自体都合19ユニットしか製造されなかったので元々少数派だった)
しかしながら457系のラストナンバーに近い「クモハ457-18」の形式を捉えていました。
※2014年8月に北陸本線金沢駅にて撮影
117系の実車写真。
117系もJR化後に様々な塗色に変更されましたが、こちらも模型と同様にオリジナルの関西急電色の車両を撮影することができました。
※2014年8月に湖西線近江今津駅にて撮影
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
457系(模型)の走行シーンの動画。
グリーン車(サロ)を含めた7両フル編成で走行。
最初は全く動作しなかった状態でしたがここまで復活、ライトもばっちり点灯しています。
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
117系(模型)の走行シーンの動画。
こちらは両編成の状態で走行(フル編成だと6両)。
ライトも含めて比較的安定した走行状態です。
実車の117系は究極の改造を施された「WestExpress銀河」を除いて完全撤退が近いと噂されていますが、鉄道模型界ではまだまだ現役?
最後に、電機機関車(EL)とコンテナ貨車の組み合わせ。
上の写真がEF65(500番台)、下の写真がEF64(1000番台)が牽引機。
EF65(500番台)の模型はKATO製ですが、かなり昔の製品(確実に40年以上は経っていそう)で前面ライトも非点灯。
EF64(1000番台)は自分が所有している製品で唯一のマイクロエース製。
昔から高級仕様(その分価格も高め)なマイクロエース製だけあってディティールもなかなかですが、モーターの出力が弱いためかスピードがあまり出ません。
(ちなみにライトは点灯します)
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
EF65(500番台)+コンテナ貨車の走行シーン動画。
さすが超年代物ということもあって動作は不安定気味。
モーター音も後年の製品と比べて重々しい音がします。
ちなみにコンテナ貨車の編成ですが前の4両がTOMIX製で、コンテナは鉄道博物館モデルや鉄道むすめ仕様のものを載せています。
後ろの2両は国鉄コンテナ固定(載せ替え不可)のKATO製。
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎥
こちら
EF64(1000番台)+コンテナ貨車の走行シーン動画。
走行スピード的には同じですが、実はこれでパワーユニットの出力ダイヤルが最大に近い状態だったりします。
逆に低速走行時の速度調整はしやすかったり。
(コンテナ貨車の編成はEF65と同様)
以上、ざっと手持ち車両の走行シーンの紹介でした。
これまでで手持ち車両の動作チェックは一通り終わったので、次回はいよいよレイアウトの本格的な制作に入りたいと思います。
]]>
-
GWのお出かけor乗り鉄2023(その2)
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-05-05
2回目(5月4日)は東京23区の北東部の足立区・葛飾区エリアの散策及び移動を兼ねての乗り鉄ということで。(一部前日に散策した場所を含んでいます)当日の最初の目的地は西新井大師になりますが、東京メトロ日比谷線で終点の北千住へ行き、そのまま東武線(スカイツリーライン)直通という形で乗車します。ということで中目黒駅からスタート。東武線直通の北越谷行きなので、最寄りの1つ手前(西新井)までこれ1本で行けます。ふと車内にあった注意シールですが、久しぶりに東京メトロのマスコットキャラ「駅乃みちか」を見ました。微妙なキャラ設定(いわゆる「萌えキャラ」ではない)で人気がないのか…と思いきや、ネットで確認したところ鉄道むすめ版の「萌えキャラ」仕様の駅乃みちかも出たらしく、そのデザインが物議をかもして炎上騒ぎがあったということであまり見かけなくなったのか…。こちらは東武のマスコットキャラとして定着した「姫宮なな」。(注意シールは駅のトイレ内で撮影したものですが…)駅乃みちかと比較すると非常に落差があります(?)※ちなみに姫宮ななは鉄道むすめ出身のキャラ中目黒駅を出発後路線の大半を占める地下区間については省略。終点近くの南千住駅付近で地上に出たところ。側面から見えた墨田貨物駅。隅田川を渡り…(日比谷線の終点の)北千住駅に到着。尤も乗車中の電車はそのまま東武線に直通しますが…。北千住駅を発車して程なく、荒川を渡るところ。正面に見える鉄橋はつくばエクスプレス線、その奥がJR常磐線(+東京メトロ千代田線)。荒川を渡った後は大きくカーブして進路方向を北に変えます。咄嗟で撮影しましたが、多数の路線とクロスする地点。左からつくばエクスプレス線・JR常磐(快速)線・東京メトロ千代田線(常磐緩行線)の順。ちらっとつくばエクスプレス線が見えています。途中にある梅島駅ですが、上下線のホームが入れ違いに縦列で並んでいるという変わった構造をしています。上り線ホームの北側に(スライドして)下り線ホームがあるという構造。高架化・複々線化した際に駅ホームを作る十分なスペースが取れなかったための苦肉の策だそうです。ちなみに上り線ホームと下り線ホームの境目(全体で見ると中央の部分)に階段などの駅施設があり、上り/下り線ホームの間を通り抜けできる構造になっているそう。梅島の次の駅となる西新井駅に到着。同駅で下車して西新井大師に向かう大師線に乗り換えます。次の大師前駅まで..
お出かけ・小旅行
ao2
2023-05-05T11:28:19+09:00
(一部前日に散策した場所を含んでいます)
当日の最初の目的地は西新井大師になりますが、東京メトロ日比谷線で終点の北千住へ行き、そのまま東武線(スカイツリーライン)直通という形で乗車します。
ということで中目黒駅からスタート。
東武線直通の北越谷行きなので、最寄りの1つ手前(西新井)までこれ1本で行けます。
ふと車内にあった注意シールですが、久しぶりに東京メトロのマスコットキャラ「駅乃みちか」を見ました。
微妙なキャラ設定(いわゆる「萌えキャラ」ではない)で人気がないのか…と思いきや、ネットで確認したところ鉄道むすめ版の「萌えキャラ」仕様の駅乃みちかも出たらしく、そのデザインが物議をかもして炎上騒ぎがあったということであまり見かけなくなったのか…。
こちらは東武のマスコットキャラとして定着した「姫宮なな」。
(注意シールは駅のトイレ内で撮影したものですが…)
駅乃みちかと比較すると非常に落差があります(?)
※ちなみに姫宮ななは鉄道むすめ出身のキャラ
中目黒駅を出発後路線の大半を占める地下区間については省略。
終点近くの南千住駅付近で地上に出たところ。
側面から見えた墨田貨物駅。
隅田川を渡り…
(日比谷線の終点の)北千住駅に到着。
尤も乗車中の電車はそのまま東武線に直通しますが…。
北千住駅を発車して程なく、荒川を渡るところ。
正面に見える鉄橋はつくばエクスプレス線、その奥がJR常磐線(+東京メトロ千代田線)。
荒川を渡った後は大きくカーブして進路方向を北に変えます。
咄嗟で撮影しましたが、多数の路線とクロスする地点。
左からつくばエクスプレス線・JR常磐(快速)線・東京メトロ千代田線(常磐緩行線)の順。
ちらっとつくばエクスプレス線が見えています。
途中にある梅島駅ですが、上下線のホームが入れ違いに縦列で並んでいるという変わった構造をしています。
上り線ホームの北側に(スライドして)下り線ホームがあるという構造。
高架化・複々線化した際に駅ホームを作る十分なスペースが取れなかったための苦肉の策だそうです。
ちなみに上り線ホームと下り線ホームの境目(全体で見ると中央の部分)に階段などの駅施設があり、上り/下り線ホームの間を通り抜けできる構造になっているそう。
梅島の次の駅となる西新井駅に到着。
同駅で下車して西新井大師に向かう大師線に乗り換えます。
次の大師前駅まで1駅のみで、車両も2両編成という東武線内でも超ミニマムな路線。
西新井駅を出発後、左に折れて…。
高架ですが単線区間。
その先が終点の大師前駅です。
大師前駅に到着。
駅のホームは2両分しか停車するスペースはないものの、ホーム自体は広いです。
ちなみに1駅の区間しかない東武大師線ですが、はるか昔(戦前の頃)に大師前から鹿浜・板橋付近を経由して東上線まで延伸する計画があったようです。
(戦前の混乱と用地買収の面で計画は頓挫してしまいましたが…)
列車自体はほぼ10分間隔で運行されているようで、思ったより待たずに乗車できる感じです。
(便数的には京急大師線と同じくらい?)
駅間も短い(乗車時間も2分足らず)ので、1編成のみの車両でピストン運行しているといった運用。
ホーム端の階段を降りて…。
緑色をまとった「草だんご列車」なる編成も運行されているようですが、当日はノーマル塗装の編成でした。
同駅の改札ですが、有人改札の跡らしきものが残っているだけな状態。
改札の外に出て、大師前駅の駅舎を撮影。
改札周りには駅員さんの人気は無い様子。
券売機のスペースもシャッターが降りたままでした。
その横には「当駅ではきっぷの販売はいたしておりません」との案内があり、自動改札機はおろかICカード用のタッチ端末すらない模様。
つまり同駅では自動券売機も含めて駅の改札業務を一切行っておらず、運賃は全て隣の西新井駅(の改札)で清算するという仕組みを取っているようです。
1駅しかない超ミニマム路線ならではの運用体系ですね。
駅のすぐ近くを環七通りが通ります。
駅の横の参道(実は裏参道だった)を進んで…。
西新井大師の山門前に到着。
さすがに立派な門です。
この後は西新井大師の境内を散策。
山門から入ったすぐ横にある「塩地蔵」。
堂内のお地蔵さんの足元にたっぷりと塩が盛られている様子が何とも…。
堂内に安置されているお地蔵さん(地蔵菩薩)が特にいぼ取りに霊験ありと伝えられており、堂内の塩をいただきその功徳があった時に倍の塩をお返しするところから「塩地蔵」と呼ばれるようになったそうです。
境内中央に位置する大本堂。
尚「西新井大師」は通称ですが寺院の正式名称は「総持寺」になります。
(もっと正確に言うと「五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)で、真言宗豊山派の寺院)
境内手前の右側(大本堂を正面に見て、塩地蔵のちょうど反対側?)にある池と藤棚。
5月の初頭にも関わらず、藤棚の藤がすでに一部が開花していました。
境内の(大本堂を正面に見て)左側にある三匝堂・水子地蔵など。
一番左の塔状の建物が三匝堂で、三層の建物内に合わせて25もの菩薩がまつられています。
大本堂の向かって左側にある四国八十八箇所お砂踏み霊場(手前)と弘法大師立像(奥)。
八十八箇所霊場はいわゆる「ミニお遍路」で、川崎大師にも同様のものがあります。
弘法大師立像のアップ。
大師様が四国を行脚された時のお姿を再現した立像ですが、こちらも川崎大師に同様のものがあります。
弘法大師立像の奥には日本庭園風の池もあります。
池に浮いている蓮の上にカモが乗っかっていました。
カモが乗っても沈まないということは蓮自体にある程度の浮力があるということでしょうか?
池の中央にある弁天堂。
弁天堂そばの橋から大本堂方面を見た写真。
大本堂の裏手にある奥の院。
手前にある解説によると「高野山の奥の院を関東に奉迎して当地にまつりました」とあり、江戸時代から今日まで高野山の代拝所として親しまれてきたとのことです。
大本堂の右奥にある出世稲荷。
当境内にある唯一の「神社」(弁天堂は神社にあたるのか微妙ですが…)。
境内を時計回りに回って大本堂に戻ってきたところ。
もうすぐこどもの国というころで、大きな鯉のぼりが掲げられていました。
一旦境内の外に出て、参道の向かい側にある牡丹園へ。
境内にも牡丹園がありますが、ここが一番広い牡丹園とのこと。
園内の牡丹は大半が開花前(もしくは開花後)でしたが、一部開花中の牡丹もありました。
牡丹園入口の前にある東門。
比較的新しい様子でしたが、平成26年落慶とのこと。
最後に大本殿前に戻ったところ、お車の祈祷中でした。
川崎大師だと自動車祈祷専門の祈祷殿がありますが、西新井大師では大本殿前で行うスタイルの模様。
一通り参拝(散策)を終えた後大師前駅に戻りますが、帰りは山門前から直進して表参道経由で。
表参道(仲見世通り)の入口。
ということで大師前駅に戻ってきました。
駅ホームに着いて程なく西新井行きの電車が到着。
といっても行きに乗車した電車と同じですが…。
車内にあった車号表記を撮影してみましたが、「モハ」という表記がJR「というか旧国鉄」っぽいと感じるのは自分だけでしょうか?
ということであっという間に西新井駅に戻ってきました。
(この跨線橋の先で初めて改札を通過する)
この後はスカイツリーライン乗り換えで北千住方面に向かうのですが、ここで前日(4月20日)に訪れた獨協大学前駅周辺の散策(と帰路の乗り鉄)の記事を挟みます。
--------------------ここから------------------------
4月20日、所用で獨協大学前に行った時の写真。
スカイツリーライン内の駅で、各駅停車のみの停車。
以前は「松原団地」という駅名でした。
(「電車でD」でも松原団地の駅名で表記)
獨協大学前の駅前(東口)。
獨協大学前は別駅名でもある「草加松原」の最寄り駅。
草加松原はスカイツリーライン沿線観光情報にも掲載されています。
尤も春日部駅の横にある「防災地下神殿」がひときわ目立ちますが…。
※この写真のみ大師前駅で撮影したもの
それはともかく、所用を終えたあとその「草加松原」を少し散策してみました。
上の写真は主要道を跨ぐ橋(歩道橋)ですが、江戸時代の太鼓橋風のデザインです。
ご覧の通り、周辺には立派な松並木が残っています。
松並木から見た綾瀬川。
かつては「国内ワーストの汚い川」という悪名がありましたが、現在では水質がかなり改善された様子です。
「名勝 奥の細道の風景地 草加松原」の碑。
川の対岸から見た松並木。
草加松原についての解説板。
説明によると明治~昭和初期には松並木の総数が800本前後だったものの、昭和40年代には自動車の排気ガスの影響により成木が60数本まで減少。
その後松並木保存会による保護・捕植などにより現在では約600本まで回復しているとのことです。
最後に冒頭で触れた橋を渡ってみます。
橋の頂点から撮影。
松並木が更に奥に続いています。
散策を終えた後駅に戻り、帰路につきます。
複々線区間ということもあり、多彩な電車が行き交います。
尤も車種が多彩なのは外側を走行する急行線の方ですが…。
(ちなみに上の写真では左側が東武車で右側が東急車になります)
高架化工事が完了した竹ノ塚駅付近。
目の前のポイントから右手に入るのが車庫へとつながる線路と思われます。
(その右側は下り線の線路)
上り線から捉えた(先に取り上げた)梅島駅。
手前に見えるホームは下り線のもので、その奥に上り線のホームがあります。
北千住からは東京メトロ線(日比谷線)となり、北千住駅を出て程なく京成本線の高架と交差。
南千住駅の手前で隅田川の鉄橋を渡るところ。
右側の大きいサイズの鉄橋はつくばエクスプレス線とJR常磐線のもの。
窓ガラスが汚れて見づらいですが、三ノ輪駅の手前で地下鉄区間のトンネルに入るところ。
4月20日の行程はここで終了。
--------------------ここまで------------------------
本題(5月4日)の行程に戻り、西新井駅のスカイツリーラインのホームに到着。
スカイツリーライン(急行線)で北千住・浅草方面に向かいます。
乗車するのは東京メトロ(半蔵門線)の車両ですが…。
東京メトロ車などの地下鉄仕様車は全面ガラスの構造上からか、かぶりつき撮影には向いていないのかも?
写真のピントが合わせづらいです(言い訳)。
北千住の手前で荒川の鉄橋を渡るところ。
北千住で隣ホームに停車していた普通列車に乗り換え。
次の牛田駅で下車しますが、牛田駅は普通しか停車しないためです。
(区間急行もしくは区間準急は停車しますが、日中時間帯は運行していない)
この車両(東武10000系)はかぶりつき撮影しやすいです。
1駅先の牛田駅に到着するところ。
真ん中の車庫線は駅の手前まで続いている感じでした。
牛田駅で下車し、京成本線に乗り換えます。
対向列車の行先が北千住になっているので、この時間帯の普通列車は浅草~北千住間の折り返し運転の模様。
急行や準急は専ら曳舟で半蔵門線に直通する列車に限られているようです。
牛田駅の改札を出たところ。
そして道路を挟んで反対側が京成関谷駅。
駅の反対側出口の前は大通り(墨堤通)。
京成関谷駅も普通のみの停車。
(ちなみに駅名標は「関谷」と略されている)
程なくして電車が到着。
高砂で乗り換えして柴又まで乗車します。
関谷駅を発車して程なく再び荒川を渡るところ。
ちなみにこの橋については老朽化に伴い近々架け替えが予定されているそうです。
お花茶屋駅に到着するところですが、電D(電車でD)のバトルっぽいカーブですね。
(複線ドリフトで切り抜けるような)
青砥駅手前の2層に分かれる地点。
以前は押上方面から撮影しましたが、今回は本線の上野方面からの撮影。
押上方面から来た電車と並走して中川を渡るところ。
(これも電Dのバトルっぽい?)
直後に京急の黄色い電車とすれ違い。
(西武線とのコラボ企画のラッピング車で、幸せの黄色い電車と言われているらしい)
京成高砂駅で下車して…。
金町線の電車に乗り換え。
金町線のホームは本線上部の高架にあります。
高砂駅を発車後、高架上から本線の車庫を見た写真。
柴又駅の手前ですが、こう見るとレール幅が広いことが分かります。
(京成線も京急線と同様にレール幅は標準軌の1.435mm)
柴又駅に到着。
駅名標はご覧の通り寅さん(男はつらいよ)デザインです。
柴又駅は駅構内に線路を横断する踏切があり、この辺りは都会のローカル線的な光景ですね。
柴又駅の改札を出たところ。
駅周辺の地図。
ここで散策する観光スポットは…。
柴又帝釈天→矢切の渡し→寅さん記念館、の順で周ります。
駅前広場にある寅さん像。
台座には「フーテンの寅」と記載。
そばには寅さんの妹の「見送るさくら像」ありました。
更には寅さんを演じた渥美清寄贈の常夜燈も。
帝釈天参道の入口。
途中には映画「男はつらいよ」のポスターも。
参道はご覧の通りかなりの混雑でした…。
帝釈天の入口(二天門)に到着したところ。
メインのお堂となる帝釈堂の前は参拝の行列が出来ていました。
帝釈堂の参拝後も行列が続いていました。
少し経ってからようやく行列がおさまった感じ。
遅れましたが帝釈天の境内案内。
表門である二天門をくぐり正面、境内の中央に位置するのが帝釈堂。
帝釈堂は本堂ではなく、渡り廊下でつながっている右側の建物が本堂です。
その他釈迦堂・大鐘楼・大客殿・南大門などの建物があり、帝釈堂の奥には庭園(邃渓園)があります。
尚柴又帝釈天は通称で正式名称は「経栄山題経寺」といい、日蓮宗の寺院になります。
帝釈堂の右手にある本堂。
別名を祖師堂といい、元々は帝釈堂の建物だったものを移築して現在の位置に移ったそう。
本堂(手前)と右向かいにある釈迦堂(奥)。
二天門の左手、境内の左手前にある大鐘楼(奥の建物)。
二天門の右側にある南大門。
門をくぐるとちょうど正面に本堂が見えます。
帝釈堂と本堂を結ぶ渡り廊下の下を抜けて…。
帝釈堂の奥にある庭園の入口に到着。
ここからは別途拝観料がかかります。
※拝観料:大人400円(庭園と後述する彫刻ギャラリー共通券)
庭園(邃渓園)の様子。
庭園全体を屋根付きの回廊を通じて周回できるつくりになっています。
(順路としては反時計回りに周回する恰好)
途中池を跨ぐ箇所もあり、風景は実に見事。
こちらもなかなかのビューポイント。
奥に見える建物が大客殿で、その更に奥が帝釈堂(彫刻ギャラリー)。
回廊を周回して入口近くに戻ってきたところ。
次は帝釈堂の奥部分にあたる彫刻ギャラリーへ。
木彫が施されている堂の壁面をガラスの壁で囲われ、その間の空間が回廊となっている構造です。
ちょうど上の写真の左側が入口になっていて、まずは上層を右奥方向に進み、一番奥で階段を降りて下層から入口に戻るというような造りになっています。
帝釈堂の木彫についての解説。
外壁の木彫は法華経の説話を選び出して彫刻したものとのこと。
ちなみ以前はこの外壁の木彫は金網で覆われていただけでしたが鑑賞がしづらいということもあり、堂の周りに回廊をめぐらしてその外側に総ガラス張りの壁を設けて彫刻ギャラリーとして完成した、との説明もあります。
堂の外壁は三方のほぼ全面に木彫が施されており、木彫自体も実に精巧な造りです。
軒下の構造物も龍の彫刻になっているのがこれまた見事。
境内を一通り散策した後は矢切の渡し方面に向かいます。
ちょうど帝釈天(庭園)の裏手にある山本亭の入口。
門を入って敷地内を通ると寅さん記念館への近道になりますが…。
山本亭は今回スルーして矢切の渡し方面へ。
(山本亭は帰りに通るようになります)
江戸川の土手が見えました。
江戸川の土手に上ったところ。
奥が上流側で、遠くにJR常磐線の鉄橋が見えます。
反対の下流側を見た写真。
奥に北総線(成田スカイアクセス線)の鉄橋が見えます。
正面の江戸川を見ると、何やら川の手前で人が集まっていますがそこが矢切の渡し?
どうやら間違いなく、渡し舟を待つ人の行列のようでした。
川の手前には「矢切の渡し」と書かれた案内柱(?)もあり。
案内柱の手前には細川たかしの「矢切の渡し」の歌碑もありました。
(写真では文字が全く読めませんが…)
ちなみに北総線の矢切駅の駅メロもこの「矢切の渡し」が採用されています。
再び北総線の鉄橋を見ると、ちょうどスカイライナーが通り過ぎていきました。
土手まで戻り、そのまま寅さん記念館方面に向かいます。
寅さん記念館の入口に到着。
早速館内を見学します。
※入館料:一般500円(併設の山田洋次ミュージアムを含む)
館内では実際のドラマの撮影で使用されたセットなどが公開。
こちらは劇中の「くるまや」のセット。
セットの実物以外にも劇中のセットを再現した模型も。
駅の改札がありますがこちらは劇中のセットではなく架空の駅舎の模様。
頂いたパンフレットによると「駅員が切符を切っていた時代の駅舎を再現」したとのこと。
駅舎内の改札の事務室も実に精巧に再現されています…。
駅舎の奥にはかつてあった「帝釈人車鉄道」を再現した模型もあり。
ちなみに模型の人車は実際に可動します(!)。
人車模型の反対側は「寅さんが愛した鈍行列車の旅」と称したコーナーになっていて、懐かしの客車の席から映像で劇中の旅の名場面が見られます。
ちなみに席上の「オハ35 2015」の銘板は実車のものなのでしょうか?
ちなみ(2)にこちらがオハ35形の模型(筆者所有のNゲージ模型)。
戦前~戦後にかけて大量に生産された旧型客車の代表形式です。
DL牽引の2両編成の写真も。
(DE10形+オハ35形+オハフ33形)
いつの間にか鉄分が濃くなってしまった(鉄道ネタに偏ってしまいました)が、最後に併設の山田洋次ミュージアム内の様子を。
「男はつらいよ」を手掛けた山田洋次監督に関する展示がされています。
写真手前の模型(ジオラマ)は山田監督の映画作りの土台となった「松竹大船撮影所」のもの。
ジオラマの奥には撮影に使用されたカメラなどの機材が展示。
寅さん記念館の展示を一通り見た後は柴又駅に戻りますが、駅方面の近道になるということで記念館の隣にある山本亭の通路を通ることに。
こちらが山本亭の正門に当たると思われますが、どちらかというと洋風な造り。
山本亭の建物も和風と洋風がミックスされている感じです。
通路の途中にあった池には蓮の花が咲いていました。
山本亭も館内の見学が可能(内部に庭園もあり)ですが、別途料金がかかるのと時間があまりないということもあり今回はスルーします。
そして矢切の渡しに向かう途中で通った地点に戻りましたが、こちらは裏門だった?
柴又駅近くの踏切まで戻り…
駅付近にある八幡神社へ。
駅前の店にあった、劇中のおなじみの恰好をした寅さんのマスコット。
この辺りで柴又を後にします。
駅ホームに入って程なくして金町行きの電車が到着。
金町まで乗車します(といっても1駅だけですが)。
街中(住宅街)を走る単線の線路という組み合わせが何とも面白いです。
終点の京成金町駅に到着。
駅のホームが湾曲していることが分かります。
京成金町駅は駅の改札も小規模で、やはり都会のローカル線といった趣き。
JR常磐線の金町駅は歩いてすぐの場所にあります。
JR常磐線の金町駅は各駅停車(JL)のみの停車。
金町駅の駅構内には貨物線用の留置線がありますが、これはここ金町駅から総武線の新小岩を結ぶ貨物連絡線(通称:新金線)がある関係からかと。
ちなみにこの新金線を旅客化しようという計画も最近上がってきています。
先に触れた通り金町駅には快速線のホームはなく、ホームの横を快速線の列車が通過していきました。
北千住方面の電車が到着したので乗車。
常磐線各駅停車は北千住(正確には綾瀬)からそのまま東京メトロ千代田線に乗り入れるためか、車両は東京メトロ車が多い感じです。
(他にJR車・稀に小田急車の運用もある)
中川を渡り…。
お隣の亀有駅で下車。
駅の改札(南口)を出ると…。
こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)の両さん像がお出迎え。
こちらはアニメの設定そのままのカラフルな色合いで、中川さん・麗子さんとの組み合わせ。
※以下「こち亀」と表記
像の横にある地図を見ると、駅近辺には多くのこち亀関連の像が点在しているようで…。
さすがに全部回るのは時間がかかるので、駅周辺のみ散策することに。
駅前ロータリーを半時計回りに進んでまず目に着いたのが、こちらの祭り姿の両さん像。
(両津勘吉祭り姿像)
金色がかった派手な感じで、上には「ようこそ亀有へ!」の看板も。
駅前ロータリー中央の歩道部分にある、ベンチの端に腰かけている恰好の両さん像。
こちらは「ようこそ亀有へ両さん像」という名称。
駅前ロータリー交差点の反対側の歩道にある中川像。
8等身の小サイズの像なので、場所がちょっとわかりづらかったです。
中川像の地点付近から見た南口駅前ロータリー。
奥が亀有駅。
次は北口周辺の像を散策。
駅北口正面にある両津勘吉像。
こちらが最初にできた両さん像かと思われます。
口を大きく開けて笑う表情は漫画(もしくはアニメ)のものを忠実に再現していますが、銅像にするとちょっと不気味かも…。
北口駅前ロータリーにある「ようこそ亀有へ!」の看板は両津勘吉像が掲載。
こちらは金町駅で見た葛飾区内にあるアニメ・映画関連の銅像の所在地を示した地図。
(併せて観光スポットも紹介)
ここで紹介されている両さん像も北口の両津勘吉像で、先に柴又駅で見た寅さん像も掲載。
他に京成押上線の四つ木駅近くにある「キャプテン翼」銅像も紹介されています。
(キャプテン翼もこち亀と同じジャンプ作品ですね)
葛飾区もアニメツーリズムができるということか…。
駅の北側にある亀有公園内には2種類の両さん像があり、こちらがその1つの「ひとやすみ両さん像」。
ベンチの中央に腰かけて両手を広げている恰好の銅像です。
一応像の左右に座ることはできる模様。
もう1つの「ダブルピース両さん像」。
青銅色の像でやや小ぶり。
最後に訪れたのがリリオ館(駅前南口にあるショッピングセンター)7階の地区センター内にある麗子像。
中川像と同じく8等身の小サイズの像です。
一通り散策した後亀有駅に戻り、再び常磐線に乗車。
※上の写真は乗車した電車ではありません。イメージということで…
隣の綾瀬駅で下車。
綾瀬駅はJR常磐線と東京メトロ千代田線との境界駅に当たりますが、駅名標等が東京メトロのものなので駅自体は東京メトロに所属しているのかもしれません。
そして0番線に停車している綾瀬支線の電車に乗り換え。
(この0番線を探すのに少々迷いました…)
綾瀬支線は次の北綾瀬まで1駅のみ。
千代田線の車両基地までの引込線を一部旅客化した路線になります。
綾瀬駅を発車してすぐに左手に大きくカーブして北方向へ。
カーブした後少しの間直線区間が続きますが、これだけ見ると本線と何ら変わりない光景ですね。
ちょうど北綾瀬始発の対向列車とすれ違うところ。
終点の北綾瀬駅に到着するところ。
右側の線路には車庫線から出てきた小田急車が停車中。
ということで北綾瀬駅に到着。
綾瀬支線は元々(乗車してきた)3両編成の列車がピストン運行するだけの運行体系でしたが、近年に駅の改良工事がされて本線直通の10両編成の列車も停車できるようになりました。
(上の写真では3両編成の列車が停車中の状態)
以前(3両編成のみの時)は大体30分間隔らしかったですが、本線直通の列車を挟むようになってほぼ10分間隔のダイヤになった感じです。
駅ホームから車両基地方面を撮影。
車内運転室越しからも撮影してみました。
北綾瀬駅の改札。
こちらは環七通りを渡った先にある北口。
北口改札も駅改良工事で出来た感じです。
写真奥の高架部分の下を環七通りが通ります。
駅から北方向に歩いた先の歩道橋から撮影した車両基地の様子。
千代田線メインの車両基地だけあって結構広大です。
ここが東京メトロ線で北の「最果ての地」ということか。
(最北ということで言えば南北線の赤羽岩淵駅とほぼ同等ですが…)
歩道橋から(逆方向の)北綾瀬駅方面を見た写真。
真ん中の2線が北綾瀬駅に通じている「本線」で、左右の2線は少し先で行き止まりになります。
駅に戻る途中で車両基地から出線する車両を撮影。
こうした光景も車両基地周辺ならでは。
片方の行き止まりにある架線は何故か斜めに傾いていました。
事故ではなく意図的に斜めにしたと思われますが、理由は不明…。
北口から再び駅ホームに戻ります。
改札への高架上から見た環七通り。
写真の奥が亀有方面。
逆側を撮影。
奥が西新井方面で、遠くに首都高の高架橋も見えます。
北口改札前。
実はふとここからつくばエクスプレス線の駅(六町もしくは青井)まで歩こうかと思いつきましたが、徒歩だと20分以上かかりそうだったので素直に綾瀬方面に戻ることにしました。
そもそも時刻表を見ても10分間隔とこれだけ本数もあることだし、わざわざつくばエクスプレス線の駅まで歩く必要性もないか。
(というかここまでの行程でさすがに歩き疲れた…)
綾瀬までの復路も3両ピストン運行の電車で。
ちなみにこの車両は東西線で運用されている05系ですが、以前は6000系の試作編成でした。
綾瀬駅手前のポイント。
このまま真っすぐ進むと0番線ホームに到着。
行き止まりの0番線ホームに到着するところ。
3両用のホームでもホームドアが設置されているあたりはさすが。
折しも左側の快速線では上り・下りの電車がすれ違っていました。
綾瀬駅に到着後三たび本線の電車に乗車して北千住方面へ。
「荒川橋りょう」を渡るところ。
本日荒川を渡るのは何度目だったか、と思ったら4回目(2往復目)でした。
荒川を渡ってすぐさまトンネルに突入。
千代田線の北千住駅で下車して…。
すぐさま常磐快速線のホームに移動。
(この間の改札はなし)
常磐快速線のホームは東武スカイツリーラインの地上ホームと隣り合わせ。
北千住駅はこの上につくばエクスプレス線と東武スカイツリーライン(東京メトロ日比谷線)の高架ホームがあり、更に地下に東京メトロ千代田線のホームがあるという実に多層な構造になっています。
ラストは常磐快速線の土浦方面からの列車(いわゆる中電)に乗車。
北千住~南千住間にある隅田川の鉄橋ですが、今度は一番右側の鉄橋を渡る恰好に。
間を少し飛ばして日暮里駅を発車したところ。
京成本線の高架の下を通ります。
終点の上野駅の手前ですが、これは地上ホームに向かう恰好?
ちょうど前方信号下のLED表示で「16」と表示されているので16番線に到着する模様。
ちなみに前方に見える特急車両は「あかぎ」もしくは「草津・四万」用の車両でしょうか?
やはり地上ホームに到着するようです。
乗車した電車は上野駅到着後は回送列車になる感じ。
地上ホーム手前には「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにゆく」という石川啄木の歌碑が。
かつてはここ上野駅の地上ホームもこの短歌のように地方から来た乗客で賑わっていたのですが…。
ホームの先端側に移動してみましたが、人影は全くなくこの寂れようは何とも…。
かつては数多の優等列車(特急・急行など)がひっきりなしで行き交っていたはずですが、新幹線の延伸等による上野発の優等列車の廃止、特に上野東京ラインの開通以後上野駅はターミナル(終着駅)としての役割が急速に失われてきた感があります。
駅名標も次駅の行先が表示されていない(日暮里もしくは尾久になりますが)ので、地上ホームは臨時ホーム的な役割になったということなのでしょうか?
そんな感じで最後は湿っぽい話題になってしまいましたが、本日の行程はこれにて終了。
(というか近場なのにめっちゃ長い記事になってしまった…)
]]>
-
GWのお出かけor乗り鉄2023(その1)
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-04-23
今年のGWお出かけは2回に分けて近場を回るということで。1回目は久しぶり(確認したところ前回は2019年だったので5年ぶり)に青梅の塩船観音つつじ祭りへ。その後併せてJR八高線・相模線を中心としたプチ乗り鉄も…。当日は曇り気味でしたが、つつじは見ごろを迎えたといった感じでした。塩船観音の最寄り駅はJR青梅線の河辺(かべ)駅ですが、まずは立川まで南武線に乗車。(途中の稲城長沼駅にて撮影)途中下車した稲城長沼駅の改札前でも、塩船観音つつじ祭りが紹介されていました。府中本町駅に向かって多摩川を渡るところ。向かって左側に見える橋が武蔵野貨物線、右奥に東京競馬場のスタンドが見えます。府中本町駅を発車してすぐに見えたのがこちら。「東京競馬場から日本一近いパチンコ店」とのことですが、これはギャンブル漬けということか?IRを推進するとか言っている場合じゃないかも…。それはともかく、立川で青梅線に乗り換え。車両は中央快速線と共通ですが。早速運転室前(かぶりつきポジション)に着いたのですが、ちょうど運転席後ろの壁にあった広告がこちら。JR東日本の路線から東海道線・中央快速線・大糸線の3路線を収録したトレインシミュレーターのソフト。PC版(Steam)でのダウンロード販売ということで、基本パックで3路線の一部区間・追加DLコンテンツでそれぞれの路線の全区間(東海道線は東京~熱海間)が体験できるというもの。この位置に広告があるということは、かぶりつき者御用達のソフトということなのか?まあ基本パックで2.980円なので、試してみる価値はあるのかもしれません。立川駅を発車した後ですが、青梅線は青梅(正確に言うと青梅の少し手前)までは複線ではあるものの、この写真を見る限りでは単線区間?実のところこれは中央快速線から青梅線に直通する下り線(青梅方面)専用の連絡線で、この区間だけ単線なのです。この後西立川駅の手前で青梅線の本線と合流します。途中の拝島駅に停車中。前方に駅ホームが延長されていて、中央快速線12両化の準備はできている感じでした。拝島駅を発車後、線路が3方面に分岐。真ん中を直進するのが青梅線(複線)で、向かって左手が五日市線、右手が八高線(それぞれ単線)。手前が隠れていますが青梅線の線路からポイントを経由して八高線の線路に直通できる構造になっています。(以前は中央快速線方面から八高線の高麗川まで直通する列車がありましたが、現在はない模様..
お出かけ・小旅行
ao2
2023-04-23T17:19:38+09:00
1回目は久しぶり(確認したところ前回は2019年だったので5年ぶり)に青梅の塩船観音つつじ祭りへ。
その後併せてJR八高線・相模線を中心としたプチ乗り鉄も…。
当日は曇り気味でしたが、つつじは見ごろを迎えたといった感じでした。
塩船観音の最寄り駅はJR青梅線の河辺(かべ)駅ですが、まずは立川まで南武線に乗車。
(途中の稲城長沼駅にて撮影)
途中下車した稲城長沼駅の改札前でも、塩船観音つつじ祭りが紹介されていました。
府中本町駅に向かって多摩川を渡るところ。
向かって左側に見える橋が武蔵野貨物線、右奥に東京競馬場のスタンドが見えます。
府中本町駅を発車してすぐに見えたのがこちら。
「東京競馬場から日本一近いパチンコ店」とのことですが、これはギャンブル漬けということか?
IRを推進するとか言っている場合じゃないかも…。
それはともかく、立川で青梅線に乗り換え。
車両は中央快速線と共通ですが。
早速運転室前(かぶりつきポジション)に着いたのですが、ちょうど運転席後ろの壁にあった広告がこちら。
JR東日本の路線から東海道線・中央快速線・大糸線の3路線を収録したトレインシミュレーターのソフト。
PC版(Steam)でのダウンロード販売ということで、基本パックで3路線の一部区間・追加DLコンテンツでそれぞれの路線の全区間(東海道線は東京~熱海間)が体験できるというもの。
この位置に広告があるということは、かぶりつき者御用達のソフトということなのか?
まあ基本パックで2.980円なので、試してみる価値はあるのかもしれません。
立川駅を発車した後ですが、青梅線は青梅(正確に言うと青梅の少し手前)までは複線ではあるものの、この写真を見る限りでは単線区間?
実のところこれは中央快速線から青梅線に直通する下り線(青梅方面)専用の連絡線で、この区間だけ単線なのです。
この後西立川駅の手前で青梅線の本線と合流します。
途中の拝島駅に停車中。
前方に駅ホームが延長されていて、中央快速線12両化の準備はできている感じでした。
拝島駅を発車後、線路が3方面に分岐。
真ん中を直進するのが青梅線(複線)で、向かって左手が五日市線、右手が八高線(それぞれ単線)。
手前が隠れていますが青梅線の線路からポイントを経由して八高線の線路に直通できる構造になっています。
(以前は中央快速線方面から八高線の高麗川まで直通する列車がありましたが、現在はない模様)
途中ふっさ(福生)・おざく(小作)と、やや難読な駅名があったりします。
青梅に近づくにつれて、山が見えてきました。
そうこうしているうちに最寄りの河辺駅に到着。
以前は留置線だった場所に新しいホームができていました。
(12両化にも対応している模様)
河辺駅の駅前。
思ったほど混雑はしていませんでした。
駅に着いて次のバスが来るのが20分位後でしたが、つつじ祭りということで10分程で臨時便のバスが到着したので乗車します。
(しかも最寄りバス停までの直行便でした)
最寄りバス停から5分くらい歩いて塩船観音の山門(仁王門)前に到着。
山門から階段を上がった先にある阿弥陀堂で、まずお参り。
塩船観音の境内案内図。
入口の仁王門から阿弥陀堂を経て薬師堂・本堂・護摩堂などの建造物があり、見どころのつつじ園の頂上に塩船平和観音像があります。
尚塩船観音の正称は「大悲山観音寺」で、通称「塩船観音寺」と呼ばれています。
本堂の下にある薬師堂。
この手前に入山受付があり、つつじ園を含む境内は別途入山料がかかります。
※入山料:大人300円(つつじ祭り期間中のみ)
薬師堂横の階段を登った先にある本堂。
本堂を別の角度から。
本堂は別名「圓通閣」といい、ご本尊は千手観音像(塩船観音の名前の由来でもある)。
この本堂を含め、塩船観音の堂の屋根は茅葺き屋根なのが特徴の一つです。
本堂から左手に進み、メインの見どころつつじ園へ。
写真中央に見える建物は護摩堂。
反時計回りでつつじ園の周囲を回ってみることに。
写真中央に見えるのは招福の鐘(左側)と七社権現社(右側)。
写真には見えませんが更に右手に児玉稲荷社もあり。
ちなみに招福の鐘は突くことができます。
(但し連打は厳禁とのこと)
山腹から頂上の塩船平和観音像を見た写真。
園内のつつじは全満開という訳ではないですが、見ごろを迎え始めたといった感じ。
山腹から(麓の)護摩堂方面を見た写真。
園内の頂上にある塩船平和観音像(の前に到着)。
平和観音像の足元から麓方面を見た写真。
今度は頂上から下る方向で周囲を進みます。
下る途中で対面方向(登り方向で通った道)を見た写真。
こう見るとつつじは満開に近いのかも。
(手前の株はまだ開花前ですが)
園内のつつじも開花前・満開・花が散った後とつつじの種類によって状態が分かれていました。
頂いたパンフレットと照らし合わせると開花時期が一番早いミツバツツジが花が散った後、真ん中のヤマツツジやクルメ・キリシマツツジ系が満開、開花時期が一番遅いリュウキュウツツジ系がまだ"開花前といった感じでしょうか。
園内を一通り周回して護摩堂前の広場に降りてきたところ。
この広場ではつつじ祭りの期間中(5月上旬)に大護摩火渡り荒行などの行事が行われます。
護摩堂の裏側にある観音池付近から見たつつじ園と平和観音像。
少し高い場所から護摩堂方面を見た写真。
その後休憩所で昼食を取り、塩船観音を後にします。
で、塩船観音の後にどこに行くかですが…。
先ほどの地図を拡大。
前回(5年前)は西の方向に進み吹上しょうぶ公園や青梅鉄道公園に行きましたが、今回は逆に東の方向に進んでみようかと。
といっても目立った観光スポットは見当たりませんが、城の跡などいくつかはありそうです。
最終的にJR八高線の金子駅に辿り着こうかと。
(先の周辺地図には記載がないので、少し広範囲の地図を貼り付けしてみました)
塩船観音から最寄りバス停付近の交差点(塩船観音寺入口)に戻り…。
行きに来た河辺駅方面とは逆方向の東方面に進みます。
途中車道から少し南寄りの川(霞川)沿いを歩きます。
午前中は曇りでしたが天気も回復し、沿道のつつじも綺麗でした。
GoogleMapで確認するとこの辺りに城の跡(藤原城跡)があるとのことですが、奥に見える丘がそうなのでしょうか?
丘の上は公園になっていて、この辺りが城の跡らしいです。
(上の写真の中央やや左下に藤原城跡の碑がある)
丘の上から塩船観音方面を見た写真。
再び川沿いを歩き…。
(奥が塩船観音方面)
途中神社があったのでお参り。
(浮島神社という名称)
再びGoogleMapで確認するとこの辺りにも城の跡があるらしいとのことで、恐らく奥に見える丘がそうではないかと。
入口がよく分からなかったですが、ここが今井城という城の跡らしいです。
城といっても建物の遺構は一切なく、空堀や土塁といった地形の一部が辛うじて確認できる感じでした。
(真ん中のくぼみが空堀と思われる)
再々度川沿いへ。
鯉の大群に出くわしたのでアップで撮影してみました。
1匹だけ錦鯉がいます。
川を渡る橋にさしかかりましたが、渡った先は埼玉県(入間市)でした。
埼玉県に突入するとは思わなんだ…。
まだ4月ですが藤の花が咲いていました。
住宅街を抜けた後金子駅に着いたものの、駅の改札は線路を挟んで反対側…。
急いで反対側に渡る踏切を探している途中、乗る方向の列車が到着してしまった!?
踏切を渡り駅の改札に到着。
どうやら対向列車待ち合わせらしく、乗車に間に合った模様。
急いで駅名標を撮影して…(何気に国鉄タイプの駅名標だったりする)。
滑り込みセーフ!で乗車しました。
新緑の中を線路が一直線に伸びています。
八高線は単線なものの、乗車中の高麗川~八王子間は電化されているので架線があります。
※引き続き基本かぶりつき視点にて撮影
両側をコンクリートの壁で挟まれていて半トンネル状態?な感じ。
(もしかしたら元はトンネルだったのかも…)
米軍横田基地の前を通過。
拝島駅の手前、青梅線と合流する地点。
この先色々ポイントがあるためか、信号がやたらありますが…。
拝島駅に到着するところ。
(到着後対向列車待ち合わせのため少々停車)
拝島駅を発車した後、青梅線の線路を跨ぐところ。
その後多摩川を渡ります。
側面から下流側を撮影。
途中小宮駅に到着するところ。
台地の上を右側にカーブして走行。
終点の1つ手前、西八王子駅に到着するところ。
西八王子駅で対向列車とすれ違い(のため少々停車)。
多摩川の支流の浅川を渡るところ。
右にカーブした後中央線と合流します。
(またもや信号がいっぱいある)
終点の八王子駅に到着するところ。
留置中の貨物車両や横浜線の車両も見えます。
ということで終点の八王子駅に到着。
乗車した車両の形式部分を撮影。
「モハ209-3501」とありますが、うっすらと元の形式も見え、元は「モハ209-502」だったらしい。
現在この車両は「209系3500番台」ですが、中央・総武緩行線で運用されていた「209系500番台」からの改造車ということでしょうか?
ホームの隣側には中央線の上り列車が停車していましたが、今回は中央線には乗車せずに…。
横浜線に乗車します。
八王子駅を発車後程なくして京王線と交差します。
(以前高尾山に行った際は京王線側から横浜線の線路を撮影しましたが…)
横浜線内では一番新しい駅となる八王子みなみ野駅に到着するところ。
八王子みなみ野駅を発車した後は横浜線内随一の山あい区間。
一見単線に見えますが、八王子方面に向かう下り線の線路は右側にあります(トンネル区間)。
トンネルを抜けた後に相原駅に到着するところ。
橋本駅の手前で国道16号線の下を通過。
橋本駅に到着するところ。
橋本駅に到着。
橋本駅で「あるもの」を見るために一旦改札の外に出ます。
「あるもの」とはリニア新幹線の神奈川新駅(仮称)の建設現場。
既存の橋本駅の西側にできる予定ですが、ご覧の通り巨大な盛り土が見えます。
少し離れた場所から撮影。
この地点は京王相模原線の橋本駅改札前。
先ほどの地点から南よりに歩き、横浜線の線路を跨ぐ京王相模原線の高架橋を撮影。
現状駅の手前で大きくカーブして横浜線の線路と平行して橋本駅に到着する構造ですが…。
リニア新幹線新駅建設に伴う再開発によって、京王線の高架橋を直進させて西寄りに駅を移設する計画があるらしいです。
(上の写真で言うと、左側に見える高圧線鉄塔の辺りに高架橋を持っていくというイメージ?)
建設現場を囲う壁にあったイラストですが、額縁から(リニア新幹線の)車両の鼻が突き出しているという何とも面白い構図。
(ご丁寧に「鼻」の下に影が描かれているのがリアルです)
最後に遠目から建設現場を撮影。
ちなみにこの場所ですが、元は高校があったようです…。
駅に戻り、今度は相模線に乗車。
実は相模線もこの度車両のリニューアルがあり、昨年房総ローカル線で乗車したE131系と同タイプの車両(500番台)が導入されました。
橋本駅を発車後、国道16号線の下を通過。
ちなみにこの車両ですが、全面中央に貫通扉がある構造のため「かぶりつき撮影」が困難で、縦長の構図にトリミングした構図で加工しています。
遅ればせながら相模線も単線です。
ということで対向列車とすれ違いで少々駅で停車することもしばしば。
途中に原当麻(はらたいま)という駅がありますが、昭和世代の筆者はどうしても「はらたいら」さんを思い出してしまいます。
※はらたいら=「巨泉のクイズダービー」にも出演していた漫画家(故人)
「はらたいらに3000点」などの名言もあり。
架線よりも遥かに巨大な送電線が目立つ区間。
この辺りは相模川に接近しています。
(奥に見える山の手前を相模川が流れる)
再び対向列車と待ち合わせ。
遠方に大山が見えます。
相模線は単線ながらも列車本数も割と多い(約30分間隔)ので大抵の駅には行き違い設備がありますが、中には上の写真のような行き違い設備の無い駅もあります。
(海老名の1つ手前の入谷駅か?)
相模川(西側)の反対側は台地になっています。
(奥は相鉄線のかしわ台方面か?)
踏切の奥に見えるのは国道246号線の高架橋。
もう少しで海老名駅に到着するところ。
ということで海老名駅に到着。
駅到着後にふと形式部分を再度撮影したところ、「クモハ」の表記が。
リニューアル後の相模線車両も(リニューアル前と同じく)4両編成ですが、通常は「クハ(Tc)+モハ(M')+モハ(M)+クハ(Tc)」の構成になるはず。
今回クモハがあるということは「クモハ(M'c)+モハ(M)+サハ(T)+クハ(Tc)」という構成に変わったようです。
※補足説明
Tc(ク)=制御車(運転台のある車両)
M(モ)=電動車(中間車でモーター付き。M'だとパンタグラフもあり)
T(サ)=付随車(中間車でモーター無し)
Mc(クモ)=制御電動車(運転台ありでかつモーター付き。(M'cだとパンタグラフもあり)
「ハ」は普通車の意。
これ以上はGoogleないしは鉄道情報誌等で調べて下さい。
長々と説明しましたが、本日の行程的にはここで終了です。
※上の写真は橋本方面へと進む相模線の電車
ここからはおまけで…。
ロマンスカーミュージアム前にある自販機がこちら。
小田急の歴代ロマンスカーのデザインになっています。
(左からSE車・NSE車・LSE車か?)
自販機の裏面もご丁寧に(各車両の)背面も再現されています。
ミュージアム入口の横にはロマンスカーを模した撮影台もありました。
最後は相鉄線で横浜方面に戻りました。
ついでに海老名駅で撮影した相鉄線時刻表の補足説明も…。
こちらは海老名発列車の平日時刻表。
平日時刻表の一部を拡大。
6~8時の時間帯で通勤急行(赤)及び通勤特急(赤紫)の設定があります。
こちらは海老名発列車の土休日時刻表。
横浜駅と同様に各駅停車の他には快速と特急しかありません。
ということで当日の行程終了。
(その2に続く)
]]>
-
東急・相鉄直通線開通に伴う乗り鉄
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-03-23
ということで3/18にようやく開通した東急・相鉄直通線(東急新横浜線/相鉄新横浜線)に早速乗車してみました。最寄りの日吉駅からスタートして新規開業した新綱島・新横浜、既開業の羽沢横浜国大の各駅で下車。その後ボーナスで相鉄いずみ野線のゆめが丘駅にも行ってみるという行程です。開業日の3/18(土曜日)は混雑が予想され天候も思わしくなかったため、翌々日の3/20(月曜日)で決行。日吉駅の改札に到着したところ、新しく設置された案内板に海老名・大和といった見慣れない行先が…。ホームの駅名標も更新され、東横線・目黒線共に新しい行先として「新綱島」が追加されました。で、2番線(目黒線の新横浜方面)に到着したのは真新しい相鉄車の海老名行き。正面には「祝・開業」のヘッドマークが掲げられ、左下には相鉄線のゆるキャラ「そうにゃん」のステッカーも見られました。※写真には映っていませんが、そうにゃんの反対側(右下)には東急線のゆるキャラ「のるるん」のステッカーがあります。日吉駅を出発後すぐさまトンネルへ。かぶりつきは先客多数につき不可だったので横からの撮影のみ。(これはまたの機会ということで…)代わりといっては何ですが、前日に撮影したこの地点の周辺写真を。ちょうど先程のトンネルに入る付近の地点ですが、以前は線路の向こう側に車も通れる道があったものの新線の建設に伴い道が閉鎖され、代わりに線路の下を通る地下歩道ができました。こちらは綱島街道側の入口。地下道の部分。徒歩の他自転車も通行可能です(但し自転車は降りて通行してくださいとのこと)。反対側の出口。地下道は階段(スロープ)の他エレベーターも併設されています。以前はここから線路の向こう側(綱島街道側)に行けましたが、ちょうど真正面に新線の線路があるためご覧の通り道は塞がれています。先ほどの地下歩道から300mほど綱島寄りの地点ですが、正確にはこの辺りで地下(トンネル)に入ると思われます。(前日撮影分のパートはここまで)
鉄道・鉄道旅行
ao2
2023-03-23T10:53:08+09:00
最寄りの日吉駅からスタートして新規開業した新綱島・新横浜、既開業の羽沢横浜国大の各駅で下車。
その後ボーナスで相鉄いずみ野線のゆめが丘駅にも行ってみるという行程です。
開業日の3/18(土曜日)は混雑が予想され天候も思わしくなかったため、翌々日の3/20(月曜日)で決行。
日吉駅の改札に到着したところ、新しく設置された案内板に海老名・大和といった見慣れない行先が…。
ホームの駅名標も更新され、東横線・目黒線共に新しい行先として「新綱島」が追加されました。
で、2番線(目黒線の新横浜方面)に到着したのは真新しい相鉄車の海老名行き。
正面には「祝・開業」のヘッドマークが掲げられ、左下には相鉄線のゆるキャラ「そうにゃん」のステッカーも見られました。
※写真には映っていませんが、そうにゃんの反対側(右下)には東急線のゆるキャラ「のるるん」のステッカーがあります。
日吉駅を出発後すぐさまトンネルへ。
かぶりつきは先客多数につき不可だったので横からの撮影のみ。
(これはまたの機会ということで…)
代わりといっては何ですが、前日に撮影したこの地点の周辺写真を。
ちょうど先程のトンネルに入る付近の地点ですが、以前は線路の向こう側に車も通れる道があったものの新線の建設に伴い道が閉鎖され、代わりに線路の下を通る地下歩道ができました。
こちらは綱島街道側の入口。
地下道の部分。
徒歩の他自転車も通行可能です(但し自転車は降りて通行してくださいとのこと)。
反対側の出口。
地下道は階段(スロープ)の他エレベーターも併設されています。
以前はここから線路の向こう側(綱島街道側)に行けましたが、ちょうど真正面に新線の線路があるためご覧の通り道は塞がれています。
先ほどの地下歩道から300mほど綱島寄りの地点ですが、正確にはこの辺りで地下(トンネル)に入ると思われます。
(前日撮影分のパートはここまで)
本題に戻り、新規開業した新綱島駅に到着。
真新しい新綱島駅のホーム。
1面2線の、いわゆる「島式ホーム」の構造。
勿論ホームドアも最初から設置されています。
時刻は10:20頃でしたが、行先案内を見るとこの時間帯はほぼ急行オンリー。
反対の都心方面の列車も目黒線の急行が中心なので、つまりは目黒線の急行列車が基本相鉄線方面に直通する運用体系になっているということでしょうか?
尚同駅に停車する列車は現状6両・8両・10両の3パターンの模様。
将来的には目黒線の列車が8両に統一されると思われますが…。
駅の改札も出来立てほやほやな感じ。
駅改札のそばには新綱島駅のデザインコンセプトについての説明があり、鶴見川に囲まれた「川のまち」、川を利用して栽培された「桃のまち」、東京の奥座敷と呼ばれた「温泉のまち」をイメージしたと解説があります。
綱島が温泉街だったのはかなり昔の話で現在駅の周辺には面影がありませんが…。
ちなみに既存の東横線綱島駅も古くは「綱島温泉」という駅名だったそうです。
駅周辺の地図。
ちょうど既存の東横線綱島駅から、綱島街道を挟んで反対側にあります。
地上に出る通路を抜けて…。
地上出口に到着。
新綱島駅の出口は2ヶ所ありますが、こちらは日吉寄りの北口。
駅周辺は現状とりあえず駅のみができたという感じで、目下タワマンを中心とした複合施設として再開発が進行中。
ちなみに再開発と書きましたがこの地点に以前何があったかというと、その名もずばり「綱島温泉」という(今でいう)スーパー銭湯のような施設がありました。
なのでこの施設が「温泉街」と言われた最後の地だったかもしれませんね。
(綱島温泉が写っていた写真はさすがに持っていませんが…)
既存の東横線綱島駅までは徒歩で3分程度といったところ。
駅周辺でちょっと野暮用を済ませた後、再び新綱島駅に戻ります。
駅に戻る途中で建設中のタワマンを真下から撮影。
(手前の道は綱島街道)
遠方(鶴見川のやや上流地点)から見た綱島及び新綱島駅方面。
建設中のタワマンの姿も分かります。
※この写真は前日に撮影
まだ建設中ですがマンションは既に完売した模様…。
今度は駅の南口から入ります。
改札上の行先表示器を見ると、やはり急行オンリーな感じ。
尤も新横浜方面の列車は次の新横浜から先(つまりは相鉄線の区間)は各駅停車に変わる運用が大半のだったりします。
更に券売機上の運賃表を見たのですが、何と次の新横浜(1駅)までで250円という高額な運賃設定。
溝の口や蒲田までと同じ運賃とは、これまた何とも…。
こちらは日吉駅で撮影した運賃表。
日吉~新横浜間も250円ですが、これは従来通り菊名経由(JR線乗り換え)で新横浜に行く場合より安いので、こちらまあ妥当か。
(尤も綱島でも既存の菊名経由よりは幾分か運賃は安いのですが)
ちなみに3/18のダイヤ改正で初乗り運賃自体も140円に値上げされています(改正前は130円)。
とりあえず新駅ということで、次の新横浜まではICカードではなくきっぷを買ってみました…。
そして1駅のみ乗車して…。
新横浜駅で下車。
新横浜駅のホームは2面3線の構造。
真ん中の線路(2・3番線)で列車の折り返しができるようになっています。
反対側から撮影。
駅に着いた時には真ん中の線路に折り返しの列車が停車中。
短い6両編成だったので、6両編成の列車は新横浜止まりになるということでしょうか?
ホーム先端から羽沢横浜国大方面を見た写真。
この先が相鉄線の区間になりますが、相鉄線方面からでも列車の折り返しができる構造になっていることが分かります。
こちらは逆にホーム先端から新綱島方面を見た写真。
よく見るとさらに前で写真を撮ろうとしている方の姿も…。
1・2番線が相鉄新横浜線、3・4番線が東急新横浜線ということで、当駅は相鉄と東急との境界駅になります。
駅の北改札。
やはり利用者は多く、通行する方の列がひっきりなしに続きます。
改札を出た目の前に市営地下鉄ブルーラインの改札があります。
駅周辺の案内図。
これだと分からないと思うので…。
部分的に拡大(かなり強引ですが…)。
新横浜線はちょうど駅の前を通る環状2号線の真下を並行に通り、地下鉄ブルーラインの線路とは直交(新横浜線のホームはブルーラインより深い位置)。
駅前広場と駅ビル(キュービックプラザ新横浜)を挟んで東海道新幹線の駅があり、その下を(JR)横浜線が斜めに通るというのが全体的な構造といったところ。
右側の構内案内図。
黄色い表示が各出口ですが、元々地下鉄ブルーライン用の出口にこの度新横浜線の開通に合わせて新たな出口がいくつかできた感じです。
新幹線の駅寄り、ブルーラインの改札から新幹線の改札につながる階段。
この辺りは元からあった出口です。
新幹線の駅とは反対方向、日産スタジアム方面に向かう通路(出口)。
ラーメン博物館やWINS新横浜もこちらの方向になります。
こちらが新たにできた、新横浜線改札から新幹線改札への最短方向の出口。
左奥に見える長いエスカレーターを登ると…。
ちょうどこの位置(駅ビル前の広い歩道橋上)に出ます。
地下からのエスカレーターの出口。
奥に見えるのはプリンスホテルのタワー(プリンスペペがある場所)。
更に奥が横浜アリーナ方面。
(前の写真の)逆方向を撮影。
右側の大通りが環状2号線、奥が羽沢横浜国大駅方面。
駅ビル内に入り、新幹線の改札前。
直通線開通の垂れ幕も掲げられています。
東海道新幹線の列車案内を見ると最短で2分、長くても10分以内という通勤電車並みの過密ダイヤ。
(勿論今回は乗車しませんが…)
一旦昼食を取った後、再び地下の改札へ。
今度は元からあった出入口から。
出た時の反対側にある南改札から入ります。
次の羽沢横浜国大までは230円。
こちらも高めな運賃設定。
新横浜から相鉄線方面ですが、日中は毎時4本(およそ15分間隔)といったところ。
そしてまたまた1駅のみ乗車です。
そして羽沢横浜国大駅に到着。
駅名標の以前との違いは、都心寄りの行先に新横浜が追加されていること。
平仮名表記の駅名標。
「はざわ よこはまこくだい」と途中でスペースが入っているのが特徴的。
そして一気に増えた停車駅の案内。
以前は相鉄線内の他は緑色の路線(JR線)のみでした。
ちなみに相鉄車の最大乗り入れ先ですが、東急目黒線方面は埼玉高速鉄道線の浦和美園(終点)及び都営三田線の西高島平(同じく終点)、東急東横線方面は副都心線の和光市までとなります。
(相鉄車では東武線及び西武線への乗り入れ運用はない模様)
更に言うとJR線方面は当初の新宿から池袋まで運用範囲が延長したようです。
駅構内では以前と違い東急車の姿も見られるようになり…。
かというとJR車の姿も見られるという、一気にバラエティが増えた感じです。
以前(開業時)は日中の場合30分間隔でしたが、今回直通線が開通した後は日中でも10分間隔で電車が来るようになり、ようやく同駅の運用が本格化した感じです。
改札前の行先表示器ですが、同じ各駅停車でも下り(海老名・湘南台方面)は白1色なのに対して上り(都心方面)は色分けされているのに気づきました。
後で確認したところ、方面別で色分けされている模様。
緑がJR線・紫が東横線・水色が目黒線を経由する列車とのことです。
同駅では各駅停車以外の列車(特急・急行)でも各駅停車と同じで、列車種別ではなく方面別で色分けするという用法を取っています。
(誤乗防止の観点からだそう)
駅ホームと改札周辺を一通り周った後、改札の外に出てみました。
駅舎と駅改札前は以前(駅開業時)と変化は無いですが…。
駅のすぐ横でタワマンが建設中でした。
駅改札前に専用のブースも設けられ、見たところタワマンの下層は複合商業施設として建設されるようです。
駅舎&建設中のタワマンを駅前の歩道橋を渡った先から撮影。
手前の道は環状2号線。
タワマンの奥が横浜国大方面か。
前の写真の反対側(新横浜方面)を撮影。
向かって右側が羽沢貨物駅、その奥がJR直通線(東海道貨物線)との合流地点。
更に奥には第三京浜も見えます。
駅開業時には周辺に店舗等がありませんでしたが、今回訪問時の時点で新たにドラッグストアが出来ていて、建物の2階はクリニックモール(内科・耳鼻科などいくつかの診療所(クリニック)がまとめて入居している形態)になっています。
駅改札に戻り、券売機の横にある時刻表を確認。
左側の新横浜・東急線直通方面が今回増加分ということになり、既存のJR線方面と合わせると日中でも毎時10分間隔で、平日朝の時間帯だと最短4分間隔で電車が来るようになったということですね。
ちなみにこちらは同駅の駅開業時の時刻表(2019年12月撮影)。
前の写真と比較すると、JR線方面に限れば今回のダイヤ改正で大きな変動は無いようです。
要するに今回の東急直通線開業を見越して最初から少ない本数のダイヤだったということか…。
同駅の運賃表。
1駅先の新横浜と、(西谷経由の)横浜とで運賃がほぼ同じ(横浜の方が10円高い)という運賃設定でした。
ホーム先端から見た新横浜・JR直通線方面。
以前は両脇のJR直通線方面しか電車が通りませんでしたが、今回ようやく中央2線の新横浜方面の線路も使用されるようになったわけです。
駅の散策はここまでで西谷方面に向かいますが、折しもJR線方面から来た電車が到着。
乗車した電車は海老名方面でここからはいずみ野線・湘南台方面に向かうので一旦西谷駅で下車します。
西谷駅の駅名標自体は変動ないですが、下の時刻表や停車駅案内は大きく変わりました。
上り方面の行先案内。
3番線(横浜方面)はシンプルですが、4番線の行先は新宿(JR線経由)の他和光市(東横線経由)や西高島平(目黒線経由)と実に賑やかになった感じです。
運転間隔もきっちり10分毎で揃っていました。
(横浜方面はややばらつきがある)
駅改札反対側のトイレの入口にはそうにゃんの姿も…。
西谷駅にある二俣川方面の留置線も(今回のダイヤ改正後)頻繁に利用されるようになりました。
※同駅に絡む列車運用については記事の最後に触れます
そうこうしているうちに湘南台行きの電車に乗車したので乗車。
(いずみ野線のゆめが丘まで乗車)
二俣川までのわずかな間ですがかぶりつき。
(この後いずみ野線はトンネルが続く区間のため&先客がいたのでかぶりつき不可)
なので側面から車窓風景を撮影。
緑園都市~弥生台間の高架区間で、下を走る道路は瀬谷柏尾線。
(瀬谷区、国道246号線の「瀬谷入口」という交差点から戸塚区、国道1号線の「不動坂」という交差点まで通る道)
この道は仕事で通ることがあったっけ…。
いずみ野駅に到着。
ホームドアに貼られている駅名標で失礼。
というか相鉄線もホームドア設置駅がだいぶ増えた感じです。
(以前は横浜駅にしかありませんでしたが…)
いずみ野駅を出て小さい川を渡り…。
(地図で確認したところ「和泉川」という名前の川らしい)
前の写真の地点から90度半時計側に回る感じで電車の進行方向が西向きから南向きに変わります。
上の写真は車窓は側面からなので西側を見ていて、遠くには大山も見えます。
いずみ中央駅に到着。
駅名標後ろのホームドアが開いたままなので、同駅に関してはホームドアはまだ準備中の模様。
ということはいずみ野線内では前のいずみ野までがホームドア設置済み駅ということか。
特徴的な橋を渡ると…。
ゆめが丘駅に到着。
最後の目的地ということで、同駅で下車します。
ゆめが丘駅のホームはとても特徴的。
ホームからいずみ中央駅方面を撮影。
実はゆめが丘駅の周辺では目下大規模開発中で、今回その様子を見るためにここに来た訳で…。
大規模開発は複合商業施設を中心としたもので、付近にある地下鉄ブルーラインの下飯田駅まで含めてかなりの規模になりそうです。
ちなみに上の写真をよく見ると敷地の真ん中にぽつんと残された家屋があったりしますが、既に立ち退き済みのようなので近く取り壊されるのではないかと。
駅改札前の周辺案内図でも…。
周辺案内図を一部を拡大。
駅の周辺に「泉ゆめが丘地区 土地区画整理事業実施中」のシールが貼られています。
ゆめが丘駅自体は1999年(平成11年)開業したものの駅周辺には「何もない」状態が続いていました(実際最近まで相鉄線内で最も利用者が少ない駅だった)が、開業から20年以上経ってようやく駅前の開発が進行し始めた段階となりました。
ということで改札を出て駅周辺を散策するとします。
先ほどの改札口(北口?)からいずみ中央方面に向かう方向に駅前公園があり、現状この一角だけ整備されている感じでした。
その先には先程車内からも撮影した環状4号線を跨ぐ橋が。
凄く特徴的な構造の橋ですが、「ニールセン・ローゼ橋」という形態で在来鉄道で日本初とのこと。
(道路橋を含めると国内で他にもありますが、鉄道では唯一かもしれない)
現状ゆめが丘駅周辺で随一のランドマークと言えるでしょう。
橋下の横断歩道を渡り、環状4号線越しにゆめが丘駅全景(?)を撮影。
駅手前の広い敷地は目下工事中で周辺は囲いで覆われているため駅の全景は見えませんでしたが、かつては工事中の敷地は畑(もしくは空き地)で、駅の全景がはっきりと見えました。
更に環状4号線を南に進み…。
地下鉄ブルーラインの下飯田駅に到着。
下飯田駅は地下駅(半地下)の構造。
ちなみですが(相鉄線の)ゆめが丘駅も開業前の仮称は「下飯田」だったそう。
ブルーラインの方は仮称がそのまま正式な駅名に採用されたので下飯田です。
下飯田駅前から見たゆめが丘駅方面。
目の前には駅前ロータリーがありましたが、既存の駅前ロータリーが撤去され駅の西側(上の写真で言うと左側)に移設されました。
一旦ゆめが丘駅まで戻りますが、この辺りから駅へ向かう道路は閉鎖されているため先程のニールセン橋まで引き返して迂回する形になります。
駅に戻ってきましたが、こちらは反対側の南口。
駅前の歩道も仮囲いで囲われているため、現状手狭な感じ。
こちらは閉鎖中の(ゆめが丘)駅前から環状4号までショートカットできる道ですが…。
付近にあった周辺の案内を見ると、この道が赤い字で「3月20日15:00から開通」と記載あり。
現在の時刻を確認したところ14:30ちょっと前なので、あと30分で開通ということか?
時間をつぶすため引き続き周辺を回ってみることに。
駅から南方向に歩き、新しくできた下飯田駅の駅前ロータリーに到着。
(写真の中央奥が下飯田駅の駅舎)
駅前ロータリーができたといっても全体的に仮囲いがされて盛土のままの箇所も見られるので、現状仮開業といったところでした。
線路の僅かなすき間から地下鉄の電車を撮影。
先ほど駅の説明で「半地下」と言いましたが、この辺りはかなり浅い所を通っていて地上が見える「吹き抜け」の区間も点在しています。
ゆめが丘駅に戻る途中にも公園がありましたが、このすべり台のデザインは相鉄線の車両をイメージしているのでしょうか?
すべり台本体の色は新車両の「ヨコハマネイビーブルー」っぽいですが、その横の車両の色がオレンジなので…。
すべり台を別の視点から撮影。
パネルにある車両の「台車」のイラストは実に忠実ですが、車両本体部分の色はやはりオレンジ。
ひょっとしたら(安全面の観点から)目立たせるようにするために敢えて色を変えたのかもしれませんね。
15時を少し回った時点で先ほどの地点に。
写真には映っていませんが交差点の手前にあった仮囲いが完全に撤去されておらず、一般車の通行も特になかったので本当に開通した…のか?という感じでした。
これ以上待機してもしょうがないので、駅に戻ることに。
ゆめが丘駅のみやげといえばこちら、「夢と希望をかなえる硬券乗車券」。
記念と言うことでこちらを購入することに。
ゆめが丘→希望ヶ丘間の硬券乗車券で、通称「ゆめきぼ乗車券」。
合格祈願の御利益があるということで、特に受験生の方々に好評です。
ちなみにきっぷの右側にあるのは次の湘南台駅でゲットした「そうにゃんバッジ」。
当日入手した相鉄線関連グッズの紹介ということで。
駅ホームに戻り、湘南台まで乗車。
(といっても1駅だけですが…)
湘南台までは地下鉄ブルーラインの線路と並走。
相鉄線・地下鉄ブルーライン共湘南台駅は地下ですが、相鉄線の方がホームが低い位置にある関係で先に相鉄線がトンネルに入る恰好です。
ということで湘南台駅に到着。
現状ここ湘南台がいずみ野線の終点ですが、この先西側への延伸計画自体はあるようでホームの先端は一応延伸できるような構造にはなっています。
現状(新幹線の新駅ができるとされる)倉見までの延伸計画がありますが、いつになることやら…。
以前は(行先が)横浜オンリーでしたが、遠路川越市まで行く列車もあったりします。
川越市は東武東上線の駅なので、割とレアな便?
ちなみに東武線(東上線)が相鉄線方面の乗り入れを行うのに対して、西武線(池袋線)は相鉄線方面の乗り入れはせずに従来通り東横線の乗り入れのみとするなど、各鉄道会社によって対応が異なっています。
ホームからの階段を上がると、「そうにゃんだい」の駅名標を含めたパネルが。
直通線開業前まではここで(開業日までの)カウントダウンが表示されていたようです。
※先ほど「ゆめきぼ乗車券」の項で紹介したそうにゃんバッジは右側にあるガチャガチャで入手しました。
地下ホームから地上に出たところ(正面が小田急線の湘南台駅)。
駅前ロータリーに停車中のバスが神奈中バスなので、神奈川県央(相模国)にたどり着いたなという感じを受けます。
(尤も先のゆめが丘駅周辺も神奈中バスの勢力範囲内ですが)
駅舎は見えるものの改札入口がよくわからなかったので再び地下へ。
こちらは地下鉄ブルーラインの湘南台駅改札。
その横に小田急線の改札がありました。
地下の改札から入りましたが湘南台駅の(小田急線の)ホームは地上にあります。
(もちろん当初は小田急線の駅しか無かったので…)
(相鉄本線と接続する)大和まで乗車します。
上の写真は逆方向の藤沢行きですが、イメージということで…(車両は同じです)。
既に乗車済みの路線なので目新しいものはないですが、一応かぶりつきの写真を…。
大和で(再び)相鉄線に乗り換えですが、大和から乗車したのは浦和美園行きの東急線車両。
この辺りまで東急線の車両が顔を見せるようになったのは結構驚きかも。
ラストは横浜駅に到着(西谷で横浜行きに乗り換え)。
折り返しの行先表示がピントが合ってなくて見えずらいですが…。
行先は西谷行き。
実は今回のダイヤ改正の大きな変更点の1つで、横浜発着の各駅停車は西谷止まりが大半になったようです。
先に西谷駅の留置線に電車が止まっていた写真を載せましたが、要はこの留置線を活用して横浜~西谷間で各駅停車の運用を増やした格好です。
※尚横浜駅では以前から1番線は各駅停車、2・3番線は快速・特急などの優等列車が発着します(正確には横浜発の列車)。
2・3番線の行先表示。
海老名もしくは湘南台行きは以前と変わりないですが、なぜかこの時は快速オンリーでした。
横浜駅の時刻表を確認したところ、今回のダイヤ改正では横浜発の優等列車は特急と快速だけになった模様?
特に17時以降はほぼ快速のみといった感じで、先程の快速オンリーの行先表示についても成程そういうことか、と納得。
そして停車駅の案内をよく見ると…
どうやら今回のダイヤ改正で急行が消滅した! 模様。
相鉄線の急行といえば横浜~二俣川間をノンストップ運行するという相鉄古来の優等列車でしたが、以前は単なる通過駅だった西谷が今回の改正で接続駅としての重要度がより増したため全ての列車を西谷停車にする必要性があるという事情を考えると、今回の急行廃止はやむを得ないということか…。
尚急行と比較して西谷・鶴ヶ峰に停車する「通勤急行」と特急と比較して鶴ヶ峰に停車する「通勤特急」は残りますが、先刻見たとおりこれらの列車種別は横浜発では存在しないようです。
これはどういうことかと言うと…
西谷駅で撮影した上り(横浜方面)の時刻表。
平日の朝ラッシュ時間帯(6~8時台)で赤い表示があり、これが通勤急行。
写真には乗っていませんが土休日の同一時間帯は(各駅停車の他は)快速・特急のみなので、通勤急行は平日朝上りのみの設定ということになります。
同様に西谷駅で撮影した羽沢横浜国大(JR・東急直通線)方面の時刻表。
こちらも平日の朝ラッシュ時間帯(7~9時台)で紫の表示があり、これが通勤特急。
やはり平日朝上りのみの設定で、土休日は各駅停車もしくは特急のみです。
こちらに際しては西谷以降では列車種別に関わらず停車駅は同様(JR線方面は各駅停車、東急線方面は急行)なので、あまり意味合いはないのですが…。
(ということで前に触れた通り、列車種別ではなく先経路別で色分けされている)
以上で今回の行程は終了ですが、沿線風景というよりはダイヤ改正による列車運用の変化について長々と記事を書いてしまいました(特にラスト)。
今回の改正は相鉄史上最大級とも言える激変で、県央(特に二俣川)から都心方面へのアクセス性が格段に向上し、反面横浜駅の存在が薄れる(急行の消滅など)という結果となり、相鉄ファンからも嘆きの声があるとかないとか…。
(かくいう私も、沿線住民ではないものの近年相鉄線をよく利用していた身だったので…)
・おまけ1
相鉄線横浜駅改札(1階)付近にある「くりこ庵」というたいやき屋で、たいやきならぬ「そうにゃん焼き」が販売されていました。
ちなみに毎日ではなく特定の曜日でのみの販売のようです。
※参考:くりこ庵ホームページ
(たい焼きがメインメニューで、そうにゃん焼きの他にもいくつかの〇〇焼きがあるようです)
・おまけ2
同じく相鉄線横浜駅改札(1階)付近の交番にあった暴力団追放運動のポスターですが、コーエーの「信長の野望」シリーズとのコラボで織田信長を背景に「社会の敵を一刀両断」の文字が。
以前に三国志シリーズとのコラボで同様のポスターを見かけましたが、これも面白いです。
~終わり~
]]>
-
初詣2023(後)
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-02-19
前回の続きということで…。・2/11 上野周辺散策→神田明神→科学博物館見学最早初詣の時期から逸れていますが、まあ初めてのお参りには変わりないので。前回に引き続き上野に来た目的は国立科学博物館開催の特別展「毒」を見るため。かなり好評な特別展らしく当日分(2/11)の事前予約が取れなかったので、当日枠で発行される入場券を狙って10時頃に現地に到着。時間指定はできないものの14:30からの枠の入場で予約を確保できたので、その間の待ち時間で上野周辺散策(の続き)をしてみることにしました。前回は主に上野公園の南側を散策したので今回は北側、寛永寺本堂方面を散策してみることに。こちらは国立博物館正門の西側にある"旧因州池田屋敷表門(黒門)。元々丸の内付近にあった因州(鳥取藩)池田家上屋敷の正門だったものを明治時代に当時の東宮御所正門として移され、更に昭和29年(1954年)に現在の場所(国立博物館の敷地内)に移築されたものです。土日祝日と年始(1/1~1/3)に門が開放されるとのことですが、(当日は祝日だったので)確かに門が開いています。(撮影時には気づきませんでした…)続いて博物館敷地の角にある謎の建造物ですが…封鎖されている入口の横には「博物館動物園駅跡」の銘板が。京成線(京成本線)が京成上野(当時は上野公園)まで延伸開業した時にできた「博物館動物園駅」の入口(駅舎)で、立地的にふさわく西洋風の立派な佇まいで造られたものの、地下にあるホームが短く4両編成の列車までしか停車できないなどの理由により1997年に営業休止し、2004年に廃止となりました。駅廃止後2018年に駅舎のリニューアルが行われ、門扉が新しくなり上の写真の銘板が掲げられました。リニューアル後不定期ながらも駅内の一般公開もされているようです。参考:旧博物館動物園駅 京成電鉄その後東京芸大の前を通り抜けて寛永寺本堂の入口に到着。立派な佇まいの寛永寺本堂(根本中堂)。建物の横にあった寛永寺本堂の解説によると、元々の本堂は幕末に起きた兵火によって焼失して明治9年(1874年)に川越の喜多院の本地堂が移築されて現在の本堂となったとのことです。前回不忍池弁天堂でも見た寛永寺の敷地(東叡山)の全景。全景を少し拡大。前回は上野大仏→不忍池弁天堂→清水観音堂に行きましたが、今回は根本中堂(現在地)から徳川歴代将軍御霊廟→開山堂・輪王殿→上野東照宮(旧寛永寺五重塔)の順に回っ..
お出かけ・小旅行
ao2
2023-02-19T13:43:20+09:00
・2/11 上野周辺散策→神田明神→科学博物館見学
最早初詣の時期から逸れていますが、まあ初めてのお参りには変わりないので。
前回に引き続き上野に来た目的は国立科学博物館開催の特別展「毒」を見るため。
かなり好評な特別展らしく当日分(2/11)の事前予約が取れなかったので、当日枠で発行される入場券を狙って10時頃に現地に到着。
時間指定はできないものの14:30からの枠の入場で予約を確保できたので、その間の待ち時間で上野周辺散策(の続き)をしてみることにしました。
前回は主に上野公園の南側を散策したので今回は北側、寛永寺本堂方面を散策してみることに。
こちらは国立博物館正門の西側にある"旧因州池田屋敷表門(黒門)。
元々丸の内付近にあった因州(鳥取藩)池田家上屋敷の正門だったものを明治時代に当時の東宮御所正門として移され、更に昭和29年(1954年)に現在の場所(国立博物館の敷地内)に移築されたものです。
土日祝日と年始(1/1~1/3)に門が開放されるとのことですが、(当日は祝日だったので)確かに門が開いています。
(撮影時には気づきませんでした…)
続いて博物館敷地の角にある謎の建造物ですが…
封鎖されている入口の横には「博物館動物園駅跡」の銘板が。
京成線(京成本線)が京成上野(当時は上野公園)まで延伸開業した時にできた「博物館動物園駅」の入口(駅舎)で、立地的にふさわく西洋風の立派な佇まいで造られたものの、地下にあるホームが短く4両編成の列車までしか停車できないなどの理由により1997年に営業休止し、2004年に廃止となりました。
駅廃止後2018年に駅舎のリニューアルが行われ、門扉が新しくなり上の写真の銘板が掲げられました。
リニューアル後不定期ながらも駅内の一般公開もされているようです。
参考:旧博物館動物園駅 京成電鉄
その後東京芸大の前を通り抜けて寛永寺本堂の入口に到着。
立派な佇まいの寛永寺本堂(根本中堂)。
建物の横にあった寛永寺本堂の解説によると、元々の本堂は幕末に起きた兵火によって焼失して明治9年(1874年)に川越の喜多院の本地堂が移築されて現在の本堂となったとのことです。
前回不忍池弁天堂でも見た寛永寺の敷地(東叡山)の全景。
全景を少し拡大。
前回は上野大仏→不忍池弁天堂→清水観音堂に行きましたが、今回は根本中堂(現在地)から徳川歴代将軍御霊廟→開山堂・輪王殿→上野東照宮(旧寛永寺五重塔)の順に回っていきます。
本堂の手前にある鐘楼。
本堂境内の端には旧本坊表門と根本中堂の鬼瓦が展示されていました。
この門を出て寛永寺本堂を後にしますが、ちょうど本堂が正面に見えるので"こちらが表門ということですね…。
寛永寺本堂の後は徳川歴代将軍御霊廟の方面に。
さすがに御霊廟の門ということで豪華な造り。
こちらは徳川綱吉霊廟の勅額門。
五代将軍の綱吉公と言えば「生類憐みの令」で有名ですが、解説によると寛永寺根本中堂の建立に関わったとのことです。
続いて見えたのが…。
四代将軍に当たる徳川家綱霊廟の勅額門。
霊廟のある敷地は墓地なので中に入ることはできませんが、墓地の奥にスカイツリーが見えました。
ちょうどこの辺りは国立博物館の敷地の裏側に当たります。
こちらも墓地の敷地内にありますが左側が殉死者の墓、右側が東京大空襲の慰霊碑。
殉死者の墓の解説。
三代将軍徳川家光が死去した際に後を追って殉死した家光の家臣の墓とのことです。
上野公園(国立博物館正門)付近まで戻り、寛永寺の開山堂(両大師)へ。
開山堂の本堂。
今回は先程の根本中堂とここ開山堂で御朱印を頂きました。
開山堂(両大師)の解説。
別名の両大師は滋眼大師と慈恵大師に由来します。
本堂から入口方面を見た開山堂の境内。
根本中堂と比較するとコンパクトな佇まいの境内で、梅の開花も一部見られました。
開山堂の隣にある輪王殿の正門。
解説によると本来は寛永寺旧本坊の表門で、国立博物館の正門として使われていた時期もり、関東大震災後に現在の博物館本館の改築に伴い現在地に移築したとのことです。
裏側から見た輪王殿の正門。
開山堂参拝の後は輪王殿付近の橋から上野駅方面を見てみました。
ちょうど山手線の電車(内回り・外回り)がすれ違うところ。
右端に写っている建物が国立科学博物館。
同じ橋から上野駅の地上ホーム側を撮影。
日中ということもあってか、高架ホームに常磐線の電車が1編成止まっているだけで地上ホームはがら空きでした。
やはり上野~東京間の連絡線(上野東京ライン)開通後に上野駅のターミナル(終着駅)としての役割が急激に薄れたということでしょうか…?
この後上野公園内に戻り、今度は上野東照宮へ。
上野東照宮の参道の途中に見えるのが旧寛永寺五重塔。
柵の向こう、上野動物園内の敷地に五重塔があります。
フェンスに掲げられている解説によると元は東照宮の五重塔で、明治時代に東照宮から寛永寺の所属としたことで取り壊しを免れたものの、戦後になって寺での管理が難しくなったことから昭和33年(1958年)に東京都に寄付されたとのことです。
そのためか現在では上野動物園内の敷地内に塔がありますが、かつては東照宮の参道から五重塔への参道もあり、東照宮の参道から見た方向(1つ前の写真の向き)が五重塔の正面である旨の解説もあります。
上野東照宮の唐門と本殿(拝殿)。
本殿内の拝観は別途料金がかかるので今回は門前までの参拝。
代わりに東照宮の手前にあるぼたん園に行きました。
※ぼたん園の入園料:1.000円
2月はちょうどぼたんの開花時期なので、各場所でぼたんの花が見られました。
花の上には寒さ(雪)対策用の覆いがかぶせられていました。
黄色い花のロウバイも開花時期でした。
「千両万両、有り通し」と名付けられた寄せ植え。
正月用の飾りに使われる千両(センリョウ)と万両(マンリョウ)の他に百両(カラタチバナ)・十両(ヤブコウジ)・一両(アリドオシ=有り通し)の一通りが揃っています。
「千両も万両も一年中有り通し、一年お金に困らない。金運に恵まれますように」と福徳を祈願した縁起かつぎの語呂合わせです、との説明がありました。
梅も咲き始めている感じ、その後ろには五重塔が。
ぼたん園の出口付近は庭園状の造り。
ぼたん園の出口の前には東照宮の神楽殿。
ちょうど撮影スポットになっていました。
この後は一旦上野から移動して…
いきなり御茶ノ水にワープ?
JR中央線と地下鉄丸ノ内線が交差する地点。
更にこの下(地下)には千代田線も通るという、立体的にかなり複雑なポイントだったりします。
(以前地下鉄博物館でこの場所の立体模型を見ました)
御茶ノ水に来たということは神田明神へお参り、ということで。
こちらは当初予定していたお参りルートです。
初詣の時期を過ぎていたにもかかわらず、当日は結構行列ができていました。
お参り後は更に行列が長くなっていた感じ。
この後は秋葉原で少々時間をつぶして再び上野へ。
ようやく当日メインの目的の特別展「毒」の入場予定時刻に近づいたので現地に到着。
案の定当日枠も受付を終了していた模様…。
当特別展は世界に存在するあらゆる毒にまつわる生物・鉱物を紹介する展示ということで、このようなとても精巧な拡大模型もありました。
高い場所にはスズメバチの拡大模型が。
背中の羽や腹から突き出した毒針、果ては顔周りの細かい毛などこれでもかという位リアルな出来。
スズメバチの下にはハブの拡大模型が。
上あごから生えているキバも怖いですが、下あごにある舌もいやらしい(苦笑)
スズメバチ・ハブの隣にあったイラガ(幼虫)の拡大模型。
スズメバチ・ハブの「攻めの毒」に対して背中に生えている無数のトゲによって自身の身を守るという「守りの毒」という構成。
ちなみに左側の植物の茎も展示物です。
イラガの拡大模型を横から。
これも精巧な造りですが、しかし実にキモい…。
イラガの幼虫はモミジやレッドロビンなどの葉に付いていることがあり日常でも出くわすことが多く、うかつに触れるとチクリとした痛みが走ります。
自分がよく見るのは模型のような黄色ではなく黄緑色のものが殆どですが…。
毒を持つ魚の代表格と言えるフグ(トラフグ)。
「フグ毒」とも呼ばれる猛毒のテトロドトキシンを持ち、日本で起こる食中毒死亡者の過半を占めるそう。
毒を持つ海洋生物の数々。
ウニ(ガンガゼ)・ゴンズイ・ヒョウモンダコ・ハオコゼ等。
毒を持つ植物といえば毒キノコ。
(勿論トリカブトやドクゼリも有名ですが…)
左からサクラダケ・ベニテングダケ・カヤタケ。
神経毒を持つタイワンコブラ。
この他毒性のある鉱物(カドミウム・水銀など)や毒への対策・毒の利用(狩猟・害虫駆除など)といった展示がありました。
当日はかなり混雑していましたが、入場時刻まで待った甲斐がある見ごたえのある展示でした。
・2/18 川崎大師
今回も移動手段は電車だったので、鉄道の話題から。
東横線の武蔵小杉駅で撮影しましたが、来る3/18の東急・相鉄直通線(新横浜線)の開通に向けてか相鉄線の車両が試運転中でした。
やはりこれを狙ってかホームには撮り鉄さんの姿がちらほら…(かくいう自分も同類ですが)。
武蔵小杉でJR南武線に乗り換えて、途中尻手駅で下車。
去年に続き南武線→南武支線に乗り換えですが、目的はやはりこの車両。
折しも当日ネットニュース等で来年度中にこの車両(205系1000番台)が新しい車両に交替する記事が発表されたためか、こちらも車両の写真を撮る方が多かったです。
今回乗車した車両はクモハ205-1001とクモハ204-1001、1001番の組み合わせでした。
(現状南武支線用として1001~1003の3編成が在籍している模様)
で、代わりに南武支線用として導入予定の車両がこちらの新潟地区で運用されていたE127系とのこと。
※上の写真は2016年4月に越後線吉田駅にて撮影
「運用されていた」と記載しましたが、最近新潟地区での運用を外れたらしく、新たに南武支線用として振り向けられることになったそうです。
車両運用の移動がある場合首都圏から地方線区に移動するというパターンが通常ですが、逆に地方から首都圏に移動するのは珍しいですね。
まあE127系自体が元々2両編成なので南武支線への移動は妥当ではありますが。
その後八丁畷駅で京急本線に乗り換えて1駅先の京急川崎駅へ。
京急川崎駅で本線→大師線に乗り換え。
川崎大師駅に到着。
(というか前置きの電車ネタが長すぎた…)
駅から仲見世通りを経て入口の大山門に到着。
大本堂前。
当日は土曜日でしたが天気も良いこともあり、それなりに参拝客は多かったです。
(大師線の車内も結構混んでいた)
ちなみにおみくじを引いたところ、今回は凶でした…。
去年も紹介しましたが、せんとくんにクリソツ(死語)のひらまくん。
そして去年に引き続きマスク着用バージョンもあり。
大本堂の左側にある中書院。
茶室として利用されているようです。
大本堂・大山門と並んで川崎大師の主要な建物と言える八角五重塔。
昼食ですが久しぶりに屋台のお好み焼きを食べました。
そしてこちらも定屋台の定番、ふりふりポテト。
屋台通り(?)の脇にある弘法大師(遍路大師)像。
足元のわらじに水をかけてお参りします。
遍路大師ということで、像の周りの歩道でミニ四国八十八か所巡りができます。
通りを挟んで遍路大師像の反対側にある第55代横綱北の湖像。
北の湖関が生前川崎大師のご本尊の弘法大師に深い信仰を寄せられたことから、平成29年(2017年)10月の三回忌の際にこの像が建立されたと記載があります。
北の湖像のそばには植木供養碑も。
献木いちょうの供養碑とのことです。
最後は薬師殿にお参り。
今更ながら川崎大師の境内図。
入口の大山門から大本堂、不動堂、遍路大師、薬師殿の順にお参りしました。
今回はこれにて終了。
帰路は京急川崎駅→JR川崎駅経由でそのまま帰りました。
]]>
-
初詣2023(前)
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-02-12
今年はてんこ盛り(?)になったので、記事を2回に分けて記載します。・1/1元日は地元の神社にお参りした後に例年行く近所の高台にて富士山を撮影。快晴&真っ白な富士山でした。今回は(普段持ち歩かない)望遠レンズに差し替えて撮影してみました。デジタルズームとは違い山肌までくっきり見えるので、このあたりはさすが(光学ズームの)望遠レンズの実力といったところか。・1/2:藤沢 遊行寺母が藤沢の遊行寺に行ってみたいということで行ってきました。当日は箱根駅伝の1日目(往路)で付近の遊行寺坂もコースになっているので、ランナーが通り過ぎた後の午後に行ってみることに。2日の午後(14:30頃)ですがご覧の通り屋台が多く出ていて、元日ほどではないもののそれなりに賑わっていました。(尤も自分も遊行寺に来たのは初めてなので元日の混雑ぶりがどれほどなのかは把握していないのですが)立派な佇まいの本堂。本堂を別の角度から撮影。かなり大きなお堂ですが、木造としては東海道随一の規模だそう。本堂の手前にある時宗の宗祖、一遍上人像。両手を合わせて祈るポーズのリアルな銅像で、(昨年国立博物館で見た)空也上人像に似たような雰囲気があります。ちなみにここ遊行寺は時宗の総本山で正式には「藤澤山無量光院清浄光寺」と号し、遊行寺は通称名となります。境内の西側、僧堂・寺務所方面の入口に当たる中雀門。安政六年(1859)に建立された遊行寺境内で最も古い建造物で、市指定重要文化財に指定されています。中雀門の奥には庭園もあり、この辺りは散策可能です。庭園内には放生池という名称の池もあり、池には錦鯉の姿も見受けられました。本堂と中雀門の間にある鐘楼。境内の中央にある、ご神木の大銀杏。冬なので葉は散っていますが、それでもかなり巨大な枝ぶりが確認できます。向かって左側の枝がかけているように見えますが、以前台風の被害により枝が折れてしまったそうです。大銀杏の拡大写真。樹齢は500年ないしは700年といわれ、藤沢市の天然記念物に指定されています。本堂の裏手にある長生院。別名で小栗堂とも言い、浄瑠璃で名高い小栗判官・照手姫ゆかりのお寺でお堂の裏手には小栗判官と照手姫の墓があります。小栗判官・照手姫の墓と歴代上人御廟所を進んだ先にある宇賀神社。弁財天が祀られていますが、当日は周辺が工事中の様子だったので早々にお参りを済ませて立ち去りました。境内に戻る参道から見た放生池・寺務所方面。いろ..
お出かけ・小旅行
ao2
2023-02-12T10:32:25+09:00
・1/1
元日は地元の神社にお参りした後に例年行く近所の高台にて富士山を撮影。
快晴&真っ白な富士山でした。
今回は(普段持ち歩かない)望遠レンズに差し替えて撮影してみました。
デジタルズームとは違い山肌までくっきり見えるので、このあたりはさすが(光学ズームの)望遠レンズの実力といったところか。
・1/2:藤沢 遊行寺
母が藤沢の遊行寺に行ってみたいということで行ってきました。
当日は箱根駅伝の1日目(往路)で付近の遊行寺坂もコースになっているので、ランナーが通り過ぎた後の午後に行ってみることに。
2日の午後(14:30頃)ですがご覧の通り屋台が多く出ていて、元日ほどではないもののそれなりに賑わっていました。
(尤も自分も遊行寺に来たのは初めてなので元日の混雑ぶりがどれほどなのかは把握していないのですが)
立派な佇まいの本堂。
本堂を別の角度から撮影。
かなり大きなお堂ですが、木造としては東海道随一の規模だそう。
本堂の手前にある時宗の宗祖、一遍上人像。
両手を合わせて祈るポーズのリアルな銅像で、(昨年国立博物館で見た)空也上人像に似たような雰囲気があります。
ちなみにここ遊行寺は時宗の総本山で正式には「藤澤山無量光院清浄光寺」と号し、遊行寺は通称名となります。
境内の西側、僧堂・寺務所方面の入口に当たる中雀門。
安政六年(1859)に建立された遊行寺境内で最も古い建造物で、市指定重要文化財に指定されています。
中雀門の奥には庭園もあり、この辺りは散策可能です。
庭園内には放生池という名称の池もあり、池には錦鯉の姿も見受けられました。
本堂と中雀門の間にある鐘楼。
境内の中央にある、ご神木の大銀杏。
冬なので葉は散っていますが、それでもかなり巨大な枝ぶりが確認できます。
向かって左側の枝がかけているように見えますが、以前台風の被害により枝が折れてしまったそうです。
大銀杏の拡大写真。
樹齢は500年ないしは700年といわれ、藤沢市の天然記念物に指定されています。
本堂の裏手にある長生院。
別名で小栗堂とも言い、浄瑠璃で名高い小栗判官・照手姫ゆかりのお寺でお堂の裏手には小栗判官と照手姫の墓があります。
小栗判官・照手姫の墓と歴代上人御廟所を進んだ先にある宇賀神社。
弁財天が祀られていますが、当日は周辺が工事中の様子だったので早々にお参りを済ませて立ち去りました。
境内に戻る参道から見た放生池・寺務所方面。
いろは坂と呼ばれる境内に至る参道。
行きは境内の横(駐車場側)から入ったので、帰りはこちらから。
ということで坂を下っています。
いろは坂の名前の由来は入口の惣門から続く石段が四十八段と呼ばれていて、いろは四十八文字にちなんで愛称としたとのことです。
入口の惣門。
通称「遊行寺の黒門」と呼ばれています。
門の右側に「時宗総本山」、 左側に「清浄光寺」と彫り込んだ大きな木札がかかっているのが確認できます。
(手前右側の石塔には「時宗総本山 遊行寺」と記されています)
参道手前の道(国道467号線)の周辺は旧東海道藤沢宿に当たり、かつての宿場町の雰囲気を残しています。
西側の小田急線藤沢本町方面に歩くと宿場町の本陣や白旗神社などがありますが、今回は1人ではないので南方面の藤沢駅まで歩いて行程終了としました。
・1/4 国立博物館見学&上野公園周辺の散策
まずは国立博物館の見学。
「博物館に初もうで」ということで、入口の門には飾りものが置かれていました。
国立博物館の本館前。
建物の右側には「国立博物館創立150年」の垂れ幕が掲げられていました。
新年早々ということでまだ特別展はなく、いくつかの企画展が開催されていました。
そのため当日は予約なしの常設展の料金(1.000円)で入場できました。
いくつかの企画展の中で向かって左側の表慶館で開催されていた「150年後の国宝展」。
車・マンガ・ゲーム・ロボット・ファッション・食文化など150年後の国宝の候補を集めたタイムカプセル的な展示でした。
まずは日本の特撮の代表格である「ゴジラ」。
続いてロボットアニメの代表格である「ガンダム」。
ガンダム像の隣には日本のプラモデル界を牽引しているガンプラも展示。
ガンダムはアニメ本編・ガンプラの他ゲームやイベント施設など多岐に渡りますがそれらを纏めた「コンテンツ」ということで将来の遺産となりえるということでしょうか?
(ちなみにコンテンツを現在の国宝のカテゴリーに当てはめると「有形文化財」に当たるのか?)
近年の音楽界に強い影響を与えた「初音ミク」。
「ボーカロイド」の主要キャラですが、現在ではボーカロイドを使用して作曲された「ボカロ曲」は音楽ジャンルの1つとして認識されています。
(少なくとも音ゲーではジャンルの1つとして成り立っている)
ボカロ曲は人的には当初毛嫌いしていましたが、最近では音ゲーで時折聞くこともあり、中々良いと思う曲もありました。
最早国民車とも言える実用バイクの「スーパーカブ」。
新聞の配達など、生活上無くてはならない存在です。
(用途が新聞配達しか思い当たらないのが心苦しいのですが…)
これは「技術遺産」ということで認定されるのではないでしょうか?
(既に認定されているのかもしれない)
会場ではその他プリキュア・たまごっち・湖池屋ポテトチップス・ポカリスエットなどが展示されていました。
国立博物館見学の後は上野公園周辺の散策へ。
まずが上野動物園入口付近にある銅像ですが、「小松宮彰仁親王銅像」という名前。
解説によると日本赤十字社の総裁として赤十字活動の発展に貢献した人物とのこと。
次は上野大仏へ。
「大仏」といっても大仏の顔だけが残っている状態。
関東大震災による罹災や対戦時の金属供出などで顔面部だけが残り、「これ以上落ちない」という意味で現在では「上野合格大仏」として合格祈願の御利益で受験生らが祈願に参拝しています。
続いて花園稲荷神社(上)と五條天神社(下)にお参り。
公園の下にある不忍池に向かい、池の中にある弁天堂。
上野公園内でも人気スポットのためか、そこそこ行列ができていました。
弁天堂の横にある大黒天堂にもお参り。
ここ「不忍池弁天堂」ですが、実は寛永寺の一部だったりします。
(そもそも上野公園一体がかつては寛永寺の敷地だった)
再び上野公園側に戻り、清水観音堂へ。
名前の由来はやはり京都の清水寺を見立てたお堂であることです。
本堂は赤基調の華やかな色合い。
本堂(清水の舞台?)から見た不忍池弁天堂方面。
本堂手前にあるしだれ桜が見事で、公園内での桜の名所の一つかもしれません。
最後は西郷隆盛像に辿り着きました。
(偶然にも洒落になってしまった…)
・1/5 北口本宮冨士浅間神社
※前回の記事 を参照
後編に続く
]]>
-
年初めの乗り鉄2023~富士回遊
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2023-01-06
ということで例年通り年初めの乗り鉄旅行に行ってきました。今回も日帰りですが、関東圏から少し足を延ばして大月・富士吉田・河口湖方面を対象エリアとしました。なのでサブタイトルを東京方面から河口湖まで直通する新設の特急「富士回遊」から引用しましたが、今回も例年通り普通列車のみの乗車なので特急には乗車していません。※ちなみに新年の挨拶については一応喪中に当たるため、割愛させていただきます。それはさておき…(中央線に接続する)立川までは南武線に乗車。南武線乗車中に撮影した、早朝の多摩川。(南多摩~府中本町間)立川駅で中央線の電車待ち合わせ中ですが、隣の線路には貨物列車が待機中でした。先頭の機関車はEH200形(愛称ブルーサンダー)。程なく高尾行きの中央線電車が到着。立川~日野間で多摩川を渡るところですが、本日も富士山の眺めはばっちりの模様。乗車中の電車で高尾まで乗って大月方面の電車に乗り換えても良かったのですが、車内アナウンスで次の大月行き電車が豊田始発とのことなので、途中豊田駅で下車します。豊田駅は中央線の車庫がある駅ということで、豊田始発の列車も時折あります。降りたホームの隣から大月行きの電車が出る模様。(先のアナウンスだと高尾乗り換えの場合は乗り換えるホームが変わるらしい)少し待って大月行きの電車が到着。車両は近郊型の211系(長野車)。豊田駅を出発、左手に車庫が見えます。正面にちらりと富士山が見えました。八王子駅に到着するところ。左側に横浜線の車両が見えます。高尾駅に到着するところ。大抵の列車(中央快速線)は高尾が終点ですが、乗車中の列車は大月行きなのでこのまま先に進みます。高尾から先はトンネル区間が続くためか運転席側の窓を閉められたためかぶりつきは不可。以降は側面からの撮影となります。こちらは車内から見た高尾山。八王子ジャンクション、ないしは高尾山登山の記事でも紹介した湯の花トンネル付近。写真左手に辛うじて上り線のトンネルが見えます。参考までに、昨年10月の高尾山登山時に撮影した下り線の湯の花トンネル。トンネル通過中に撮影したものですが、かなり広いエリアの路線案内図。長野車両センター所属の車両なので主に長野県内のJR線が中心ですが山梨・新潟の路線も含まれ、更に(JR東海の管轄となる)飯田線や中央西線、第三セクター線のしなの鉄道・えちごトキめき鉄道線も掲載されています。現在走行中の区間はちょうど案内図の右下あたり(..
鉄道・鉄道旅行
ao2
2023-01-06T10:39:20+09:00
今回も日帰りですが、関東圏から少し足を延ばして大月・富士吉田・河口湖方面を対象エリアとしました。
なのでサブタイトルを東京方面から河口湖まで直通する新設の特急「富士回遊」から引用しましたが、今回も例年通り普通列車のみの乗車なので特急には乗車していません。
※ちなみに新年の挨拶については一応喪中に当たるため、割愛させていただきます。
それはさておき…
(中央線に接続する)立川までは南武線に乗車。
南武線乗車中に撮影した、早朝の多摩川。
(南多摩~府中本町間)
立川駅で中央線の電車待ち合わせ中ですが、隣の線路には貨物列車が待機中でした。
先頭の機関車はEH200形(愛称ブルーサンダー)。
程なく高尾行きの中央線電車が到着。
立川~日野間で多摩川を渡るところですが、本日も富士山の眺めはばっちりの模様。
乗車中の電車で高尾まで乗って大月方面の電車に乗り換えても良かったのですが、車内アナウンスで次の大月行き電車が豊田始発とのことなので、途中豊田駅で下車します。
豊田駅は中央線の車庫がある駅ということで、豊田始発の列車も時折あります。
降りたホームの隣から大月行きの電車が出る模様。
(先のアナウンスだと高尾乗り換えの場合は乗り換えるホームが変わるらしい)
少し待って大月行きの電車が到着。
車両は近郊型の211系(長野車)。
豊田駅を出発、左手に車庫が見えます。
正面にちらりと富士山が見えました。
八王子駅に到着するところ。
左側に横浜線の車両が見えます。
高尾駅に到着するところ。
大抵の列車(中央快速線)は高尾が終点ですが、乗車中の列車は大月行きなのでこのまま先に進みます。
高尾から先はトンネル区間が続くためか運転席側の窓を閉められたためかぶりつきは不可。
以降は側面からの撮影となります。
こちらは車内から見た高尾山。
八王子ジャンクション、ないしは高尾山登山の記事でも紹介した湯の花トンネル付近。
写真左手に辛うじて上り線のトンネルが見えます。
参考までに、昨年10月の高尾山登山時に撮影した下り線の湯の花トンネル。
トンネル通過中に撮影したものですが、かなり広いエリアの路線案内図。
長野車両センター所属の車両なので主に長野県内のJR線が中心ですが山梨・新潟の路線も含まれ、更に(JR東海の管轄となる)飯田線や中央西線、第三セクター線のしなの鉄道・えちごトキめき鉄道線も掲載されています。
現在走行中の区間はちょうど案内図の右下あたり(中央東線)。
ついでに形式表記も撮影してみましたが、何故か「クハ」の部分だけ明朝体でした…。
トンネルを抜けると中央自動車道の高架橋が見えましたが、なかなかダイナミックな光景です。
高尾の1つ先の相模湖駅ともう1つ先の藤野駅は神奈川県内にある駅。
(次の上野原駅から山梨県に突入)
上野原駅を飛ばしましたがその次の四方津(しおつ)駅に到着。
当駅で特急列車通過待ちのため少々停車するということで、ホームに降りてみました。
四方津駅といえば、駅前から高台へと延びる長い斜行エレベーターが目に入ります。
四方津駅と高台の先にあるニュータウン「コモアしおつ」を結ぶ日本最長の斜行エレベーター(210m)で、斜行エレベーター(2基)の他にエスカレーターもある模様。
左側の線路を特急列車が通過。
頻繁に特急列車が運行されている「特急街道」たる中央本線ならではの光景ですね。
この区間(高尾~大月)は特急列車か日没後乗車でしか乗車する機会がなかったので、こうしてこまめに沿線を撮影できたのは貴重でした。
特急通過後程なくして四方津を出発。
今度は谷(川)側を撮影してみました。
鳥沢~猿橋間にある鉄橋上から撮影しましたが、またまたダイナミックな光景。
朝方なのでどうしても逆光になってしまうのが難点ですが…。
大月の一つ手前の猿橋駅に到着。
ここで下車します。
駅名の通り日本三奇橋の一つ「猿橋」の最寄り駅。
猿橋駅の駅舎も何となく猿橋をイメージしている感じ?
ということでここから当日最初の観光地となる猿橋に行ってみます。
猿橋駅(北口)から少し歩くと国道20号線(甲州街道)に出ますが、歩道橋下の案内板によると向かって右手(高尾方面)が猿橋方面の模様。
ここから1.3kmとのことです。
向かう途中の橋から撮影しましたが、なかなかにいい眺め。
左側の赤い高架橋が中央自動車道、下に流れる川は相模川の上流となる桂川です。
奥に見える山は地図で確認する限りでは扇山という名前らしい。
国道20号線を歩き、ようやく次の交差点を左に曲がると猿橋とのこと。
名勝 猿橋の入口に到着。
いきなりですが、猿橋の全景。
橋の下には「甲斐の猿橋」の銘板が。
名勝 猿橋の解説。
現在の猿橋は昭和59年(1984年)8月にかけ替えられましたが、江戸時代のものと同様の形で再現されているとのことです。
別の角度(上流側にある新橋)から撮影。
峡谷のかなり高い位置に橋が架けられていることが分かります。
猿橋の特徴である橋脚部分。
橋脚と書きましたが実際は橋脚ではなく、両岸から張り出した4層(5層?)のはね木で支えられているという珍しい構造をしています。
川の両側が断崖絶壁に近く橋脚の設置が困難なため、はね木で支えるという工法を取ったのだと思われます。
交互に組まれたはね木に屋根(笠木と言った方が良いのか)が架かっている独特の意匠も見事です。
橋の手前にバリケードがもうけられていたため、残念ながら橋の上は通行できませんでした。
猿橋の隣(上流側)にある新猿橋。
現在ではこちらが通行用の橋として役割を果たしていて、アーチ橋(上路アーチ橋)の構造となっています。
欄干のエンド部分には新猿橋の名称が。
(それぞれ左側と右側のもの)
下の展望地点(ちょうど新猿橋の真下あたり)から見た猿橋。
奥に見える橋は発電所の水路橋のようです。
展望地点の反対側(大月方面)は良い景色。
川の奥に中央自動車道の赤い高架橋が見えます。
川の両岸の岩肌も見事。
(2枚目は新猿橋の上から撮影)
展望地点から先は少し遊歩道が続いています。
両脇にはあじさいが点在しているので、6月頃だとあじさいの花が鑑賞できるのかと。
遊歩道の終点にある公園。
遊歩道から猿橋の入口に戻りましたが、入口駐車場脇(トイレの前)には三猿塔がありました。
日光東照宮で見られる三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)を表現しています。
最後に新猿橋から撮影した猿橋。
猿橋の奥に発電所の水路橋、更に奥に見える赤い橋は国道20号線の橋です。
来た道を引き返して猿橋駅まで戻っても良かったのですが、敢えて逆方向(高尾方面)に進んで1つ手前の鳥沢駅まで歩いてみることに。
ちなみに先程見えた国道20号線の橋も「新猿橋」という名称の模様。
国道20号線の橋から猿橋方面を撮影。
写真中央やや上に猿橋が見えます。
この先国道20号線(甲州街道)を延々と歩くことに。
距離もさることながら、車の通行量も多いので結構怖い…。
ようやく中央本線の鉄橋が見えましたが、ちょうど鉄橋を特急列車が通過していきました。
この長い鉄橋は新桂川橋梁と言いますが、間近で見ると雄大な光景です。
その後線路の横を通っていき…
跨線橋越しに鳥沢駅のホームが見えました。
反対(大月方面)を撮影。
線路の先が先程見た新桂川橋梁になります。
鳥沢駅で一旦次の電車到着時刻を確認して、駅周辺を散策。
この辺りは旧甲州街道の鳥沢宿(宿場町)にあたり、ところどころで古い町並みの様子が見られます。
少し歩くと神社が…。
福地八幡神社という名前。
神社の本殿はこじんまりとした感じ。
境内側から振り返ると鳥居の先に山々が。
駅の方に戻りますが、部分的に古い町並みが残る感じです。
左に曲がると鳥沢駅、街の散策はここまで。
シンプルな造りの鳥沢駅の駅舎。
ホームは1面2線のいわゆる島式ホームですが、ホームの幅はかなり狭い感じ…。
先に高尾方面の電車が到着(中央快速線に直通する列車の模様)。
続いて大月方面の電車が到着、こちらに乗車します。
再び新桂川橋梁を渡るところ。
ちょうど正面に見える山の麓を歩いてきたので、結構な距離でしたね…。
大月駅の手前から見える岩殿山。
大月駅に到着。
富士急行線に乗り換えるのでここで下車します。
JR線のホームから直接富士急行線に行ける乗り換え口もありましたが、一旦改札を出ます。
JR大月駅の駅舎は山小屋風。
すぐ隣に富士急行線の駅舎があります。
ちなみに富士急行線もスイカ等ICカードが利用可能なので、すぐさまピピっと入場。
駅ホームに入ると、真っ赤な車両がお出迎え。
車両は元JR205系で、富士急行線内では6000系という形式名で統一。
ちなみに205系の他路線への譲渡先としては、国内では富士急行線が唯一です。
(他はインドネシアが大半)
ホーム反対側には特急用車両が停車中。
こちらは元JR東海の371系で、水戸岡氏によるデザインでリニューアルされています。
ただ当日は運行されていない様子でした。
(富士急行線内特急は土休日のみ運行の模様で、当日は平日だった)
これから乗車するのは左側の普通列車ですが、右側の特急車両の両車両とも派手なデザインです。
乗車する車両はアニメ「NARUTO」とのコラボデザイン車両らしく、車外・車内共々東上するキャラクターがプリントされています。
(富士急ハイランド内にNARUTO関連のアトラクションがある模様)
車内は水戸岡デザインによる「日本一豪華な通勤車両」の仕様ではなくJR時代とさほど差はないですが、つり革の持ち手が木目調でした。
ということで大月駅を出発。
ご覧のように運転席越しの正面に富士山が見えるというベストアングル。
さすがは「日本一富士山に近い路線」を名乗るだけはあります。
富士急行線は全線単線なので途中何度か対向列車とすれ違いをしますが、JRの車両も乗り入れをしており、特急「富士回遊」の他普通列車の乗り入れも少ないながらあるようです。
大月から終点の河口湖駅まで終始上り坂が続く感じ。
起点の大月駅と終点の河口湖駅との標高差が500mくらいあり、最大で40 ‰の勾配もある山岳路線です。
富士急行線の駅名標は各駅に「きかんしゃトーマス」に登場するキャラクター(機関車)があてられていますが、富士急ハイランド内に「トーマスランド」というアトラクションがあることに由来しています。
途中の都留市駅は「ビクター」。
都留文科大学前駅は「ゴードン」。
ゴードンはきかんしゃトーマスの中で比較的メジャーなキャラクターかと。
再び対向列車とすれ違い。
6000系(元205系)ではこのカラーリングがノーマル仕様なのか?
比較的JR時代に近い雰囲気を残しています。
車内の正面だけでなく側面からも富士山がばっちり見えます。
富士急行線内では唯一の一文字の駅名で、寿=ことぶき、という縁起の良い駅名です。
次の駅は「よしいけおんせんまえ」ですが、漢字で書くと「葭池温泉前」です。
同駅のキャラクターは「ダンカン」。
次の下吉田駅では、ホーム横の留置線に何故かブルートレインの客車が止まっていました。
ちなみにその前に止まっている車両は以前銚子電鉄で見たことがあるような…。
(元京王車だったと思う)
その元京王車の奥に下吉田駅の駅舎が見えます。
程なく富士山駅に到着するところですが、ここまでくると富士山がかなり近くに見える感じです。
河口湖方面を見ると、富士急ハイランドのジェットコースターも見えます。
間もなく富士山駅に到着。
大月から乗車した電車はここ富士山駅で折り返し(スイッチバックし)て河口湖方面に向かいますが、当日2つ目の観光地点となる北口本宮冨士浅間神社に行くために同駅で下車します。
富士山駅は標高809m(ちなみに始点の大月駅は標高358m)。
同駅のキャラクターは「ジェームス」。
ジェームスもきかんしゃトーマスの中ではかなりメジャーですね。
別の場所にある駅名標では「富士吉田」の表記もありましたが、富士吉田は旧駅名です。
(「あっち」「こっち」は置いといて…)
ホーム隣に停車中の車両はスイスの登山鉄道(マッターホルン・ゴッタルド鉄道)との提携デザイン車でした。
ホーム屋根下にある駅名標はシンプルなデザイン。
富士山駅はいわゆるスイッチバック構造の駅で、全ての列車が同駅で進行方向を変えて運行されます。
写真奥が河口湖及び大月方面で、手前は行き止まり。
構造的には平面スイッチバックですが、ある程度勾配もあるので山岳スイッチバックにも該当するのかもしれません。
駅ホームから富士山全体が見えます。
富士山駅の駅舎は駅ビルと一体化していますが、駅改札の入口が神社の鳥居状になっています。
ここから南(富士山方面)に向かって北口本宮冨士浅間神社に向かいます。
駅の近くにある金鳥居。
金鳥居から一直線に伸びる道を、ほぼ富士山に向かう感じでひたすら歩きます。
富士山駅から(徒歩で)約25分程で北口本宮冨士浅間神社の入口に到着。
(以下北口本宮と呼称)
杉並木の間を一直線に伸びる、北口本宮の参道。
北口本宮境内の入口にある大鳥居。
木造の鳥居としては国内最大とされています。
境内の山門に当たる随神門。
随神門と拝殿の間、境内中央にある神楽殿。
新年ということでお供え物の熊手が祀られていました。
北口本宮の拝殿。
ひとまずここでお参り。
拝殿手前にある御神木の1つ、太郎杉。
神楽殿の左側にある手水舎。
(ちょっと写真のピントが合っていませんが…)
拝殿の裏手。
手前の根元だけ映っている杉の木は次郎杉。
拝殿・本殿の裏手左側にある東宮。
(左奥に見えるのは神武天皇社)
東宮の反対側(拝殿・本殿裏手右側)にある西宮。
西宮の右奥にある冨士登山道吉田口の鳥居。
(前の西宮の写真でも右奥にちらっと見えます)
鳥居の奥にあるのは祖霊社。
北口本宮から(富士山の方向に向かって)徒歩5分の位置にある大塚丘。
大塚丘は北口本宮発祥の地と言われています。
大塚丘からさらに奥に歩くと…
富士山吉田口登山道と遊歩道の入口が。
ここを奥に進むと吉田口登山道ですが、この辺りで引き返して北口本宮へ戻るとします。
引き返す途中で富士登山遭難者の慰霊碑がありました。
北口本宮の境内に戻り本殿の横を通り過ぎるて目につく、ちょうど太郎杉の反対側にある御神木「夫婦桧」。
こちらはスギではなくヒノキの木ですね。
北口本宮拝殿の向かって右側にある諏訪神社(拝殿)。
北口本宮では本宮と大塚丘、ここ諏訪神社の三社の御朱印を頂きました。
最後にお参りしたのは大鳥居の右手にある稲荷社。
一通りお参りを済ませた後は遅めの昼食としましたが、屋台で購入した富士宮焼きそばを…。
そして屋台の定番ふりふりポテトも。
昼食の後は富士山駅に引き返すのですが、途中で諏訪内山神社へ。
鳥居上部の銘板を見る限りは「諏訪内」「山神社」と読むのでしょうか?
富士山吉田口に向かう道には「御師」と呼ばれる富士登山参拝者の案内役が営んでいた宿坊が今も何軒か残っており、この大国屋(田辺家)もその1つです。
大国屋の屋内は非公開のようでしたので、入口で引き返します。
もう1つ「御師 旧外川家住宅」もあり…
こちらは屋内拝観可能でした。
(観覧料:100円)
屋内の座敷や居間など一通りの部屋が公開され、部屋の一部では当時の御師や行者の衣装などが展示されています。
多少寄り道があったものの、富士山駅に戻ってきました。
再び富士急行線に乗り、今度は河口湖方面へ。
駅ホームから駅ビル(改札口)方面を撮影。
こうして見るとホームの先は行き止まりになっていることが分かります。
ちなみに富士急行の鉄道部門の会社名が近年「富士山麓電気鉄道」に変わりましたが、路線名は富士急行線で変わりないようです。
駅ホームから見える富士山は相変わらずいい眺めです。
しばし待機ののち、大月方面からの普通列車が到着。
きかんしゃトーマスのラッピング車でした。
間を置かず今度は河口湖方面から特急富士回遊が到着。
両列車とも当駅で方向転換(スイッチバック)してそれぞれ逆方向に向かいます。
自分は河口湖方面に向かうので、大月方面から来た普通に乗車します。
車内もトーマス仕様…というかちょっと怖い?
ということで富士山駅を出発…といっても乗車するのは2駅間だけですが。
正面に富士急ハイランドのジェットコースターの線路が見えます。
富士急ハイランド駅に到着。
駅名標下のキャラクターは主役のトーマス。
副駅名が「トーマスランド」なのでこのあたりは当然といったところか。
駅ホームの向こう側には様々なジェットコースターの線路が。
見るからに絶叫マシーンのオンパレードといった感じ。
短い区間ながらも、終点まで上り坂が続きます。
間もなく終点の河口湖駅。
河口湖駅に到着。
反対側のホームには特急富士回遊の車両が停車中。
終点なのでこの先は行き止まり。
河口湖駅の駅舎は木造風。
副駅名が「富士河口湖温泉郷」なので、温泉宿をイメージしているのかもしれません。
そして改札口の向かい側にあったパネルが河口湖の温泉むすめ「河口湖多佳美」。
河口湖ではかなり温泉むすめ推しらしく、各所で様々なコスチュームのパネルが見受けられます。
こちらは河口湖駅ホームにあったパネルで、富士急行線制服バージョン。
富士急行線では「鉄道むすめ」は見受けられなかったので、その代役といったところでしょうか?
ちなみに後ろの「ようこそ!富士河口湖温泉郷へ」のパネルにあるコスチュームがノーマルの模様。
「温泉むすめ」は全国の各温泉地をモチーフとした想像上の二次元キャラクター(人ではなく架空の神様という設定)で、山梨県内では他に石和温泉に存在。
草津・下呂・有馬の三大温泉はもとより、日本以外でも台湾にも存在するようです。
※参考:温泉むすめ公式サイト
富士河口湖温泉郷×温泉むすめ
今までに見た温泉むすめは、修善寺温泉の「修善寺透子」。
(2019年5月撮影)
それはそうと河口湖での観光ですが、河口湖遊覧船「天晴」や周遊バスなど見どころはいっぱいありますが、時間的な余裕がない(河口湖駅に到着した時点で15:20過ぎ)ので右側に掲示の「富士山パノラマロープウェイ」を目指すとします。
駅前には富士急行の前身「富士山麓電気鉄道」の時代に運用されていた車両「モ1号」が展示されていました。
モ1号についての解説。
下の注意書きには2022年4月1日付けで富士急行から当時の社名である「富士山麓電気鉄道」が復活したという記載があり、実は創業時の社名に戻ったということだったのですね。
駅から約10分程度で河口湖畔に到着。
奥に見えるのが河口湖大橋。
横を見ると遊覧船「天晴」が停泊中。
ただその直後に…
出航していきました…(恐らくこれが当日の最終便っぽい)。
そもそもこの時点でかなり寒く遊覧船はさすがに無理だったので、予定通りロープウェイを目指すとします。
ロープウェイ入口に到着。
当日の上り最終便が16時で到着したのが20分位前だったので、何とか間に合った感じです。
乗車券を購入後、早速ロープウェイに乗車。
※乗車料金:片道500円・往復900円 今回は往復で乗車
頂上(天上山)までの所要時間は6分程度。
ちなみに乗車中の車内ガイド(日本語)は温泉むすめ「河口湖多佳美」が担当しています。
(CV:大西沙織)
語尾が「~ですわ」なので、お嬢様キャラという設定のようです。
いきなりですが、天上山の展望台から見た富士山。
さすがに絶景です。
富士山のふもと、富士急ハイランドの全景。
やはりジェットコースターだらけ…。
こちらは河口湖のほぼ全景。
ちょうど中央に河口湖大橋が見えます。
天上山は昔話「カチカチ山」の舞台。
うさぎがたぬきを懲らしめる話ですが、たぬきの背中に火をつけたり挙句の果ては泥舟に乗せて湖に沈めてしまうという、よくよく考えるとかなり残酷な話ですね。
茶屋(売店)の横には昔話由来のうさぎ神社がありました。
反対側にはかわらけ投げも。
鳥居の下にある輪の中にかわらけが入ると幸運が。
更にその奥の小さな鳥居の間にかわらけが入るとありえない幸運があるとのことですが、小さな鳥居は見逃してしまいました。
(当日の結果は2回とも鳥居下の輪の中に入った)
茶屋前にあった河口湖多佳美パネル。
カチカチ山つながりということで、うさぎの着ぐるみ姿のコスチューム。
更に上の展望台もあるようなので、高台を目指します。
途中絶景を楽しめる空中ブランコも。
要チケットの施設ですが当日は既にチケット販売終了だった模様…。
もう少しで展望台へ。
展望台の入口は(戦国時代の)陣地風。
甲斐の国の武将、武田信玄をフィーチャーしている感じ。
展望台から見た富士山ですが、これぞ絶景!でした。
河口湖方面もGOOD。
この先は三つ峠方面につながる登山道になりますが、さすがに今から行くのは無理なのでここで引き返します。
茶屋(売店)の屋上から撮影しましたが、帰りのロープウェイを待つ行列ができていました。
帰りの移動手段はロープウェイの他徒歩しかないので、仕方なく行列に並ぶことに。
(そもそも往復の乗車券を購入しているので)
約20分くらいで帰りのロープウェイに乗車できましたが、こうして見ると高低差はかなりあります。
よく見るとゴンドラの上にうさぎが乗っているデザインでした。
ロープウェイを降りた後、湖畔のクッキー店の前にあったパネル。
これもコラボコスチュームらしい。
遊覧船「天晴」は当日の運行を終了していた模様…。
強引ですが、前の写真を拡大すると遊覧船「天晴」コスチュームのパネルが確認できました。
この後河口湖駅に戻るのですが、途中道を思いっきり間違えて…。
駅に着いた頃には日が暮れていました。
これも強引ですが、前の写真でバスガイドコスチュームのパネルが確認できました。
富士急行線の線路を見ると、ちょうど車庫線から特急列車が入線するところでした。
線路越しに見た富士山。
帰路はそのまま電車(富士急行線経由)かバスで御殿場経由かどちらにするか迷いましたが、ちょうど御殿場駅行きのバスが早く発車するようなのでバスに乗ることに。
駅舎内にあったパネル(これが当日最後)。
御殿場駅行きのバスが到着したので乗車。
一気に御殿場駅までワープ?という訳ではありませんが、日没のためバス乗車中の車窓の撮影は不可。
河口湖駅~御殿場駅までの所要時間は1時間20分程度。
途中富士山駅・北口本宮前・山中湖・篭坂峠・須走インター付近を経由しました。
駅前広場のイルミネーションが綺麗でした。
御殿場からは国府津方面に向かいますが、次の電車が15分位後なので待ち時間はそれほどでもなかったのが幸い。
乗り鉄継続中なので一応駅名標を撮影。
JR東海車に乗るのは久しぶり。
途中松田で下車して…。
小田急線に乗り換え。
小田急線の新松田駅はJR線の改札を出て向かいにあるので、乗り換え時間はそれほどかかりません。
5分ほど待って新宿行きの急行電車が到着。
海老名まで乗車します。
海老名駅で下車時に、偶然車庫線に止まっていたVSEに出くわしました。
(VSEは最近定期運用を終了した)
海老名から横浜まで、ラストは相鉄線で。
最中的に帰宅できたのが22時前なので、なかなかにハードな行程でした。
今回は少し遠出だったので、日帰りだとやはり時間が押しますね…。
]]>
-
秋の大山登山2022ex
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2022-12-11
前回の高尾山登山の記事で今年は大山に行かないと書きましたが、また土曜日に休みが取れて天候も良かったので、年末にさしかかる時期(12月10日)ながらもこのタイミングで大山登山に行ってきました。伊勢原駅へ向かう途中で電車内から撮影した写真ですが、当日の大山周辺はご覧の通り快晴でした。電車での経路は途中海老名までは相鉄線で。(車両はネイビーブルーカラーの9000系)海老名から伊勢原までは小田急線。(車両は最新鋭の5000系)伊勢原駅で下車後、"ホーム反対側の線路を特急ロマンスカーが通過していきました。(快速急行ながらも特急の通過待ちだった)伊勢原駅前にある鳥居(阿夫利神社参道の一の鳥居)の足元には既に初詣向けの看板が立っていました。年明けまで1か月を切っていたので、まあこの辺は納得…。伊勢原駅から大山ケーブルバス停までは30分強。今回は直行便ではなかったので若干時間がかかりました。(+通学と思われる乗客もいたので、車内はほぼ満員だった)バス停から少し歩いて土産店が並ぶこま参道へ。(ネタバレで言うと)今回はここに戻ってこない予定なので、土産は先に購入しました。ケーブルカーの大山ケーブル駅(麓駅)に到着したところ。土曜日で登山シーズンから若干外れていたためか、ケーブルカーもさほど混んでいない様子でした。この先途中大山寺によるため今回はケーブルカーに乗車はしませんでした。大山ケーブル駅の少し先にある女坂の起点にある看板ですが、女坂七不思議の案内の下には大山山頂のトイレが凍結により利用できない旨の注意書きがありました。先の看板から少し歩いたところにある橋ですが、この辺りのモミジは紅葉前でした。大山寺手前のお堂では紅葉ないしは散り始めの状態。大山寺の階段、モミジの名所ですが既に散ってました。やはりこの場所の紅葉シーズンは先月(11月)下旬頃ということで…。階段の上から撮影。ほぼ散っていますが、右側の一部のモミジと奥のイチョウの木が紅(黄)葉しているのが確認できます。寺の本堂でお参り。その後名物(?)のかわらけ投げもやってみましたが、今回も先にある輪には入らず。2枚もらえる「かわらけ」が円盤状なので、普通に投げるよりはフリスビーを飛ばす要領で投げる方が距離が飛ぶことが分かりました。※かわらけは2枚で300円お参りを済ませた後は登山再開。七不思議の1つ「潮音洞」前を通過。下に見えるのは七不思議の1つ「眼形石」。下社の少し下、男坂と女..
アウトドア(釣り・登山・スキー等)
ao2
2022-12-11T10:41:35+09:00
伊勢原駅へ向かう途中で電車内から撮影した写真ですが、当日の大山周辺はご覧の通り快晴でした。
電車での経路は途中海老名までは相鉄線で。
(車両はネイビーブルーカラーの9000系)
海老名から伊勢原までは小田急線。
(車両は最新鋭の5000系)
伊勢原駅で下車後、"ホーム反対側の線路を特急ロマンスカーが通過していきました。
(快速急行ながらも特急の通過待ちだった)
伊勢原駅前にある鳥居(阿夫利神社参道の一の鳥居)の足元には既に初詣向けの看板が立っていました。
年明けまで1か月を切っていたので、まあこの辺は納得…。
伊勢原駅から大山ケーブルバス停までは30分強。
今回は直行便ではなかったので若干時間がかかりました。
(+通学と思われる乗客もいたので、車内はほぼ満員だった)
バス停から少し歩いて土産店が並ぶこま参道へ。
(ネタバレで言うと)今回はここに戻ってこない予定なので、土産は先に購入しました。
ケーブルカーの大山ケーブル駅(麓駅)に到着したところ。
土曜日で登山シーズンから若干外れていたためか、ケーブルカーもさほど混んでいない様子でした。
この先途中大山寺によるため今回はケーブルカーに乗車はしませんでした。
大山ケーブル駅の少し先にある女坂の起点にある看板ですが、女坂七不思議の案内の下には大山山頂のトイレが凍結により利用できない旨の注意書きがありました。
先の看板から少し歩いたところにある橋ですが、この辺りのモミジは紅葉前でした。
大山寺手前のお堂では紅葉ないしは散り始めの状態。
大山寺の階段、モミジの名所ですが既に散ってました。
やはりこの場所の紅葉シーズンは先月(11月)下旬頃ということで…。
階段の上から撮影。
ほぼ散っていますが、右側の一部のモミジと奥のイチョウの木が紅(黄)葉しているのが確認できます。
寺の本堂でお参り。
その後名物(?)のかわらけ投げもやってみましたが、今回も先にある輪には入らず。
2枚もらえる「かわらけ」が円盤状なので、普通に投げるよりはフリスビーを飛ばす要領で投げる方が距離が飛ぶことが分かりました。
※かわらけは2枚で300円
お参りを済ませた後は登山再開。
七不思議の1つ「潮音洞」前を通過。
下に見えるのは七不思議の1つ「眼形石」。
下社の少し下、男坂と女坂の合流地点付近ですが、この辺りの紅葉も綺麗でした。
下社下の茶屋前に到着。
一部残っているものの、こちらも紅葉は終了後といったところ…。
下社の階段上から撮影。
下社の本殿前。
ご覧の通り、天気は絶好調。
下社の展望台からの眺め。
江の島や三浦半島までは見え、こちらも眺望は良好でした。
今回はケーブルカーに乗りませんでしたが、一応阿夫利神社駅(山頂駅)に停車中のケーブルカーの写真も…。
ひなたぼっこをしているシカさん。
ケーブルカー阿夫利神社駅から茶屋前の広場に向かう途中に飼育(?)されているシカさんがいるのですが、定位置ではなく隅っこの陽が当たる場所に佇んでいました。
下社のお参りと周辺の散策を済ませた時点でちょうど昼時(12時ちょっと前)だったので、昼食は茶屋の名物のルーメソを…。
※ルーメソ=ラーメン、ですが、縦型の「ラーメン」ののぼりを写真のように横向きにしたところ「ルーメソ」と読めるので、その名称が定着したようです。
山菜ルーメソと冷ややっこを注文。
(冷ややっこは撮影前に食べてしまったので山菜ルーメソのみの撮影)
スープは普通の醤油味(いわゆる中華そば)ですが、実はかなり美味だったりします。
もしかしたら有名ラーメン店からの技術提供があるのではないかと思ったりしましたが、その辺りは未確認…。
昼食後ですが、天気は絶好調なのでちょっと迷いましたが、時間が遅すぎる(正午を過ぎてからの登山は控えるよう警告もあり)のと自身の体力面を考慮して山頂方面の登山は断念。
(山頂のトイレが使用不可なのも理由の1つ)
当初の予定通り、見晴台を経由して日向薬師に辿り着くハイキング的なルートで行きます。
遅ればせながら、今回の登山(ハイキング)ルートを案内。
(ケーブルカー阿夫利神社駅付近にある案内板)
上の案内板を拡大してルートを矢印で書き足したもの。
大山ケーブルバス停から大山寺を経由して阿夫利神社下社へ。
下社から見晴台を経由して最終的に日向薬師に辿り着く行程です。
最後日向薬師の少し手前まで戻っていますが、それは追って説明します。
ここ(阿夫利神社下社)から日向薬師までは5.5kmとのことなので、距離的的には結構あります。
ひとまずの目的地となる見晴台までは1.3km。
先の行先標の近くにある、おおやまめぐりルートの案内。
案内に乗っているのはメインの登山ルートですね。
去年はこのルートでの行程でした。
(大山ケーブルバス停より下は含まれていませんが)
案内の右側では3方面のルートが紹介されていますが、今回の日向薬師方面は癒し・スピリチュアルルートになるようです。
尤も終点の広沢寺温泉まではいきませんが…。
ということで下社を出発。
この辺りもまだ紅葉前な感じ。
下社から少し歩いたところにある二重滝。
冬にさしかかっているためか、水量はかなり少な目でした。
二重滝の横にある二重社。
下社の受付で二重社の御朱印もあったので、今回受領しました。
(下社と頂上本社の御朱印は既に受領済み)
下社~見晴台間の登山道は谷の途中を沿って歩く感じ。
以前は台風の度にがけ崩れにより通行止めになることが多かったですが、間に橋が架けられるなど工事が行われたことにより通行止めになることはほぼなくなりました。
途中にある巨大なスギの木ですが、後で頂いたガイド冊子によると「絆の木」という名称の模様。
影で分かりませんが、上に山頂方面からの登山道が見えます。
見晴台に到着(奥が大山山頂)。
実はこの時点で13時少し前ですが、いつもの時期(10月下旬頃)の15時くらいの感覚です。
(周囲の明るさ加減の意味合いで)
ベンチで休憩中に撮影。
草自体は枯れているものの、ススキの穂は残っています。
小休止の後に再度出発。
日向薬師まで4.2km。
見晴台を出発した直後は標高がそれなりに高い(下社より若干高い)ので、下の山々が見渡すことができます。
登山道から遠くに阿夫利神社下社の本殿が見えます。
(写真の中央)
こちらは高取山方面。
山の奥に見えるのが秦野市街で、更に奥が小田原方面か。
木々の奥に見えるのは厚木市街方面の模様。
眺望の良い場所から徐々に森の中に入っていきます。
もう1箇所だけ眺望の良い場所があったので撮影。
奥に見えるのが湘南平(大磯)方面。
日向キャンプ場方面に向かう分岐地点がありましたが、今回はそのまま直進します。
お地蔵さんがある地点に到着。
このお地蔵さんは「勝五郎地蔵」という名前だそう。
お地蔵さんの先は「九十九曲」と呼ばれるつづら折り状の道に。
延々と続くので、特に上りルートだと地獄です…。
(一度だけ上りで通ったことがありますが、途中で心が折れた記憶が…)
その九十九曲がりですが、近年の大雨により登山道がかなり浸食されている様子で、場所によっては水流により道がえぐられている感じでした。
ようやく下の林道が見えてきました。
林道との合流地点に到着。
このまま林道を下っても日向薬師方面に行けますが…
※上の写真では奥が上り(見晴台方面)
林道では徒歩だと遠回りになってしまうので、林道を渡って引き続き登山道を下ります。
九十九曲がりほどではないですが、つづら折りになっている場所もあり。
小川にかかる木橋を渡って…
見晴台方面登山道の入口に到着。
案内板を見ると、ここから日向薬師まで1.9kmとのこと。
(右側の案内板では所要時間50分と記載)
ここから先は林道を下る方向で。
当日はこの林道周辺でサイクリングをされている方を多く見かけました。
この辺りはちょうど渓流沿いということもあり、キャンプ場も点在しています。
(日向渓谷と呼ばれている)
石雲寺(せきうんじ)に到着。
大山寺と同じく「雨降山」の山号を持つ、曹洞宗の寺院です。
石雲寺の本堂。
本道右側の軒下には木彫りの魚が吊るされていますが、これは木魚なのか?
下にある解説によると梆(ほう)というもので、木魚の原型だそうです。
修行僧の食事の時間の合図に利用されていたとのこと。
石雲寺でお参りを済ませた後は再び林道を下ります。
下り坂は続きますが林を抜けたところ。
橋の向こう側にあるのは浄発願寺(じょうはつがんじ)の本堂と三重塔。
浄発願寺はかつて石雲寺よりも上流にありましたが、1938年の台風による山津波で全山が流されたため、現在は下流側のこの位置にあります。
(上流側は浄発願寺奥ノ院として跡地が残されている)
浄発願寺を過ぎると右側は田んぼが広がります。
更に先を行くと、日陰道という遊歩道がある模様。
川(日向川)を挟んで反対側を林道と並行する遊歩道のようなので、そちらに行ってみます。
最初は田んぼの脇を通る感じ。
川の上を通りますが、この辺りは結構標高差があります。
ルートが全体的に「日かげ側」なのが日陰道の名前の由来だそうですが、確かに日かげっぽいというか何だか幻想的な風景です。
日陰道は全体で1.5kmですが、途中迷わないように各所に順路の案内標が設置されています。
急に開けた場所に出ましたが、奥に見える橋を渡って先に進めばよいのでしょうか?
橋を渡った先に案内標があるので間違いない模様。
(上の写真の奥が山頂方面)
道の両脇に紫陽花(アジサイ)があるので、この辺りは紫陽花のシーズンには花が楽しめそうです。
尤も紫陽花のシーズンは6月なので、今は完全にオフシーズンですが…。
沿道では他にヒガンバナの開花時も見どころのようです。
振り返ると遠くに大山山頂が見えました。
この辺りだと山の全景が見える感じ。
日陰道の終点に到着。
ちょうど日向薬師バス停から2つ分手前の位置。
なのでここから日向薬師に向かうため山頂方面に少し戻る形になります。
以前は見ることがなかった日向地区の歓迎の案内板。
日向薬師参道の入口に到着。
バスの発車時刻確認のためバス停に行った際にあった日向地区の観光案内。
観光案内を部分的に拡大。
ここまでは見晴台から九十九曲・石雲寺・は浄発願寺を経由して日陰道へ。
日陰道終点から日向薬師バス停に戻ってきたところ。
これから最後の目的地となる日向薬師に向かいます。
日向薬師に向かう石段。
「衣裳場(いしば)」と呼ばれる場所で、源頼朝が日向薬師に参詣した際にここで旅装から衣装を白装束に着替えたという言い伝えがあります。
ここから日向薬師本堂まで(上りで)15分位かかる模様。
2体の金剛力士像(仁王像)が祀られている、日向薬師の仁王門。
仁王門から先は本堂へ向かう山道が続きます。
奥の階段を登ると本堂。
日向薬師の本堂に到着。
日向薬師の本堂(薬師堂)は茅葺屋根なのが特徴。
本堂は「平成の大修理」と称される大掛かりな修理が行われ、2016年に修理が完了しました。
ちなみに宝城坊は日向薬師の別名。
かつては霊山寺という名称でしたが後に宝城坊と呼ばれ、現在では略称の日向薬師として広く知られています。
本堂の手前脇にある鐘楼。
寺のご神木である「幡かけの杉」。
こちらは境内右手の大木の中にある「虚空蔵菩薩」。
境内の紅葉は(少ないながらも)見ごろな感じでした。
境内の散策と宝物館を見た後は日向薬師バス停に戻ります。
(上の写真は本堂境内側から見た階段)
山道(参道)を戻り…
裏から見た仁王門。
最後にバス停近くにある日向神社にお参り。
日向薬師バス停に到着し、本日の行程終了。
上の写真は日向薬師バス停から見た大山方面。
辛うじて大山山頂が見えます。
~終わりに~
今回も横浜に出て相鉄線・小田急線と乗り継いで最寄り駅の伊勢原に行きましたが、横浜を経由して行くのは今回で最後になるのかもしれません。
(上の写真は相鉄線横浜駅にて撮影した20000系)
というのも、ついに来年3月に相鉄・東急直通線が開業予定なので。
直通線が開通すると自宅の最寄り駅となる日吉駅から大幅にショートカットできるので、次回からはかなり早く着ける感じです。
(ちなみに緑で記されている相鉄・JR直通線は既に開通済み)
]]>
-
秋の高尾山登山2022
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2022-10-23
今年も秋の山登りに行ってきましたが、例年は大山に行くところ今年は趣向を変えて高尾山へ。大山登山がルート的にネタ切れ気味ということもあり、久しぶり(10年ぶり)に行ってみることにしました。日程は昨年より少し早めの10月22日(土曜日)。高尾山口駅前から見た高尾山方面。当日は曇り気味でしたが気温もちょうどよく、雨に見舞われることもありませんでした。最寄りの高尾山口駅までの交通手段ですが、東横線で渋谷まで出て渋谷から京王線経由(井の頭線→京王線)で向かうというルートで。東横線の渋谷地下駅から地上に出て井の頭線乗り場に向かうところで目にした光景がこちら。銀座線の駅が入っていた駅ビル(東急百貨店東横店・西館)が無くなっていました。今後再開発が進んで新しくできた銀座線渋谷駅とつながると思われますが、果たしてどういう光景になるのか…?渋谷からは京王井の頭線に乗車。渋谷駅ホームのPRボードでは(同じ京王線管内ということで)やはり高尾山が取り上げられていました。(ここから少々乗り鉄ネタが続きますが、前哨戦ということでご容赦を)明大前で本線系統の京王線に乗り換え。京王線の下りホームに着くと、折しも最速達列車のMt.TAKAO号が到着したところ。しかし当列車は全席指定のためさすがに座席指定券の購入が間に合わないので次の列車に乗ることに。次列車の特急・京王八王子行きに乗車します。以前は特急の場合明大前を出ると次の停車駅は調布でしたが、途中の千歳烏山に停車するなど最近のダイヤ改正で特急の停車駅が増えました。上位の京王ライナーやMt.TAKAO号が登場したことと、(京王独自の珍列車種別である)準特急を廃止して特急と統合したといった影響のようです。路線図の京王ライナー停車駅部分を拡大してみましたが、Mt.TAKAO号は下り(高尾山口行き)の場合明大前を出ると高尾山口までノンストップとは!(上りは府中まで特急停車駅とほぼ同様の模様)京王線は笹塚~調布間の立体交差及び複々線化が計画されていますが、現状複々線化されているのはごく一部に留まっています。(上の写真は八幡山駅付近)ところどころで事業用地が確保できている箇所もありますが…。調布の手前で地下区間に入るところ。調布駅周辺は連続立体交差化(京王線の地下化)が済んでおり、調布駅においても京王本線と相模原線とのスムーズな分岐ができるように線路が改良されました。ただこの区間を複々線化する場合、どのよう..
アウトドア(釣り・登山・スキー等)
ao2
2022-10-23T11:17:58+09:00
大山登山がルート的にネタ切れ気味ということもあり、久しぶり(10年ぶり)に行ってみることにしました。
日程は昨年より少し早めの10月22日(土曜日)。
高尾山口駅前から見た高尾山方面。
当日は曇り気味でしたが気温もちょうどよく、雨に見舞われることもありませんでした。
最寄りの高尾山口駅までの交通手段ですが、東横線で渋谷まで出て渋谷から京王線経由(井の頭線→京王線)で向かうというルートで。
東横線の渋谷地下駅から地上に出て井の頭線乗り場に向かうところで目にした光景がこちら。
銀座線の駅が入っていた駅ビル(東急百貨店東横店・西館)が無くなっていました。
今後再開発が進んで新しくできた銀座線渋谷駅とつながると思われますが、果たしてどういう光景になるのか…?
渋谷からは京王井の頭線に乗車。
渋谷駅ホームのPRボードでは(同じ京王線管内ということで)やはり高尾山が取り上げられていました。
(ここから少々乗り鉄ネタが続きますが、前哨戦ということでご容赦を)
明大前で本線系統の京王線に乗り換え。
京王線の下りホームに着くと、折しも最速達列車のMt.TAKAO号が到着したところ。
しかし当列車は全席指定のためさすがに座席指定券の購入が間に合わないので次の列車に乗ることに。
次列車の特急・京王八王子行きに乗車します。
以前は特急の場合明大前を出ると次の停車駅は調布でしたが、途中の千歳烏山に停車するなど最近のダイヤ改正で特急の停車駅が増えました。
上位の京王ライナーやMt.TAKAO号が登場したことと、(京王独自の珍列車種別である)準特急を廃止して特急と統合したといった影響のようです。
路線図の京王ライナー停車駅部分を拡大してみましたが、Mt.TAKAO号は下り(高尾山口行き)の場合
明大前を出ると高尾山口までノンストップとは!
(上りは府中まで特急停車駅とほぼ同様の模様)
京王線は笹塚~調布間の立体交差及び複々線化が計画されていますが、現状複々線化されているのはごく一部に留まっています。
(上の写真は八幡山駅付近)
ところどころで事業用地が確保できている箇所もありますが…。
調布の手前で地下区間に入るところ。
調布駅周辺は連続立体交差化(京王線の地下化)が済んでおり、調布駅においても京王本線と相模原線とのスムーズな分岐ができるように線路が改良されました。
ただこの区間を複々線化する場合、どのような工事になるかは不明ですが…。
調布から先は京王本線系統のみの列車になるためか、さすがに複線のままの模様。
上り(新宿方面)の対向列車とすれ違うところ。
中川原~聖蹟桜ヶ丘間で多摩川を渡るところ。
多摩川の上流側を撮影。
北野駅の手前で対向列車とすれ違い(2)。
京王八王子の一つ手前の北野駅で、ホーム隣に停車中の高尾山口行きに乗り換え。
京王本線・高尾線・JR横浜線に囲まれた三角地帯を通過。
高架下の線路がJR横浜線、右奥に京王本線(京王八王子方面)の線路が見えます。
終点に近づくにつれて上り勾配になり、山が近くなってきました。
終点1つ手前の高尾駅でMt.TAKAO号の回送列車とすれ違い。
終点までノンストップといえども、時間的にはあまり差はないようです。
終点の高尾山口までは単線。
トンネルも2つほどあります。
右側の線路は中央本線。
終点の高尾山口まではわずかですが、山あいローカル線的な風景が楽しめます。
終点手前の鉄橋を渡り…。
終点の高尾山口駅に到着。
井の頭線の渋谷駅を出発したのが8:50頃で高尾山口駅に到着したのが9:57なので、所要時間が1時間10分弱。
でも自宅を出たのが8時ちょっと前なのでトータルの所要時間は大体2時間といったところでしょうか?
駅の改札を出たところ、駅前はかなりの混雑。
尤も混雑していたのは改札周辺のみで、駅ロータリー側は混雑していませんでした。
高尾山ケーブルカー駅に行く前、駅前の混雑をよそにに駅ロータリーの反対側にある氷川神社へお参り(これも前哨戦ということで…)。
氷川神社お参り後に高尾山ケーブルカー駅方面へ。
前置き(京王線の乗り鉄記事)が長くなりましたが、ここからが山登りの本番。
ケーブルカーの山麓駅(清滝駅)前に到着。
高尾山口駅前の混雑ぶりから長蛇の列を覚悟していましたが、駅前は思ったほどの混雑ではありませんでした。
高尾山も日本遺産に認定。
都内で唯一の日本遺産とのことです。
日本遺産は他に大山詣りや成田山などが認定を受けています。
清滝駅前にある高尾山遊歩マップ。
山頂までいくつかの登山ルートがありますが、ここから直接山頂付近まで行けるのはメインルートとなる1号路と山道の6号路、本格的な登山道の稲荷山コースの3つがあります。
ここ(清滝駅)から山頂までの中間地点となる高尾山駅まではケーブルカーとリフトの2通りの交通手段があります。
ケーブルカーだと高尾山駅までの所要時間は6分、リフトだと所要時間は12分。
ちなみにケーブルカーは日本一の急勾配だそう。
ケーブルカーもそれほど行列ができている訳ではなく臨時ダイヤ(10分間隔)で運行していたのでこちらで乗車しても良かったのですが…。
メインの登山ルートである1号路を走破する形でいってみることにしました。
1号路の全長(清滝駅~山頂)は約3.8km。
途中ケーブルカーの高尾山駅や薬王院などを経由します。
1号路の入口(登山口)の横にある「高尾山薬王院」の碑。
その奥には登山安全祈願(?)の神社も。
「高尾山飯縄権現」という名称の模様。
ということで(ようやく)登山開始。
まずはケーブルカー高尾山駅を目指します。
1号路は都道にもなっており、(終点の)山頂まで車両が通行できるようになっています。
一般車両は通行できず、緊急車両・指定事業車両などが通行します。
途中何か所かにつづら折りポイントがあります。
先程のつづら折りポイントから少し進みましたが、ご覧の通り下の道とは結構な高低差があります。
本道と金比羅台方面との分岐地点。
どちら経由でも山頂方面に進めますが、本道経由の方が若干距離が短いです。
ちょっと迷いましたが(一度も通ったことがない)金比羅台方面に進むことに。
2~3分歩いて金比羅台園地(展望台)に到着。
その名も「金比羅社」という神社もあります。
金比羅台からの眺め。
写真中央が八王子市街で、その奥の高いビルがある地点が立川あたりか?
ここから少し下に分岐地点がありますが、向かって左側の金比羅台歩道を進めばJR高尾駅方面にも行けるようです。
金比羅台(園地)からこのまま真っすぐ進めばすぐに1号路と合流して山頂方面に行けますが…。
敢えて一度戻って先程の分岐地点へ。
ちなみにここは金比羅台の少し下にある分岐地点で、左手(金比羅台歩道)を進むとJR高尾駅に行けます。
先程の分岐地点へ戻ってきて、本道の頂上方面(右奥)に進みます。
またもやつづら折りポイント。
更に上って金比羅台方面からの合流地点に到着。
先ほどの金比羅台園地から真っすぐの道がここで合流します。
ここからケーブルカー高尾山駅までは一本道。
ケーブルカー高尾山駅の少し手前、リフトの山上駅に到着。
この辺りがちょうど山頂との中間地点。
(標識の部分が明るすぎて見えませんが高尾山頂まで2.0km、高尾山口駅まで2.1kmと記されています)
少し歩いてケーブルカー高尾山駅に到着。
奥に見えるのは展望レストランで、「最も高い位置にあるビアガーデン」もあります。
ケーブルカー高尾山駅のホーム。
ケーブルカーの山頂側は下りだと発車してすぐに道路の下をトンネルでくぐる構造になっています。
高尾山駅付近の展望台から見た風景。
当日は曇り空なためか、遠くは見えませんでした。
良く晴れて空気が澄んでいればここから東京タワーやスカイツリーなどが見えるらしいとのことですが…。
ここでの展望を期待して望遠レンズを持ってきたので、付け替えてちょっと撮影してみました(その1)。
見えたのは多摩ニュータウンあたりでしょうか…?
望遠レンズで撮影(その2)。
東京タワー方面と思われし方向で撮ってみましたが、遠方はぼやけて何も見えず…。
(というか右下手前の植物にピントが合ってしまった模様)
その後高尾山駅改札側に移動。
駅舎の右側にあるのは「高尾山スミカ」という飲食・土産店が複数入っている施設。
近年出来た施設のようです(少なくとも10年前来た時は無かったような…)
高尾山駅の横にある展望レストランの入口。
秋の高尾山ビア・ビュッフェということでクラフトビールなどが飲めるフェスティバル開催中とのことで少々気になりましたが、登山中の飲酒は宜しくないので止めておきました。
高尾山駅の展望台から見た風景。
麓(写真中央)に高速の八王子ジャンクションが見えました。
(中央道と圏央道との交差地点)
その奥には八王子城跡のある山も。
(八王子ジャンクションの奥の突き出た山)
高尾山遊歩マップで、改めて各散策路の紹介。
※リフト山上駅付近に設置されいたもの
高尾山の遊歩(登山)道は1号路~6号路と稲荷山コース・高尾山~陣馬山コースなどがあります。
(その他いくつかの脇道もあり)
各コースの所要時間などの説明。
1号路:ケーブルカー清滝駅から山頂までのメインルート。所要時間:上り40分・下り40分
(清滝駅にある案内では上り100分・下り90分)
2号路:ケーブルカー高尾山駅からさる園付近を周回する散策路。所要時間:1周30分
3号路:薬王院浄心門付近から山頂付近まで、1号路の脇を通る形の山道。所要時間:上り60分・下り50分
4号路:薬王院浄心門付近から山頂付近まで、3号路の反対側の脇を通る形の山道。途中に吊り橋あり。所要時間:上り50分・下り40分
5号路:山頂周辺を周回する散策路。所要時間:1周30分
6号路:ケーブルカー清滝駅から山頂まで通しで行ける登山道。所要時間:上り90分・下り70分
稲荷山コース:ケーブルカー清滝駅から山頂まで通しで行ける登山道で、6号路の外側を走行。所要時間:上り90分・下り70分
高尾山~陣馬山コース:高尾山山頂から陣馬山山頂まで続く本格的な登山道。所要時間:約5時間30分
最後の高尾山~陣馬山コースはともかく、1号路~6号路までは一通り歩いてみたいですね。
(今のところ歩いたことがあるのは1号路と6号路)
ということで再度山頂に向けて出発。
高尾山は紅葉も美しいですが、モミジは色づき始めといったところ。
尤も紅葉ベストシーズン(11月下旬頃)の超絶混雑を避けて早めに来たため、その辺はやむを得ないのですが…。
ケーブルカー高尾山駅から少し歩くとある大木「たこ杉」。
たこ杉の名前の由来は根元が蛸の足のような形をしていることより。
(道路の開削時に根を伐採しようとしたら根が一夜にして後方に曲折したという伝説もあるらしい)
根元の右側には開運ひっぱり蛸なる像もありました。
更に少し歩くと薬王院の入口となる浄心門に到着。
2号路(高尾山駅周辺の散策路)との交差地点でもあり、門の左へ進むと3号路、右へ進むと4号路方面に行けます。
本当は(今まで行ったことのない)4号路を通りたかったのですが、途中登山道緊急工事中とのことで通行止めでした…。
なので浄心門を直進して薬王院方面へと進みます。
浄心門から少し歩くと男坂と女坂との分岐地点(いわゆる追分)に到着。
左側が急な階段の男坂、右側がゆるい坂道の女坂です。
中央の石塔には「南無飯縄大権現」と記載。
飯縄大権現は薬王院の御本尊で不動明王の化身。
今回は右側の女坂を上ります。
女坂の方が坂道は緩やかですが、道が曲がりくねっている分距離は多少長め。
(といっても男坂極端な差はないですが)
男坂・女坂の間の高台にある仏舎利塔。
仏舎利塔まで上がる階段は「三密の道」とのことですが…。
門の左側にある解説では、「仏教では人間の日常生活は三密 身(身体)口(言葉)意(心)の三の働きから成り立っていると考えられております。これこそが煩悩の元(身業・口業・意業の三業)で、この三密の道を歩く時に煩悩を消すことを心に念じ歩いて下さい」と記載があります。
昨今三密というとコロナ感染しやすい状況(密閉・密集・密接)を指していますが、元々は仏教の用語としてあったということですね…。
三密の道の下は男坂の階段(奥が浄心門方面)。
こうして見ると結構急な階段かも。
2つの坂の合流地点にある茶屋(権現茶屋という名前)に到着。
結構混雑していましたが…。
茶屋の名物となるごまだんご(黒ごまだんご)を食べてみました。
(割とすぐ買うことができた)
一服後道を進み…。
薬王院の入口(山門)に到着。
薬王院の境内の様子。
2体の天狗像(小天狗・大天狗)。
高尾山も天狗は古来から伝説・信仰の対象となっています。
天狗像の反対側には北島三郎の歌碑(高尾山)があるとのこと。
「高尾山」の歌碑。
北島三郎といえば演歌界の大御所ですが、高尾山という歌があったのはさすがに知らなかった…。
奥の階段を上り…。
(階段の上にある門は仁王門)
御本堂に到着。
参拝を済ませた後に薬王院の御朱印を頂きました。
(薬王院は何度か来ましたが、まだ御朱印は頂いてなかったので)
御本堂の(正面に向かって)右側にある大師堂。
御本堂の一段上にある御本社。
「御本社」ということは神社にあたる建物なのか…?
御本社は飯縄権現堂という名称。
きらびやかな装飾が特徴の「権現造り」の社殿建築です。
更に御本社の横の階段を上り…。
奥之院へ。
奥之院は不動堂という名称。
奥之院から山頂方面に続く山道。
階段が整備されている箇所も。
山頂手前の合流地点(トイレがある場所)に到着。
4号路・6号路など他のルートと合流するため、一気に人が多くなった感じ。
山頂までの最後の坂。
ということで山頂に到着。
奥の展望台へ。
MAXではないにしろ、やはり人が多いです…。
曇り空ながらも富士山が見ることができました。
(まともに見えたのは初めてかも)
大山もばっちりみえました。
(逆に大山から高尾山ははっきり見えないかも…)
こちらは丹沢山方面?
富士山側の展望を見て何とか場所を見つけて昼食を取り、その後は下山の途に。
山頂から更に陣馬山方面(奥高尾)へ続く登山道もありますが、陣馬山までは徒歩5時間…。
さすがに今の時間(13:50頃)では無理ですが、初めのちょっとだけ道を進んでみます。
階段を下って…。
陣馬山方面の道と5号路との交差地点。
このまま真っすぐ進むと陣馬山方面で、左右は山頂周辺の散策路となる5号路。
陣馬山方面の道をちらっと覗いた後、5号路を左周りで進んでみます。
5号路は山頂のすぐ下を周回しているはずなのですが木々に遮られて山頂は見えず、ぱっと見では普通の山道と変わりない感じです。
稲荷山コースとの分岐地点。
5号路は真っすぐ、稲荷山コースは左手が山頂方面で右奥が麓方面です。
こちらは稲荷山コースの山頂方面に向かう階段。
階段を上ると山頂に逆戻りするので、そのまま5号路を進みます。
山頂近くのはずですが、普通に山中を進んでいる感じです。
高尾山頂は標高が低い(599m)ためか、大山ほどの山頂感は無いようです。
(大山山頂は1.250mあるので、ほぼ倍くらいの標高)
6号路との合流地点に到着。
6号路合流地点にある案内板。
この地点が6号路の終点(麓から来た場合)で、反対の上方向に進むと1号路に合流し、反対の下方向に進むと3号路に進む形です。
ちょっとトイレに行くため一旦1号路方面へ。
(1号路合流地点にちょうどトイレがあります)
再度先程の6号路合流地点に戻り、道をUターンする形で3号路方面に進みます。
(手前右→手前左方向に進む形。真っすぐ奥に進むと6号路、右手が5号路)
この辺りは麓からの車道(1号路の車道部分?)も兼ねていて、車が通れる道になっています。
程なく車道と3号路歩道との分岐地点に到着。
分岐地点にある行先標。
それぞれ行先が高尾山頂・3号路・1号路薬王院方面になっているので、やはり車道は1号路に属するのかもしれません。
3号路の案内板。
ちょうど1号路(薬王院)と6号路との間、山頂から高尾山の南斜面を横切り1号路の浄心門に下る山道で、「高尾山の植物」がテーマ。
起伏が少なく歩きやすい山道とのことですが…。
上の案内板では先程の6号路合流地点が3号路の起点となっていますが、実質この場所が3号路の起点かもしれません。
ということで3号路の山道に入りますが、本格的な山道という感じです。
途中所々に大木が見られます。
足元が心もとない箇所もあり、がけ下に落ちないよう注意が必要です。
深い沢の間に橋が設けられている箇所も。
途中倒木も…。
谷側に向かって斜めに伸びている木が面白いです。
根本に空洞のあるかなりの巨木。
沢にかかる小橋を渡って…。
2号路との合流地点に到着。
左奥(上)が浄心門、右奥(下)が2号路の周回部分。
3号路の森はどんな森?ということですが、山の南側にある3号路は暖かく冬になっても葉が落ちない「常緑樹」が多いとのこと。
(暖かい地域に多いカシ類が目立つ)
反対に北側の4号路は冷温帯で冬に葉を落とす落葉樹(ブナなど)が多いそうです。
合流地点の上に行く階段を登ると浄心門の近くに出ました。
浄心門からケーブルカー高尾山駅方面に向かう途中、切り株の上に置かれたトトロとネコバスがありました。
(上り時にも見たのですが…)
さる園・野草園の入口に到着。
閉園まで少し時間があるとのことでしたので、入ってみることに。
※入園料:大人430円(日光さる軍団・高尾山特別公演とのセット券は1.000円~)
当日は特別公演が終了していたため、通常料金で入場しました。
さる園入口の看板。
ちょうど猿さんたちが飼育員さんから配られた餌を食べているところでした。
下にいる猿さんたちはくつろいでいる様子。
さる園の屋上からは大山も見えました。
一旦さる園を出て野草園へ。
野草園の園内は周回できる構造になっていて、それぞれ20ほどのエリアに分かれています。
四季折々の野草の花が見れるとのことですが…。
季節の合間のためか、大半は花が咲いていない感じでした。
(こちらは高尾山固有のタカオスミレ)
僅かながら花をつけた野草も。
庭や公園でもよく見られるフッキソウ。
モミジの葉のような形の野草ですが、モミジガサというそうです。
大き目の野草のキレンゲショウマ。
花のつぼみもちらほら見られました。
近くにはレンゲショウマという野草も。
再びさる園に戻ると、飼育員さんによる解説中でした。
飼育員さんの説明によると、中央やや左にいるのがさる園のボス猿とのこと。
現在のボス猿は5代目で、名前は「ネッシン」。
飼育員さんの解説も終わり閉園時間が近づいてきたので、この辺りでさる園を出ることに。
この後はケーブルカーに乗って一気に麓まで戻ろうと考えていましたが、間が差して左下の蛇滝方面に向かうことに。
(この選択により、思いがけないルートから下山することになりました)
少し下ると2号路と蛇滝方面の分岐地点に。
そのまま真っすぐに行き蛇滝方面に向かいます。
この後は急な下り坂とつづら折りの連続。
水の流れる音がするので、滝が近いのかも。
滝手前の社に到着。
奥の細い流れが蛇滝か。
入口が閉まっていたので遠方から撮影しました。
(ちなみに蛇滝=じゃたき、と読むらしい)
蛇滝の下の流れ。
下からは蛇滝は見えませんでした…。
蛇滝から先も下り坂が続くので、足にこたえます…。
坂を下ると蛇滝水行道場の入口に到着。
更に道を下るとようやく開けた場所に出ましたがそこは…。
高速道路の高架橋が見えますが、中央道か?
上を見上げると巨大な高架橋。
八王子ジャンクションの真下でした!
(中央道と圏央道との交差地点)
少し進むと車道との交差点に。
「蛇滝水行道場入口」の案内板もあります。
道の脇には古い石碑も。
実はこの道は旧甲州街道に当たります。
ここからJR高尾駅まで2.5km…。
とりあえず高尾駅を目指して歩くことに。
歩いてすぐにバス停があり、どうやら高尾駅行きのバスもある模様。
ただバス停付近を見渡すと…
近くに列車銃撃の慰霊碑があるとのこと。
横の案内板によると、この奥にある中央本線の湯ノ花(いのはな)トンネルの手前で太平洋戦争末期(1495年8月5日)に、新宿発長野行きの419列車がアメリカ軍のP51ムスタング戦闘機の銃撃を受けて52名の死者と133名の重軽症者を出した事故があり、同事故の供養塔と慰霊碑を線路の脇に設けた、とのことです。
太平洋戦争末期になると爆撃機(B29等)による空襲だけでなく戦闘機の機銃掃射による列車銃撃も各所であり、ここ湯ノ花トンネルの事故は列車銃撃としては国内最大級の犠牲者だそうです。
慰霊碑のある方向に進んでみたものの見当たらず、中央本線の踏切にさしかかりました。
奥に見えるのが(事故があった)湯ノ花トンネルの模様。
踏切の警報機が鳴り、中央本線の下り列車が通過していきました。
慰霊碑に行くには手前の通路を右方向に進む模様。
ようやく慰霊碑に到着。
現地を後にして高尾駅方面へ。
高尾駅行きのバスはしばらく来ないようなので、引き続き徒歩で向かうことに。
住宅街の間を抜ける感じで道は続きますが…
旧甲州街道ということもあり、古い石碑も見受けられます。
その先の公園には…。
甲州街道駒木野宿跡の碑と、
小仏関跡の碑がありました。
江戸時代に甲州街道の関所(と宿場町)があった場所だそう。
その先で甲州街道(国道20号線)と合流。
更に進んで…。
ようやくJR高尾駅に到着。
既に辺りは真っ暗でした…。
帰りはJR中央線で。
(東京行きの快速列車)
駅ホームの先端近くにある天狗像。
鼻が長い…。
これにて本日の行程終了…。
完全に日没ですが実はまだ17:30過ぎで、途中八王子で下車して土産を買ったものの帰宅したのは19:30
頃だったのでそれほど遅くはありませんでした。
最後思いがけず距離を歩いたので足がかなり疲れましたが、新たな発見もあったのでまあ良いかと。
]]>
-
SWのお出かけ~皇居周辺巡り(後編)
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2022-10-02
皇居周辺巡りの後編(9/25 2日目)は北の丸公園方面から入り日本武道館・千鳥ヶ淵戦没者墓苑を経て皇居周辺の西側(半蔵門・桜田門)経由で皇居外苑~大手門へと至る行程です。2日前と違い当日は終始晴天に恵まれました。(逆に少々暑かったですが…)スタート地点の下車駅は地下鉄の九段下駅。上の写真はちょうど九段下駅の階段から地上にから出たところで、手前のお堀は牛ヶ淵。水面というよりは全面蓮の葉で覆われています。北の丸公園の入口付近(九段坂公園)には灯台のような建造物と銅像が並んでいます。手前にある解説によると灯台のような建造物は靖国神社の燈籠で高燈籠(常燈明台)という名称。靖国神社の燈籠としてではなく、かつては東京湾からも望むことができたので実際に灯台としての役目も果たしていました。(前回の記事でも触れましたが、昔はここからでも海岸線が近かった)ちなみに靖国神社は目の前の通り(靖国通り)を挟んで向かい側です。(1枚目の写真の右側)高燈籠の奥にあるのが品川弥二郎像。高杉晋作らと尊王攘夷運動・戊辰戦争で活躍し、その後の明治時代には政治家として内務大臣などの要職を歴任しました。剣術を学んだ練兵館に近いことからここ九段坂公園に像が設置されました。さらに奥にあるのが大山巌像。日清戦争・日露戦争で活躍した陸軍の大将で、海軍の東郷平八郎と対をなして「陸の大山・海の東郷」と称されました。銅像は軍服を着た乗馬姿で、近代の軍人像の中では数少ない乗馬像の一つです。江戸時代以前の武士では乗馬像は割と見かけますが、確かに近代の軍人だと少ないかも。九段坂公園から見た千鳥ヶ淵。(奥が皇居方面)ちなみに当日(9/25)の2日後に安倍元総理の国葬が執り行われましたが、ここ九段坂公園に一般参列者用の献花台が設けられました。ようやく北の丸公園に入るのですが、公園の北口となる田安門から入城。こちらは手前の高麗門。皇居東御苑のように手荷物検査は無かったものの、門の前には警察員が駐在していました。高麗門をくぐった先にある田安門の櫓門。案内板の解説によると田安門は江戸城の総構完成当時から現存する唯一の建造物とのこと。(重要文化財に指定)田安門を抜けると目の前に言わずと知れた日本武道館が。別の角度から撮影。翌々日にはここで安倍元総理の国葬が執り行われる予定ですが…。当日は空手道の全国大会が開催されていました。本来ならば国葬の準備のため早くから武道館周辺(北の丸公園)が封..
お出かけ・小旅行
ao2
2022-10-02T21:00:43+09:00
2日前と違い当日は終始晴天に恵まれました。
(逆に少々暑かったですが…)
スタート地点の下車駅は地下鉄の九段下駅。
上の写真はちょうど九段下駅の階段から地上にから出たところで、手前のお堀は牛ヶ淵。
水面というよりは全面蓮の葉で覆われています。
北の丸公園の入口付近(九段坂公園)には灯台のような建造物と銅像が並んでいます。
手前にある解説によると灯台のような建造物は靖国神社の燈籠で高燈籠(常燈明台)という名称。
靖国神社の燈籠としてではなく、かつては東京湾からも望むことができたので実際に灯台としての役目も果たしていました。
(前回の記事でも触れましたが、昔はここからでも海岸線が近かった)
ちなみに靖国神社は目の前の通り(靖国通り)を挟んで向かい側です。
(1枚目の写真の右側)
高燈籠の奥にあるのが品川弥二郎像。
高杉晋作らと尊王攘夷運動・戊辰戦争で活躍し、その後の明治時代には政治家として内務大臣などの要職を歴任しました。
剣術を学んだ練兵館に近いことからここ九段坂公園に像が設置されました。
さらに奥にあるのが大山巌像。
日清戦争・日露戦争で活躍した陸軍の大将で、海軍の東郷平八郎と対をなして「陸の大山・海の東郷」と称されました。
銅像は軍服を着た乗馬姿で、近代の軍人像の中では数少ない乗馬像の一つです。
江戸時代以前の武士では乗馬像は割と見かけますが、確かに近代の軍人だと少ないかも。
九段坂公園から見た千鳥ヶ淵。
(奥が皇居方面)
ちなみに当日(9/25)の2日後に安倍元総理の国葬が執り行われましたが、ここ九段坂公園に一般参列者用の献花台が設けられました。
ようやく北の丸公園に入るのですが、公園の北口となる田安門から入城。
こちらは手前の高麗門。
皇居東御苑のように手荷物検査は無かったものの、門の前には警察員が駐在していました。
高麗門をくぐった先にある田安門の櫓門。
案内板の解説によると田安門は江戸城の総構完成当時から現存する唯一の建造物とのこと。
(重要文化財に指定)
田安門を抜けると目の前に言わずと知れた日本武道館が。
別の角度から撮影。
翌々日にはここで安倍元総理の国葬が執り行われる予定ですが…。
当日は空手道の全国大会が開催されていました。
本来ならば国葬の準備のため早くから武道館周辺(北の丸公園)が封鎖されてもおかしくなかったのですが、この大会が行われる関係で当日まで公園内に入ることは可能でした。
建物の手前にある武道館設立の碑。
北の丸公園の案内図。
これだとちょっと分かりにくいので…
案内図を少し拡大
右(北)側に武道館と田安門、中央やや下(東)側に科学時術館と清水門、その左(南)側に近代美術館、そして案内図の上(西)側には旧近衛師団司令部庁舎(元近代美術館工芸館)があります。
ということでこの後は北の丸公園を周回してみることに。
武道館から南側に歩くとある吉田茂(元総理)の銅像。
吉田茂銅像の説明。
昭和42(1967年)に没して日本武道館にて戦後唯一の国葬が行われた旨の記載があります。
(奇しくも翌々日に戦後2例目の国葬が行われる予定ではありますが…)
ちなみにこの銅像は吉田茂元総理の生誕百年を記念して建立されたもの。
あと元総理の銅像と言えば…
JR浦佐駅にある田中角栄像。
雪国(新潟県)なので銅像の上に屋根が付いています。
この流れで安倍元総理の銅像が建てられるかは現時点では不明ですが、郷里の山口県であれば銅像が建てられるのかもしれません。
元総理の銅像絡みでついでに言うと森元総理の銅像を建てる資金が集まったという話もありましたね。
それはさておき…
北の丸公園の東口に当たる清水門に到着。
田安門と同様に高麗門と櫓門の2つの門で構成されています。
当日は人の出入りは殆ど無かったのですが、ガードマンの警官は駐在していました。
清水門の案内板。
万治元年(1658年)に建てられたものであると考えられ、門から北の丸に至る石段とともに江戸時代の状況を色濃く残しているとの解説があります。
(重要文化財に指定)
清水門の手前から見た武道館方面。
ちょうど中央に武道館の屋根が見えます。
手前のお堀は牛ヶ淵。
ちょうど九段下駅付近からの反対側の端になります。
牛ヶ淵はほぼ全面が蓮の葉で覆われている模様。
清水門の手前から見た竹橋駅方面。
手前のお堀は清水濠。
清水濠はこの先近代美術館の横を通って地下鉄竹橋駅付近まで続いています。
再び清水門をくぐり、再び公園内に。
遠方にビルが見えますが、公園内は都会のオアシスといった感じで木々に覆われています。
北の丸公園は明治時代より近衛師団の兵営地等として利用されていたことから、公園内各所の跡地に記念碑が設けられています。
こちらは近衛歩兵第一連隊跡の碑。
武道館近くのレストハウスの裏手にあります。
こちらは近衛歩兵第二連隊跡の碑。
ちょうど武道館と吉田茂像のある場所との中間地点にあります。
こちらは公園の西側、千鳥ヶ淵に面した場所にある怡和園(いわえん)の碑。
近衛師団関連の施設(第一連隊の地域)で、将兵の散策や憩いの場として利用された小庭園が設けられていたそうです。
戦後はこの地域全体が公園として整備されたため庭園は残っておらず、庭園設立時に設けた石碑だけがが残されています。
(この石碑自体も戦後に一旦地中に埋められて、その後発掘して再び設置されたそうです)
ちなみに「怡和」とは「喜び和らぐ」の意。
公園の高台から見た千鳥ヶ淵方面。
先の怡和園を含めたこの辺りはやや高台になっています。
奥の森になっている所が国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑の方面。
園内には滝もあり、一時の涼しみを味わえました。
(当日は晴天ということもあって割と暑かったので…)
公園の南部には池があり、手前の芝生と相まって美しい風景です。
この池では外来種であるアメリカザリガニを駆除中である旨の案内が…。
その横にはアメリカザリガニ(アメザリ)がいかに悪者であるかを詳しく解説している図もありました。
まあ身勝手に池に放流した人間がそもそもの元凶であって、「恨むなら人間を恨みなー、俺たちはただ暮らしているだけだー!」というセリフの通りアメザリ自体に罪はないんですけどね…。
ちなみに後のコマでは「ヒャッハー、新天地だー!」とか、ちょっと北斗の拳に出てくる悪党っぽいセリフも見受けられ、アメザリの悪党っぽさを増長しています(笑)。
裏手にももう一つ池があり、こちらは水も濁っていていかにもアメザリがいそうな感じでした。
最初の池に戻りますが、池の手前にはススキが生えていて秋の気配を感じさせます。
北の丸公園の散策はこれまでにして、公園の南口を出ると目の前にあるのが乾門。
乾門の奥は皇居の敷地で門の手前にバリケードが設置されているので中には入れず、離れた場所からしか見ることはできませんでした。
北の丸公園南口と乾門との間は公道(代官通り)が走っていますが、ちょうど横断歩道の横には首都高の代官町入口が。
入口の建物は最近リニューアルされたようで、屋根や壁の造りが武家屋敷風のデザインになっていました。
あと「ETC ONLY」の記載通りETC専用の入口に変わった模様。
近年になってここ以外でも首都高の入口がETC専用に変わっているのを多く見かけます。
この後は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に向かう予定ですが、その前に一旦竹橋方面に戻ることに。
手前に見えるお堀は乾濠。
奥に見えるのは皇居東御苑の北側入口である北桔橋門。
北桔橋門の手前では手荷物検査が行われていました。
(自分は一昨日入場する際にチェックを受けましたが…)
こちらも一昨日行った国立近代美術館。
(右奥が竹橋駅方面)
北桔橋門から引き返して乾門を過ぎた少し先には立派なレンガ造りの建物が。
この建物は「旧近衛師団司令部庁舎」。
この建物ですが近年まで近代美術館の工芸館として利用されていたので近代美術館の常設展チケットがあれば中に入ることができましたが、2020年2月28日をもって閉館(石川県金沢市に移転)したため通常は中に入ることはできなくなりました。
(付近の案内板では近代美術館工芸館の表示のままとなっている場合もある)
近衛師団司令部庁舎と代官通りを結ぶ橋の下を首都高が通るという光景。
下の首都高は車で時々通ることがありますが、歩道越しに高速道路を見るという機会はなかなかないですね…。
皇居周辺のランニングも人気があるようで、歩道を移動中に皇居ランナーも多く見かけました。
今度は首都高をお堀越しに見るの図。
ちょうど右手から左手の千代田トンネルに入るところ。
千鳥ヶ淵沿いに歩いて到着したのが"国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑。
先の大戦で海外で亡くなられた邦人のご遺骨を納めるため昭和34年に国によって建設された「無名戦没者の墓」で、軍人・軍属のみならず海外で亡くなられた一般邦人を含み、氏名が特定できないなどの理由で遺族に引き渡すことができないご遺骨が納められています。
(現在約37万柱が奉安されています)
先の大戦も含めて国難に殉じられた方々の慰霊する場所としては靖国神社が挙げられますが、こちらは国立・無宗教の戦没者の墓という位置づけになります。
墓苑の前には君が代の歌詞にもある「さざれ石」もありました。
(蓮の葉の右側)
墓苑の横は千鳥ヶ淵に沿う形で緑道になっていて、靖国神社方面(九段坂公園)まで続いています。
ふと思ったのですが、この流れだと安倍元総理の国葬が武道館で行われることは(国難に殉じた方ということで)理にかなっていると言えなくもないです。
墓苑付近から首都高千代田トンネルの入口を撮影。
皇居周辺のお堀の間からトンネルに入るという、今更ながらダイナミックな光景です。
墓苑を訪れた後は皇居西側の外周に沿って半蔵門方面に向かいますが、途中にあったのが英国大使館。
こちらも先日エリザベス女王の国葬が執り行われたことから、門の前には多くの花束が捧げられていました。
更に歩くと、ようやく遠くに半蔵門が見えてきました。
(手前のお堀は半蔵濠)
半蔵門に到着。
名前の由来は伊賀者の服部半蔵がこのあたりに配下とともに屋敷を拝領していたという説があります。
(その他にも諸説あり)
現在では手前の高麗門のみが残り、皇居への通用門として使用されています。
そのため門の手前に柵が設けられて奥に入ることはできませんでした。
門手前の草地にはアオアゲハの姿も見られました。
半蔵門前から見た都心方面。
方向的に正面は霞が関あたりか。
手前のお堀は桜田濠。
三宅坂交差点に到着。
(国道20号と246号との交差地点)
道路の奥に見える建物は最高裁判所。
そして脇道に入ると日本政治の中枢である国会議事堂に辿り着きました。
さすがに何というか、偉容のある建物です。
(ちなみに国会議事堂を間近に見るのは初めてかもしれない…)
国会議事堂の手前にある、その名も国会庭園。
議事堂正門につながる道路の両脇が国会庭園となります。
木々の向こうに議事堂の建物が見えます。
国会前交差点付近から見た桜田濠。
奥が半蔵門方面。
同じく国会前交差点付近から見た桜田濠。
奥に桜田門が見えます。
お堀沿いに進んで桜田門に到着。
桜田門の案内板。
正しくは「外桜田門」で、名前の由来はこの地が古代に桜田郷と呼ばれていたことから。
大老井伊直弼が水戸藩士によって暗殺された「桜田門外の変」が起こった場所でもあります。
桜田門自体は1923年(大正12年)の関東大震災で門が壊れましたが、再建され現在に至っています。
そして桜田門の向かい側にあるのが警視庁。
警視庁の別名も「桜田門」。
警視庁の奥に国会議事堂が見える構図。
上の写真で左手前が警視庁で、ちょうどビルに隠れていますが中央やや右側に国会議事堂が見えます。
桜田門の渡櫓門をくぐると…。
皇居外苑の広場へ。
こう見るとかなり広い敷地であることが分かります。
皇居周回コースの案内。
ここから大手門・平川門・北桔橋門・半蔵門などを経由して1周約5kmのコースとなっています。
歩行者を優先、狭いところは一列に、周回は反時計回りに走行するといった利用マナーが掲げられています。
そして桜田門から北寄りに進むと見えたのが二重橋。
まさに皇居の象徴と言える光景です。
橋の奥に見えるのが伏見櫓。
手前にある案内板によると、正しくは手前に見える(上の写真の)橋が「正門石橋」で、その奥にある「正門鉄橋」の別名が「二重橋」とのこと。
しかし正門石橋と正門鉄橋の2つの橋を総称して「二重橋」と呼ぶ人も少なくありませんという解説もあり、つまるところ半分は当たっているということでしょうか?
正門石橋の先にある皇居正門。
普段はご覧の通り閉まっていますが、新年や天皇誕生日の一般参賀では一般の方々も通る通ることができるという説明もありました。
正門石橋の奥にある正門鉄橋。
この橋が元は木製で、その下に橋桁を支えるもう一つの橋が架けられていたのが「二重橋」の名前の由来だそうです。
皇居外苑の案内図。
中央の灰色の部分が皇居で、その左側(現在地の印がある部分)が皇居外苑、皇居に沿う形でその右下が皇居東御苑・北の丸公園と続きます。
あと皇居外苑・皇居東御苑・北の丸公園がそれぞれ面積が大体同じであることも確認できます。
上の案内図を部分拡大。
ちょうど2つの橋の真ん中に二重橋の表記があるので、やはり2つの橋で二重橋ということでしょうか?
内堀通りを渡り、皇居外苑の端方向へ。
途中はとバスを含む観光バスも多く見かけました。
皇居外苑の南東端(日比谷公園寄り)にある楠木正成像。
鎧を身にまとい騎乗する実に凛々しいお姿。
像の下にある案内板によると、「この銅像は隠岐(おき)から還幸した後醍醐天皇を兵庫で迎えた楠木正成の雄姿を象ったものです」との解説がありました。
像を見た後は再び内堀通りを渡って皇居前広場へ戻ります。
皇居前広場から桜田門方面を見た写真。
ちょうど正面に警視庁の建物が見えます。
皇居前広場から大手門方面を見た写真。
広場がひたすら広いスペースであることが分かります。
皇居前広場から大手門方面へ歩いた先にある坂下門。
手前の芝生の色がやたら鮮やかですが…。
(新しいiPhoneで撮影したので、鮮やかな色合いになることが多い)
坂下門の案内板。
名前の由来は西の丸(現在の宮内庁や新宮殿がある敷地)から低地に降りる坂の下にあることから。
坂下門もかつては他の門と同様に渡櫓門と高麗門を備えた桝形の構造でしたが、明治20年に高麗門が撤去されて渡櫓門を現在の位置に設置したと説明があります。
坂下門を別の角度から撮影。
手前のお堀は蛤濠。
坂下門から更に大手門方面に進んだ先にある桔梗門。
こちらは渡櫓門と高麗門の両方が残っています。
桔梗門の別名は内桜田門。
桔梗門の先の角地にある巽櫓。
ちょうど敷地の南東(巽の方角)にあることが名前の由来。
奥には桔梗門が見え、写真には写っていませんが櫓の右側に大手門があります。
(手前のお堀は桔梗濠)
一昨日の(一旦の)ゴール地点となる大手門前に到着。
ここからもう少し続きますが、この先はボーナスということで…。
大手門から二重橋方面に少し戻り、内堀通りを渡った外側にも江戸城の遺構が一部残っており、この区画は和田倉と呼ばれています。
(手前のお堀も和田倉濠という名称)
区画内は公園として整備され、和田倉噴水公園という名称です。
レストハウスもある近代的な公園といった趣。
公園の一角には門の遺構も残されていて、案内板によると和田倉門跡とのこと。
門跡の先には当時を再現した橋もあります。
(木橋風のコンクリート橋)
公園を出た先には再びはとバスの姿も。
終始好天に恵まれたので、はとバスもご盛況な感じでした。
ラストは東京駅ということで、当日の行程終了です。
九段下からここまでかなり歩いた(累計6~7km?)ので、足がかなりクタクタでした…。
思いがけずの皇居周辺巡りでしたが、色々新たな発見もあったかと。
]]>
-
SWのお出かけ~皇居周辺巡り(前編)
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2022-09-26
今年の9月連休(SW=シルバーウイーク)ですが、9/23と25日の2日間で皇居周辺巡りをしてみました。元々予定は無かったものの成り行きで…。1日目(9/23)は地下鉄竹橋駅付近からスタート。写真に映っているお堀は平川濠、奥に見えるビル群は大手町方面。上の写真は竹橋で、奥に見えるのは近代美術館。実は近代美術館の企画展(ゲルハルト・リヒター展)を見る目的で竹橋に来たのですが、そのついでに皇居周辺を回ってみようかとふと思ったのが今回の行程のきっかけでした。1日目は皇居東御苑の散策になりますが、当日は北部の出入門となる北桔橋門(きたはねばしもん)から入園しました。北桔橋門の名前は江戸城本丸の北端に位置し、有事に備えて跳ね上がる構造の橋があったことに由来します。北桔橋門のアップ写真。門の前には警備員がいてかばんなどの手荷物チェックが行われていました。(この辺りは後日行われる重要イベントのテロ対策といったところですが…)北桔橋門を入ると見えるのが江戸城の天守台。もちろんかつてはこの上に天守があったのですが…。天守台についての解説を見ると、徳川家康の入城以来慶長度天守(1607年)・元和度天守(1623年)・寛永度天守(1638年)の3度にわたって天守が建てられましたが、寛永度天守が明暦の大火(1657年)により焼失した後に天守再建を目指して万治元年(1659年)に築かれたものとのこと。ただしその後幕府内で天守は不要との結論が下されたため、この天守台には天守が建てられないままとなりました。江戸時代の江戸城は天守があった50年間の後天守のない状態が210年間続きました、と記載があります。天守台からの眺めその1。写真の中央に北桔橋門がちらっと。その奥には日本武道館の屋根も見えます。天守台からの眺めその2。写真の中央に見えるのは桃華楽堂。香淳皇后(昭和天皇の皇后)のご還暦をお祝いして建設された音楽堂です。その奥に見えるのは大手町のビル街。天守台から見た江戸城本丸御殿の跡地。現在では開放された芝生地になっています。皇居東御苑は皇居の東地区(旧江戸城本丸・二の丸・三の丸の一部)を皇居付属の庭園として整備して昭和43(1968)年に完成し、宮中行事に支障のない限り一般に公開されています。入園料:無料休園日:月曜日・金曜日(祝日にあたる場合は開園)※当日(9/23)は金曜日でしたが祝日(秋分の日)でしたので開園していました。参考:皇居東御苑..
お出かけ・小旅行
ao2
2022-09-26T20:30:14+09:00
元々予定は無かったものの成り行きで…。
1日目(9/23)は地下鉄竹橋駅付近からスタート。
写真に映っているお堀は平川濠、奥に見えるビル群は大手町方面。
上の写真は竹橋で、奥に見えるのは近代美術館。
実は近代美術館の企画展(ゲルハルト・リヒター展)を見る目的で竹橋に来たのですが、そのついでに皇居周辺を回ってみようかとふと思ったのが今回の行程のきっかけでした。
1日目は皇居東御苑の散策になりますが、当日は北部の出入門となる北桔橋門(きたはねばしもん)から入園しました。
北桔橋門の名前は江戸城本丸の北端に位置し、有事に備えて跳ね上がる構造の橋があったことに由来します。
北桔橋門のアップ写真。
門の前には警備員がいてかばんなどの手荷物チェックが行われていました。
(この辺りは後日行われる重要イベントのテロ対策といったところですが…)
北桔橋門を入ると見えるのが江戸城の天守台。
もちろんかつてはこの上に天守があったのですが…。
天守台についての解説を見ると、徳川家康の入城以来慶長度天守(1607年)・元和度天守(1623年)・寛永度天守(1638年)の3度にわたって天守が建てられましたが、寛永度天守が明暦の大火(1657年)により焼失した後に天守再建を目指して万治元年(1659年)に築かれたものとのこと。
ただしその後幕府内で天守は不要との結論が下されたため、この天守台には天守が建てられないままとなりました。
江戸時代の江戸城は天守があった50年間の後天守のない状態が210年間続きました、と記載があります。
天守台からの眺めその1。
写真の中央に北桔橋門がちらっと。
その奥には日本武道館の屋根も見えます。
天守台からの眺めその2。
写真の中央に見えるのは桃華楽堂。
香淳皇后(昭和天皇の皇后)のご還暦をお祝いして建設された音楽堂です。
その奥に見えるのは大手町のビル街。
天守台から見た江戸城本丸御殿の跡地。
現在では開放された芝生地になっています。
皇居東御苑は皇居の東地区(旧江戸城本丸・二の丸・三の丸の一部)を皇居付属の庭園として整備して昭和43(1968)年に完成し、宮中行事に支障のない限り一般に公開されています。
入園料:無料
休園日:月曜日・金曜日(祝日にあたる場合は開園)
※当日(9/23)は金曜日でしたが祝日(秋分の日)でしたので開園していました。
参考:皇居東御苑の略図(宮内庁ホームページ)
江戸城本丸御殿の案内。
本丸御殿は表・中奥・大奥という3つの空間に分かれていたと説明があります。
一つ前の写真で奥から表・中奥・大奥の順。
上の案内の写真では上から表・中奥・大奥の順で、右下が天守台です。
天守台・本丸の敷地と二の丸庭園の間にある汐見坂。
名前の由来はこの坂の上から海が望めたからだそう。
現在ではこの場所から海は到底見えませんが、江戸時代は現在よりも海岸線が近かったのでここからでも海を見ることができたと思われます。
汐見坂の途中から見た白鳥濠。
お堀を挟んで左側が二の丸庭園、右側が本丸の敷地ですがかなりの高低差があることが分かります。
当日は秋分の日(お彼岸)ということもあり、僅かながらもヒガンバナが咲いていました。
平川門の手前にある天神濠。
二の丸庭園から更に1段下にあります。
平川門の裏手に到着。
皇居東御苑の出入門の1つで、北東部の入口になっています。
門から外に出てしまうと再入園時にまた手荷物チェックを受けなければならないので裏手で引き返して二の丸庭園まで来た道を戻ります。
二の丸庭園の入口付近にある「都道府県の木」。
各都道府県を代表する木が順番に並んでいます。
庭園内には「諏訪の茶屋」と呼ばれる建物が。
明治時代に吹上御苑に建てられた茶屋を移築したものです。
二の丸庭園のメイン空間。
中央の通路を挟んで2つの池が配置されています。
二の丸庭園の案内。
元々二の丸には小堀遠州が造った庭園がありましたが、明治時代以降は荒廃していました。
その後昭和39年(1964年)に9代将軍家重の時代に造られた庭園を再現する形で現在の回遊式庭園になった、と説明があります。
二の丸庭園のメイン空間の様子。
シーズン中だと各種の花を見ることができますが、ちょうどシーズンの合間らしく特段花は拝めませんでした。
"こちらもシーズン中ならば菖蒲の花が咲いていると思われます…。
二の丸庭園から再び本丸の広場(跡地)に戻ってきました。
手前の広大な芝地が大奥跡で、その奥に江戸城の天守台が見えます。
ちなみに江戸城の天守ですが、最も規模の大きかった寛永度天守(3代目)は地上からの高さが58mあったと言われています。
本丸広場の反対側(表・中奥方面)。
本丸広場の西側(二の丸庭園の反対側)にある石室。
ちょうど本丸御殿大奥の脇に当たる場所で、用途は諸説ありますが火事など非常の際に大奥用の調度などを非難させた場所と考えられています。
石室の近くにある富士見多聞。
「多聞」とは長屋造りの防御施設で、旧江戸城で現存するのはここと伏見櫓の左右にある多聞のみです。
この富士見多聞は建物内部も見学可能です。
松の大廊下跡。
案内によると、「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士討ち入りの舞台となった場所であるとのこと。
皇居東御苑敷地のちょうど南端にある富士見櫓。
江戸城内で現存する櫓は他に伏見櫓・巽櫓がありますが、富士見櫓は本丸地区に現存する唯一の櫓です。
明暦の大火(1657年)で焼失したもののその後間もなく再建され、天守の代用としても使われました。
ここから将軍が富士山や両国の花火・品川の海を眺めたと言われています。
本丸広場から大手門方面へつながる坂道。
坂を右に曲がった辺りが中雀門跡になります。
ここから大手門にかけていくつかの番所(警備詰所)がありますが、これはそのうちの「大番所」。
明治期には改装されて作業所として使用されていましたが、昭和43(1968)年に江戸時代の姿に復元されました。
こちらは「百人番所」。
非常に横長の長屋造りの建物ですが、4組の鉄砲百人組が昼夜交替で勤務していたのが名前の由来の模様。
江戸城内で現存する3つの番所のうち一番手前(大手門側)にある「同心番所」。
ここには主として「同心」と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視に当たっていました。
江戸城の正門に当たる「大手門」。
大手門は高麗門と大手渡櫓門の2つで構成され、こちらは大手渡櫓門になります。
大手門の案内板。
案内板の右側にある鯱は明暦の大火後、江戸城再建時に制作されたものと考えられています。
こちらは大手門のうち高麗門。
皇居東御苑としても正門(メインゲート)に当たります。
本来ならば大手門がゴール地点になりますが、平川門の正面を見ていないのでここから平川門方面へと歩くことに。
ちなみに手前のお堀は大手濠。
途中小さい広場があり、中心にはなにやら偉人の像が。
像の右側の黒い案内板をよく見ると「和気清麻呂」という人物だそう。
(この場所も「清麻呂公園」と名付けられている)
清麻呂公園内にある「震災イチョウ」。
かの関東大震災での火災の焼け跡が木の幹に所々に残るものの、震災を乗り越えた大木として保存されています。
清麻呂公園の先、ようやく平川門が見えてきました。
平川門(表側)に到着。
1日目の行程はこれにて終了です。
当日は少々雨がぱらついた時がありましたが、雨が本降りになったのは日没後だったので散策中はほぼ支障なかったのが幸いでした。
~後半(2日目)に続く~
]]>
-
夏休みの乗り鉄旅行2022~成田詣り
https://studio-ao2.blog.ss-blog.jp/2022-08-14
GW乗り鉄の記事から感覚が空いてしまいましたが、今年も夏休みの乗り鉄旅行へ。当初は久しぶりの泊りの行程(1泊2日)を検討していましたが、昨年と同様にコロナの感染拡大が続いているので日帰りの行程で。行先はGWと同様に千葉エリアですが、今回は成田空港の散策と成田山新勝寺の参拝を兼ねて、空港アクセス線と周辺路線の乗りつぶしが主旨となります。ということでまずは都心から成田空港を目指すのですが、今回は京成線~北総・スカイアクセス線経由で行ってみます。北総・スカイアクセス線経由で成田空港に向かう「アクセス特急」の車両。(高砂駅にて撮影)結果今回はこの車両に乗車することなく…都心(都営浅草線内)から途中の青砥までは京急線の車両に乗車でした。少し前に戻り、都営浅草線の押上駅から京成線に入り、地上に出たところ。左側の高架線路は東武線(スカイツリーライン)。横の車窓を見ると、複数の路線が交差する複雑な地点。いずれも東武線の線路ですが左側がスカイツリーライン(半蔵門線からの連絡線を含む)、右側が亀戸線です。合流した奥には(東武線の)曳舟駅も見えます。地上に出てしばらくは高架化された線路を走行。以前は地上で踏切もありましたが、この度高架化工事が完了したようです。八広駅を出発、荒川の鉄橋を渡るところ。荒川の鉄橋を走行中。奥に(首都高中央環状線の)葛飾ハープ橋が見えます。立石駅に到着するところですが、この辺りは高架化の工事中。現状荒川を渡ったところまで高架化が完了していて、最終的に押上~青砥間(押上線の全区間)が高架化される模様です。青砥駅に到着するところ。青砥駅は京成本線との合流地点で駅ホームが方向別の2層構造になっています。ちょうど京急蒲田駅と同じ構造ですが、完成したのはこちらの方が早いはず…。青砥駅に到着。先に述べた通り乗車中の電車は青砥止まりなので…。ホーム隣に(京成本線から)来た電車に乗り換え。尤も次の高砂止まりでしたが…。1駅だけですがかぶりつき。青砥~高砂間は複々線になっています。(中川を渡るところ)あっという間に高砂駅に到着。ここから先(北総線)は初めて乗る区間になります。(右上の新柴又方面が北総線)上の写真の行先表示ではどちらも次の列車が成田空港行きになっていますが、つまりは本線経由・北総(スカイアクセス)線経由のどちらでも行けるということ。特急・アクセス特急共に運賃のみで乗車できますが(京成線の場合別料金がかかるのはスカ..
鉄道・鉄道旅行
ao2
2022-08-14T11:15:57+09:00
当初は久しぶりの泊りの行程(1泊2日)を検討していましたが、昨年と同様にコロナの感染拡大が続いているので日帰りの行程で。
行先はGWと同様に千葉エリアですが、今回は成田空港の散策と成田山新勝寺の参拝を兼ねて、空港アクセス線と周辺路線の乗りつぶしが主旨となります。
ということでまずは都心から成田空港を目指すのですが、今回は京成線~北総・スカイアクセス線経由で行ってみます。
北総・スカイアクセス線経由で成田空港に向かう「アクセス特急」の車両。
(高砂駅にて撮影)
結果今回はこの車両に乗車することなく…
都心(都営浅草線内)から途中の青砥までは京急線の車両に乗車でした。
少し前に戻り、都営浅草線の押上駅から京成線に入り、地上に出たところ。
左側の高架線路は東武線(スカイツリーライン)。
横の車窓を見ると、複数の路線が交差する複雑な地点。
いずれも東武線の線路ですが左側がスカイツリーライン(半蔵門線からの連絡線を含む)、右側が亀戸線です。
合流した奥には(東武線の)曳舟駅も見えます。
地上に出てしばらくは高架化された線路を走行。
以前は地上で踏切もありましたが、この度高架化工事が完了したようです。
八広駅を出発、荒川の鉄橋を渡るところ。
荒川の鉄橋を走行中。
奥に(首都高中央環状線の)葛飾ハープ橋が見えます。
立石駅に到着するところですが、この辺りは高架化の工事中。
現状荒川を渡ったところまで高架化が完了していて、最終的に押上~青砥間(押上線の全区間)が高架化される模様です。
青砥駅に到着するところ。
青砥駅は京成本線との合流地点で駅ホームが方向別の2層構造になっています。
ちょうど京急蒲田駅と同じ構造ですが、完成したのはこちらの方が早いはず…。
青砥駅に到着。
先に述べた通り乗車中の電車は青砥止まりなので…。
ホーム隣に(京成本線から)来た電車に乗り換え。
尤も次の高砂止まりでしたが…。
1駅だけですがかぶりつき。
青砥~高砂間は複々線になっています。
(中川を渡るところ)
あっという間に高砂駅に到着。
ここから先(北総線)は初めて乗る区間になります。
(右上の新柴又方面が北総線)
上の写真の行先表示ではどちらも次の列車が成田空港行きになっていますが、つまりは本線経由・北総(スカイアクセス)線経由のどちらでも行けるということ。
特急・アクセス特急共に運賃のみで乗車できますが(京成線の場合別料金がかかるのはスカイライナーを含む「ライナー」のみ)、運賃自体は北総・スカイアクセス線の方が若干高いです。
(高砂駅で確認したところ、成田空港まで本線経由が930円、北総・スカイアクセス線経由が1.000円)
4番線ホームに到着した本線経由の特急成田空港行き。
その後3番線ホームに(北総・スカイアクセス線経由の)アクセス特急成田空港行きが到着。
※記事冒頭で掲載した写真
本来この列車に乗る予定でしたが、運転席前にかぶりつきの先客がいた関係でスルーして次の列車を待って…。
後続の普通・印旛日本医大行きに乗車。
(思えばこの選択が今後の時間ロスにつながる要因の一つになりましたが)
高砂駅を出発して程なく江戸川を渡り…
地下駅の矢切(やぎり)駅。
ちらっと聞こえた駅メロも「矢切の渡し」だったような。
東松戸でスカイライナー通過待ちのため少々停車。
少しするとホームの反対側をスカイライナーがあっという間に通過していきました。
ちなみに東松戸はJR武蔵野線との乗換駅。
武蔵野線のこの区間も以前乗車したのですが、夜間だったので風景はなにも覚えていない…。
東松戸までトンネル区間が多かったせいか運転席側の窓にカーテンがかかっていましたが、ようやくカーテンが空いたのでここからかぶりつきが可能に。
(しかし窓ガラスが汚れ気味だった…)
北総線は踏切のない高規格路線で線路もほぼ直線なので普通列車でもスピードは出ます。
(進行方向)左手の車窓には新京成線の車庫が。
新京成線はまだ乗車したことがないですが、いずれ乗ってみたいですね。
新鎌ヶ谷駅に到着するところ。
右側に新京成線のホームが並んでいます。
新鎌ヶ谷駅は新京成線の他に東武野田線(アーバンパークライン)と接続。
野田線の線路は北総線・新京成線の下を直交する形で交差しています。
ここから先は田んぼも広がり、郊外に来たという感じがします。
千葉ニュータウン中央駅に到着。
北総線内でも基幹駅にあたるのかも(といってもスカイライナーは止まりませんが)。
この辺りから両脇を国道が通る広いスペースに。
線路両脇にも更に線路を通せるようなスペースがありますが、将来的に高速列車を開通させるものかもしれません。
(これについては後程触れます)
次の印西牧の原に到着。
北総線の車庫がある関係で2面4線のホームになっています。
何か塔のようなものが見えますが…。
印旛日本医大に到着。
「松虫姫」という副駅名が付けられています。
高砂から乗車した列車は当駅止まりのため、この後回送に。
印旛日本医大の駅舎は何でも奇抜なデザインとの噂だったので改札を出てみましたが、なるほど確かに未来志向というか(今まで見てきた駅舎の中でも)かなり奇抜です。
反対側から撮影。
改札口を含めると西洋風の建物ということになるのか?
ちなみに「松虫姫」の副駅名ですが、駅近くの寺に聖武天皇の第三皇女である松虫姫が埋葬されていることが由来。
更に言うと同駅の開通前の仮駅名は「印旛松虫」だったそう。
さて勢いで途中下車してしまいましたが、恐る恐る運賃表を確認すると…
何とも高価な運賃。
北総線は日本一高価な運賃設定ということは聞いていましたが、まさかここまでとは…。
初乗りで310円(隣の印西牧の原駅まで)なので、高めの初乗り200円よりも更に100円ちょっと上乗せの金額です。
高砂から成田空港まで通しで1.000円でしたが、高砂~当駅(印旛日本医大)まで840円、当駅~成田空港まで720円なので合計すると1.560円。
途中下車したため560円のロスというのは何とも高くついたものです…。
そんな北総線ですが、ようやく運賃値下げの動きがあるようです。
案内によると今年10月からの適用になりますが、特に通学定期が平均64.7%と大幅な値下げになる模様。
ただ運賃自体は平均11.6%にとどまるようです。
再度改札を通りホームに戻ると、反対側に羽田空港行きのアクセス特急が到着。
アクセス特急は成田空港~羽田空港間で運行されているようです。
羽田空港行きに乗ってしまうと逆戻りしてしまうので、こちらの成田空港行きにのアクセス特急に乗車。
都営浅草線の車両ですが、アクセス特急は必ずしも京成の専用車での運用ということではなさそうです。
ただ「かぶりつき」を行う分には結果的のこの車両で良かったのかも。
駅を出発したところですが、中ほどの引き上げ線に先程の回送列車が停車中でした。
この先が成田スカイアクセス線になりますが、まるで新幹線のようなストレートが続きます。
先程の印旛日本医大駅で撮影したものですが、「AE160」「特急120」の表記が。
AEはスカイライナーを指していて、160は最高速度を指しているものかと。
つまり成田スカイアクセス線では最高160km/hまで出せるということで、これは現状在来線の最速区間になります。
※以前は北越急行(ほくほく線)でも160km/h運転がされていましたが、同線内の特急列車廃止により現在は運用がない
尤もスカイアクセス線でも160km/hまで出せるのはスカイライナーに限りますが、同線内の普通列車に当たるアクセス特急でも最高速度が120km/hまで出せます。
(実際に走行中に運転席の速度計を見たところ確かに120km/hの表示でした)
見渡す限り田んぼが広がる風景ですが、高速で走行しているので新幹線に乗っている感覚に近いのかも。
スカイアクセス線唯一の途中駅となる成田湯川駅。
駅ナンバリングが「KS」から始まるので、正式には京成線に属する駅となるのか。
ホーム構成としては新幹線の途中駅のような真ん中2線が通過線の構造。
ポイントも長めの構造となっており、これも新幹線に似ています。
写真を撮り損ねましたが駅停車中に反対方向から来たスカイライナーがもの凄い速度で通過していきました…。
成田湯川から先は単線区間。
やはりポイントが長めになっていて、高速で通過できるようになっていることが確認できます。
JR線との合流地点。
丁度NEX(成田エクスプレス)も成田空港を目指して先行しています。
2枚目の写真で左側にスペースがありますが、これは成田新幹線用に造られた高架橋の一部分です。
この辺りから成田空港まではほぼ成田新幹線用に造られた高架橋等を転用してアクセス線が造られましたが、ここだけ未使用の施設が残っています。
この先成田空港まではJR線と並走。
両方とも1線ずつで「双単線」と呼ばれる構成。
なのでJR線と同方向に列車が進行する光景が見られます。
先のNEXとかなり距離が離れていますが、「電車でD」のバトルで後追いで走行している感じを受けました。
ちなみにJR線と京成(スカイアクセス)線では線路の幅が異なり、走行中の右側、京成線の線路の方が広幅になっていることが確認できます。
京成線側にのみ行き違い設備がありますが、JR線のものと場所をずらしている模様。
次の駅まで"いくつかのトンネルを抜けます。
今度はJR線側の行き違い設備がありましたが、ちょうど対向列車となるNEXが待機中でした。
(前照灯がついているので対向列車で違いないはず…)
地下区間に入り、次駅の手前で京成本線と合流。
成田空港の1つ手前、空港第2ビル駅に到着。そして…
すぐさま終点の成田空港駅に到着しました。
ホームに出て…
駅の改札へ。
経由で料金体系が異なるため、同じ京成線でも本線とアクセス線とで改札が分かれています。
そして空港の外に出ました。
近代的なビル群の中にも竹林をイメージしたスペースもあり、外国人向けに日本の風景をアピールしている感じです。
空港ビルを正面から見た写真。
中央の歩道橋を挟んで反対側にも竹林スペース(?)がありました。
成田空港駅は空港ビルの地下にあるという特性から駅舎に当たる施設が存在しませんが、敢えて挙げるならこの地下改札への入口か。
これだと地下鉄駅の入口とほぼ相違ないですが…。
成田空港第一ターミナルビルは中央の建物(主に商業施設)から南ウイングと北ウイングという2つの出発・到着口があります。
上の写真は(北ウイング方向から見た)南ウイング。
こちらは(南ウイング方向から見た)北ウイング。
そういえば昔「北ウイング」という題名の歌謡曲がありましたね。
まずは"南ウイングから中に入り、4階の搭乗口(国際線)へ。
5階から俯瞰した南ウイングの搭乗口。
フロア全体が吹き抜けの、非常に広い空間で圧倒されます。
南ウイング到着便(1階)の案内板。
(起点が)バンコク・シンガポール・ホーチミンシティなどアジアの国が多いです。
南ウイング搭乗口から外に出てみましたが、目の前も車道に。
出発便用と到着便用とで完全に分けられている構造です。
その後中央ビル5階にある展望デッキへ。
展望デッキの先は滑走路が広がり、目の前で飛行機が次々と離陸する様子が見られます。
離陸用の滑走路へと向かうPeach(ピーチ)機。
ピーチ機が離陸した後すぐさまANA機が離陸用滑走路へ向かいます。
別のPeach機が離陸に入ったところで今度はJAL機が。
そして先程のANA機が離陸。
これまた派手な色の機体。
撮影時は航空会社が不明ですが後で調べたところ「ベトジェットエア」というベトナムの航空会社らしいです。
(よく見ると確かに手前のジェットエンジン部にベトナムの国旗が書かれています)
その後北ウイングの4階搭乗口(国際線)へ。
何か天井の照明も薄暗く、窓口の大半が閉まっている様子ですが…。
5階から俯瞰した北ウイングの搭乗口。
一部の搭乗口のみ開いていて、そこだけ搭乗する乗客の列ができていました。
北ウイング出発便の案内板。
南ウイングに比べると便数が少ないですが、やはりコロナの影響で便数がかなり削減されているのかもしれません。
行先はソウル・ジャカルタ・ハノイなどやはりアジア系が多め。
航空会社もLCC(格安航空会社)が大半な気がします。
※自分は航空便には詳しくないので何とも言えませんが…
北ウイング搭乗口のフロアの窓越しにみた滑走路ですが、手前の発着エリアに停まっている機体は貨物便っぽいです。
前の写真の窓の手前には"コカ・コーラの缶の形をした自販機も…。
北ウイング搭乗口から外へ。
目の前の車道はその先で高速道路に直結しているようです。
(勿論分岐して下の道にも行ける構造になっていますが)
成田空港(第1ビル)の見学はここまでにして、シャトルバス(ターミナル連絡バス)を利用して第2ビルへ向かいます。
ターミナル連絡バスは第1ビル~第2ビル間を周回しており、無料で乗車可能。
空港第2ビル駅の改札口に到着。
ここから東成田駅(旧成田空港駅)に向かうのですが、連絡道の入口がどこにあるか分からず少し探してしまいました…。
脇の改札口(出口専用)の近くにありました。
実は正面改札から奥まった位置に…。
東成田駅まで(地下道を通って)500mとのこと。
この先は長~い地下道が続きます。
最初は緩い下り坂な感じ。
長~い地下道その2。
一応地下道内は冷房が効いているのですが、古いビル特有のかび臭い匂い(?)が漂います。
この辺りがちょうど中間地点?
ようやく角にさしかかりました。
駅まであと少し。
ようやく東成田駅の改札口に到着。
正面奥に見える階段が、旧成田空港駅時代のメインの出入り口。
右奥に現行の改札口が見えます。
(第2ビルから通ってきた連絡通路の出口は改札口とメイン階段の間にあります)
東成田駅は京成線と芝山鉄道線の境界駅なので、両線の駅を兼ねています。
券売機の横には芝山鉄道についての説明と成田空港(第1ビル)までの道順の案内も。
ここから第1ビルまで徒歩で行けるとのことですが、事前に調べたところ途中に検問所があるっぽいので今回は第2ビルから歩いてきました。
ここから芝山鉄道に乗車して終点の芝山千代田まで向かうのですが、駅に到着後ちょうど芝山千代田行きの電車が発車したところ。
次の電車まで40分くらい時間が空くので、その間駅周辺を散策することに。
券売機の横(メイン階段を下りた際のちょうど正面)にある「曲水の宴」と題された壁画。
(立体画なので絵というよりは彫刻?)
絵の右脇にある説明によれば、平安時代に貴族の間で流行した優雅な遊び「曲水の宴」を再現したものとのこと。
設置日が「1980年5月21日」と記載があるので、初代成田空港駅として開業と同時に駅のモニュメントとして設置されたものがそのまま残っています。
曲水の宴の反対側(メイン階段の左側)には歴代スカイライナーのポスターも。
初代AE型が1978年、2代目のAE100形が1990年、現行の新AE型が2010年にデビューしたことと、初代成田空港駅が開業した時の写真や(JR線と接続する)日暮里駅が改装された際の写真などが掲載されています。
メイン階段の横にエスカレーターがありましたが、停止していました…。
「只今」とあるので時間帯によっては稼働しているのでしょうか?
メイン階段を上った先にある入口。
目の前の道路を渡って離れた場所から、駅入口の全景を撮影。
やはりかつての成田空港駅ということもあり、比較的広いスペースであることが分かります。
メインの入口の反対側(方向で言うと成田空港寄り?)にもう一方の駅入口がありますが、こちらは閉鎖されていました。
駅入口の周囲を見渡してみても成田空港へ通じるような道(歩道)は見当たらないので、仕方なく引き返すことに。
階段を下りて改札方面へ向かいます。
改札フロアに戻ったあともう一か所の入口へ。
(曲水の宴を正面に見て右側に進む。上の写真では奥の右側に曲水の宴の壁画がある)
階段を少し上るともう一か所の入口に到着。
第5ゲートと記載がある駅入口。
先程の階段との間に守衛所があり、ガードマンが駐在していました。
一応空港敷地内なので、テロ対策等でチェックが必要ということでしょうか。
こちらの入口は第1・第2ターミナル(ビル)への連絡バス(先程乗車したシャトルバス)の乗り場と貨物地区に通じているので、一応行ける場所はあるということです。
(というか現状東成田駅の存在意義が貨物地区の職員の通勤用ということみたい…)
目の前の道路のちょうど向かい側が第2ターミナルですが、やはり徒歩ではそのまま移動は無理っぽい…。
シャトルバスに乗って移動するしかなさそうです。
金網越しから見たメインの駅舎(先程行った駅入口)。
本当に目の前なのですが、金網にさえぎられていて行くことができません。
このように東成田駅は駅から他の場所へ行く手段がない(ごく一部に限られている)ことから、ある意味「秘境駅」に分類されるのかもしれません。
そろそろ次の電車の発車時刻が近くなってきた(それでも10分くらい余裕がありますが)ので、改札から駅構内に入ります。
ちなみに芝山鉄道はICカードが利用できないので、券売機で切符を購入の上入場。
※東成田~芝山千代田間の運賃は200円
ホームに降りる階段の奥も駅構内ですが、現在は壁で塞がれて奥には行けない模様。
同じ場所から改札方面を撮影。
ホームに降りる階段の手前には、臨時の清算所と思われる窓口も。
その右側は壁で塞がれています。
駅ホームに降りたところと、東成田駅の駅名標。
現行の駅ホームの奥には(現在使われていない)旧ホームが。
旧ホーム側の駅名標は「なりたくうこう」の表記。
駅名標の下にあるベンチも何とも昭和な感じ。
現行ホームから京成成田方面に向かって撮影。
こうして見ると、かつては2面4線のホームであったことが分かります。
反対に芝山千代田方面に向かって撮影。
現行ホームの線路は先に続いていますが、"旧ホーム側は行き止まりになっています。
ベンチの上にある広告など、ホームが閉鎖された時からそのまま時間が止まった感じを受けます。
現行ホームのエスカレーターは半分(昇りのみ)稼働していました。
こうして見ると東成田駅は半分稼働・半分廃墟といった感じで、現行ホームから廃墟部分を見ることができるなど全国の駅でもかなりレアな存在かもしれません。
(先程触れた秘境駅感も含めて)
ようやく芝山千代田行きの電車が到着したので乗車します。
(車両はご覧の通り京成車ですが…)
トンネルを抜けて地上に出たところ。
ちなみに芝山鉄道内は単線です。
目の前は滑走路で、まだ空港敷地内を走行していることが分かります。
終点の芝山千代田駅に到着するところ。
駅に到着、折り返しの切符を購入するため一旦駅の改札を出ます。
芝山千代田駅の駅舎。
駅前のスペースには埴輪が展示されていますが、駅の近くに古墳時代の遺跡があるようです。
駅の券売機では芝山鉄道線の他に京成線全線の切符が購入できます。
といっても芝山鉄道線は1駅だけなので、ほぼ京成線ですが…。
券売機で切符を購入して再び駅ホームに。
東成田から乗車した電車はそのまま折り返しの京成成田行きになります。
東成田方面に向かって撮影。
逆方向(終点)方向を撮影。
駅ホームの高架は将来の延伸を想定した造りにはなっています。
(一応、房総半島の太平洋側海岸あたりまで延伸する計画は存在する)
折り返しの京成成田行きに乗車して再び東成田方面へ。
東成田駅を含むトンネルを抜けた後にある、成田空港駅からの線路との合流地点。
(右側に分かれる線路が成田空港方面)
次の京成成田までは長い直線が続きます。
途中成田空港行きの対向列車とすれ違い。
途中田んぼや畑がありますが、この辺りもどちらかというと新幹線から見た車窓っぽい風景です。
カーブの先が京成成田駅。
ということで京成成田駅に到着。
ここで下車しても良かったのですが、乗りつぶし目的で…。
成田空港行きの電車に乗車します。
来た線路を戻る感じで…
今度は成田空港方面の線路に入ります。
(奥に見えているのが東成田方面の線路)
空港第2ビル駅に到着、ここで下車します。
空港第2ビル駅のホームに降りて気づいたのですが、長いホームを真ん中を境に京成本線とスカイアクセス線とで乗り場を分けている構造になっています。
上の写真では奥が成田空港方面で成田から乗車した列車が京成本線経由。
京成本線経由の列車が成田空港に向かって後ろ寄りのホームを利用し、前寄りはスカイアクセス線用のホームになるということです。
京成本線・スカイアクセス線共に(スカイライナーも含めて)最大8両編成なので、16両分のホームを作って前後で使い分けているという恰好ですね。
ちなみに京成線ホームの反対側はJR線ホームになりますが、JR線の場合は最大15両編成の列車になります。
駅の改札を出ると、目の前は東成田駅への連絡通路入口。
また戻ってきた感じです。
地上に出て、第2ターミナルの入口へ。
といっても「3F」とあるので搭乗口のフロアになります。
第2ターミナルの入口前の車道。
右奥に管制塔らしきものが見えます。
3F搭乗口フロアの内部。
第1ターミナルほどではないものの、広々とした空間。
上の階(4F)から除いた搭乗口フロア。
第2ターミナル到着便のパネル。
シンガポールやジャカルタといったアジア系が多いものの、ロサンゼルスやサンフランシスコといったアメリカの空港も目につきました。
ターミナル内には「成田アニメデッキ」なるアニメショップも。
ガンダムを中心に紹介していますが、やはり外国人向けのラインアップなのか。
肝心のガンプラですが、とりわけ充実しているということはありませんでした。
(国内の量販店も含めて現状ガンプラは品薄の状態が続いています)
タイミング的に第2ターミナル内で昼食を取って、今度はJR線を利用して成田まで。
JR線の空港第2ビル駅ホームへ。
反対側は京成線のホーム。
空港第2ビル駅は京成線のホームが1面2線なのに対して、JR線のホームは1面1線のみ。
よって全ての列車がこのホームから発車します。
成田空港行きのNEXが到着、ホーム柵が開いたところ。
その後成田方面の普通列車が到着したので乗車します。
駅を発車後トンネルを抜けて、程なくJR側の信号所を通過。
(真ん中の線路が待避線)
今度は京成線側の信号所を通過。
(左端の線路が待避線)
JRの線路は右に曲がり…
高架を下りた後左にカーブしながらスカイアクセス線の線路の下をくぐり抜けます。
(スカイアクセス線の線路と書きましたがこの付近の高架は元々成田新幹線用に造られたものを転用している)
既存の成田線(銚子方面からの線路)と合流して…
JR成田駅に到着、ここで下車します。
古風なデザインの成田駅の駅名標。
(他のホームには一般デザインの駅名標もあり)
改札口の上には成田山新勝寺をイメージした飾りが。
(どちらかというと外国人観光客向け?)
改札を出て駅前広場へ。
JR成田駅の駅舎も新勝寺をイメージしたデザインなのかも。
成田空港周辺を巡るここまでの行程を纏めてみました。
①成田スカイアクセス線で成田空港駅へ(赤)、その後空港第1ターミナルを散策。
②空港シャトルバスで第2ターミナルへ移動(黄)。
③第2ターミナルから連絡地下道を経由、徒歩で東成田駅へ移動(黄緑)。
④東成田駅から芝山鉄道線に乗車。芝山千代田駅まで行き、折り返して京成成田駅へ(薄紫)。
⑤京成成田駅から京成線(本線)で空港第2ビル駅へ(紫)。
第2ターミナル内で昼食&散策。
⑥空港第2ビル駅からJR線でJR成田駅へ(青)。
…という感じで無駄に乗りつぶしをしてみました。
※⑦については新勝寺参拝後の帰路の行程
で、ここから成田山新勝寺を目指すのですが…。
周辺地図を拡大したもの。
成田駅から新勝寺まで大体1kmの模様。
表参道を経由するのが最短っぽいです。
駅前広場から少し歩くと表参道の碑が。
ここから新勝寺の総門までが表参道。
参道両脇の建物は景観を合わせている感じ。
写真の奥中央にセブンイレブンの看板がありますが、通常の緑とオレンジの柄ではなくこげ茶色にして町の景観に馴染んでいます。
三叉路にさしかかりましたが、右側の下り坂が新勝寺方面。
三叉路の横にある薬師堂。
新勝寺の境内ではないですが、このお堂も新勝寺の一部です。
(というか新勝寺の旧本堂らしい…)
坂を下って…。
新勝寺の総門に到着。
さすがに豪華な造りです。
ちなみに門の右側の石碑には「成田山金剛王院新勝寺」と記されています。
総門をくぐって1段上にある仁王門。
仁王門をくぐると両脇に池がありますが、池の中央には亀の形をした岩が。
(写真を撮った当初は気づきませんでしたが、ウミガメのような形をしている)
反対側の池にも亀の形をした岩。
こちらは頭の部分だけ亀っぽい感じ。
池の上には参拝記念の石碑が並んでいます。
(剣型の碑もあり)
階段を上るとメインの境内へ。
左側に大本堂、右側に三重塔が見えます。
大本堂を正面から。
こう見るとメインの境内はかなり広いスペースですが、これでも正月の初詣時は参拝客でいっぱいになるのですね。
(NHKの「ゆく年くる年」を参照)
豪華な造りの三重塔。
大修理の時に塔の装飾も復元されたようです。
遅ればせながら、新勝寺の境内図。
上の境内図を拡大。
大本堂・三重塔がある広場を中心にいくつかの堂があり、境内の北側、一番高い場所に平和大塔があります。
(各所の堂については追って紹介)
最初の御朱印(大本堂)を頂いた場所でもらった成田山御朱印マップ。
大本堂を含めて計6か所あるとのこと…。
大本堂で参拝した後は左手に進み、1段高い場所にある出世稲荷へ。
出世稲荷の本殿。
新勝寺は寺院ですが、ここだけ神社?
ここで2つ目の御朱印を頂きました。
出世稲荷から見た境内北側。
手前左手が釈迦堂、奥の階段を上った先が光明堂、更にその奥に平和大塔が見えます。
小休止(水分補給)をした後に釈迦堂へ。
御本尊が釈迦如来であることが名前の由来。
ここで3つ目の御朱印を頂きました。
釈迦堂の横にある階段を上がり、光明堂の手前にある額堂。
ご信徒から奉納された額や絵馬などをかける建物であることが名前の由来。
額堂の向かい側にある開山堂。
額堂・開山堂の奥を進むと光明堂。
ご本尊は大日如来。
ここだけ堂内に入ることができました。
(同時に4つ目の御朱印を頂きました)
光明堂を更に奥に進んだ場所にある醫王殿(いおうでん)。
ご本尊は薬師如来ですが、残念ながら入口が閉まっていて中に入ることはできませんでした。
醫王殿のすぐ横にある平和大塔。
境内の一番高い場所にあるのでランドマーク的な存在か。
ここで醫王殿と合わせて残りの御朱印を頂きました。
御朱印を頂ける堂を全て回った後は、境内の東側にある成田山公園へ。
平和大塔の近くですが、この辺りは梅林になっています。
成田山公園内にはいくつかの池がありますが、こちらは「文殊の池」と名付けられています。
文殊の池付近から梅林方面を見る。
左上奥にわずかですが平和大塔が見えます。
成田山公園は3つの池を中心として日本庭園の造りで、各所に景石や石灯篭が見られます。
この池は真ん中にある「竜樹の池」。
場所によっては見事な景観も。
成田山公園の敷地内には成田山書道美術館もありましたが、来た時には閉館していたので中に入ることはできませんでした。
池に張り出している形の浮御堂。
浮御堂を別の角度(対岸)から撮影。
この池は公園の一番東側にある「竜智の池」。
対岸の藤棚の横には巨大な灯篭が。
俗に言う「お化け灯篭」。
2つの池(竜樹の池・竜智の池)の境目から浮御堂方面を見た風景。
公園から見た平和大塔。
実はこの周辺のみ西洋庭園の造りになっています。
雄飛の滝の手前にある清滝権現堂。
その先にある雄飛の滝ですが、水は流れていませんでした…。
少し戻り大本堂方面へ向かう道を通り…。
大本堂の手前の道で猫が横切りました。
ようやく大本堂前の広場に戻ったところ。
大本堂前の広場で先程紹介しきれなかった堂を。
こちらが三重塔の裏にある聖徳太子堂。
三重塔の近くにある一切経堂(左)と鐘楼(右)。
三重塔側から見た大本堂。
これにて新勝寺を後にします。
今度は成田駅方面へ表参道の坂を上がります。
途中お土産を買いつつ…(写真奥の酒屋で成田の地酒を購入)。
ここ「門前町成田」も日本遺産に登録されています。
大山詣りと同様に成田詣りも日本の遺産ということですね。
成田駅に戻ってきたところ、ちょうど駅前の歌舞伎時計のからくりが動いていました。
通常はこの状態。
ということで成田駅に戻り、帰路へ。
素直に千葉経由で帰っても良かったのですが…。
微妙な時間(17時過ぎ)だったので常磐線(我孫子)方面の電車に乗車することに。
成田~我孫子間も成田線ですが、通称で「我孫子線」と呼ばれています。
今度はJR線側から成田スカイアクセス線の高架を見る恰好。
実は成田湯川駅の下を通りますが、現状接続駅は設けられていません。
安食(あじき)駅。
成田線(我孫子線)は単線ですが本数がそれなりにあるためか、線内の各駅で列車の行き違いができるようになっています。
また10両編成で運行されることが多いため、ホームが長いのも特徴。
夕暮れ時ですが、田んぼが広がる美しい風景。
鉄橋を渡るところ。
地図で確認したところ手賀沼から利根川につながる川のようですが、我孫子線線内でトラス式の鉄橋があるのはここだけかも…。
湖北(こほく)。
ちょうど手賀沼の北にあるのが駅名の由来か。
我孫子の手前で常磐線と合流。
(といっても車両は同じですが…)
我孫子に到着。
ちなみに駅名標は各駅停車線のもの。
常磐線(快速線)に乗り換えて一気に上野まで。
(日没のため)写真は途中省略して上野に到着。
我孫子からの所要時間は50分位。
我孫子から乗車した電車は折り返しで取手行きに。
そんな感じで当日の行程終了…。
近場ですが私鉄中心でフリー切符の利用も無かったので結構運賃を浪費した行程でした。
やはり空港絡みだと運賃が割高になるということで…。
]]>