青春18きっぷの旅Part2~北陸編(1日目) [鉄道・鉄道旅行]
ふたたびながいたびがはじまる…
ということで(何が)、先週の盆休みの期間(8月11日~15日)を利用して18きっぷの旅をしてみました。
今回は4泊5日で主に北陸本線のエリアを巡るという行程です。
米原を出発点として敦賀→金沢→富山→直江津と、北陸本線を完走して果ては新潟や長野まで到達するという感じです。
(もちろん脇道をそれることは多々ありましたが)
5日なので18きっぷをきっかり使う形となり殆んど電車に乗っていましたが、若干は観光地巡りもしています。
(金沢の兼六園など)
そんな感じで8月11日(月)に出発する訳ですが、当初は早朝に出て前回と同様に普通列車を乗り継いで米原方面へ向かう予定でしたが、当日の朝に用事があった関係で出発時間が遅れ、止む無く途中新幹線を使わざるを得なくなりました。
ということで新横浜駅からおもむろに新幹線に乗車して、名古屋までワープ!
ちなみに18きっぷ旅行用語で途中区間で特急等を利用して時間短縮を図ることを「ワープ」というそうです。
乗車したのが最速の「のぞみ」なので新横浜から名古屋まではノンストップで、1時間20分程度で到着です。
同区間を普通列車で乗り継ぐと5時間はかかるので大幅な時間短縮になりましたが、当然ながら新幹線では18きっぷを利用できない(特急券だけではなく運賃も必要)ため、この区間だけで1万円弱と交通費の大幅な加算となります。
出だしが18きっぷ旅行から外れる形になりましたが、今回はやむを得ないです…。
そして名古屋に到着。
本来ここでJRの在来線に乗り換えて18きっぷ利用区間のスタートとするべきなのですが、名古屋から岐阜までJRではなく名鉄線(名古屋本線)に乗ってみました。
特急に乗車したものの時間的にJRと大差ないので全くの無駄なのですが、何故そうしたかというと単にお気に入りの同人ゲーム「電車でD」で取り上げられた区間だったからです。
ということで終点の名鉄岐阜駅に到着。
乗車したのは写真の2200系という車両。
2000系(ミュースカイ)と同一の車体ですが、前にも触れましたが特別車は一部(6両中前寄りの2両)です。
今回は特別車ではなく一般車に乗車。
ちなみに名古屋-名鉄岐阜間の運賃は550円。
ホームから名古屋方面を望む。
奥の高架橋はJR線。
名鉄岐阜駅ホームは4番線まであるものの、何故かホームを出た直後(丁度JRの高架下あたり)で一部単線区間になっています。
何故単線なのかは不可解ですが、恐らくスペース的な問題なのでしょう。
電車でD(Rising Stage)の名古屋線バトルはここ名鉄岐阜駅がスタート地点ですが、上記の単線区間があるため先の複線区間がスタート地点となっています。
(勿論ゲーム上の話なので、実際の列車の運行とは何ら関係ありません)
名鉄岐阜駅前の看板。
岐阜から中部国際空港に直結していることをアピールしています。
名鉄岐阜駅から徒歩8分程度で、JR岐阜駅へ。
(途中ラーメン屋で昼食を取りました)
駅前広場には金色の織田信長公像が立っていました。
岐阜からようやくJRの在来線区間。
ということで岐阜駅の改札で18きっぷの1日目のはんこを押してもらいます。
ホームに着いてすぐに米原方面(大垣行)の電車が到着したので、急いで写真を撮って乗車。
この後大垣で米原行、米原で北陸線の長浜行の電車に乗り継いだのですが、いずれも乗り換え時間が僅かだった関係で撮影はできず。
ちなみに大垣-米原間の列車は18きっぷ利用期間ということもあってか、車内はかなり混雑していて座席に座ることはできませんでした。
そんな感じだったので、あわただしくも米原から3駅先の北陸線、長浜駅に到着。
米原から先はJR西日本の路線に入るので、この後しばらくは上の写真の223系(主に新快速で起用されている車両)と、後述する交直両用の521系という車両にお世話になります。
長浜駅では名古屋(米原)から富山方面へ向かう特急「しらさぎ号」が通過(一部は停車)しますが、使用される車両は上の写真の681系と683系です。
交直両用(直流・交流いずれの区間でも走行できる)の車両で、JR西日本の北陸エリアの特急はほぼこの形式が起用されています。
余談はともかく、長浜で見たい施設があるのでここで一旦下車します。
「長浜で見たい施設」というのが、駅から徒歩数分の場所にある「長浜鉄道スクエア」。
旧長浜駅舎の建物(上記写真)を含む、鉄道歴史博物館的な施設です。
ちなみに上記の旧長浜駅舎は現存する最古の駅舎とのことです。
(明治15年完成で、鉄道記念物に指定されている)
※入館料:300円
建物入り口に展示されている、当時の出札出入り口の様子。
人形が妙にリアル、というかお茶目な感じ。
当施設のメインの展示物である、SL(蒸気機関車)と電気機関車の実機。
上の写真がSLのD51 793号機。
いわゆる「デゴイチ」ですが、北陸本線でも活躍した機関車ということで保存展示されています。
下の写真が電気機関車のED70 1号機。
国内で始めて実用化された交流電気機関車で、北陸本線の交流電化と同時に導入された機関車ということで貴重な存在です。
現在では旅客列車はほぼ電車で統一されているので機関車が使われるのは貨物列車のみですが、昔は旅客列車が客車だったので機関車が重用されていました。
更に長浜周辺はちょうど交流と直流の電気が切り替わる区間(交直セクションという)が設けられていたので、交直両用の電気機関車が登場するまではSLやディーゼル機関車が「つなぎ役」として使われていた時期もありました。
…と、余談が長くなっていましたが、北陸本線の交流電化に縁深い施設ということで、是非とも訪れたいと思って行ってみた次第です。
本来この浜鉄道スクエアを見て駅に戻る予定でしたが、丁度向かい側に「慶雲館」という建築物と庭園からなる国指定名勝の施設があったので、こちらも見ることにしました。
明治時代に天皇を迎える迎賓館として作られた施設で、付随する庭園は「植治」こと七代目小川治兵衛による作庭ということで、造園の仕事をしている身としては見ておかないといけないということで…。
ここまでは無料で見学できますが、建物内部及び内部庭園は別途入館料がかかります。
※入館料:300円
長浜鉄道スクエア・慶雲館を含む長浜周辺の指定施設が見れる1.000円の共通券もあります。
(今回は個別に入館券を購入)
内部庭園は一部周回が可能です。
庭内には巨石や灯篭・石橋などが点在し、松の木と相まって風格漂う造りです。
建物2階からの琵琶湖の眺望が良いということでしたが、実際は木に隠れてあまり良く見えませんでした。
この後次の電車の到着まで多少時間があったため、そのまま駅には戻らず長浜城(歴史博物館)にも行ってみました。
尤も当日は城内の施設まで見るには時間的余裕が無かったので、城周辺をぐるっと周り琵琶湖を少し見るのみにとどまりました。
本丸跡地にあった豊臣秀吉像。
長浜城は秀吉公の出世城(初めて拠点とした城)ということで、ゆかりある地として銅像が建っているということですね。
琵琶湖の湖畔まで来て見ましたが、前日の台風の影響で漂着物が多数あり、眺めは綺麗ではありませんでした。
ちなみに中央の石碑は「太閤井戸」の跡地。
その後長浜駅まで戻り、続きの電車に乗車します。
乗車する車両は新鋭の521系。
新快速に運用されている223系の交直流バージョンといったところか。
北陸地方は米の生産地ということで、沿線は終始このような田畑が続きます。
この後向かう湖西線との接続駅となる「近江塩津(おうみしおつ)」に到着。
乗車した電車もここが終着となるので、一旦ホームに下りて湖西線方面の電車の到着を待ちます。
向かって反対側。奥に見える高架が湖西線の線路です。
湖西線方面、近江今津行きの列車が到着。
(車両は同じく521系)
近江今津にて、更に京都行きの電車に乗り換え。
写真の左側の車両が京都行きですが、車両は何と「初代新快速」の117系。
京都周辺で走っていたとはちょっと意外。
ただ車両の状態があまり良くないので、余命わずかかもしれません…。
ともあれここで国鉄時代の車両にお目にかかれたのはちょっと嬉しいです。
この後は京都に向かって(湖西線の路線名のとおり)琵琶湖の西岸沿いをひたすら走行します。
当該電車の終着駅は京都ですが、1駅手前の山科にて下車します。
ここで京阪線(京津線)に乗り換え。
当日の最終到着地は大津ですが、JRではなくわざわざ京津線に乗り換えたのは勿論京津線が「電車でD」で取り上げられた路線だからです。
今回はここ(京阪山科)から終着の浜大津駅まで乗車。
日没後で沿線の風景は見れませんでしたが、地下鉄区間からカーブとアップダウンが激しい山岳区間、果ては併用軌道(道路の真ん中を走る)という非常にバラエティに富んだ路線です。
浜大津駅に到着。
京津線としてはここが終着ですが、石山坂本線という別系統の路線が接続しておりこちらは途中駅に当たるので、駅自体はいわゆるターミナル(終着駅)ではありません。
ここが電車でDのゲーム中の台詞でもあった「浜大津駅手前直角コーナー」。
本当に直角に曲がっているので驚き。
当日は夜間だったので、翌日(2日目)の朝に再度ここで撮影するので詳細は2日目の記事に続きます。
ということで1日目の行程は終了(2日目に続く)。
ということで(何が)、先週の盆休みの期間(8月11日~15日)を利用して18きっぷの旅をしてみました。
今回は4泊5日で主に北陸本線のエリアを巡るという行程です。
米原を出発点として敦賀→金沢→富山→直江津と、北陸本線を完走して果ては新潟や長野まで到達するという感じです。
(もちろん脇道をそれることは多々ありましたが)
5日なので18きっぷをきっかり使う形となり殆んど電車に乗っていましたが、若干は観光地巡りもしています。
(金沢の兼六園など)
そんな感じで8月11日(月)に出発する訳ですが、当初は早朝に出て前回と同様に普通列車を乗り継いで米原方面へ向かう予定でしたが、当日の朝に用事があった関係で出発時間が遅れ、止む無く途中新幹線を使わざるを得なくなりました。
ということで新横浜駅からおもむろに新幹線に乗車して、名古屋までワープ!
ちなみに18きっぷ旅行用語で途中区間で特急等を利用して時間短縮を図ることを「ワープ」というそうです。
乗車したのが最速の「のぞみ」なので新横浜から名古屋まではノンストップで、1時間20分程度で到着です。
同区間を普通列車で乗り継ぐと5時間はかかるので大幅な時間短縮になりましたが、当然ながら新幹線では18きっぷを利用できない(特急券だけではなく運賃も必要)ため、この区間だけで1万円弱と交通費の大幅な加算となります。
出だしが18きっぷ旅行から外れる形になりましたが、今回はやむを得ないです…。
そして名古屋に到着。
本来ここでJRの在来線に乗り換えて18きっぷ利用区間のスタートとするべきなのですが、名古屋から岐阜までJRではなく名鉄線(名古屋本線)に乗ってみました。
特急に乗車したものの時間的にJRと大差ないので全くの無駄なのですが、何故そうしたかというと単にお気に入りの同人ゲーム「電車でD」で取り上げられた区間だったからです。
ということで終点の名鉄岐阜駅に到着。
乗車したのは写真の2200系という車両。
2000系(ミュースカイ)と同一の車体ですが、前にも触れましたが特別車は一部(6両中前寄りの2両)です。
今回は特別車ではなく一般車に乗車。
ちなみに名古屋-名鉄岐阜間の運賃は550円。
ホームから名古屋方面を望む。
奥の高架橋はJR線。
名鉄岐阜駅ホームは4番線まであるものの、何故かホームを出た直後(丁度JRの高架下あたり)で一部単線区間になっています。
何故単線なのかは不可解ですが、恐らくスペース的な問題なのでしょう。
電車でD(Rising Stage)の名古屋線バトルはここ名鉄岐阜駅がスタート地点ですが、上記の単線区間があるため先の複線区間がスタート地点となっています。
(勿論ゲーム上の話なので、実際の列車の運行とは何ら関係ありません)
名鉄岐阜駅前の看板。
岐阜から中部国際空港に直結していることをアピールしています。
名鉄岐阜駅から徒歩8分程度で、JR岐阜駅へ。
(途中ラーメン屋で昼食を取りました)
駅前広場には金色の織田信長公像が立っていました。
岐阜からようやくJRの在来線区間。
ということで岐阜駅の改札で18きっぷの1日目のはんこを押してもらいます。
ホームに着いてすぐに米原方面(大垣行)の電車が到着したので、急いで写真を撮って乗車。
この後大垣で米原行、米原で北陸線の長浜行の電車に乗り継いだのですが、いずれも乗り換え時間が僅かだった関係で撮影はできず。
ちなみに大垣-米原間の列車は18きっぷ利用期間ということもあってか、車内はかなり混雑していて座席に座ることはできませんでした。
そんな感じだったので、あわただしくも米原から3駅先の北陸線、長浜駅に到着。
米原から先はJR西日本の路線に入るので、この後しばらくは上の写真の223系(主に新快速で起用されている車両)と、後述する交直両用の521系という車両にお世話になります。
長浜駅では名古屋(米原)から富山方面へ向かう特急「しらさぎ号」が通過(一部は停車)しますが、使用される車両は上の写真の681系と683系です。
交直両用(直流・交流いずれの区間でも走行できる)の車両で、JR西日本の北陸エリアの特急はほぼこの形式が起用されています。
余談はともかく、長浜で見たい施設があるのでここで一旦下車します。
「長浜で見たい施設」というのが、駅から徒歩数分の場所にある「長浜鉄道スクエア」。
旧長浜駅舎の建物(上記写真)を含む、鉄道歴史博物館的な施設です。
ちなみに上記の旧長浜駅舎は現存する最古の駅舎とのことです。
(明治15年完成で、鉄道記念物に指定されている)
※入館料:300円
建物入り口に展示されている、当時の出札出入り口の様子。
人形が妙にリアル、というかお茶目な感じ。
当施設のメインの展示物である、SL(蒸気機関車)と電気機関車の実機。
上の写真がSLのD51 793号機。
いわゆる「デゴイチ」ですが、北陸本線でも活躍した機関車ということで保存展示されています。
下の写真が電気機関車のED70 1号機。
国内で始めて実用化された交流電気機関車で、北陸本線の交流電化と同時に導入された機関車ということで貴重な存在です。
現在では旅客列車はほぼ電車で統一されているので機関車が使われるのは貨物列車のみですが、昔は旅客列車が客車だったので機関車が重用されていました。
更に長浜周辺はちょうど交流と直流の電気が切り替わる区間(交直セクションという)が設けられていたので、交直両用の電気機関車が登場するまではSLやディーゼル機関車が「つなぎ役」として使われていた時期もありました。
…と、余談が長くなっていましたが、北陸本線の交流電化に縁深い施設ということで、是非とも訪れたいと思って行ってみた次第です。
本来この浜鉄道スクエアを見て駅に戻る予定でしたが、丁度向かい側に「慶雲館」という建築物と庭園からなる国指定名勝の施設があったので、こちらも見ることにしました。
明治時代に天皇を迎える迎賓館として作られた施設で、付随する庭園は「植治」こと七代目小川治兵衛による作庭ということで、造園の仕事をしている身としては見ておかないといけないということで…。
ここまでは無料で見学できますが、建物内部及び内部庭園は別途入館料がかかります。
※入館料:300円
長浜鉄道スクエア・慶雲館を含む長浜周辺の指定施設が見れる1.000円の共通券もあります。
(今回は個別に入館券を購入)
内部庭園は一部周回が可能です。
庭内には巨石や灯篭・石橋などが点在し、松の木と相まって風格漂う造りです。
建物2階からの琵琶湖の眺望が良いということでしたが、実際は木に隠れてあまり良く見えませんでした。
この後次の電車の到着まで多少時間があったため、そのまま駅には戻らず長浜城(歴史博物館)にも行ってみました。
尤も当日は城内の施設まで見るには時間的余裕が無かったので、城周辺をぐるっと周り琵琶湖を少し見るのみにとどまりました。
本丸跡地にあった豊臣秀吉像。
長浜城は秀吉公の出世城(初めて拠点とした城)ということで、ゆかりある地として銅像が建っているということですね。
琵琶湖の湖畔まで来て見ましたが、前日の台風の影響で漂着物が多数あり、眺めは綺麗ではありませんでした。
ちなみに中央の石碑は「太閤井戸」の跡地。
その後長浜駅まで戻り、続きの電車に乗車します。
乗車する車両は新鋭の521系。
新快速に運用されている223系の交直流バージョンといったところか。
北陸地方は米の生産地ということで、沿線は終始このような田畑が続きます。
この後向かう湖西線との接続駅となる「近江塩津(おうみしおつ)」に到着。
乗車した電車もここが終着となるので、一旦ホームに下りて湖西線方面の電車の到着を待ちます。
向かって反対側。奥に見える高架が湖西線の線路です。
湖西線方面、近江今津行きの列車が到着。
(車両は同じく521系)
近江今津にて、更に京都行きの電車に乗り換え。
写真の左側の車両が京都行きですが、車両は何と「初代新快速」の117系。
京都周辺で走っていたとはちょっと意外。
ただ車両の状態があまり良くないので、余命わずかかもしれません…。
ともあれここで国鉄時代の車両にお目にかかれたのはちょっと嬉しいです。
この後は京都に向かって(湖西線の路線名のとおり)琵琶湖の西岸沿いをひたすら走行します。
当該電車の終着駅は京都ですが、1駅手前の山科にて下車します。
ここで京阪線(京津線)に乗り換え。
当日の最終到着地は大津ですが、JRではなくわざわざ京津線に乗り換えたのは勿論京津線が「電車でD」で取り上げられた路線だからです。
今回はここ(京阪山科)から終着の浜大津駅まで乗車。
日没後で沿線の風景は見れませんでしたが、地下鉄区間からカーブとアップダウンが激しい山岳区間、果ては併用軌道(道路の真ん中を走る)という非常にバラエティに富んだ路線です。
浜大津駅に到着。
京津線としてはここが終着ですが、石山坂本線という別系統の路線が接続しておりこちらは途中駅に当たるので、駅自体はいわゆるターミナル(終着駅)ではありません。
ここが電車でDのゲーム中の台詞でもあった「浜大津駅手前直角コーナー」。
本当に直角に曲がっているので驚き。
当日は夜間だったので、翌日(2日目)の朝に再度ここで撮影するので詳細は2日目の記事に続きます。
ということで1日目の行程は終了(2日目に続く)。
2014-08-18 08:49
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