夏休みの乗り鉄or旅行2023~日光詣 [旅行]
毎年恒例の夏休みの乗り鉄旅行ですが、今年はベタな観光地である日光へ。
ただ一口に日光といっても観光する場所は多岐に渡るので、今回は観光する範囲を東照宮周辺に留めました。
交通手段は往路は特急、帰路はJRと東武の普通列車を交互に乗り継ぎ、寄り道しつつ都心方向に戻るといいた感じです。
(尚今回記事のカテゴリについては乗り鉄というよりは観光が主体な感じなので、久しぶりに「旅行」のカテゴリとしました)
ということで出発は東武スカイツリーラインの浅草駅から。
浅草駅出発は3回目ですが、今回は駅到着時に特急列車の発車時刻が差し迫っていたので駅舎の撮影は無し。
乗車するのは特急「スペーシアけごん」の東武日光行き。
発車5分前くらいだったので、ほぼ飛び乗り状態でした。
尚東武では次世代特急列車の「スペーシアX」がデビューしましたが、今回は敢えて従来のスペーシア(100系)に乗車です。
(そもそもスペーシア自体乗ったことが無かったので…)
指定の車両が前から2両目の「2号車」だったのでホームの先端方向へ。
以前にも記事に取り上げたことがありますが浅草駅の場合ホーム先端がカーブになっているので、ご覧の通り車両とホームとのすき間が結構空いている感じになります。
以前このすき間を埋めるステップが設けられていたのを見たことがありますが、今回は無かったので落ちないよう気を付けて乗車するとします…。
列車のきっぷ(特急券)ですが前日予約だけしたものの予約用のQRコードが使えなかった(発車15分前までだった)ので、結局普通に券売機できっぷを買うことに。
7:50発のけごん7号浅草~東武日光間で、特急料金併せて計3.050円也。
同様の距離でJRと比較すれば安い金額ではないかと。
尤も上位の「スペーシアX」だと特急料金はこれより高くなるはずです。
そんな感じで浅草駅を出発。
出発食後、まるで鉄道模型のような急カーブを通り隅田川を渡ります。
次の「とうきょうスカイツリー」も特急停車駅ですが、同駅は上り線のみ高架化が完了した模様。
次の停車駅は北千住ですが、同駅は特急専用ホームに停車します。
(次駅の行先が「とうぶどうぶつこうえん」または「かすかべ」になっている)
北千住を発車後すぐに荒川を渡ります。
北千住から先はしばらく複々線区間ということもあり、自社(東武)の通勤型車両の他に東急・東京メトロといった様々な車両と行き交います。
かすかべ=春日部に停車。
以前乗車した「りょうもう」は北千住の後は先の東武動物公園に停車して春日部は通過しますが、日光行きの「けごん」は春日部停車です。
乗車中の「けごん」は代わりに東武動物公園は通過し、そのまま日光線へ。
途中でJR線との接続駅となる栗橋駅を通過するところ。
その先にあるJRと東武との接続線。
JR新宿駅発着の「特急日光・きぬがわ」はここ栗橋でJR線から東武線に入るため、この接続線を通ります。
大きなカーブを通り利根川を渡るところ。
右奥に利根川の鉄橋と、左中ほどに対向列車が見えます。
利根川を渡る途中。
川は前日の雨で水かさが増している感じでした。
利根川を渡った後は渡良瀬川(正確には渡良瀬川遊水池?)に沿って走行。
そしてその渡良瀬川を渡るところ。
浅草を出発してしばらくの間は晴れ間が見えていましたが、目的地に近づくと天候が怪しくなってきました。
春日部の次の停車駅は栃木。
一気に埼玉県から栃木県に入り、通過駅もこの区間が一番多かったかも。
栃木の次駅、宇都宮線との接続駅となる新栃木駅にある車両基地の横を通過。
渡良瀬川・利根川の支流となる思川を渡るところ。
栃木の次の停車駅となる新鹿沼に到着。
新鹿沼から先は山が近くなってきた感じ。
車窓もいわゆる「山あい区間」に。
下今市の手前、線路の隣の車庫に見えたのはSL大樹代役のディーゼル機関車でしょうか?
写真右手に見える車庫の建物には「東武鉄道 下今市機関区」の表記があるので、ここがSL大樹の本拠地の模様。
奥にはターンテーブルも見えます。
駅に到着する間際、そのターンテーブルを正面から見たところ。
下今市に到着。
駅名標もレトロなデザイン、というか昔のものを再現しています。
もうすぐ終点の東武日光ですが、やはり雲行きが怪しい…。
ということで終点の東武日光駅に到着。
浅草を7:50に出発して東武日光到着が9:40頃。
2時間弱(1時間50分位)の乗車時間でしたが、特急といえど長い。
さすが電車でDのバトル路線で最長距離だけのことはあります。
今回乗車した100系「スペーシア」の雄姿。
ふと気が付きましたが、スペーシア登場時のオリジナルカラーだったのですね。
※注:確認したところリバイバルカラーということらしい
こうして見ると東武のフラッグシップトレインたる風格を感じます。
車内にあった車両番号プレートですが、国鉄車両っぽい書体が何とも。
その横には1991年(平成3年)にブルーリボン賞を受賞した旨のプレートも。
ちなみに100系が登場したのが前年の1990年ですが、国内の有料特急用車両(新幹線・JR車を含む)で初めてVVVFインバータ制御を採用したのがこの100系だそう。
今となっては少数派のGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御車で、発車時に特有のノイズ音を堪能できました。
車体の側面には「クレヨンしんちゃんも30周年」のステッカーも。
今年が2023年なので30年前だと1993年(もしくは1994年)なので原作(漫画)ではなくアニメの放映が始まった年ということではないかと。
駅構内には後継車両となる「スペーシアX」デビューの案内も。
特急用ホーム(4番線)側から見た駅構内。
駅ホームが全体で三角形(もしくはYの字状)の形をしていて、中央に中庭があるという配置。
かなり広い感じを受けます。
改札側から見た駅構内。
中庭を挟んで普通列車用と特急列車用ホームとで分かれている構造。
向かって右側が普通列車用ホーム(1・2番線)、左側が特急列車用ホーム(4~6番線)となっています(3番線は欠番)。
こちらは普通列車用ホーム。
少し前に南栗橋行きの列車が発車したので、撮影時はがら空きの状態でした。
改札前の階段には「ようこそ徳川家康公ゆかりの地 日光へ」と書かれた横断幕も。
横断幕の左端には現在放送中のNHK大河ドラマ「どうする家康」のタイトルロゴも見受けられました。
改札を出て駅舎の2階へ向かう階段の途中にある案内板を見ると「祈禱室」なる部屋がある模様。
こちらが祈禱室。男女分かれて部屋が設けられています。
来た時は封鎖されている状態でしたが、恐らくは海外からの旅行客向けの施設なのかもしれません。
(逆に海外の駅だと一般的にあるものなのでしょうか?)
駅の外に出ると、大きな三角屋根が特徴的な東武日光駅の駅舎が。
(洋風の)山小屋をイメージしたデザインといったところでしょうか?
駅前広場にはかつて運行されていた日光軌道線の車両が展示されていました。
車両の足元には日光軌道線についての案内パネルが。
日光軌道線は国鉄(現JR)日光駅と馬返(いろは坂の入口付近)までを結んでいた路面電車規格の鉄道路線で、元来は貨物輸送用として開通したものの途中から旅客輸送も担うようになりました。
更に馬返から明知平までをケーブルカーで、明知平から展望台までロープウェイで結ばれ、かつてはここから明知平まで「鉄道」で移動できたということですね。
その日光軌道線ですがいろは坂(第一・第二いろは坂)の開通の影響で旅客数や貨物数が激減して1968(昭和43)年に廃止されてしまいました。
馬返からのケーブルカーも廃止されているので現在では末端のロープウェイのみ現存することになり、現在の公共交通機関での移動はバスのみとなっています。
尤も1968年というとかなり前(半世紀以上前)の話になりますが…。
冒頭がかなり長くなりましたが、この後はいよいよ東照宮方面へ。
駅前には日光の観光地が一通り掲載されている観光マップが。
日光の観光地は大きく分けて日光山内(東照宮周辺)・中禅寺湖(華厳の滝・男体山等)・奥日光(戦場ヶ原・湯ノ湖方面)と分かれていますが、今回はさすがに中禅寺湖の方には行けないので日光山内の散策になります。
駅前広場にはもう一つ日光中心部の案内マップも。
案内マップを拡大。
バスを利用することも可能でしたが、神橋まで徒歩で向かうことに。
(写真の右下が現在地の東武日光駅前で、ちょうど中央あたりが神橋)
ということで駅前の道を真っすぐに向かいます。
道路の案内板を見ると「日光道」と記載がありますが、これは「日光宇都宮道路」のことでしょうか?
神橋の手前ですが、いよいよ雨が降ってきました。
神橋(しんきょう)の入口に到着。
少し離れた場所から撮影した神橋の全景。
川の辺りに少し霧がかかっています。
神橋を渡ることはできますが別途拝観料がかかります。
※拝観料:300円
御朱印を頂いた後渡ることにしました。
神橋は日光二荒山神社に属する建造物に当たります。
案内板の説明によると、現在の神橋は明治37年(1904年)に再建されたものとのこと。
※重要文化財に指定
橋を渡るところ。
このはし(端)渡るべからず、ということではないかもしれませんが、両端の欄干に触る箇所には入れないように柵が設けられていました。
橋上から川(大谷川)の上流方面を見たところ。
川面がしぶきも相まって霧がかっている様子が確認できます。
橋を渡り抜けることはできないようになっているので、ここで折り返します。
橋のすぐ横にはライトアップ用の照明を置く台になっている建造物がありますが、これは日光軌道線の橋脚と思われる跡かと。
反対側にも橋脚跡が残っています。
(神橋に対して斜め45度に設けられている感じ)
橋のふもとにも日光軌道線に関する写真が展示されていました。
掲載写真を一部拡大して撮影。
神橋のすぐ横を路面電車が通り過ぎていく様子が映っています。
神橋を後にしていよいよ東照宮方面へ。
「日光の社寺」ということで世界遺産に登録されています。
そういえば前回(年初め)も富士山だったので、世界遺産続きですね…(今更気づきましたが)
世界遺産「日光の社寺」の区域案内図。
輪王寺・東照宮・二荒山神社の二社一寺がメインの観光対象となります。
そういえば(2)東照宮行きのバスの行先が「世界遺産」と表示されていました。
手始めに、先程の入口付近にある「本宮神社」へ。
本宮神社(ほんぐう神社)は二荒山神社(御本社)に先駆けてできた神社で、二荒山神社発発祥の地と言われています。
本宮神社と輪王寺の間にある御旅所(おたびしょ)。
一見神社のように見受けられますが…
手前にある御旅所の案内板。
「Mikoshi or portable shrines' resting place」という英訳があったので、建物の用途としては御神輿用の休憩所ということでしょうか?
※門が閉じられていたので内部の拝観は不可
御旅所から少し歩くと輪王寺の入口(駐車場)に到着。
中央に見える像は日光を開山した勝道上人(しょうどうしょうにん)。
輪王寺を拝観する前に少し戻って四本龍寺(しほんりゅうじ)へ。
本堂である観音堂と三重塔が現存しています。
境内から振り返ると本宮神社の裏手が。
実は本宮神社のすぐ隣でした…。
改めて輪王寺へ。
輪王寺=りんのうじ、と読みます。
本堂(三仏堂)を拝観する前に、宝物殿と庭園へ。
※拝観料:1.000円(三仏堂・大猷院・宝物館とのセット料金)
宝物殿の展示を見た後に庭園へ。
池の周囲をぐるっと回る「回遊式庭園」の構造。
庭園の名前は「逍遙園(しょうようえん)」といい、江戸時代の作庭家である小堀遠州の作と伝わっています。
池に沿って進みますが、周囲の木々の緑が美しいです。
庭園の奥側から入口の宝物殿方面を見たところ。
足元には「なまず石」なるものが。
案内板の説明によると、庭園の池は琵琶湖を模しており、琵琶湖ではなまずが有名であるものの生きたなまずを琵琶湖から運ぶのは困難なことから石として作られたと伝えられてきたとのことです。
尚なまずは地震を予知すると言われることから災難除のご利益もあるとのこと。
更に池の周囲を歩いて入口方面に戻る方向へ。
池の横には石塔も。
庭園を一通り周った後は本堂となる三仏堂へ。
三仏堂は日光山の総本堂で、堂の大きさは幅33m・奥行25m・高さ26mと東日本で最大の木造建築とのこと。
堂の内部には千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音の三仏がご本尊として祀られています。
三仏堂の裏手にある護摩堂と相輪橖。
相輪橖(そうりんとう)は高さ16mの仏塔で、元々は東照宮内にあったものが後に二荒山神社へ、更に明治時代に神仏分離によって現在の輪王寺境内に移されたとのこと。
独特な形状をしており、自分が小学生の時に修学旅行で日光に来た際もこの塔のことは記憶に残っていました。
相輪橖を別の角度から撮影(奥は三仏堂)。
塔の手前にある灯篭も豪華な装飾です。
輪王寺境内を一通り周った後は東照宮方面へ。
東照宮へ続く表参道に出ました。
東照宮の入口に到着しましたが、ここから左に曲がり二荒山神社方面に向かいます。
二荒山神社への参道も真っすぐな道。
高くそびえる杉並木もさることながら、その下の苔に覆われている石垣も味わい深いです。
二荒山神社の入口に到着。
「下野國一之宮」の記載もあるので、一宮巡りも兼ねることに。
(ちなみに前回は上総一ノ宮の玉前神社)
ただここでも二荒山神社は後程拝観することにして、更に奥の大猷院に向かいます。
神社入口の横にあった自販機ですが、黒地に徳川家の家紋もあり、「徳川仕様」になっていました(!?)
※コカコーラの自販機の模様
神社入口の少し奥が大猷院(たいゆういん)の入口。
右側の石柱には「日光廟大猷院」とありますが、ここは三代将軍徳川家光公の廟所(墓所)になります。
※輪王寺の共通券で拝観可能(単独の拝観券:550円)
大猷院入口の仁王門。
名前の通り門の左右に仁王像が安置されています。
仁王門を抜けた先にある、樹齢約400年と言われる高野槙(こうやまき)の大木。
こちらも何とも、木に苔が垂れ下がっているのが面白いです。
この先は立ち入り禁止のエリア。
本殿への階段の途中にある二天門。
二天門の案内板。
名前の由来は門の左右に(四天王のうちの)持国天・増長天を安置している事から。
裏側の左右には雷神・風神が安置されています。
二天門から本殿への階段の途中には展望所があり、そこから石灯籠が並んでいるのが見られます。
これらの石灯籠は当時の大名からの献上品とのことです。
本殿の入口にある夜叉門。
名前の由来は四体の夜叉像が安置されていることから。
夜叉門の手前左右にある鐘楼(上)と鼓楼(下)。
それぞれ釣鐘の太鼓が保管されています。
夜叉門を抜けると大猷院の拝殿と本殿が。
建物の内部は拝観可能(拝殿の途中まで)
拝殿・本殿を別の角度から。
ちょうどこの頃から雨が少し強く降ってきました。
奥の院(家光公のお墓所)に続く皇嘉門(こうかもん)。
門の形から別名【竜宮門】と呼ばれています。
※ここから先は拝観不可
一番奥まで来たので、来た道を引き返します。
そして改めて二荒山神社へ。
二荒山神社の拝殿でお参り。
拝殿の横に霊泉などがある「神苑」の入口がありますが、神苑内は別途拝観料がかかります。
※拝観料:300円
神苑内から見た二荒山神社の本殿。
神苑内にもいくつかの建造物があり、写真の右側が朋友神社、左側にちらっと見えるのが大黒殿。
鳥居の奥が神秘の湧水がある「二荒霊泉」。
隣にある茶屋(東屋)では霊泉を使用した抹茶などがいただけます。
霊泉の奥にある日光連山遙拝所。
霊泉や日光連山遙拝所の上を通れる歩道があり、各所に七福神の像が設けられています。
上の写真は弁財天。
歩道側から見た本殿と拝殿。
神苑の入口(出口)の裏手にはひっそりと巫女風のキャラクターが。
名前は「八乙女さん」とのことですが、萌えキャラとしてはちょっとインパクトが薄いか?
一通り周ったところで"二荒山神社を後にして…。
いよいよメインの東照宮へ。
入口に着いたものの、券売機前に行列ができていました…。
拝観券を購入するのに20分位かかりましたが、購入後は行列が更に長くなっていました。
※拝観料:1.300円(東照宮単独)・2.100円(東照宮+宝物館のセット)
東照宮入口の表門。
(裏からの撮影のため、写真の奥が入口側)
表門を抜けてすぐに見えるのが上神庫・中神庫・下神庫の「三神庫」。
上(1枚目)の写真が三神庫のうちの上神庫と中神庫。
上神庫の屋根下には2頭の象の彫刻が。
狩野探幽の下絵を元に造られたものですが、実際の象と姿が異なることから「想像の象」と呼ばれています。
三神庫を別の角度から撮影。
(一番手前が想像の象がある上神庫)
下神庫は修理工事中のため、建物全体が仮囲いで覆われていました。
三神庫の反対側にある神厩(しんきゅう)舎。
ご神馬をつなぐ厩(うまや)にあたる建物。
神厩舎の屋根下には猿の彫刻がありますが、中でも有名なのが真ん中にある「見ざる聞かざる言わざる」の三猿。
それぞれが目・耳・口を押えていて、子供を悪事から遠ざけることを教えることを表現しています。
三猿以外にも猿の彫刻があり、全体で猿の一生を通じて人間の生涯を風刺したものと言われています。
三神庫・神厩舎の後は陽明門方面へ。
陽明門の手前には水屋もありますが、さすが東照宮だけあって水屋も豪華仕様です。
陽明門の前に到着。
前の神厩舎もそうでしたが、さすがに有名どころということもあって観光客が多いです。
陽明門の案内板(もちろん国宝)。
いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」の別名もあります。
屋根下の彫刻も豪華。
中央の額には「東照大権現」の文字が。
門の横には巨大な燈篭も…。
陽明門の手前左右にある鐘楼(1枚目)と鼓楼(2枚目)。
先に拝観した大猷院にもメインの門(夜叉門)の下に鐘楼と鼓楼がありましたが、大猷院が東照宮を模した構造としたと言えるのかも。
陽明門に戻りますが、門の中にもいくつかの彫像があります。
実はこちらの柱だけは…。
柱に装飾されている渦巻文様が下向きになっていることから「逆柱」と呼ばれています。
完璧な状態ではすぐに魔が差すことから意図的に向きを逆にして未完の状態を示し、崩壊を防ぐために施されたとのことです。
陽明門の奥にある唐門。
その奥には東照宮の御本社(本殿・石の間・拝殿)があります。
(唐門・御本社共に国宝)
唐門の装飾も豪華です。
唐門の手前にある神楽殿。
御本社(拝殿)でお参りした後は家康公の御墓所がある奥社へ。
奥社へ続く参道の入口にある坂下門の屋根下には、先程の三猿と同様に有名な「眠猫」の彫刻が。
眠猫をアップで撮影。
そういえば三猿と眠猫の置物(貯金箱を兼ねていた)は子供の頃の日光みやげの定番だったような…。
奥社へ続く参道。
この先は長い階段になります。
奥社参道の案内板によると、回廊(坂下門)から奥社に至るまでの階段は207段あるとのこと。
奥社までの長い階段。
さすがに計207段はきつい…。
階段の途中には東照公(家康公)の御遺訓が。
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」とあります。
長い階段を登った末に奥社に到着。
家康公の御墓所は奥社のすぐ先に。
御墓所と奥社を周回する形で順路が続きます。
御墓所の門(唐門-1枚目)と裏から見た奥社(2枚目)。
家康公の御墓所となる奥社宝塔。
奥社宝塔の案内板。
御墓所は昭和40年の東照宮350年祭を機に公開されたと説明があります。
小学生の修学旅行でもここに来た記憶があります(その時は昭和50年代だった)。
奥社の御神木である「叶杉」。
階段を下る途中で見た御本社方面。
木で隠れていますがちょうど写真中央が陽明門かと。
眠猫を再度撮影。
正確には坂下門の屋根下ではなく、その手前の回廊の屋根下にあるということか…。
御本社・陽明門前に戻ってきました。
陽明門の裏側を撮影。
門の表側も再度撮影。
ちょうど雨も止んでいたので先程よりは上手く撮れた感じ。
陽明門を降りた後は鳴龍のある本地堂へ。
「鳴龍 薬師堂」とありますが、薬師堂は本地堂の別名。
東照宮内にあってこの本地堂のみ輪王寺に所属する建物であるためか、参拝は神社形式の二礼二拍一礼ではなく合掌でお願いしますとのこと。
ちなみに鳴龍ですが、道内の全体で反響音がする訳ではなく、特定の位置(ちょうど天井にある龍の目の辺り)でしか反響しませんでした。
※実際に手を叩くことはできず、ガイドさんによる拍子木による実演のみ
陽明門付近から神厩舎方面を撮影。
相変わらず神厩舎(三猿)周辺は賑わっていました。
水屋の隣にある輪蔵(紹介が漏れていたので掲載)。
神厩舎も再度撮影。
入口側から撮影した表門。
表門の外側にある五重塔。
神社に五重塔があるのか?と思ったりもしましたが、恐らくこれも輪王寺に所属する建造物ではないかと。
(少なくとも小学校の修学旅行時に来た時にはそう記憶している)
五重塔の東側、東照宮宝物館近くにある御仮殿。
(東照宮の)御本社を修理する際に祭神を一時的に移すための御殿。
東照宮での混雑ぶりからうって変わって静けさが漂う雰囲気です。
ラストは東照宮宝物館へ。
主に徳川家康公の遺愛品(刀剣・鎧等)や将軍家・大名家からの奉納品・祭器具などが展示されています。
※入館料:1.000円(単独)
東照宮とのセット券だと計2.100円なので、それぞれ単独より200円割引になります。
(東照宮単独が1.300円なので)
一通り周った後は日光駅方面に戻るのですが、まずは広々とした表参道を下ります。
この辺りの標高は634mということで、ちょうど東京スカイツリーと同じ高さの位置らしいです。
輪王寺の外側を歩いて…。
輪王寺入口にある勝道上人銅像の前に再び来ました。
勝道上人銅像の説明。
勝道上人は奈良時代の天平神護2年(766年)に日光山を開かれた修行僧。
この銅像は昭和30年(1955年)に日光市政施行を記念して建立されました。
坂を下って神橋前に戻ってきました。
神橋隣の道路橋から見た大谷川の下流側。
霧は無くなりましたが雨が降ったためか水量はやや多めな感じ。
駅に向かう前に神橋近くのレストランで遅めの昼食、ゆばラーメンを食べました。
昼食後バスに乗り、JR日光駅に到着。
駅舎は明治時代の洋風な感じです。
駅の改札前にある駅名の看板や"駅名標も古風(レトロ)なデザイン。
次の電車の発車時刻が約8分後なので、駅に着いたのがちょうど良いタイミングでした。
(16:19発で現在時刻が16:11)
日光線も新型車両が導入されました。
前回相模線でも乗車したE131系。
日光線の普通列車用車両は国鉄時代の115系から107系・205系600番台を経て今回のE131系が導入されたのですが、先代・先々代が他線からの移籍(もしくは廃車車両の部品流用)だったのに対して今回は新車でのデビューとなりました。
こちらは先代の205系600番台。
※2015年1月 宇都宮駅にて撮影
E131系の日光線仕様は600番台で、制御電動車クモハE131を含む3両編成。
区分番台が600となったのは先代の205系を引き継いだ形か。
日光駅のホームは3番線まであるように見受けられますが、実質1番線しか使われていない感じ?
駅構内にある留置線も1本の線路しかなく、残りの線路は取り外された状態。
国鉄時代には隣の東武線と競い合って優等列車が行き交っていましたが、現在では普通列車のみの運行となってしまったのでこの辺はやむを得ないのか…。
※ちなみに既に駅を出発しています。
日光駅出発後、まずは坂を下る感じ。
少し平地になりました。
それにしてもこの車両、かぶりつき(の撮影)がしにくいです。
(前回相模線のときもそうでしたが…)
日光の次の停車駅となる今市駅に到着。
平仮名で「いまいち」と書かれると…うーん。
少しの間杉並木の横を並走します。
下野大沢(しもつけおおさわ)駅に到着。
私鉄線も含めて栃木県内で旧国名の「下野」がつく駅名はここだけです。
(後述しますが東武線の場合は「野州」)
ようやく晴れ間が見えてきた感じ。
日光線で途中の主要駅とる鹿沼駅に到着。
日光線は単線ながらも比較的線形が良く、この辺りは直線が続く区間。
遠くに東北自動車道の高架橋が見えます。
宇都宮の1つ手前の鶴田駅で対向列車と行き違い。
終点の手前で宇都宮線(東北本線)と合流。
更に東北新幹線と合流して…。
終点の宇都宮駅に到着。
日光線のホームなので駅名標もレトロデザイン。
改札を出て宇都宮駅の西口に出たところ。
上層が新幹線のホームとなっているので、いかにも基幹駅という感じです。
ちなみに最近開通した宇都宮LRTは反対の東口側なので今回は様子は見られませんでした。
何故西口に降りたのかというと、ここから東武宇都宮駅を目指すため。
バスもあったかもしれませんが、やはりというか徒歩で。
(体力は使うがこの方が確実かと…)
途中宇都宮二荒山神社の前を通りましたが、さすがに立ち寄る時間は無かったです…。
東武宇都宮駅まであと340mの表示。
反対のJR宇都宮駅が1.4kmなので、移動距離は延べ1.7km強ということか。
アーケード街を抜けて…。
東武宇都宮駅に到着したものの、次の電車の発車1分前!
(次の発車が17:26で現在時刻が17:25)
よって駅舎の撮影はできずに…(といっても東武デパートの建物内に駅があるのですが)。
駅名標を撮るのが精いっぱいでした。
乗車中の東武宇都宮線ですが、今年が栃木県が誕生して150年にあたることと栃木県がいちごの生産量が日本一であることを記念して「いちご王国ライン」という愛称が付けられました。
ちなみにこの愛称は1年間限定とのこと(2023年6月10日から2024年5月末まで)。
東武宇都宮線(及び日光線の南栗橋以北)の普通列車用車両ですが、元日比谷線直通用の車両(20000系)を転用・リニューアルして運用されています。
真夏とはいえさすがに日没が近くなってきました。
「おもちゃのまち」駅に到着。
平仮名そのままの駅名ですが、名前の由来は周辺に玩具メーカーの工場(もしくは会社ビル)が集積していることから。
当初は当駅で下車して駅の近くにある「おもちゃのまちバンダイミュージアム」に行く予定でしたが、当日が休館日に当たることから予定は取りやめたものの、どのみちこの時間では行けなかったですね…。
まあこれはまた後日ということで。
先頭車のポジションが空いたので途中からかぶりつきを開始。
対向列車と行き違い(この駅はホームが千鳥状になっているのか…?)。
途中川を渡り…
みぶ(壬生)駅に到着。
東武宇都宮線も比較的線形が良く、この辺りは直線が続きます。
利根川・渡良瀬川の支流である思川を渡るところ。
やしゅうおおつか=野州大塚駅に到着。
日光線の際に触れましたが東武線の場合「下野」ではなく「野州」となります。
次駅の「野州平川」も含め、東武線内では他にも野州の付く駅名はいくつかあり。
(東武)日光線と合流して新栃木駅に到着するところ。
日光線の普通列車に加えて特急スペーシアの回送車両も見受けられます。
新栃木駅に到着。
乗車中の電車は日光線直通の南栗橋行きなので、このまま乗車を続けます。
栃木駅に到着(というか戻ってきた)。
駅名標の奥はJR両毛線のホーム。
東武宇都宮から乗車した電車は同駅で下車して、今度は隣ホームのJR両毛線に乗り換えます。
私鉄→JR乗り換えなので一旦改札を出ます。
上の写真は栃木駅の南口。
JR両毛線の改札の上の案内を見ると、これまたジャストなタイミング。
(次の高崎行きの電車が18:12発で現在時刻が18:08)
JR線の駅名標も一応撮影。
JR線・東武線共に基幹駅ということもあって、比較的広い駅構内。
ホームに着いた時にちょうど特急スペーシアの上り列車が発車するとこころでした。
(朝に乗車した時と同じ車両かもしれない…)
と思ったら今度は下りの特急スペーシアが到着。
こちらは豪華な色合い。
そして高崎行きの電車が到着。
途中の足利まで乗車します。
日没が更に近くなってきました。
東武佐野線との乗換駅となる佐野駅。
近年開業したあしかがフラワーパーク駅。
隣の富田駅とはかなり駅間が短いです。
乗車中の車両の型番は「モハ210-3004」でした。
なお両毛線を含む高崎地区の211系は全て3000番台(寒冷地区向けのロングシート車)です。
足利駅に到着。
駅名標がおしゃれな感じ。
栃木から乗車した車両を後にして…
駅の南口から出て渡良瀬川方面へ。
程なくして渡良瀬川川沿いに到着。
イルミネーションが付けられた橋が見えますがこれはかの渡良瀬橋ではなく…
1つ上流側の橋が渡良瀬橋でした。
反対側から撮影した渡良瀬橋。
橋を実際に渡ってみました。
(脇の歩道橋なので厳密には渡良瀬橋ではないのかもしれませんが…)
橋の上から渡良瀬川の上流側を撮影。
ほぼ日没寸前ですが、雲が無ければ「渡良瀬橋で観る夕陽」が見れたかもしれません。
橋のトラス越しに下流側を撮影。
この後そのまま橋を渡り切ってしまいましたが肝心の「渡良瀬橋の歌碑」が見当たらず、果たしてどこにあるのか探しましたが…。
川の北側(JR足利駅側)の川沿いの車道を挟んで反対側、ちょうど橋の全体が見える位置に歌碑がありました。
こちらが森高千里さんの渡良瀬橋の歌碑。
今まで何度か歌碑を目にしたことはありますが、大体が演歌の歌碑(前回は「矢切の渡し」だった)でいわゆるJ-POPに属する楽曲の歌碑というのは珍しいかと思います。
ちなみに左にちらっと見えるボタンを押すと実際に「渡良瀬橋」の曲が流れるそうな。
(今回は押しませんでしたが…)
そういうことで(一旦戻ったので)再度橋を渡ることに。
すっかり陽も暮れてしまいました。
そして東武伊勢崎線の足利市駅に到着。
駅到着後すぐに電車が来たので、ここでもジャストタイミング。
(例の「渡良瀬橋」の駅メロが聞こえたので間に合わないかと思いましたが…)
ちなみに先程下車したJR足利駅の駅メロも「渡良瀬橋」でした。
足利市駅からの電車は館林止まりなので、同駅で乗り換え。
今度は久喜行きの電車に乗車。
久喜行きの電車が発車するまでの合間に、特急リバティが到着。
すぐさま反対側からりょうもう号が。
(色も昔のりょうもう号の復活カラーでした)
久喜からはJR線で都心まで。
(この間、駅前で夕食を取りました)
東京駅で少々停車中に…。
ホームの反対側には寝台特急「サンライズ」が停車していました。
以前出雲市駅で見たのと田町(現在は高輪ゲートウェイ)の車庫で姿を見かけたことはありますが、東京側で営業運転中の車両を見かけたのは初めてかも…。
他の方も写真を撮られていました。
「クハネ」という形式も現役車両ではこの車両(285系)が唯一になりました。
※末尾の「ネ」が寝台車を意味する
かつては東京駅からも数多の寝台特急が行き交っていましたが、現在ではこの「サンライズ瀬戸・出雲」が唯一。
写真では「サンライズ瀬戸 高松行き」になっていますが、前7両がサンライズ瀬戸で後ろ7両がサンライズ出雲(出雲市行き)のはず。
この高松行きというのも今となっては貴重な存在ですね。
そして最後に品川駅で検測車の「East-i」を見かけました!
これにて本日の行程終了ですが、天候には恵まれなかったものの帰路の電車の乗り継ぎタイミングとレア車両の遭遇には(奇跡的といっていいほど)恵まれた1日でした。
この時点で22時少し前。
日光へ日帰りだとやはり目いっぱいの行程になりますね…。
ただ一口に日光といっても観光する場所は多岐に渡るので、今回は観光する範囲を東照宮周辺に留めました。
交通手段は往路は特急、帰路はJRと東武の普通列車を交互に乗り継ぎ、寄り道しつつ都心方向に戻るといいた感じです。
(尚今回記事のカテゴリについては乗り鉄というよりは観光が主体な感じなので、久しぶりに「旅行」のカテゴリとしました)
ということで出発は東武スカイツリーラインの浅草駅から。
浅草駅出発は3回目ですが、今回は駅到着時に特急列車の発車時刻が差し迫っていたので駅舎の撮影は無し。
乗車するのは特急「スペーシアけごん」の東武日光行き。
発車5分前くらいだったので、ほぼ飛び乗り状態でした。
尚東武では次世代特急列車の「スペーシアX」がデビューしましたが、今回は敢えて従来のスペーシア(100系)に乗車です。
(そもそもスペーシア自体乗ったことが無かったので…)
指定の車両が前から2両目の「2号車」だったのでホームの先端方向へ。
以前にも記事に取り上げたことがありますが浅草駅の場合ホーム先端がカーブになっているので、ご覧の通り車両とホームとのすき間が結構空いている感じになります。
以前このすき間を埋めるステップが設けられていたのを見たことがありますが、今回は無かったので落ちないよう気を付けて乗車するとします…。
列車のきっぷ(特急券)ですが前日予約だけしたものの予約用のQRコードが使えなかった(発車15分前までだった)ので、結局普通に券売機できっぷを買うことに。
7:50発のけごん7号浅草~東武日光間で、特急料金併せて計3.050円也。
同様の距離でJRと比較すれば安い金額ではないかと。
尤も上位の「スペーシアX」だと特急料金はこれより高くなるはずです。
そんな感じで浅草駅を出発。
出発食後、まるで鉄道模型のような急カーブを通り隅田川を渡ります。
次の「とうきょうスカイツリー」も特急停車駅ですが、同駅は上り線のみ高架化が完了した模様。
次の停車駅は北千住ですが、同駅は特急専用ホームに停車します。
(次駅の行先が「とうぶどうぶつこうえん」または「かすかべ」になっている)
北千住を発車後すぐに荒川を渡ります。
北千住から先はしばらく複々線区間ということもあり、自社(東武)の通勤型車両の他に東急・東京メトロといった様々な車両と行き交います。
かすかべ=春日部に停車。
以前乗車した「りょうもう」は北千住の後は先の東武動物公園に停車して春日部は通過しますが、日光行きの「けごん」は春日部停車です。
乗車中の「けごん」は代わりに東武動物公園は通過し、そのまま日光線へ。
途中でJR線との接続駅となる栗橋駅を通過するところ。
その先にあるJRと東武との接続線。
JR新宿駅発着の「特急日光・きぬがわ」はここ栗橋でJR線から東武線に入るため、この接続線を通ります。
大きなカーブを通り利根川を渡るところ。
右奥に利根川の鉄橋と、左中ほどに対向列車が見えます。
利根川を渡る途中。
川は前日の雨で水かさが増している感じでした。
利根川を渡った後は渡良瀬川(正確には渡良瀬川遊水池?)に沿って走行。
そしてその渡良瀬川を渡るところ。
浅草を出発してしばらくの間は晴れ間が見えていましたが、目的地に近づくと天候が怪しくなってきました。
春日部の次の停車駅は栃木。
一気に埼玉県から栃木県に入り、通過駅もこの区間が一番多かったかも。
栃木の次駅、宇都宮線との接続駅となる新栃木駅にある車両基地の横を通過。
渡良瀬川・利根川の支流となる思川を渡るところ。
栃木の次の停車駅となる新鹿沼に到着。
新鹿沼から先は山が近くなってきた感じ。
車窓もいわゆる「山あい区間」に。
下今市の手前、線路の隣の車庫に見えたのはSL大樹代役のディーゼル機関車でしょうか?
写真右手に見える車庫の建物には「東武鉄道 下今市機関区」の表記があるので、ここがSL大樹の本拠地の模様。
奥にはターンテーブルも見えます。
駅に到着する間際、そのターンテーブルを正面から見たところ。
下今市に到着。
駅名標もレトロなデザイン、というか昔のものを再現しています。
もうすぐ終点の東武日光ですが、やはり雲行きが怪しい…。
ということで終点の東武日光駅に到着。
浅草を7:50に出発して東武日光到着が9:40頃。
2時間弱(1時間50分位)の乗車時間でしたが、特急といえど長い。
さすが電車でDのバトル路線で最長距離だけのことはあります。
今回乗車した100系「スペーシア」の雄姿。
ふと気が付きましたが、スペーシア登場時のオリジナルカラーだったのですね。
※注:確認したところリバイバルカラーということらしい
こうして見ると東武のフラッグシップトレインたる風格を感じます。
車内にあった車両番号プレートですが、国鉄車両っぽい書体が何とも。
その横には1991年(平成3年)にブルーリボン賞を受賞した旨のプレートも。
ちなみに100系が登場したのが前年の1990年ですが、国内の有料特急用車両(新幹線・JR車を含む)で初めてVVVFインバータ制御を採用したのがこの100系だそう。
今となっては少数派のGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御車で、発車時に特有のノイズ音を堪能できました。
車体の側面には「クレヨンしんちゃんも30周年」のステッカーも。
今年が2023年なので30年前だと1993年(もしくは1994年)なので原作(漫画)ではなくアニメの放映が始まった年ということではないかと。
駅構内には後継車両となる「スペーシアX」デビューの案内も。
特急用ホーム(4番線)側から見た駅構内。
駅ホームが全体で三角形(もしくはYの字状)の形をしていて、中央に中庭があるという配置。
かなり広い感じを受けます。
改札側から見た駅構内。
中庭を挟んで普通列車用と特急列車用ホームとで分かれている構造。
向かって右側が普通列車用ホーム(1・2番線)、左側が特急列車用ホーム(4~6番線)となっています(3番線は欠番)。
こちらは普通列車用ホーム。
少し前に南栗橋行きの列車が発車したので、撮影時はがら空きの状態でした。
改札前の階段には「ようこそ徳川家康公ゆかりの地 日光へ」と書かれた横断幕も。
横断幕の左端には現在放送中のNHK大河ドラマ「どうする家康」のタイトルロゴも見受けられました。
改札を出て駅舎の2階へ向かう階段の途中にある案内板を見ると「祈禱室」なる部屋がある模様。
こちらが祈禱室。男女分かれて部屋が設けられています。
来た時は封鎖されている状態でしたが、恐らくは海外からの旅行客向けの施設なのかもしれません。
(逆に海外の駅だと一般的にあるものなのでしょうか?)
駅の外に出ると、大きな三角屋根が特徴的な東武日光駅の駅舎が。
(洋風の)山小屋をイメージしたデザインといったところでしょうか?
駅前広場にはかつて運行されていた日光軌道線の車両が展示されていました。
車両の足元には日光軌道線についての案内パネルが。
日光軌道線は国鉄(現JR)日光駅と馬返(いろは坂の入口付近)までを結んでいた路面電車規格の鉄道路線で、元来は貨物輸送用として開通したものの途中から旅客輸送も担うようになりました。
更に馬返から明知平までをケーブルカーで、明知平から展望台までロープウェイで結ばれ、かつてはここから明知平まで「鉄道」で移動できたということですね。
その日光軌道線ですがいろは坂(第一・第二いろは坂)の開通の影響で旅客数や貨物数が激減して1968(昭和43)年に廃止されてしまいました。
馬返からのケーブルカーも廃止されているので現在では末端のロープウェイのみ現存することになり、現在の公共交通機関での移動はバスのみとなっています。
尤も1968年というとかなり前(半世紀以上前)の話になりますが…。
冒頭がかなり長くなりましたが、この後はいよいよ東照宮方面へ。
駅前には日光の観光地が一通り掲載されている観光マップが。
日光の観光地は大きく分けて日光山内(東照宮周辺)・中禅寺湖(華厳の滝・男体山等)・奥日光(戦場ヶ原・湯ノ湖方面)と分かれていますが、今回はさすがに中禅寺湖の方には行けないので日光山内の散策になります。
駅前広場にはもう一つ日光中心部の案内マップも。
案内マップを拡大。
バスを利用することも可能でしたが、神橋まで徒歩で向かうことに。
(写真の右下が現在地の東武日光駅前で、ちょうど中央あたりが神橋)
ということで駅前の道を真っすぐに向かいます。
道路の案内板を見ると「日光道」と記載がありますが、これは「日光宇都宮道路」のことでしょうか?
神橋の手前ですが、いよいよ雨が降ってきました。
神橋(しんきょう)の入口に到着。
少し離れた場所から撮影した神橋の全景。
川の辺りに少し霧がかかっています。
神橋を渡ることはできますが別途拝観料がかかります。
※拝観料:300円
御朱印を頂いた後渡ることにしました。
神橋は日光二荒山神社に属する建造物に当たります。
案内板の説明によると、現在の神橋は明治37年(1904年)に再建されたものとのこと。
※重要文化財に指定
橋を渡るところ。
このはし(端)渡るべからず、ということではないかもしれませんが、両端の欄干に触る箇所には入れないように柵が設けられていました。
橋上から川(大谷川)の上流方面を見たところ。
川面がしぶきも相まって霧がかっている様子が確認できます。
橋を渡り抜けることはできないようになっているので、ここで折り返します。
橋のすぐ横にはライトアップ用の照明を置く台になっている建造物がありますが、これは日光軌道線の橋脚と思われる跡かと。
反対側にも橋脚跡が残っています。
(神橋に対して斜め45度に設けられている感じ)
橋のふもとにも日光軌道線に関する写真が展示されていました。
掲載写真を一部拡大して撮影。
神橋のすぐ横を路面電車が通り過ぎていく様子が映っています。
神橋を後にしていよいよ東照宮方面へ。
「日光の社寺」ということで世界遺産に登録されています。
そういえば前回(年初め)も富士山だったので、世界遺産続きですね…(今更気づきましたが)
世界遺産「日光の社寺」の区域案内図。
輪王寺・東照宮・二荒山神社の二社一寺がメインの観光対象となります。
そういえば(2)東照宮行きのバスの行先が「世界遺産」と表示されていました。
手始めに、先程の入口付近にある「本宮神社」へ。
本宮神社(ほんぐう神社)は二荒山神社(御本社)に先駆けてできた神社で、二荒山神社発発祥の地と言われています。
本宮神社と輪王寺の間にある御旅所(おたびしょ)。
一見神社のように見受けられますが…
手前にある御旅所の案内板。
「Mikoshi or portable shrines' resting place」という英訳があったので、建物の用途としては御神輿用の休憩所ということでしょうか?
※門が閉じられていたので内部の拝観は不可
御旅所から少し歩くと輪王寺の入口(駐車場)に到着。
中央に見える像は日光を開山した勝道上人(しょうどうしょうにん)。
輪王寺を拝観する前に少し戻って四本龍寺(しほんりゅうじ)へ。
本堂である観音堂と三重塔が現存しています。
境内から振り返ると本宮神社の裏手が。
実は本宮神社のすぐ隣でした…。
改めて輪王寺へ。
輪王寺=りんのうじ、と読みます。
本堂(三仏堂)を拝観する前に、宝物殿と庭園へ。
※拝観料:1.000円(三仏堂・大猷院・宝物館とのセット料金)
宝物殿の展示を見た後に庭園へ。
池の周囲をぐるっと回る「回遊式庭園」の構造。
庭園の名前は「逍遙園(しょうようえん)」といい、江戸時代の作庭家である小堀遠州の作と伝わっています。
池に沿って進みますが、周囲の木々の緑が美しいです。
庭園の奥側から入口の宝物殿方面を見たところ。
足元には「なまず石」なるものが。
案内板の説明によると、庭園の池は琵琶湖を模しており、琵琶湖ではなまずが有名であるものの生きたなまずを琵琶湖から運ぶのは困難なことから石として作られたと伝えられてきたとのことです。
尚なまずは地震を予知すると言われることから災難除のご利益もあるとのこと。
更に池の周囲を歩いて入口方面に戻る方向へ。
池の横には石塔も。
庭園を一通り周った後は本堂となる三仏堂へ。
三仏堂は日光山の総本堂で、堂の大きさは幅33m・奥行25m・高さ26mと東日本で最大の木造建築とのこと。
堂の内部には千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音の三仏がご本尊として祀られています。
三仏堂の裏手にある護摩堂と相輪橖。
相輪橖(そうりんとう)は高さ16mの仏塔で、元々は東照宮内にあったものが後に二荒山神社へ、更に明治時代に神仏分離によって現在の輪王寺境内に移されたとのこと。
独特な形状をしており、自分が小学生の時に修学旅行で日光に来た際もこの塔のことは記憶に残っていました。
相輪橖を別の角度から撮影(奥は三仏堂)。
塔の手前にある灯篭も豪華な装飾です。
輪王寺境内を一通り周った後は東照宮方面へ。
東照宮へ続く表参道に出ました。
東照宮の入口に到着しましたが、ここから左に曲がり二荒山神社方面に向かいます。
二荒山神社への参道も真っすぐな道。
高くそびえる杉並木もさることながら、その下の苔に覆われている石垣も味わい深いです。
二荒山神社の入口に到着。
「下野國一之宮」の記載もあるので、一宮巡りも兼ねることに。
(ちなみに前回は上総一ノ宮の玉前神社)
ただここでも二荒山神社は後程拝観することにして、更に奥の大猷院に向かいます。
神社入口の横にあった自販機ですが、黒地に徳川家の家紋もあり、「徳川仕様」になっていました(!?)
※コカコーラの自販機の模様
神社入口の少し奥が大猷院(たいゆういん)の入口。
右側の石柱には「日光廟大猷院」とありますが、ここは三代将軍徳川家光公の廟所(墓所)になります。
※輪王寺の共通券で拝観可能(単独の拝観券:550円)
大猷院入口の仁王門。
名前の通り門の左右に仁王像が安置されています。
仁王門を抜けた先にある、樹齢約400年と言われる高野槙(こうやまき)の大木。
こちらも何とも、木に苔が垂れ下がっているのが面白いです。
この先は立ち入り禁止のエリア。
本殿への階段の途中にある二天門。
二天門の案内板。
名前の由来は門の左右に(四天王のうちの)持国天・増長天を安置している事から。
裏側の左右には雷神・風神が安置されています。
二天門から本殿への階段の途中には展望所があり、そこから石灯籠が並んでいるのが見られます。
これらの石灯籠は当時の大名からの献上品とのことです。
本殿の入口にある夜叉門。
名前の由来は四体の夜叉像が安置されていることから。
夜叉門の手前左右にある鐘楼(上)と鼓楼(下)。
それぞれ釣鐘の太鼓が保管されています。
夜叉門を抜けると大猷院の拝殿と本殿が。
建物の内部は拝観可能(拝殿の途中まで)
拝殿・本殿を別の角度から。
ちょうどこの頃から雨が少し強く降ってきました。
奥の院(家光公のお墓所)に続く皇嘉門(こうかもん)。
門の形から別名【竜宮門】と呼ばれています。
※ここから先は拝観不可
一番奥まで来たので、来た道を引き返します。
そして改めて二荒山神社へ。
二荒山神社の拝殿でお参り。
拝殿の横に霊泉などがある「神苑」の入口がありますが、神苑内は別途拝観料がかかります。
※拝観料:300円
神苑内から見た二荒山神社の本殿。
神苑内にもいくつかの建造物があり、写真の右側が朋友神社、左側にちらっと見えるのが大黒殿。
鳥居の奥が神秘の湧水がある「二荒霊泉」。
隣にある茶屋(東屋)では霊泉を使用した抹茶などがいただけます。
霊泉の奥にある日光連山遙拝所。
霊泉や日光連山遙拝所の上を通れる歩道があり、各所に七福神の像が設けられています。
上の写真は弁財天。
歩道側から見た本殿と拝殿。
神苑の入口(出口)の裏手にはひっそりと巫女風のキャラクターが。
名前は「八乙女さん」とのことですが、萌えキャラとしてはちょっとインパクトが薄いか?
一通り周ったところで"二荒山神社を後にして…。
いよいよメインの東照宮へ。
入口に着いたものの、券売機前に行列ができていました…。
拝観券を購入するのに20分位かかりましたが、購入後は行列が更に長くなっていました。
※拝観料:1.300円(東照宮単独)・2.100円(東照宮+宝物館のセット)
東照宮入口の表門。
(裏からの撮影のため、写真の奥が入口側)
表門を抜けてすぐに見えるのが上神庫・中神庫・下神庫の「三神庫」。
上(1枚目)の写真が三神庫のうちの上神庫と中神庫。
上神庫の屋根下には2頭の象の彫刻が。
狩野探幽の下絵を元に造られたものですが、実際の象と姿が異なることから「想像の象」と呼ばれています。
三神庫を別の角度から撮影。
(一番手前が想像の象がある上神庫)
下神庫は修理工事中のため、建物全体が仮囲いで覆われていました。
三神庫の反対側にある神厩(しんきゅう)舎。
ご神馬をつなぐ厩(うまや)にあたる建物。
神厩舎の屋根下には猿の彫刻がありますが、中でも有名なのが真ん中にある「見ざる聞かざる言わざる」の三猿。
それぞれが目・耳・口を押えていて、子供を悪事から遠ざけることを教えることを表現しています。
三猿以外にも猿の彫刻があり、全体で猿の一生を通じて人間の生涯を風刺したものと言われています。
三神庫・神厩舎の後は陽明門方面へ。
陽明門の手前には水屋もありますが、さすが東照宮だけあって水屋も豪華仕様です。
陽明門の前に到着。
前の神厩舎もそうでしたが、さすがに有名どころということもあって観光客が多いです。
陽明門の案内板(もちろん国宝)。
いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」の別名もあります。
屋根下の彫刻も豪華。
中央の額には「東照大権現」の文字が。
門の横には巨大な燈篭も…。
陽明門の手前左右にある鐘楼(1枚目)と鼓楼(2枚目)。
先に拝観した大猷院にもメインの門(夜叉門)の下に鐘楼と鼓楼がありましたが、大猷院が東照宮を模した構造としたと言えるのかも。
陽明門に戻りますが、門の中にもいくつかの彫像があります。
実はこちらの柱だけは…。
柱に装飾されている渦巻文様が下向きになっていることから「逆柱」と呼ばれています。
完璧な状態ではすぐに魔が差すことから意図的に向きを逆にして未完の状態を示し、崩壊を防ぐために施されたとのことです。
陽明門の奥にある唐門。
その奥には東照宮の御本社(本殿・石の間・拝殿)があります。
(唐門・御本社共に国宝)
唐門の装飾も豪華です。
唐門の手前にある神楽殿。
御本社(拝殿)でお参りした後は家康公の御墓所がある奥社へ。
奥社へ続く参道の入口にある坂下門の屋根下には、先程の三猿と同様に有名な「眠猫」の彫刻が。
眠猫をアップで撮影。
そういえば三猿と眠猫の置物(貯金箱を兼ねていた)は子供の頃の日光みやげの定番だったような…。
奥社へ続く参道。
この先は長い階段になります。
奥社参道の案内板によると、回廊(坂下門)から奥社に至るまでの階段は207段あるとのこと。
奥社までの長い階段。
さすがに計207段はきつい…。
階段の途中には東照公(家康公)の御遺訓が。
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」とあります。
長い階段を登った末に奥社に到着。
家康公の御墓所は奥社のすぐ先に。
御墓所と奥社を周回する形で順路が続きます。
御墓所の門(唐門-1枚目)と裏から見た奥社(2枚目)。
家康公の御墓所となる奥社宝塔。
奥社宝塔の案内板。
御墓所は昭和40年の東照宮350年祭を機に公開されたと説明があります。
小学生の修学旅行でもここに来た記憶があります(その時は昭和50年代だった)。
奥社の御神木である「叶杉」。
階段を下る途中で見た御本社方面。
木で隠れていますがちょうど写真中央が陽明門かと。
眠猫を再度撮影。
正確には坂下門の屋根下ではなく、その手前の回廊の屋根下にあるということか…。
御本社・陽明門前に戻ってきました。
陽明門の裏側を撮影。
門の表側も再度撮影。
ちょうど雨も止んでいたので先程よりは上手く撮れた感じ。
陽明門を降りた後は鳴龍のある本地堂へ。
「鳴龍 薬師堂」とありますが、薬師堂は本地堂の別名。
東照宮内にあってこの本地堂のみ輪王寺に所属する建物であるためか、参拝は神社形式の二礼二拍一礼ではなく合掌でお願いしますとのこと。
ちなみに鳴龍ですが、道内の全体で反響音がする訳ではなく、特定の位置(ちょうど天井にある龍の目の辺り)でしか反響しませんでした。
※実際に手を叩くことはできず、ガイドさんによる拍子木による実演のみ
陽明門付近から神厩舎方面を撮影。
相変わらず神厩舎(三猿)周辺は賑わっていました。
水屋の隣にある輪蔵(紹介が漏れていたので掲載)。
神厩舎も再度撮影。
入口側から撮影した表門。
表門の外側にある五重塔。
神社に五重塔があるのか?と思ったりもしましたが、恐らくこれも輪王寺に所属する建造物ではないかと。
(少なくとも小学校の修学旅行時に来た時にはそう記憶している)
五重塔の東側、東照宮宝物館近くにある御仮殿。
(東照宮の)御本社を修理する際に祭神を一時的に移すための御殿。
東照宮での混雑ぶりからうって変わって静けさが漂う雰囲気です。
ラストは東照宮宝物館へ。
主に徳川家康公の遺愛品(刀剣・鎧等)や将軍家・大名家からの奉納品・祭器具などが展示されています。
※入館料:1.000円(単独)
東照宮とのセット券だと計2.100円なので、それぞれ単独より200円割引になります。
(東照宮単独が1.300円なので)
一通り周った後は日光駅方面に戻るのですが、まずは広々とした表参道を下ります。
この辺りの標高は634mということで、ちょうど東京スカイツリーと同じ高さの位置らしいです。
輪王寺の外側を歩いて…。
輪王寺入口にある勝道上人銅像の前に再び来ました。
勝道上人銅像の説明。
勝道上人は奈良時代の天平神護2年(766年)に日光山を開かれた修行僧。
この銅像は昭和30年(1955年)に日光市政施行を記念して建立されました。
坂を下って神橋前に戻ってきました。
神橋隣の道路橋から見た大谷川の下流側。
霧は無くなりましたが雨が降ったためか水量はやや多めな感じ。
駅に向かう前に神橋近くのレストランで遅めの昼食、ゆばラーメンを食べました。
昼食後バスに乗り、JR日光駅に到着。
駅舎は明治時代の洋風な感じです。
駅の改札前にある駅名の看板や"駅名標も古風(レトロ)なデザイン。
次の電車の発車時刻が約8分後なので、駅に着いたのがちょうど良いタイミングでした。
(16:19発で現在時刻が16:11)
日光線も新型車両が導入されました。
前回相模線でも乗車したE131系。
日光線の普通列車用車両は国鉄時代の115系から107系・205系600番台を経て今回のE131系が導入されたのですが、先代・先々代が他線からの移籍(もしくは廃車車両の部品流用)だったのに対して今回は新車でのデビューとなりました。
こちらは先代の205系600番台。
※2015年1月 宇都宮駅にて撮影
E131系の日光線仕様は600番台で、制御電動車クモハE131を含む3両編成。
区分番台が600となったのは先代の205系を引き継いだ形か。
日光駅のホームは3番線まであるように見受けられますが、実質1番線しか使われていない感じ?
駅構内にある留置線も1本の線路しかなく、残りの線路は取り外された状態。
国鉄時代には隣の東武線と競い合って優等列車が行き交っていましたが、現在では普通列車のみの運行となってしまったのでこの辺はやむを得ないのか…。
※ちなみに既に駅を出発しています。
日光駅出発後、まずは坂を下る感じ。
少し平地になりました。
それにしてもこの車両、かぶりつき(の撮影)がしにくいです。
(前回相模線のときもそうでしたが…)
日光の次の停車駅となる今市駅に到着。
平仮名で「いまいち」と書かれると…うーん。
少しの間杉並木の横を並走します。
下野大沢(しもつけおおさわ)駅に到着。
私鉄線も含めて栃木県内で旧国名の「下野」がつく駅名はここだけです。
(後述しますが東武線の場合は「野州」)
ようやく晴れ間が見えてきた感じ。
日光線で途中の主要駅とる鹿沼駅に到着。
日光線は単線ながらも比較的線形が良く、この辺りは直線が続く区間。
遠くに東北自動車道の高架橋が見えます。
宇都宮の1つ手前の鶴田駅で対向列車と行き違い。
終点の手前で宇都宮線(東北本線)と合流。
更に東北新幹線と合流して…。
終点の宇都宮駅に到着。
日光線のホームなので駅名標もレトロデザイン。
改札を出て宇都宮駅の西口に出たところ。
上層が新幹線のホームとなっているので、いかにも基幹駅という感じです。
ちなみに最近開通した宇都宮LRTは反対の東口側なので今回は様子は見られませんでした。
何故西口に降りたのかというと、ここから東武宇都宮駅を目指すため。
バスもあったかもしれませんが、やはりというか徒歩で。
(体力は使うがこの方が確実かと…)
途中宇都宮二荒山神社の前を通りましたが、さすがに立ち寄る時間は無かったです…。
東武宇都宮駅まであと340mの表示。
反対のJR宇都宮駅が1.4kmなので、移動距離は延べ1.7km強ということか。
アーケード街を抜けて…。
東武宇都宮駅に到着したものの、次の電車の発車1分前!
(次の発車が17:26で現在時刻が17:25)
よって駅舎の撮影はできずに…(といっても東武デパートの建物内に駅があるのですが)。
駅名標を撮るのが精いっぱいでした。
乗車中の東武宇都宮線ですが、今年が栃木県が誕生して150年にあたることと栃木県がいちごの生産量が日本一であることを記念して「いちご王国ライン」という愛称が付けられました。
ちなみにこの愛称は1年間限定とのこと(2023年6月10日から2024年5月末まで)。
東武宇都宮線(及び日光線の南栗橋以北)の普通列車用車両ですが、元日比谷線直通用の車両(20000系)を転用・リニューアルして運用されています。
真夏とはいえさすがに日没が近くなってきました。
「おもちゃのまち」駅に到着。
平仮名そのままの駅名ですが、名前の由来は周辺に玩具メーカーの工場(もしくは会社ビル)が集積していることから。
当初は当駅で下車して駅の近くにある「おもちゃのまちバンダイミュージアム」に行く予定でしたが、当日が休館日に当たることから予定は取りやめたものの、どのみちこの時間では行けなかったですね…。
まあこれはまた後日ということで。
先頭車のポジションが空いたので途中からかぶりつきを開始。
対向列車と行き違い(この駅はホームが千鳥状になっているのか…?)。
途中川を渡り…
みぶ(壬生)駅に到着。
東武宇都宮線も比較的線形が良く、この辺りは直線が続きます。
利根川・渡良瀬川の支流である思川を渡るところ。
やしゅうおおつか=野州大塚駅に到着。
日光線の際に触れましたが東武線の場合「下野」ではなく「野州」となります。
次駅の「野州平川」も含め、東武線内では他にも野州の付く駅名はいくつかあり。
(東武)日光線と合流して新栃木駅に到着するところ。
日光線の普通列車に加えて特急スペーシアの回送車両も見受けられます。
新栃木駅に到着。
乗車中の電車は日光線直通の南栗橋行きなので、このまま乗車を続けます。
栃木駅に到着(というか戻ってきた)。
駅名標の奥はJR両毛線のホーム。
東武宇都宮から乗車した電車は同駅で下車して、今度は隣ホームのJR両毛線に乗り換えます。
私鉄→JR乗り換えなので一旦改札を出ます。
上の写真は栃木駅の南口。
JR両毛線の改札の上の案内を見ると、これまたジャストなタイミング。
(次の高崎行きの電車が18:12発で現在時刻が18:08)
JR線の駅名標も一応撮影。
JR線・東武線共に基幹駅ということもあって、比較的広い駅構内。
ホームに着いた時にちょうど特急スペーシアの上り列車が発車するとこころでした。
(朝に乗車した時と同じ車両かもしれない…)
と思ったら今度は下りの特急スペーシアが到着。
こちらは豪華な色合い。
そして高崎行きの電車が到着。
途中の足利まで乗車します。
日没が更に近くなってきました。
東武佐野線との乗換駅となる佐野駅。
近年開業したあしかがフラワーパーク駅。
隣の富田駅とはかなり駅間が短いです。
乗車中の車両の型番は「モハ210-3004」でした。
なお両毛線を含む高崎地区の211系は全て3000番台(寒冷地区向けのロングシート車)です。
足利駅に到着。
駅名標がおしゃれな感じ。
栃木から乗車した車両を後にして…
駅の南口から出て渡良瀬川方面へ。
程なくして渡良瀬川川沿いに到着。
イルミネーションが付けられた橋が見えますがこれはかの渡良瀬橋ではなく…
1つ上流側の橋が渡良瀬橋でした。
反対側から撮影した渡良瀬橋。
橋を実際に渡ってみました。
(脇の歩道橋なので厳密には渡良瀬橋ではないのかもしれませんが…)
橋の上から渡良瀬川の上流側を撮影。
ほぼ日没寸前ですが、雲が無ければ「渡良瀬橋で観る夕陽」が見れたかもしれません。
橋のトラス越しに下流側を撮影。
この後そのまま橋を渡り切ってしまいましたが肝心の「渡良瀬橋の歌碑」が見当たらず、果たしてどこにあるのか探しましたが…。
川の北側(JR足利駅側)の川沿いの車道を挟んで反対側、ちょうど橋の全体が見える位置に歌碑がありました。
こちらが森高千里さんの渡良瀬橋の歌碑。
今まで何度か歌碑を目にしたことはありますが、大体が演歌の歌碑(前回は「矢切の渡し」だった)でいわゆるJ-POPに属する楽曲の歌碑というのは珍しいかと思います。
ちなみに左にちらっと見えるボタンを押すと実際に「渡良瀬橋」の曲が流れるそうな。
(今回は押しませんでしたが…)
そういうことで(一旦戻ったので)再度橋を渡ることに。
すっかり陽も暮れてしまいました。
そして東武伊勢崎線の足利市駅に到着。
駅到着後すぐに電車が来たので、ここでもジャストタイミング。
(例の「渡良瀬橋」の駅メロが聞こえたので間に合わないかと思いましたが…)
ちなみに先程下車したJR足利駅の駅メロも「渡良瀬橋」でした。
足利市駅からの電車は館林止まりなので、同駅で乗り換え。
今度は久喜行きの電車に乗車。
久喜行きの電車が発車するまでの合間に、特急リバティが到着。
すぐさま反対側からりょうもう号が。
(色も昔のりょうもう号の復活カラーでした)
久喜からはJR線で都心まで。
(この間、駅前で夕食を取りました)
東京駅で少々停車中に…。
ホームの反対側には寝台特急「サンライズ」が停車していました。
以前出雲市駅で見たのと田町(現在は高輪ゲートウェイ)の車庫で姿を見かけたことはありますが、東京側で営業運転中の車両を見かけたのは初めてかも…。
他の方も写真を撮られていました。
「クハネ」という形式も現役車両ではこの車両(285系)が唯一になりました。
※末尾の「ネ」が寝台車を意味する
かつては東京駅からも数多の寝台特急が行き交っていましたが、現在ではこの「サンライズ瀬戸・出雲」が唯一。
写真では「サンライズ瀬戸 高松行き」になっていますが、前7両がサンライズ瀬戸で後ろ7両がサンライズ出雲(出雲市行き)のはず。
この高松行きというのも今となっては貴重な存在ですね。
そして最後に品川駅で検測車の「East-i」を見かけました!
これにて本日の行程終了ですが、天候には恵まれなかったものの帰路の電車の乗り継ぎタイミングとレア車両の遭遇には(奇跡的といっていいほど)恵まれた1日でした。
この時点で22時少し前。
日光へ日帰りだとやはり目いっぱいの行程になりますね…。
2023-08-19 09:12