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SWのお出かけ~皇居周辺巡り(後編) [お出かけ・小旅行]

皇居周辺巡りの後編(9/25 2日目)は北の丸公園方面から入り日本武道館・千鳥ヶ淵戦没者墓苑を経て皇居周辺の西側(半蔵門・桜田門)経由で皇居外苑~大手門へと至る行程です。

北の丸公園からスタート

2日前と違い当日は終始晴天に恵まれました。
(逆に少々暑かったですが…)

九段下駅から出たところ

スタート地点の下車駅は地下鉄の九段下駅。
上の写真はちょうど九段下駅の階段から地上にから出たところで、手前のお堀は牛ヶ淵。
水面というよりは全面蓮の葉で覆われています。

靖国神社の高燈籠

高燈籠の説明

北の丸公園の入口付近(九段坂公園)には灯台のような建造物と銅像が並んでいます。
手前にある解説によると灯台のような建造物は靖国神社の燈籠で高燈籠(常燈明台)という名称。
靖国神社の燈籠としてではなく、かつては東京湾からも望むことができたので実際に灯台としての役目も果たしていました。
(前回の記事でも触れましたが、昔はここからでも海岸線が近かった)

ちなみに靖国神社は目の前の通り(靖国通り)を挟んで向かい側です。
(1枚目の写真の右側)

品川弥二郎像

品川弥二郎像の説明

高燈籠の奥にあるのが品川弥二郎像。
高杉晋作らと尊王攘夷運動・戊辰戦争で活躍し、その後の明治時代には政治家として内務大臣などの要職を歴任しました。
剣術を学んだ練兵館に近いことからここ九段坂公園に像が設置されました。

大山巌像

大山巌像の説明

さらに奥にあるのが大山巌像。
日清戦争・日露戦争で活躍した陸軍の大将で、海軍の東郷平八郎と対をなして「陸の大山・海の東郷」と称されました。
銅像は軍服を着た乗馬姿で、近代の軍人像の中では数少ない乗馬像の一つです。
江戸時代以前の武士では乗馬像は割と見かけますが、確かに近代の軍人だと少ないかも。

九段坂公園から見た千鳥ヶ淵

九段坂公園から見た千鳥ヶ淵。
(奥が皇居方面)
ちなみに当日(9/25)の2日後に安倍元総理の国葬が執り行われましたが、ここ九段坂公園に一般参列者用の献花台が設けられました。

田安門(高麗門)

ようやく北の丸公園に入るのですが、公園の北口となる田安門から入城。
こちらは手前の高麗門。
皇居東御苑のように手荷物検査は無かったものの、門の前には警察員が駐在していました。

田安門(櫓門)

高麗門をくぐった先にある田安門の櫓門。

田安門の解説

案内板の解説によると田安門は江戸城の総構完成当時から現存する唯一の建造物とのこと。
(重要文化財に指定)

言わずと知れた日本武道館

田安門を抜けると目の前に言わずと知れた日本武道館が。

別の角度から撮影

別の角度から撮影。
翌々日にはここで安倍元総理の国葬が執り行われる予定ですが…。

当日は空手道の全国大会が開催されていた

当日は空手道の全国大会が開催されていました。
本来ならば国葬の準備のため早くから武道館周辺(北の丸公園)が封鎖されてもおかしくなかったのですが、この大会が行われる関係で当日まで公園内に入ることは可能でした。

武道館設立の碑

建物の手前にある武道館設立の碑。

北の丸公園の案内図

北の丸公園の案内図。
これだとちょっと分かりにくいので…

案内図を少し拡大

案内図を少し拡大
右(北)側に武道館と田安門、中央やや下(東)側に科学時術館と清水門、その左(南)側に近代美術館、そして案内図の上(西)側には旧近衛師団司令部庁舎(元近代美術館工芸館)があります。

ということでこの後は北の丸公園を周回してみることに。

武道館の南側にある吉田茂像

武道館から南側に歩くとある吉田茂(元総理)の銅像。

吉田茂銅像の説明

吉田茂銅像の説明。
昭和42(1967年)に没して日本武道館にて戦後唯一の国葬が行われた旨の記載があります。
(奇しくも翌々日に戦後2例目の国葬が行われる予定ではありますが…)
ちなみにこの銅像は吉田茂元総理の生誕百年を記念して建立されたもの。

あと元総理の銅像と言えば…

JR浦佐駅にある田中角栄像

JR浦佐駅にある田中角栄像。
雪国(新潟県)なので銅像の上に屋根が付いています。

この流れで安倍元総理の銅像が建てられるかは現時点では不明ですが、郷里の山口県であれば銅像が建てられるのかもしれません。
元総理の銅像絡みでついでに言うと森元総理の銅像を建てる資金が集まったという話もありましたね。
それはさておき…

清水門(櫓門)

清水門(高麗門)

北の丸公園の東口に当たる清水門に到着。
田安門と同様に高麗門と櫓門の2つの門で構成されています。
当日は人の出入りは殆ど無かったのですが、ガードマンの警官は駐在していました。

清水門の案内板

清水門の案内板。
万治元年(1658年)に建てられたものであると考えられ、門から北の丸に至る石段とともに江戸時代の状況を色濃く残しているとの解説があります。
(重要文化財に指定)

清水門の手前から見た武道館方面

清水門の手前から見た武道館方面。
ちょうど中央に武道館の屋根が見えます。
手前のお堀は牛ヶ淵。
ちょうど九段下駅付近からの反対側の端になります。
牛ヶ淵はほぼ全面が蓮の葉で覆われている模様。

清水門の手前から見た竹橋駅方面

清水門の手前から見た竹橋駅方面。
手前のお堀は清水濠。
清水濠はこの先近代美術館の横を通って地下鉄竹橋駅付近まで続いています。

公園内に戻る

再び清水門をくぐり、再び公園内に。
遠方にビルが見えますが、公園内は都会のオアシスといった感じで木々に覆われています。

近衛歩兵第一連隊跡の碑

近衛歩兵第一連隊跡の案内板

北の丸公園は明治時代より近衛師団の兵営地等として利用されていたことから、公園内各所の跡地に記念碑が設けられています。
こちらは近衛歩兵第一連隊跡の碑。
武道館近くのレストハウスの裏手にあります。

近衛歩兵第二連隊跡の碑

近衛歩兵第二連隊跡の案内板

こちらは近衛歩兵第二連隊跡の碑。
ちょうど武道館と吉田茂像のある場所との中間地点にあります。

怡和園の碑

怡和園の案内板

こちらは公園の西側、千鳥ヶ淵に面した場所にある怡和園(いわえん)の碑。
近衛師団関連の施設(第一連隊の地域)で、将兵の散策や憩いの場として利用された小庭園が設けられていたそうです。
戦後はこの地域全体が公園として整備されたため庭園は残っておらず、庭園設立時に設けた石碑だけがが残されています。
(この石碑自体も戦後に一旦地中に埋められて、その後発掘して再び設置されたそうです)

ちなみに「怡和」とは「喜び和らぐ」の意。

公園の高台から見た千鳥ヶ淵方面

公園の高台から見た千鳥ヶ淵方面。
先の怡和園を含めたこの辺りはやや高台になっています。
奥の森になっている所が国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑の方面。

園内には滝もあり

園内には滝もあり、一時の涼しみを味わえました。
(当日は晴天ということもあって割と暑かったので…)

公園の南部にある池

別の角度から撮影

公園の南部には池があり、手前の芝生と相まって美しい風景です。

アメリカザリガニを駆除中

この池では外来種であるアメリカザリガニを駆除中である旨の案内が…。

アメザリがいかに悪者であるかを詳しく解説

その横にはアメリカザリガニ(アメザリ)がいかに悪者であるかを詳しく解説している図もありました。
まあ身勝手に池に放流した人間がそもそもの元凶であって、「恨むなら人間を恨みなー、俺たちはただ暮らしているだけだー!」というセリフの通りアメザリ自体に罪はないんですけどね…。
ちなみに後のコマでは「ヒャッハー、新天地だー!」とか、ちょっと北斗の拳に出てくる悪党っぽいセリフも見受けられ、アメザリの悪党っぽさを増長しています(笑)。

裏手にももう一つ池がある

裏手にももう一つ池があり、こちらは水も濁っていていかにもアメザリがいそうな感じでした。

池の手前にはススキが生えていた

最初の池に戻りますが、池の手前にはススキが生えていて秋の気配を感じさせます。

北の丸公園の南側にある乾門

北の丸公園の散策はこれまでにして、公園の南口を出ると目の前にあるのが乾門。
乾門の奥は皇居の敷地で門の手前にバリケードが設置されているので中には入れず、離れた場所からしか見ることはできませんでした。

首都高の代官町入口

北の丸公園南口と乾門との間は公道(代官通り)が走っていますが、ちょうど横断歩道の横には首都高の代官町入口が。
入口の建物は最近リニューアルされたようで、屋根や壁の造りが武家屋敷風のデザインになっていました。
あと「ETC ONLY」の記載通りETC専用の入口に変わった模様。
近年になってここ以外でも首都高の入口がETC専用に変わっているのを多く見かけます。

一旦竹橋方面に戻る

この後は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に向かう予定ですが、その前に一旦竹橋方面に戻ることに。
手前に見えるお堀は乾濠。

奥に見えるのは北桔橋門

奥に見えるのは皇居東御苑の北側入口である北桔橋門。

門の手前では手荷物検査が行われる

北桔橋門の手前では手荷物検査が行われていました。
(自分は一昨日入場する際にチェックを受けましたが…)

一昨日行った国立近代美術館

こちらも一昨日行った国立近代美術館。
(右奥が竹橋駅方面)

旧近衛師団司令部庁舎

北桔橋門から引き返して乾門を過ぎた少し先には立派なレンガ造りの建物が。

建物手前にある司令部庁舎の碑

この建物は「旧近衛師団司令部庁舎」。

近年まで近代美術館の工芸館として利用されていた

この建物ですが近年まで近代美術館の工芸館として利用されていたので近代美術館の常設展チケットがあれば中に入ることができましたが、2020年2月28日をもって閉館(石川県金沢市に移転)したため通常は中に入ることはできなくなりました。
(付近の案内板では近代美術館工芸館の表示のままとなっている場合もある)

橋の下を首都高が通る

近衛師団司令部庁舎と代官通りを結ぶ橋の下を首都高が通るという光景。
下の首都高は車で時々通ることがありますが、歩道越しに高速道路を見るという機会はなかなかないですね…。

皇居ランナーも多く見かける

皇居周辺のランニングも人気があるようで、歩道を移動中に皇居ランナーも多く見かけました。

首都高をお堀越しに見る

今度は首都高をお堀越しに見るの図。
ちょうど右手から左手の千代田トンネルに入るところ。

国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑の案内

千鳥ヶ淵沿いに歩いて到着したのが"国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑。
先の大戦で海外で亡くなられた邦人のご遺骨を納めるため昭和34年に国によって建設された「無名戦没者の墓」で、軍人・軍属のみならず海外で亡くなられた一般邦人を含み、氏名が特定できないなどの理由で遺族に引き渡すことができないご遺骨が納められています。
(現在約37万柱が奉安されています)
先の大戦も含めて国難に殉じられた方々の慰霊する場所としては靖国神社が挙げられますが、こちらは国立・無宗教の戦没者の墓という位置づけになります。

墓苑の前には君が代の歌詞にもある「さざれ石」が

墓苑の前には君が代の歌詞にもある「さざれ石」もありました。
(蓮の葉の右側)

墓苑横の緑道から見た千鳥ヶ淵

墓苑の横は千鳥ヶ淵に沿う形で緑道になっていて、靖国神社方面(九段坂公園)まで続いています。
ふと思ったのですが、この流れだと安倍元総理の国葬が武道館で行われることは(国難に殉じた方ということで)理にかなっていると言えなくもないです。

首都高千代田トンネルの入口

墓苑付近から首都高千代田トンネルの入口を撮影。
皇居周辺のお堀の間からトンネルに入るという、今更ながらダイナミックな光景です。

半蔵門に向かう途中にある英国大使館

墓苑を訪れた後は皇居西側の外周に沿って半蔵門方面に向かいますが、途中にあったのが英国大使館。
こちらも先日エリザベス女王の国葬が執り行われたことから、門の前には多くの花束が捧げられていました。

遠くに半蔵門が見える

更に歩くと、ようやく遠くに半蔵門が見えてきました。
(手前のお堀は半蔵濠)

半蔵門に到着

半蔵門の案内板

半蔵門に到着。
名前の由来は伊賀者の服部半蔵がこのあたりに配下とともに屋敷を拝領していたという説があります。
(その他にも諸説あり)
現在では手前の高麗門のみが残り、皇居への通用門として使用されています。
そのため門の手前に柵が設けられて奥に入ることはできませんでした。

門手前の草地にはアオアゲハの姿も

門手前の草地にはアオアゲハの姿も見られました。

半蔵門前から見た都心方面

半蔵門前から見た都心方面。
方向的に正面は霞が関あたりか。
手前のお堀は桜田濠。

三宅坂交差点から見た最高裁判所

三宅坂交差点に到着。
(国道20号と246号との交差地点)
道路の奥に見える建物は最高裁判所。

日本政治の中枢である国会議事堂

そして脇道に入ると日本政治の中枢である国会議事堂に辿り着きました。
さすがに何というか、偉容のある建物です。
(ちなみに国会議事堂を間近に見るのは初めてかもしれない…)

国会議事堂の手前にある国会庭園

国会議事堂の手前にある、その名も国会庭園。
議事堂正門につながる道路の両脇が国会庭園となります。
木々の向こうに議事堂の建物が見えます。

国会前交差点付近から見た桜田濠(半蔵門方面)

国会前交差点付近から見た桜田濠。
奥が半蔵門方面。

国会前交差点付近から見た桜田濠(桜田門方面)

同じく国会前交差点付近から見た桜田濠。
奥に桜田門が見えます。

桜田門に到着

お堀沿いに進んで桜田門に到着。

桜田門の案内板

桜田門の案内板。
正しくは「外桜田門」で、名前の由来はこの地が古代に桜田郷と呼ばれていたことから。
大老井伊直弼が水戸藩士によって暗殺された「桜田門外の変」が起こった場所でもあります。

桜田門自体は1923年(大正12年)の関東大震災で門が壊れましたが、再建され現在に至っています。

桜田門の向かい側にある警視庁

そして桜田門の向かい側にあるのが警視庁。
警視庁の別名も「桜田門」。

警視庁の奥に国会議事堂が見える構図

警視庁の奥に国会議事堂が見える構図。
上の写真で左手前が警視庁で、ちょうどビルに隠れていますが中央やや右側に国会議事堂が見えます。

桜田門の渡櫓門をくぐると…

桜田門の渡櫓門をくぐると…。

皇居外苑の広場へ

皇居外苑の広場へ。
こう見るとかなり広い敷地であることが分かります。

皇居周回コースの案内

皇居周回コースの案内。
ここから大手門・平川門・北桔橋門・半蔵門などを経由して1周約5kmのコースとなっています。
歩行者を優先、狭いところは一列に、周回は反時計回りに走行するといった利用マナーが掲げられています。

皇居の象徴と言える光景

そして桜田門から北寄りに進むと見えたのが二重橋。
まさに皇居の象徴と言える光景です。
橋の奥に見えるのが伏見櫓。

二重橋の案内板

手前にある案内板によると、正しくは手前に見える(上の写真の)橋が「正門石橋」で、その奥にある「正門鉄橋」の別名が「二重橋」とのこと。
しかし正門石橋と正門鉄橋の2つの橋を総称して「二重橋」と呼ぶ人も少なくありませんという解説もあり、つまるところ半分は当たっているということでしょうか?

正門石橋の先にある皇居正門

正門石橋の先にある皇居正門。
普段はご覧の通り閉まっていますが、新年や天皇誕生日の一般参賀では一般の方々も通る通ることができるという説明もありました。

正門石橋の奥にある正門鉄橋

正門石橋の奥にある正門鉄橋。
この橋が元は木製で、その下に橋桁を支えるもう一つの橋が架けられていたのが「二重橋」の名前の由来だそうです。

皇居外苑の案内図

皇居外苑の案内図。
中央の灰色の部分が皇居で、その左側(現在地の印がある部分)が皇居外苑、皇居に沿う形でその右下が皇居東御苑・北の丸公園と続きます。
あと皇居外苑・皇居東御苑・北の丸公園がそれぞれ面積が大体同じであることも確認できます。

やはり2つの橋で二重橋ということか?

上の案内図を部分拡大。
ちょうど2つの橋の真ん中に二重橋の表記があるので、やはり2つの橋で二重橋ということでしょうか?

はとバスも多く見かけた

内堀通りを渡り、皇居外苑の端方向へ。
途中はとバスを含む観光バスも多く見かけました。

皇居外苑の南東端にある楠木正成像

皇居外苑の南東端(日比谷公園寄り)にある楠木正成像。
鎧を身にまとい騎乗する実に凛々しいお姿。

楠木正成像の案内板

像の下にある案内板によると、「この銅像は隠岐(おき)から還幸した後醍醐天皇を兵庫で迎えた楠木正成の雄姿を象ったものです」との解説がありました。

内堀通りを渡って皇居前広場へ戻る

像を見た後は再び内堀通りを渡って皇居前広場へ戻ります。

皇居前広場から桜田門方面を見る

皇居前広場から桜田門方面を見た写真。
ちょうど正面に警視庁の建物が見えます。

皇居前広場から大手門方面を見る

皇居前広場から大手門方面を見た写真。
広場がひたすら広いスペースであることが分かります。

坂下門

皇居前広場から大手門方面へ歩いた先にある坂下門。
手前の芝生の色がやたら鮮やかですが…。
(新しいiPhoneで撮影したので、鮮やかな色合いになることが多い)

坂下門の案内板

坂下門の案内板。
名前の由来は西の丸(現在の宮内庁や新宮殿がある敷地)から低地に降りる坂の下にあることから。
坂下門もかつては他の門と同様に渡櫓門と高麗門を備えた桝形の構造でしたが、明治20年に高麗門が撤去されて渡櫓門を現在の位置に設置したと説明があります。

坂下門を別の角度から撮影

坂下門を別の角度から撮影。
手前のお堀は蛤濠。

桔梗門

桔梗門の案内板

坂下門から更に大手門方面に進んだ先にある桔梗門。
こちらは渡櫓門と高麗門の両方が残っています。

桔梗門の別名は内桜田門。

巽櫓

桔梗門の先の角地にある巽櫓。
ちょうど敷地の南東(巽の方角)にあることが名前の由来。
奥には桔梗門が見え、写真には写っていませんが櫓の右側に大手門があります。
(手前のお堀は桔梗濠)

大手門前に到着

一昨日の(一旦の)ゴール地点となる大手門前に到着。
ここからもう少し続きますが、この先はボーナスということで…。

内堀通りの外側にある和田倉濠

大手門から二重橋方面に少し戻り、内堀通りを渡った外側にも江戸城の遺構が一部残っており、この区画は和田倉と呼ばれています。
(手前のお堀も和田倉濠という名称)

和田倉噴水公園として整備されている

区画内は公園として整備され、和田倉噴水公園という名称です。
レストハウスもある近代的な公園といった趣。

公園の一角には門の遺構も残されている

和田倉門跡の案内板

公園の一角には門の遺構も残されていて、案内板によると和田倉門跡とのこと。

門跡の先には当時を再現した橋も

別の角度から撮影

門跡の先には当時を再現した橋もあります。
(木橋風のコンクリート橋)

再びはとバスの姿

公園を出た先には再びはとバスの姿も。
終始好天に恵まれたので、はとバスもご盛況な感じでした。

ラストは東京駅

ラストは東京駅ということで、当日の行程終了です。
九段下からここまでかなり歩いた(累計6~7km?)ので、足がかなりクタクタでした…。

思いがけずの皇居周辺巡りでしたが、色々新たな発見もあったかと。