初詣2023(後) [お出かけ・小旅行]
前回の続きということで…。
・2/11 上野周辺散策→神田明神→科学博物館見学
最早初詣の時期から逸れていますが、まあ初めてのお参りには変わりないので。
前回に引き続き上野に来た目的は国立科学博物館開催の特別展「毒」を見るため。
かなり好評な特別展らしく当日分(2/11)の事前予約が取れなかったので、当日枠で発行される入場券を狙って10時頃に現地に到着。
時間指定はできないものの14:30からの枠の入場で予約を確保できたので、その間の待ち時間で上野周辺散策(の続き)をしてみることにしました。
前回は主に上野公園の南側を散策したので今回は北側、寛永寺本堂方面を散策してみることに。
こちらは国立博物館正門の西側にある"旧因州池田屋敷表門(黒門)。
元々丸の内付近にあった因州(鳥取藩)池田家上屋敷の正門だったものを明治時代に当時の東宮御所正門として移され、更に昭和29年(1954年)に現在の場所(国立博物館の敷地内)に移築されたものです。
土日祝日と年始(1/1~1/3)に門が開放されるとのことですが、(当日は祝日だったので)確かに門が開いています。
(撮影時には気づきませんでした…)
続いて博物館敷地の角にある謎の建造物ですが…
封鎖されている入口の横には「博物館動物園駅跡」の銘板が。
京成線(京成本線)が京成上野(当時は上野公園)まで延伸開業した時にできた「博物館動物園駅」の入口(駅舎)で、立地的にふさわく西洋風の立派な佇まいで造られたものの、地下にあるホームが短く4両編成の列車までしか停車できないなどの理由により1997年に営業休止し、2004年に廃止となりました。
駅廃止後2018年に駅舎のリニューアルが行われ、門扉が新しくなり上の写真の銘板が掲げられました。
リニューアル後不定期ながらも駅内の一般公開もされているようです。
参考:旧博物館動物園駅 京成電鉄
その後東京芸大の前を通り抜けて寛永寺本堂の入口に到着。
立派な佇まいの寛永寺本堂(根本中堂)。
建物の横にあった寛永寺本堂の解説によると、元々の本堂は幕末に起きた兵火によって焼失して明治9年(1874年)に川越の喜多院の本地堂が移築されて現在の本堂となったとのことです。
前回不忍池弁天堂でも見た寛永寺の敷地(東叡山)の全景。
全景を少し拡大。
前回は上野大仏→不忍池弁天堂→清水観音堂に行きましたが、今回は根本中堂(現在地)から徳川歴代将軍御霊廟→開山堂・輪王殿→上野東照宮(旧寛永寺五重塔)の順に回っていきます。
本堂の手前にある鐘楼。
本堂境内の端には旧本坊表門と根本中堂の鬼瓦が展示されていました。
この門を出て寛永寺本堂を後にしますが、ちょうど本堂が正面に見えるので"こちらが表門ということですね…。
寛永寺本堂の後は徳川歴代将軍御霊廟の方面に。
さすがに御霊廟の門ということで豪華な造り。
こちらは徳川綱吉霊廟の勅額門。
五代将軍の綱吉公と言えば「生類憐みの令」で有名ですが、解説によると寛永寺根本中堂の建立に関わったとのことです。
続いて見えたのが…。
四代将軍に当たる徳川家綱霊廟の勅額門。
霊廟のある敷地は墓地なので中に入ることはできませんが、墓地の奥にスカイツリーが見えました。
ちょうどこの辺りは国立博物館の敷地の裏側に当たります。
こちらも墓地の敷地内にありますが左側が殉死者の墓、右側が東京大空襲の慰霊碑。
殉死者の墓の解説。
三代将軍徳川家光が死去した際に後を追って殉死した家光の家臣の墓とのことです。
上野公園(国立博物館正門)付近まで戻り、寛永寺の開山堂(両大師)へ。
開山堂の本堂。
今回は先程の根本中堂とここ開山堂で御朱印を頂きました。
開山堂(両大師)の解説。
別名の両大師は滋眼大師と慈恵大師に由来します。
本堂から入口方面を見た開山堂の境内。
根本中堂と比較するとコンパクトな佇まいの境内で、梅の開花も一部見られました。
開山堂の隣にある輪王殿の正門。
解説によると本来は寛永寺旧本坊の表門で、国立博物館の正門として使われていた時期もり、関東大震災後に現在の博物館本館の改築に伴い現在地に移築したとのことです。
裏側から見た輪王殿の正門。
開山堂参拝の後は輪王殿付近の橋から上野駅方面を見てみました。
ちょうど山手線の電車(内回り・外回り)がすれ違うところ。
右端に写っている建物が国立科学博物館。
同じ橋から上野駅の地上ホーム側を撮影。
日中ということもあってか、高架ホームに常磐線の電車が1編成止まっているだけで地上ホームはがら空きでした。
やはり上野~東京間の連絡線(上野東京ライン)開通後に上野駅のターミナル(終着駅)としての役割が急激に薄れたということでしょうか…?
この後上野公園内に戻り、今度は上野東照宮へ。
上野東照宮の参道の途中に見えるのが旧寛永寺五重塔。
柵の向こう、上野動物園内の敷地に五重塔があります。
フェンスに掲げられている解説によると元は東照宮の五重塔で、明治時代に東照宮から寛永寺の所属としたことで取り壊しを免れたものの、戦後になって寺での管理が難しくなったことから昭和33年(1958年)に東京都に寄付されたとのことです。
そのためか現在では上野動物園内の敷地内に塔がありますが、かつては東照宮の参道から五重塔への参道もあり、東照宮の参道から見た方向(1つ前の写真の向き)が五重塔の正面である旨の解説もあります。
上野東照宮の唐門と本殿(拝殿)。
本殿内の拝観は別途料金がかかるので今回は門前までの参拝。
代わりに東照宮の手前にあるぼたん園に行きました。
※ぼたん園の入園料:1.000円
2月はちょうどぼたんの開花時期なので、各場所でぼたんの花が見られました。
花の上には寒さ(雪)対策用の覆いがかぶせられていました。
黄色い花のロウバイも開花時期でした。
「千両万両、有り通し」と名付けられた寄せ植え。
正月用の飾りに使われる千両(センリョウ)と万両(マンリョウ)の他に百両(カラタチバナ)・十両(ヤブコウジ)・一両(アリドオシ=有り通し)の一通りが揃っています。
「千両も万両も一年中有り通し、一年お金に困らない。金運に恵まれますように」と福徳を祈願した縁起かつぎの語呂合わせです、との説明がありました。
梅も咲き始めている感じ、その後ろには五重塔が。
ぼたん園の出口付近は庭園状の造り。
ぼたん園の出口の前には東照宮の神楽殿。
ちょうど撮影スポットになっていました。
この後は一旦上野から移動して…
いきなり御茶ノ水にワープ?
JR中央線と地下鉄丸ノ内線が交差する地点。
更にこの下(地下)には千代田線も通るという、立体的にかなり複雑なポイントだったりします。
(以前地下鉄博物館でこの場所の立体模型を見ました)
御茶ノ水に来たということは神田明神へお参り、ということで。
こちらは当初予定していたお参りルートです。
初詣の時期を過ぎていたにもかかわらず、当日は結構行列ができていました。
お参り後は更に行列が長くなっていた感じ。
この後は秋葉原で少々時間をつぶして再び上野へ。
ようやく当日メインの目的の特別展「毒」の入場予定時刻に近づいたので現地に到着。
案の定当日枠も受付を終了していた模様…。
当特別展は世界に存在するあらゆる毒にまつわる生物・鉱物を紹介する展示ということで、このようなとても精巧な拡大模型もありました。
高い場所にはスズメバチの拡大模型が。
背中の羽や腹から突き出した毒針、果ては顔周りの細かい毛などこれでもかという位リアルな出来。
スズメバチの下にはハブの拡大模型が。
上あごから生えているキバも怖いですが、下あごにある舌もいやらしい(苦笑)
スズメバチ・ハブの隣にあったイラガ(幼虫)の拡大模型。
スズメバチ・ハブの「攻めの毒」に対して背中に生えている無数のトゲによって自身の身を守るという「守りの毒」という構成。
ちなみに左側の植物の茎も展示物です。
イラガの拡大模型を横から。
これも精巧な造りですが、しかし実にキモい…。
イラガの幼虫はモミジやレッドロビンなどの葉に付いていることがあり日常でも出くわすことが多く、うかつに触れるとチクリとした痛みが走ります。
自分がよく見るのは模型のような黄色ではなく黄緑色のものが殆どですが…。
毒を持つ魚の代表格と言えるフグ(トラフグ)。
「フグ毒」とも呼ばれる猛毒のテトロドトキシンを持ち、日本で起こる食中毒死亡者の過半を占めるそう。
毒を持つ海洋生物の数々。
ウニ(ガンガゼ)・ゴンズイ・ヒョウモンダコ・ハオコゼ等。
毒を持つ植物といえば毒キノコ。
(勿論トリカブトやドクゼリも有名ですが…)
左からサクラダケ・ベニテングダケ・カヤタケ。
神経毒を持つタイワンコブラ。
この他毒性のある鉱物(カドミウム・水銀など)や毒への対策・毒の利用(狩猟・害虫駆除など)といった展示がありました。
当日はかなり混雑していましたが、入場時刻まで待った甲斐がある見ごたえのある展示でした。
・2/18 川崎大師
今回も移動手段は電車だったので、鉄道の話題から。
東横線の武蔵小杉駅で撮影しましたが、来る3/18の東急・相鉄直通線(新横浜線)の開通に向けてか相鉄線の車両が試運転中でした。
やはりこれを狙ってかホームには撮り鉄さんの姿がちらほら…(かくいう自分も同類ですが)。
武蔵小杉でJR南武線に乗り換えて、途中尻手駅で下車。
去年に続き南武線→南武支線に乗り換えですが、目的はやはりこの車両。
折しも当日ネットニュース等で来年度中にこの車両(205系1000番台)が新しい車両に交替する記事が発表されたためか、こちらも車両の写真を撮る方が多かったです。
今回乗車した車両はクモハ205-1001とクモハ204-1001、1001番の組み合わせでした。
(現状南武支線用として1001~1003の3編成が在籍している模様)
で、代わりに南武支線用として導入予定の車両がこちらの新潟地区で運用されていたE127系とのこと。
※上の写真は2016年4月に越後線吉田駅にて撮影
「運用されていた」と記載しましたが、最近新潟地区での運用を外れたらしく、新たに南武支線用として振り向けられることになったそうです。
車両運用の移動がある場合首都圏から地方線区に移動するというパターンが通常ですが、逆に地方から首都圏に移動するのは珍しいですね。
まあE127系自体が元々2両編成なので南武支線への移動は妥当ではありますが。
その後八丁畷駅で京急本線に乗り換えて1駅先の京急川崎駅へ。
京急川崎駅で本線→大師線に乗り換え。
川崎大師駅に到着。
(というか前置きの電車ネタが長すぎた…)
駅から仲見世通りを経て入口の大山門に到着。
大本堂前。
当日は土曜日でしたが天気も良いこともあり、それなりに参拝客は多かったです。
(大師線の車内も結構混んでいた)
ちなみにおみくじを引いたところ、今回は凶でした…。
去年も紹介しましたが、せんとくんにクリソツ(死語)のひらまくん。
そして去年に引き続きマスク着用バージョンもあり。
大本堂の左側にある中書院。
茶室として利用されているようです。
大本堂・大山門と並んで川崎大師の主要な建物と言える八角五重塔。
昼食ですが久しぶりに屋台のお好み焼きを食べました。
そしてこちらも定屋台の定番、ふりふりポテト。
屋台通り(?)の脇にある弘法大師(遍路大師)像。
足元のわらじに水をかけてお参りします。
遍路大師ということで、像の周りの歩道でミニ四国八十八か所巡りができます。
通りを挟んで遍路大師像の反対側にある第55代横綱北の湖像。
北の湖関が生前川崎大師のご本尊の弘法大師に深い信仰を寄せられたことから、平成29年(2017年)10月の三回忌の際にこの像が建立されたと記載があります。
北の湖像のそばには植木供養碑も。
献木いちょうの供養碑とのことです。
最後は薬師殿にお参り。
今更ながら川崎大師の境内図。
入口の大山門から大本堂、不動堂、遍路大師、薬師殿の順にお参りしました。
今回はこれにて終了。
帰路は京急川崎駅→JR川崎駅経由でそのまま帰りました。
・2/11 上野周辺散策→神田明神→科学博物館見学
最早初詣の時期から逸れていますが、まあ初めてのお参りには変わりないので。
前回に引き続き上野に来た目的は国立科学博物館開催の特別展「毒」を見るため。
かなり好評な特別展らしく当日分(2/11)の事前予約が取れなかったので、当日枠で発行される入場券を狙って10時頃に現地に到着。
時間指定はできないものの14:30からの枠の入場で予約を確保できたので、その間の待ち時間で上野周辺散策(の続き)をしてみることにしました。
前回は主に上野公園の南側を散策したので今回は北側、寛永寺本堂方面を散策してみることに。
こちらは国立博物館正門の西側にある"旧因州池田屋敷表門(黒門)。
元々丸の内付近にあった因州(鳥取藩)池田家上屋敷の正門だったものを明治時代に当時の東宮御所正門として移され、更に昭和29年(1954年)に現在の場所(国立博物館の敷地内)に移築されたものです。
土日祝日と年始(1/1~1/3)に門が開放されるとのことですが、(当日は祝日だったので)確かに門が開いています。
(撮影時には気づきませんでした…)
続いて博物館敷地の角にある謎の建造物ですが…
封鎖されている入口の横には「博物館動物園駅跡」の銘板が。
京成線(京成本線)が京成上野(当時は上野公園)まで延伸開業した時にできた「博物館動物園駅」の入口(駅舎)で、立地的にふさわく西洋風の立派な佇まいで造られたものの、地下にあるホームが短く4両編成の列車までしか停車できないなどの理由により1997年に営業休止し、2004年に廃止となりました。
駅廃止後2018年に駅舎のリニューアルが行われ、門扉が新しくなり上の写真の銘板が掲げられました。
リニューアル後不定期ながらも駅内の一般公開もされているようです。
参考:旧博物館動物園駅 京成電鉄
その後東京芸大の前を通り抜けて寛永寺本堂の入口に到着。
立派な佇まいの寛永寺本堂(根本中堂)。
建物の横にあった寛永寺本堂の解説によると、元々の本堂は幕末に起きた兵火によって焼失して明治9年(1874年)に川越の喜多院の本地堂が移築されて現在の本堂となったとのことです。
前回不忍池弁天堂でも見た寛永寺の敷地(東叡山)の全景。
全景を少し拡大。
前回は上野大仏→不忍池弁天堂→清水観音堂に行きましたが、今回は根本中堂(現在地)から徳川歴代将軍御霊廟→開山堂・輪王殿→上野東照宮(旧寛永寺五重塔)の順に回っていきます。
本堂の手前にある鐘楼。
本堂境内の端には旧本坊表門と根本中堂の鬼瓦が展示されていました。
この門を出て寛永寺本堂を後にしますが、ちょうど本堂が正面に見えるので"こちらが表門ということですね…。
寛永寺本堂の後は徳川歴代将軍御霊廟の方面に。
さすがに御霊廟の門ということで豪華な造り。
こちらは徳川綱吉霊廟の勅額門。
五代将軍の綱吉公と言えば「生類憐みの令」で有名ですが、解説によると寛永寺根本中堂の建立に関わったとのことです。
続いて見えたのが…。
四代将軍に当たる徳川家綱霊廟の勅額門。
霊廟のある敷地は墓地なので中に入ることはできませんが、墓地の奥にスカイツリーが見えました。
ちょうどこの辺りは国立博物館の敷地の裏側に当たります。
こちらも墓地の敷地内にありますが左側が殉死者の墓、右側が東京大空襲の慰霊碑。
殉死者の墓の解説。
三代将軍徳川家光が死去した際に後を追って殉死した家光の家臣の墓とのことです。
上野公園(国立博物館正門)付近まで戻り、寛永寺の開山堂(両大師)へ。
開山堂の本堂。
今回は先程の根本中堂とここ開山堂で御朱印を頂きました。
開山堂(両大師)の解説。
別名の両大師は滋眼大師と慈恵大師に由来します。
本堂から入口方面を見た開山堂の境内。
根本中堂と比較するとコンパクトな佇まいの境内で、梅の開花も一部見られました。
開山堂の隣にある輪王殿の正門。
解説によると本来は寛永寺旧本坊の表門で、国立博物館の正門として使われていた時期もり、関東大震災後に現在の博物館本館の改築に伴い現在地に移築したとのことです。
裏側から見た輪王殿の正門。
開山堂参拝の後は輪王殿付近の橋から上野駅方面を見てみました。
ちょうど山手線の電車(内回り・外回り)がすれ違うところ。
右端に写っている建物が国立科学博物館。
同じ橋から上野駅の地上ホーム側を撮影。
日中ということもあってか、高架ホームに常磐線の電車が1編成止まっているだけで地上ホームはがら空きでした。
やはり上野~東京間の連絡線(上野東京ライン)開通後に上野駅のターミナル(終着駅)としての役割が急激に薄れたということでしょうか…?
この後上野公園内に戻り、今度は上野東照宮へ。
上野東照宮の参道の途中に見えるのが旧寛永寺五重塔。
柵の向こう、上野動物園内の敷地に五重塔があります。
フェンスに掲げられている解説によると元は東照宮の五重塔で、明治時代に東照宮から寛永寺の所属としたことで取り壊しを免れたものの、戦後になって寺での管理が難しくなったことから昭和33年(1958年)に東京都に寄付されたとのことです。
そのためか現在では上野動物園内の敷地内に塔がありますが、かつては東照宮の参道から五重塔への参道もあり、東照宮の参道から見た方向(1つ前の写真の向き)が五重塔の正面である旨の解説もあります。
上野東照宮の唐門と本殿(拝殿)。
本殿内の拝観は別途料金がかかるので今回は門前までの参拝。
代わりに東照宮の手前にあるぼたん園に行きました。
※ぼたん園の入園料:1.000円
2月はちょうどぼたんの開花時期なので、各場所でぼたんの花が見られました。
花の上には寒さ(雪)対策用の覆いがかぶせられていました。
黄色い花のロウバイも開花時期でした。
「千両万両、有り通し」と名付けられた寄せ植え。
正月用の飾りに使われる千両(センリョウ)と万両(マンリョウ)の他に百両(カラタチバナ)・十両(ヤブコウジ)・一両(アリドオシ=有り通し)の一通りが揃っています。
「千両も万両も一年中有り通し、一年お金に困らない。金運に恵まれますように」と福徳を祈願した縁起かつぎの語呂合わせです、との説明がありました。
梅も咲き始めている感じ、その後ろには五重塔が。
ぼたん園の出口付近は庭園状の造り。
ぼたん園の出口の前には東照宮の神楽殿。
ちょうど撮影スポットになっていました。
この後は一旦上野から移動して…
いきなり御茶ノ水にワープ?
JR中央線と地下鉄丸ノ内線が交差する地点。
更にこの下(地下)には千代田線も通るという、立体的にかなり複雑なポイントだったりします。
(以前地下鉄博物館でこの場所の立体模型を見ました)
御茶ノ水に来たということは神田明神へお参り、ということで。
こちらは当初予定していたお参りルートです。
初詣の時期を過ぎていたにもかかわらず、当日は結構行列ができていました。
お参り後は更に行列が長くなっていた感じ。
この後は秋葉原で少々時間をつぶして再び上野へ。
ようやく当日メインの目的の特別展「毒」の入場予定時刻に近づいたので現地に到着。
案の定当日枠も受付を終了していた模様…。
当特別展は世界に存在するあらゆる毒にまつわる生物・鉱物を紹介する展示ということで、このようなとても精巧な拡大模型もありました。
高い場所にはスズメバチの拡大模型が。
背中の羽や腹から突き出した毒針、果ては顔周りの細かい毛などこれでもかという位リアルな出来。
スズメバチの下にはハブの拡大模型が。
上あごから生えているキバも怖いですが、下あごにある舌もいやらしい(苦笑)
スズメバチ・ハブの隣にあったイラガ(幼虫)の拡大模型。
スズメバチ・ハブの「攻めの毒」に対して背中に生えている無数のトゲによって自身の身を守るという「守りの毒」という構成。
ちなみに左側の植物の茎も展示物です。
イラガの拡大模型を横から。
これも精巧な造りですが、しかし実にキモい…。
イラガの幼虫はモミジやレッドロビンなどの葉に付いていることがあり日常でも出くわすことが多く、うかつに触れるとチクリとした痛みが走ります。
自分がよく見るのは模型のような黄色ではなく黄緑色のものが殆どですが…。
毒を持つ魚の代表格と言えるフグ(トラフグ)。
「フグ毒」とも呼ばれる猛毒のテトロドトキシンを持ち、日本で起こる食中毒死亡者の過半を占めるそう。
毒を持つ海洋生物の数々。
ウニ(ガンガゼ)・ゴンズイ・ヒョウモンダコ・ハオコゼ等。
毒を持つ植物といえば毒キノコ。
(勿論トリカブトやドクゼリも有名ですが…)
左からサクラダケ・ベニテングダケ・カヤタケ。
神経毒を持つタイワンコブラ。
この他毒性のある鉱物(カドミウム・水銀など)や毒への対策・毒の利用(狩猟・害虫駆除など)といった展示がありました。
当日はかなり混雑していましたが、入場時刻まで待った甲斐がある見ごたえのある展示でした。
・2/18 川崎大師
今回も移動手段は電車だったので、鉄道の話題から。
東横線の武蔵小杉駅で撮影しましたが、来る3/18の東急・相鉄直通線(新横浜線)の開通に向けてか相鉄線の車両が試運転中でした。
やはりこれを狙ってかホームには撮り鉄さんの姿がちらほら…(かくいう自分も同類ですが)。
武蔵小杉でJR南武線に乗り換えて、途中尻手駅で下車。
去年に続き南武線→南武支線に乗り換えですが、目的はやはりこの車両。
折しも当日ネットニュース等で来年度中にこの車両(205系1000番台)が新しい車両に交替する記事が発表されたためか、こちらも車両の写真を撮る方が多かったです。
今回乗車した車両はクモハ205-1001とクモハ204-1001、1001番の組み合わせでした。
(現状南武支線用として1001~1003の3編成が在籍している模様)
で、代わりに南武支線用として導入予定の車両がこちらの新潟地区で運用されていたE127系とのこと。
※上の写真は2016年4月に越後線吉田駅にて撮影
「運用されていた」と記載しましたが、最近新潟地区での運用を外れたらしく、新たに南武支線用として振り向けられることになったそうです。
車両運用の移動がある場合首都圏から地方線区に移動するというパターンが通常ですが、逆に地方から首都圏に移動するのは珍しいですね。
まあE127系自体が元々2両編成なので南武支線への移動は妥当ではありますが。
その後八丁畷駅で京急本線に乗り換えて1駅先の京急川崎駅へ。
京急川崎駅で本線→大師線に乗り換え。
川崎大師駅に到着。
(というか前置きの電車ネタが長すぎた…)
駅から仲見世通りを経て入口の大山門に到着。
大本堂前。
当日は土曜日でしたが天気も良いこともあり、それなりに参拝客は多かったです。
(大師線の車内も結構混んでいた)
ちなみにおみくじを引いたところ、今回は凶でした…。
去年も紹介しましたが、せんとくんにクリソツ(死語)のひらまくん。
そして去年に引き続きマスク着用バージョンもあり。
大本堂の左側にある中書院。
茶室として利用されているようです。
大本堂・大山門と並んで川崎大師の主要な建物と言える八角五重塔。
昼食ですが久しぶりに屋台のお好み焼きを食べました。
そしてこちらも定屋台の定番、ふりふりポテト。
屋台通り(?)の脇にある弘法大師(遍路大師)像。
足元のわらじに水をかけてお参りします。
遍路大師ということで、像の周りの歩道でミニ四国八十八か所巡りができます。
通りを挟んで遍路大師像の反対側にある第55代横綱北の湖像。
北の湖関が生前川崎大師のご本尊の弘法大師に深い信仰を寄せられたことから、平成29年(2017年)10月の三回忌の際にこの像が建立されたと記載があります。
北の湖像のそばには植木供養碑も。
献木いちょうの供養碑とのことです。
最後は薬師殿にお参り。
今更ながら川崎大師の境内図。
入口の大山門から大本堂、不動堂、遍路大師、薬師殿の順にお参りしました。
今回はこれにて終了。
帰路は京急川崎駅→JR川崎駅経由でそのまま帰りました。
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