春休みのお出かけ~日比谷公園と皇居乾通り散策 [お出かけ・小旅行]
不定期の春休みのお出かけ(もしくは乗り鉄)ですが、今年は春の皇居乾通り一般公開に合わせて乾通りの散策に行ってきました。
その前哨戦で日比谷公園の散策も。
※期日は3月30日(土)
ということでまずは日比谷公園の散策から。
北(北西)側の入口となる霞門から入りました。
※門の右側に見えるのは地下鉄(東京メトロ)霞が関駅の出入口
日比谷公園の案内板。
この地は幕末までは松平肥前守などの屋敷地で明治初期には陸軍練兵場となっていて、その後の市区改正設計(都市計画)において明治36年(1903年)に開園。
当初から近代的な都市公園として計画・造成された本格的な公園であると同時に日本初の洋式庭園として開園したと説明があります。
日比谷公園と周辺の地図。
方角的に皇居の南側に位置していることが分かります。
当日の行程(前写真の地図を一部拡大して矢印を加筆)
日比谷公園を一通り(霞門から反時計回りに進む感じ)で周り、その後皇居方面に進み坂下門から入場。
普段入ることのできない乾通りを進み乾門へ。
追加で北桔橋門から皇居東御苑に入り、最終的に大手門に辿り着くという感じです。
前置きが長くなりましたが公園内の散策へ。
まずは霞門を入って正面に見える雲形池。
手前に見える桜の開花が始まり、写真を撮る方もちらほら。
ちなみに池の中央に見える鶴形の噴水ですが…
手前の案内板によると、公園等の装飾用噴水としては日本で3番目に古い噴水とのこと。
明治38年(1905年)完成とのことで、公園の開園から間もない頃にできたということですね。
通りを挟んで雲形池の反対側にある大音楽堂。
「日比谷の野音」として屋外の音楽堂としては最も有名な場所ですが、当日はステージの準備中らしく外側からしか撮影できませんでした。
大音楽堂の裏手にある、公園西側の入口となる西幸門。
西幸門横の角地にあるかもめの広場。
広場の中央には「カモメの噴水」が。
桜のビューポイントにもなっていますが、開花状態は5分咲きといったところ。
公園の南西にある中幸門。
奥に見える茶色の建物は…
日比谷公会堂。
建物の正面から撮影(1階は公会堂の入口)
日比谷公会堂の案内板の案内板。
本格的なホールを備えた国内初の施設として昭和4年(1929年)に竣工し、建物全体が茶褐色のタイルに覆われたネオ・ゴシック様式の建物と説明があります。
日比谷公会堂は現在閉鎖中(保存公開に向けて整備中?)のためご覧の通り入口は閉まっていますが、入口上の時計は動いている模様…。
公園の南側の幸門。
奥に見えるのは公会堂併設の市政会館の入口。
幸門の横には江戸城外郭(市ヶ谷御門の石垣)から移されたとされる烏帽子岩が。
明治時代に付近の道路拡張の際に石塁が取り壊された際に保存のため当公園に移されたと説明があります。
幸門の隣にある新幸門。
奥には日比谷公会堂の公会堂側入口が見えます。
※引き続き日比谷公園の散策
日比谷公会堂の向かって反対側にある第二花壇ですが、再生整備工事中ということでフェンスで囲われており、中には入れない状態でした。
案内の隣には工事後の完成予想図も。
バリアフリーを考慮した「誰にも利用しやすい公園」を目指して整備が進められているようです。
公園の外周付近までフェンスで囲われているため、一旦大通り(日比谷通り)の歩道に出て進みます。
(手前に見えるのは地下鉄日比谷駅の出入口)
公園の南東にある日比谷門。
雰囲気的にここが日比谷公園の正門に当たるのか。
ちなみに門の奥に見える建物は…
かの有名な日比谷花壇(の店舗)。
花屋としては超がつく一流ではないでしょうか?
店舗入口前には「樹齢100年」のオリーブの木が。
非売品ではないですが、88万円とかなりお高い値段でした…。
日比谷門の奥にある噴水広場。
広場の中央には大噴水が。
(上の写真の)噴水の奥が第二花壇(フェンスで囲われている)、更に奥には日比谷公会堂が見えます。
大噴水は2種類の噴水パターンがある模様。
(噴水広場を挟んで)大噴水の反対側にある小音楽堂。
ステージ上にのみ屋根があり、観客席は完全に屋根がない造り。
小音楽堂を別の角度から。
この小音楽堂は日本初の野外音楽堂として明治38年に軍楽隊の演奏が披露され、現在の建物は3代目になるとのことです。
小音楽堂から東方向(皇居外苑側)に進むと、池と石垣が。
この辺りは(洋風庭園である日比谷公園の中でも)和風な感じがします。
池の向こう側に見える石垣は長く、かなり古い(江戸時代くらいか?)ものと見受けられます。
ここは心字池という名称で、日比谷公園ができる前は濠だったとのこと。
その面影を残すために濠を池として、上から見ると「心」の字をくずした形をしていることから心字池という名称が付きました。
池の周りには「南極の石」や「古代スカンジナビア碑」といったモニュメント(?)も点在。
反対(皇居外苑)側から見た心字池。
この辺り(日比谷交差点付近)にはかつて日比谷門がありましたが1873年(明治6年)に門は撤去されて現在は心字池沿いの石垣(日比谷見附跡)が残されるのみとなっています。
日比谷門も(近くにある)桜田門と同様に高麗門と渡櫓がある構造で江戸城外郭城門の1つで、つまりは江戸城の一角であったということが伺えます。
心字池を上から見ると「心」の字に見えるということで石垣の上に登って池を見てみましたが、さすがに心の字には見えない…。
※奥が噴水広場方面
反対側からも見たものの、やっぱり分かりませんでした。
(ドローンなどで空中撮影しないと分からないかもしれない)
※奥が皇居外苑方面
端から降りて石垣沿いに元の場所(日比谷交差点前)に戻ります。
日比谷交差点前にある有楽門。
日比谷門跡地のすぐ近くで日比谷公園の東側の角地に当たり、すぐ近くに地下鉄日比谷駅の出入口もありJR線有楽町駅も近いです。
有楽門付近から見た皇居方面。
※道路の奥にみえる石垣が皇居外苑
有楽門から北方向に進み心字池沿いに「伊達政宗終焉の地」の案内板が。
解説によるとここは仙台藩祖の伊達政宗から三代綱宗の時代に仙台藩の外桜田屋敷があり、政宗は江戸参勤の折にここで70年の生涯を閉じた、とあります。
少し進むと洋風の建物がありましたが、ここは旧日比谷公園事務所とのこと。
改修工事中につき内部には入れませんでした。
付近には「松石」と名付けられた石が。
解説によると、何と大古(3~5千万年前)の植物が水底に沈んだまま珪酸質の液がしみこんで石化したもので「珪化木」といいます。
この石(珪化木)は北九州の炭田で発見されたものの一部で当地では「松石」または「松炭」と呼ばれていたそうです。
日比谷公園のメインエリアの1つとなる第一花壇。
心字池側の角から撮影したものですが、花壇というよりは芝地広場のような感じですね。
旧公園事務所の近くにあるペリカン噴水。
こう見ると確かに花壇かもしれない…。
チューリップやパンジーなどが寄せ植えされている箇所もあり、この辺りは洋風庭園的な光景ですね。
第一花壇北側の角地の近くにある桜門。
(奥に見えるのが皇居外苑)
桜門というだけあってか、近くにある桜は満開で記念撮影をされている方を多く見かけました。
(最初の写真の)ちょうど反対側の角地から見た第一花壇。
奥が心字池(日比谷見附)方面で、左端にちらっと旧公園事務所の建物が見えます。
第一花壇の脇に石積と銅像がありますが…。
ルーパロマーナという像で、通称「ローマの牝狼」として知られる銅像。
ローマ建国を成し遂げたロムルス・レムス兄弟が幼い頃に一匹の牝狼に助けられ、その乳を飲んで成長して成人後ローマを統一したという伝説に基づいた像です。
世界史の教科書にも載っていたのを記憶していますが…。
第一花壇の対角には一般の公園のような広場がありますが…。
草地広場という名称で現在では一般の公園のような形態ですが、児童遊園やプール・動物園があった時期もあり戦時中は野菜畑になっていたりと、時代・社会の要望に合わせて柔軟に変化する空間となっていると説明にありました。
少し進むと何故かはにわがありましたが、これは(東京都立)日比谷公園と宮崎県立平和台公園が姉妹公園として結ばれた際に(多数の古墳がある)宮崎県から寄贈されたものとのことです。
ケヤキとクスノキに挟まれてひときわ大きなイチョウの木がありますが…。
首賭けイチョウと名付けられている木で元々は日比谷見附(日比谷交差点の脇)にあり、明治32年頃に道路拡張のため伐採されようとしていたところ日比谷公園生みの親である本多静六博士の進言により現在の地に移植されたもの。
移植不可能とされていたものを博士が「首にかけても移植させる」と言って実行された木なのでこの呼び名になったとのことです。
記事の冒頭で紹介した雲形池を反対側から撮影。
(中央に鶴の噴水が見えます)
池の形状がちょうど雲の形をしているので雲形池と命名されたと思われますが、この辺りも(どちらかというと)和風な空間な気がします。
"最初に入った霞門が見えますが、この後写真の右側(皇居方面)に進みます。
草地広場を横切り、その先の小高い丘の上は鐘撞堂が。
自由の鐘と名付けられていて、下の案内板によるとアメリカの独立宣言の際に造られた鐘の複製として昭和27年に当時のアメリカ連合軍司令官から寄贈されたと記載があります。
自由の鐘の隣にも小高い丘があり…。
こちらは三笠山と名付けられています。
公園の造成時に池などを掘った残土で造られた人造の山で、当時は全体が3つの笠を伏せた形に似ていたのでこの名が付いたとのこと。
その後テニスコートなど周辺の整備に伴い山の形が変わりましたが、三笠山の名は残りましたと解説にあります。
その三笠山の上から見たテニスコート。
ということはかつてはテニスコートの敷地にも山(丘)があったということでしょうか?
三笠山を下りて歩道を挟んでテニスコートの反対側にある陳列場。
何の催しがされるかというと…
手前のインフォメーションを見る限りでは生花(華道)の展示会などが行われる模様です。
陳列場のそば(三笠山の下あたり)には開園当時からある水飲みが。
横の解説によると馬も水が飲めるように作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます、とあります。
最後は皇居に一番近い祝田門から出て、日比谷公園の散策は終了。
冒頭で前哨戦と触れましたが、かなり長くなりました…。
ということでここからが本題、皇居乾通り方面へと向かいます。
まずは目の前の交差点を渡り、皇居外苑の石垣を横目に。
入口の坂下門を目指します。
(手前の道路は内堀通り)
当日のルートは坂下門側(二重橋の手前)が入口で乾門は出口専用。
つまりは坂下門側からの一方通行という措置が取られていました。
二重橋の横を通り過ぎて…。
入口(坂下門)の前にはセキュリティチェック用のテントが設けられており、荷物検査と金属探知機での身体チェックが必要でした。
セキュリティチェックを受けた後に…。
坂下門から入場(門を抜けた後での撮影ですが…)。
ここからは普段入ることのできないエリアとなります。
この先は宮殿の模様。
さすがに当日は入ることはできませんでした。
(年始などの一般参賀の場合は入ることができるかもしれませんが)
こちらは宮内庁庁舎。
勿論中には入れませんが、これも普段はお目にかかれない建物ですね。
皇居東御苑内にある富士見櫓ですが、これも普段見れないアングルで。
ここ(宮内庁庁舎前)から乾門までは一本道。
この一本道が乾通りと呼ばれています。
皇居乾通り一般公開コースの案内。
コース案内を拡大。
進行方向右手側に蓮池濠・西桔橋・乾濠と続き、乾門に辿り着きます。
乾通り側から見た富士見多聞。
皇居東御苑側からでは富士見多聞の全景を見るのは難しいですが、逆の乾通り側だとご覧の通り全景が見えます。
一般客向けに案内板も設けられています。
皇居側にある局門。
局門の横にある門長屋。
(門長屋の案内板もあり)
門長屋の手前にあるしだれ桜。
更に先に進むとある道灌濠。
こちらも皇居側なので普段お目にかかれない場所です。
乾通りを挟んで道灌濠の反対側にある西桔橋、その手前(右側)が蓮池濠。
西桔橋の奥は皇居東御苑(ちょうど江戸城天守台の下あたり)に通じていますが、通ることはできません。
(もちろん皇居東御苑側から乾通りに入ることもできない)
西桔橋入口付近から見た乾濠。
乾濠の案内板(奥に見えるのが西桔橋)。
更に乾門に向かって進みます。
この辺りは満開の桜・しだれ桜もあり、多くの方が様子を撮影していました。
(自分もその1人ですが…)
終点の乾門が見えてきました。
乾門の手前まで来て…
門を抜けてゴール。
案の定というか、「こちらからは入場できません」というアナウンスがしきりに流れていました。
本来の行程としてはここで終了ですが、この後ボーナスで皇居東御苑内を通って大手門まで行きます。
皇居東御苑へは北桔橋門から入場。
乾通りほどの厳重なセキュリティチェックはないものの、手荷物検査は行っていました。
(一応皇居敷地内なので)
北桔橋門入口から乾通り方面を見た写真。
少し人出が増えた感じでした。
東御苑側から撮影した北桔橋門。
(以前来た時は撮らなかったので…)
ここでも満開の桜を撮影している姿も。
江戸城天守台の石垣が見えますが、今回は天守台方面には進まず…
脇道の梅林坂を下ります。
梅林坂の案内板。
この地に最初に城を築いた太田道灌がこのあたりに天神社をまつり、数百株の梅を植えたことから「梅林坂」の名が付いたをいわれているとのことです。
花の見ごろは12月末から2月頃ということですが、当日(3月末)ではさすがに花は散っていました。
坂を下りた後は二の丸雑木林横の通りを進みます。
二の丸雑木林の反対側は白鳥濠。
その先で大手門方面の通りと合流。
以前は工事中だった三の丸尚蔵館のリニューアルは完了していたので、あわよくば館内の見学もしようかと思いましたが…
日時指定予約制で当日予約は完売していた模様。
これは改めて行ければということで…
大手門から出ることにします。
大手門側からの入場は行列ができていました。
(ここが皇居東御苑のメインゲートということもありますし…)
大手門を後にして、本日の行程終了です。
(やはり前哨戦の日比谷公園が長かった…)
その前哨戦で日比谷公園の散策も。
※期日は3月30日(土)
ということでまずは日比谷公園の散策から。
北(北西)側の入口となる霞門から入りました。
※門の右側に見えるのは地下鉄(東京メトロ)霞が関駅の出入口
日比谷公園の案内板。
この地は幕末までは松平肥前守などの屋敷地で明治初期には陸軍練兵場となっていて、その後の市区改正設計(都市計画)において明治36年(1903年)に開園。
当初から近代的な都市公園として計画・造成された本格的な公園であると同時に日本初の洋式庭園として開園したと説明があります。
日比谷公園と周辺の地図。
方角的に皇居の南側に位置していることが分かります。
当日の行程(前写真の地図を一部拡大して矢印を加筆)
日比谷公園を一通り(霞門から反時計回りに進む感じ)で周り、その後皇居方面に進み坂下門から入場。
普段入ることのできない乾通りを進み乾門へ。
追加で北桔橋門から皇居東御苑に入り、最終的に大手門に辿り着くという感じです。
前置きが長くなりましたが公園内の散策へ。
まずは霞門を入って正面に見える雲形池。
手前に見える桜の開花が始まり、写真を撮る方もちらほら。
ちなみに池の中央に見える鶴形の噴水ですが…
手前の案内板によると、公園等の装飾用噴水としては日本で3番目に古い噴水とのこと。
明治38年(1905年)完成とのことで、公園の開園から間もない頃にできたということですね。
通りを挟んで雲形池の反対側にある大音楽堂。
「日比谷の野音」として屋外の音楽堂としては最も有名な場所ですが、当日はステージの準備中らしく外側からしか撮影できませんでした。
大音楽堂の裏手にある、公園西側の入口となる西幸門。
西幸門横の角地にあるかもめの広場。
広場の中央には「カモメの噴水」が。
桜のビューポイントにもなっていますが、開花状態は5分咲きといったところ。
公園の南西にある中幸門。
奥に見える茶色の建物は…
日比谷公会堂。
建物の正面から撮影(1階は公会堂の入口)
日比谷公会堂の案内板の案内板。
本格的なホールを備えた国内初の施設として昭和4年(1929年)に竣工し、建物全体が茶褐色のタイルに覆われたネオ・ゴシック様式の建物と説明があります。
日比谷公会堂は現在閉鎖中(保存公開に向けて整備中?)のためご覧の通り入口は閉まっていますが、入口上の時計は動いている模様…。
公園の南側の幸門。
奥に見えるのは公会堂併設の市政会館の入口。
幸門の横には江戸城外郭(市ヶ谷御門の石垣)から移されたとされる烏帽子岩が。
明治時代に付近の道路拡張の際に石塁が取り壊された際に保存のため当公園に移されたと説明があります。
幸門の隣にある新幸門。
奥には日比谷公会堂の公会堂側入口が見えます。
※引き続き日比谷公園の散策
日比谷公会堂の向かって反対側にある第二花壇ですが、再生整備工事中ということでフェンスで囲われており、中には入れない状態でした。
案内の隣には工事後の完成予想図も。
バリアフリーを考慮した「誰にも利用しやすい公園」を目指して整備が進められているようです。
公園の外周付近までフェンスで囲われているため、一旦大通り(日比谷通り)の歩道に出て進みます。
(手前に見えるのは地下鉄日比谷駅の出入口)
公園の南東にある日比谷門。
雰囲気的にここが日比谷公園の正門に当たるのか。
ちなみに門の奥に見える建物は…
かの有名な日比谷花壇(の店舗)。
花屋としては超がつく一流ではないでしょうか?
店舗入口前には「樹齢100年」のオリーブの木が。
非売品ではないですが、88万円とかなりお高い値段でした…。
日比谷門の奥にある噴水広場。
広場の中央には大噴水が。
(上の写真の)噴水の奥が第二花壇(フェンスで囲われている)、更に奥には日比谷公会堂が見えます。
大噴水は2種類の噴水パターンがある模様。
(噴水広場を挟んで)大噴水の反対側にある小音楽堂。
ステージ上にのみ屋根があり、観客席は完全に屋根がない造り。
小音楽堂を別の角度から。
この小音楽堂は日本初の野外音楽堂として明治38年に軍楽隊の演奏が披露され、現在の建物は3代目になるとのことです。
小音楽堂から東方向(皇居外苑側)に進むと、池と石垣が。
この辺りは(洋風庭園である日比谷公園の中でも)和風な感じがします。
池の向こう側に見える石垣は長く、かなり古い(江戸時代くらいか?)ものと見受けられます。
ここは心字池という名称で、日比谷公園ができる前は濠だったとのこと。
その面影を残すために濠を池として、上から見ると「心」の字をくずした形をしていることから心字池という名称が付きました。
池の周りには「南極の石」や「古代スカンジナビア碑」といったモニュメント(?)も点在。
反対(皇居外苑)側から見た心字池。
この辺り(日比谷交差点付近)にはかつて日比谷門がありましたが1873年(明治6年)に門は撤去されて現在は心字池沿いの石垣(日比谷見附跡)が残されるのみとなっています。
日比谷門も(近くにある)桜田門と同様に高麗門と渡櫓がある構造で江戸城外郭城門の1つで、つまりは江戸城の一角であったということが伺えます。
心字池を上から見ると「心」の字に見えるということで石垣の上に登って池を見てみましたが、さすがに心の字には見えない…。
※奥が噴水広場方面
反対側からも見たものの、やっぱり分かりませんでした。
(ドローンなどで空中撮影しないと分からないかもしれない)
※奥が皇居外苑方面
端から降りて石垣沿いに元の場所(日比谷交差点前)に戻ります。
日比谷交差点前にある有楽門。
日比谷門跡地のすぐ近くで日比谷公園の東側の角地に当たり、すぐ近くに地下鉄日比谷駅の出入口もありJR線有楽町駅も近いです。
有楽門付近から見た皇居方面。
※道路の奥にみえる石垣が皇居外苑
有楽門から北方向に進み心字池沿いに「伊達政宗終焉の地」の案内板が。
解説によるとここは仙台藩祖の伊達政宗から三代綱宗の時代に仙台藩の外桜田屋敷があり、政宗は江戸参勤の折にここで70年の生涯を閉じた、とあります。
少し進むと洋風の建物がありましたが、ここは旧日比谷公園事務所とのこと。
改修工事中につき内部には入れませんでした。
付近には「松石」と名付けられた石が。
解説によると、何と大古(3~5千万年前)の植物が水底に沈んだまま珪酸質の液がしみこんで石化したもので「珪化木」といいます。
この石(珪化木)は北九州の炭田で発見されたものの一部で当地では「松石」または「松炭」と呼ばれていたそうです。
日比谷公園のメインエリアの1つとなる第一花壇。
心字池側の角から撮影したものですが、花壇というよりは芝地広場のような感じですね。
旧公園事務所の近くにあるペリカン噴水。
こう見ると確かに花壇かもしれない…。
チューリップやパンジーなどが寄せ植えされている箇所もあり、この辺りは洋風庭園的な光景ですね。
第一花壇北側の角地の近くにある桜門。
(奥に見えるのが皇居外苑)
桜門というだけあってか、近くにある桜は満開で記念撮影をされている方を多く見かけました。
(最初の写真の)ちょうど反対側の角地から見た第一花壇。
奥が心字池(日比谷見附)方面で、左端にちらっと旧公園事務所の建物が見えます。
第一花壇の脇に石積と銅像がありますが…。
ルーパロマーナという像で、通称「ローマの牝狼」として知られる銅像。
ローマ建国を成し遂げたロムルス・レムス兄弟が幼い頃に一匹の牝狼に助けられ、その乳を飲んで成長して成人後ローマを統一したという伝説に基づいた像です。
世界史の教科書にも載っていたのを記憶していますが…。
第一花壇の対角には一般の公園のような広場がありますが…。
草地広場という名称で現在では一般の公園のような形態ですが、児童遊園やプール・動物園があった時期もあり戦時中は野菜畑になっていたりと、時代・社会の要望に合わせて柔軟に変化する空間となっていると説明にありました。
少し進むと何故かはにわがありましたが、これは(東京都立)日比谷公園と宮崎県立平和台公園が姉妹公園として結ばれた際に(多数の古墳がある)宮崎県から寄贈されたものとのことです。
ケヤキとクスノキに挟まれてひときわ大きなイチョウの木がありますが…。
首賭けイチョウと名付けられている木で元々は日比谷見附(日比谷交差点の脇)にあり、明治32年頃に道路拡張のため伐採されようとしていたところ日比谷公園生みの親である本多静六博士の進言により現在の地に移植されたもの。
移植不可能とされていたものを博士が「首にかけても移植させる」と言って実行された木なのでこの呼び名になったとのことです。
記事の冒頭で紹介した雲形池を反対側から撮影。
(中央に鶴の噴水が見えます)
池の形状がちょうど雲の形をしているので雲形池と命名されたと思われますが、この辺りも(どちらかというと)和風な空間な気がします。
"最初に入った霞門が見えますが、この後写真の右側(皇居方面)に進みます。
草地広場を横切り、その先の小高い丘の上は鐘撞堂が。
自由の鐘と名付けられていて、下の案内板によるとアメリカの独立宣言の際に造られた鐘の複製として昭和27年に当時のアメリカ連合軍司令官から寄贈されたと記載があります。
自由の鐘の隣にも小高い丘があり…。
こちらは三笠山と名付けられています。
公園の造成時に池などを掘った残土で造られた人造の山で、当時は全体が3つの笠を伏せた形に似ていたのでこの名が付いたとのこと。
その後テニスコートなど周辺の整備に伴い山の形が変わりましたが、三笠山の名は残りましたと解説にあります。
その三笠山の上から見たテニスコート。
ということはかつてはテニスコートの敷地にも山(丘)があったということでしょうか?
三笠山を下りて歩道を挟んでテニスコートの反対側にある陳列場。
何の催しがされるかというと…
手前のインフォメーションを見る限りでは生花(華道)の展示会などが行われる模様です。
陳列場のそば(三笠山の下あたり)には開園当時からある水飲みが。
横の解説によると馬も水が飲めるように作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます、とあります。
最後は皇居に一番近い祝田門から出て、日比谷公園の散策は終了。
冒頭で前哨戦と触れましたが、かなり長くなりました…。
ということでここからが本題、皇居乾通り方面へと向かいます。
まずは目の前の交差点を渡り、皇居外苑の石垣を横目に。
入口の坂下門を目指します。
(手前の道路は内堀通り)
当日のルートは坂下門側(二重橋の手前)が入口で乾門は出口専用。
つまりは坂下門側からの一方通行という措置が取られていました。
二重橋の横を通り過ぎて…。
入口(坂下門)の前にはセキュリティチェック用のテントが設けられており、荷物検査と金属探知機での身体チェックが必要でした。
セキュリティチェックを受けた後に…。
坂下門から入場(門を抜けた後での撮影ですが…)。
ここからは普段入ることのできないエリアとなります。
この先は宮殿の模様。
さすがに当日は入ることはできませんでした。
(年始などの一般参賀の場合は入ることができるかもしれませんが)
こちらは宮内庁庁舎。
勿論中には入れませんが、これも普段はお目にかかれない建物ですね。
皇居東御苑内にある富士見櫓ですが、これも普段見れないアングルで。
ここ(宮内庁庁舎前)から乾門までは一本道。
この一本道が乾通りと呼ばれています。
皇居乾通り一般公開コースの案内。
コース案内を拡大。
進行方向右手側に蓮池濠・西桔橋・乾濠と続き、乾門に辿り着きます。
乾通り側から見た富士見多聞。
皇居東御苑側からでは富士見多聞の全景を見るのは難しいですが、逆の乾通り側だとご覧の通り全景が見えます。
一般客向けに案内板も設けられています。
皇居側にある局門。
局門の横にある門長屋。
(門長屋の案内板もあり)
門長屋の手前にあるしだれ桜。
更に先に進むとある道灌濠。
こちらも皇居側なので普段お目にかかれない場所です。
乾通りを挟んで道灌濠の反対側にある西桔橋、その手前(右側)が蓮池濠。
西桔橋の奥は皇居東御苑(ちょうど江戸城天守台の下あたり)に通じていますが、通ることはできません。
(もちろん皇居東御苑側から乾通りに入ることもできない)
西桔橋入口付近から見た乾濠。
乾濠の案内板(奥に見えるのが西桔橋)。
更に乾門に向かって進みます。
この辺りは満開の桜・しだれ桜もあり、多くの方が様子を撮影していました。
(自分もその1人ですが…)
終点の乾門が見えてきました。
乾門の手前まで来て…
門を抜けてゴール。
案の定というか、「こちらからは入場できません」というアナウンスがしきりに流れていました。
本来の行程としてはここで終了ですが、この後ボーナスで皇居東御苑内を通って大手門まで行きます。
皇居東御苑へは北桔橋門から入場。
乾通りほどの厳重なセキュリティチェックはないものの、手荷物検査は行っていました。
(一応皇居敷地内なので)
北桔橋門入口から乾通り方面を見た写真。
少し人出が増えた感じでした。
東御苑側から撮影した北桔橋門。
(以前来た時は撮らなかったので…)
ここでも満開の桜を撮影している姿も。
江戸城天守台の石垣が見えますが、今回は天守台方面には進まず…
脇道の梅林坂を下ります。
梅林坂の案内板。
この地に最初に城を築いた太田道灌がこのあたりに天神社をまつり、数百株の梅を植えたことから「梅林坂」の名が付いたをいわれているとのことです。
花の見ごろは12月末から2月頃ということですが、当日(3月末)ではさすがに花は散っていました。
坂を下りた後は二の丸雑木林横の通りを進みます。
二の丸雑木林の反対側は白鳥濠。
その先で大手門方面の通りと合流。
以前は工事中だった三の丸尚蔵館のリニューアルは完了していたので、あわよくば館内の見学もしようかと思いましたが…
日時指定予約制で当日予約は完売していた模様。
これは改めて行ければということで…
大手門から出ることにします。
大手門側からの入場は行列ができていました。
(ここが皇居東御苑のメインゲートということもありますし…)
大手門を後にして、本日の行程終了です。
(やはり前哨戦の日比谷公園が長かった…)
2024-04-07 10:25