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青春18きっぷの旅Part3~紀勢編(4日目)  [旅行]

4日目は熊野三山のうち本宮大社と速玉大社を回り、新宮市内を観光するという行程です。
まずは新宮駅へ。

朝の新宮駅

尤も当日の最初の目的地が本宮大社なので、駅といっても鉄道に乗るわけではなく、バスでの移動になります。
(尚当日は鉄道の利用が新宮から熊野市のみのため、18きっぷは利用しませんでした)

バスで本宮大社へ

新宮周辺は熊野交通というバス会社がメインですが、乗車したバスは奈良地区の奈良交通。
行き先は本宮大社から十津川を経て大和八木まで行くという遠路の便でした。
但し当日は国道の通行止めの関係で途中止まり。
尤も通行止めは本宮大社の先の道なので、影響はありませんでしたが。

熊野川沿いを走る

市街地を抜けてからはしばらくの間熊野川沿いを走ります。

途中温泉街も通る

乗車したバスは本宮大社の手前で脇道に入り、湯の峰温泉などの温泉街(本宮温泉郷)を通りました。
(上の写真は湯の峰温泉)
当初はこの温泉街の宿に宿泊する計画でしたが、折りしも繁忙期のためどの宿も予約が満杯で今回は断念せざるを得ませんでした…。

ようやく到着

新宮駅から1時間少々、ようやく本宮大社入り口に到着しました。

※参考:熊野本宮大社公式サイト

すがすがしい感じ

かなり山奥に来たので、参道もすがすがしい感じでした。

御本殿(結宮と証誠殿)

御本殿(証誠殿と若宮)

本宮大社の御本殿はさすがに立派な造りです。
左から結宮(第一・第二殿)・証誠殿(第三殿)・若宮(第四殿)と並び、その脇に満山社という小さなお宮もあります。
証誠殿(第三殿)から一・二・四の順が正しいお参りの順序ですが、自分は空いた順でお参りしました。
(最初は三からでしたが)

裏側の入り口はひっそりとした感じ

御本殿の裏手にも入り口がありますが、こちらはひっそりとした感じです。

祓殿王子

裏側入り口の少し先にある「祓殿王子(はらいどおうじ)」。
本宮大社に向かう参道の所々に「王子社」と呼ばれる御子神が祀られている場所の一つで、本宮に一番近いのがこの祓殿王子になります。
99あると言われる王子社の一つである「発心門王子」から本宮大社までの約7kmの道が熊野古道の王道コースでありますが、いつかチャレンジできればと思います。
(発心門王子までのバスもあります)

再び表の参道へ

ご朱印を受けて宝物殿での展示物を見た後、再び表の参道へ。
(宝物殿:300円)
下の休憩所でかき氷などを食べて一休み。

産田社

入り口に戻った後は本宮大社の旧社地である大斎原(おおゆのはら)へ。
上の写真は途中大斎原への参道を脇に入ったところにある「産田社(うぶたしゃ)」。
本宮大社の末社で、安産のご利益があるそうです。

田んぼの先には日本一の大鳥居が

大斎原への参道。
田んぼの先には日本一の大鳥居が。
(尤もこの鳥居は近年に建てられたものですが…)

世界遺産の碑

「紀伊山地の霊場と参詣道」という名目でここ本宮大社と旧社地の大斎原も世界遺産の登録を受けています。

旧社地の敷地

ここが旧社地の敷地となる大斎原。
明治時代の初頭までここに社殿がありましたが、大洪水に遭い現在の山側の敷地に社殿が移されました。

跡地の中心には石造りの小さな社が残る

跡地の中心には石造りの小さな社が残っています。
2つの社には元々12社あった内の8社(中四社と下四社)と境内内にあった末社が祀られています。
ちなみに上四社が現在の本宮大社の御本殿に当たります。

土手から見た熊野川

脇の土手から見た熊野川。
水が殆んどない状態(奥が川になっている)ですが、川の増水時は全て水面になると思われます。

この後はバスで新宮まで戻り、速玉大社へ。

速玉大社入り口

速玉(はやたま)大社は熊野三山の中で最も早く「熊野権現」の称号を受けたとされる、信仰のルーツともされる地。
新宮駅からバス停2~3先という、比較的近い場所にあります。
(駅から徒歩でも行ける)
速玉大社も「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録を受けています。

※参考:熊野速玉大社公式サイト

建物は朱色で統一されている

本殿(拝殿)の入り口にある「御神門」。
境内の建物は朱色で統一されていて、美しい見映えです。
門の巨大なしめ縄も見事です。

拝殿(左側)

拝殿(右側)

速玉大社の拝殿。
この奥に本殿(速玉宮)がありますが、ここがお参りの場所です。
ご朱印も(この後に行く)神倉神社と合わせてここで受けました。

御神木「ナギの大樹」

熊野権現の御神木である「梛(ナギ)の大樹」。
推定樹齢1000年といわれているので、正に御神木。
ちなみに前回紹介したご当地萌えキャラの一人「速玉ナギ」の名前はこの大樹が由来となっています。

あと大樹の反対側にある神宝館も見てみました(入館料500円)。

末社の八咫烏神社

末社となる八咫烏神社と手力男神社。
ちなみに八咫烏(やたがらす)は熊野三山のシンボルですが、日本サッカー協会のシンボルマークも八咫烏なのでワールドカップなどの大会が開催される毎に熊野三山で祈願が行われていました。
(本宮大社のビジターセンター内で祈願の様子が展示されていました)

この後は速玉大社から徒歩で10分位の場所である神倉神社へ。
(神倉神社は速玉大社の元社、ないしは飛地境内摂社)

ついでで来てみたものの…

(速玉大社で)神倉神社のご朱印も頂いたのでついでに行ってみようと軽い気持ちで来てみたものの…

急な階段!

まさかの急な階段!
後で手持ちのガイドで確認したら山上にある神社まで538段あるらしく、実際ちょっとした山登りになってしまいました…。

巨大岩の下に建てられた神社

麓から正味10分くらいか、何とか山上の神社に辿り着きました。
神社の上にある岩は「ゴトビキ岩」と呼ばれる神社の御神体ですが、このアングルだと社が頭上の巨大岩に今にも押しつぶされそうな光景です…。
なのでお参りをした後は早々と立ち去るとします。

市街の眺望は抜群ですが…

市街の眺望は抜群ですが…。
(左手奥に見える小山が新宮城跡、その奥が熊野川)

ぱっと見は山道です

下山?中に撮影。ぱっと見は山道です。

やっぱり急斜面

ようやく下山。
こうしてみると、階段の勾配がかなり急斜面であることが分かります。
勾配の緩い回り道(女坂)もあったようですが、道がよく分からなかったので上りと同じ道(男坂)を通りました。

写真中央、山の上が神倉神社

下山後に撮影した神倉神社の遠景。
写真中央、山の上が神倉神社と巨大岩。

そういえば朝に本宮大社行きのバスから断崖に何か神社らしきものがあるのを見かけたのですが、実はそれが神倉神社だったとは。
前知識もなくいきおい登ってしまったので、疲れが倍増でした。
事前によく調べなかったことをちょっと後悔した次第です。
(やはり心の準備というのは必要ですね…)

この後はそば屋さんで昼食を取ってから市内観光へ。
(速玉大社の時点で時間が早かったのでこのまま那智大社に行こうとふと思ったのですが、さすがにこれで取りやめました)

浮島の森

街中に突如現れる「浮島の森」。
沼地の上にある植物群落で、土が比重の軽い泥炭からできているため、文字通り水に浮く「浮島」となっています。
正しくは「新宮藺沢(いのそ)浮島植物群落」といい、国指定天然記念物となっています。
(入場料100円)

街中に囲まれた森

総面積5.000平方メートルの街中に囲まれた小さな森ですが、寒冷地帯と亜熱帯系の植物が共生しているという珍しい生態系が見られます。

森の中心が遊歩道になっている

森の周囲と中心は遊歩道になっています。
中心の遊歩道は浮島内なので、歩くと浮き沈みがあったりします。
こうなるともうジャングル気分です。

森全体を別の角度から

街中のオアシス…と言うには何とも微妙ですが、面白いものが見られました。

建物調査中につき休館中…

浮島の森の次は歩いて数分の場所にある旧西村邸(西村記念館)を見学しようと思いましたが、折りしも建物調査中につき休館中でした。
建物のみ撮影して次の場所へ。

新宮城跡 入り口

市の東側、熊野川のほとりにある新宮城跡。
別名丹鶴(たんかく)城。
※公園として整備されているので入館料は特無し

新宮城跡 水の手

熊野川岸にある「水の手」という区画。
単に城郭としてだけではなく、名産品である炭の取引がここで行われていたという記録があるとのこと。
城内で経済的発展の施設があるのは全国的にも極めて珍しい例だそうです。

紀勢本線の鉄橋

水の手から見た紀勢本線の鉄橋。
手前は線路のトンネルになっていますが、つまりは城の真下を通っていることになります。
ちなみに川の向こうは三重県。

水の手から本丸の山を見る

水の手から川の反対側、本丸の山を見る。
前述のように城自体は経済発展の施設として江戸時代末まで機能していましたが、城の建物は明治時代に全て取り壊されて、城の敷地は民間に払い下げられたとのことです。
(城下を鉄道のトンネルが通るようになったのは敷地が民間に払い下げられたことに関係している)

本丸跡地

城の頂上、本丸跡地。
跡地といっても普通の広場ですが…。

頂上から見た新宮駅

頂上から見た新宮駅。奥が紀伊勝浦方面。

石垣はほぼそのままで残っている

城の遺構として、石垣は全体的にほぼそのままの形で残っています。

ケーブルカーの跡らしい

斜面に線路の跡と思われる遺構もありましたが、どうやら城内に「日本一短いケーブルカー」がかつてあったそうです。

丹鶴城に関する案内板

丹鶴城に関する案内板。
炭納屋と日本一短いケーブルカーの他にもいくつかの施設があった模様。

城下を走る線路

城下を走る線路。
奥の車道の先から架線があるので、丁度電化と非電化区間の境目みたいです。
(勿論新宮駅が実質的に境界ですが…)

阿須賀神社

新宮城跡の次は海側に歩き、阿須賀(あすか)神社へ。
速玉大社と縁が深い神社らしく、社殿も速玉大社と同じく朱色の鮮やかな色彩です。

境内には竪穴住居の跡も

竪穴住居に関する案内板

境内には弥生時代の竪穴住居の跡もありました。
近年竪穴住居が復元されましたが、屋根の材料となる茅の調達が困難となったことから昨年惜しくも解体されたそうです(案内板より)。

また神社の横には市の歴史民俗資料館もあったので見学してみました。
(入館料210円)

徐福公園の門

最後は駅に戻る方向で徐福公園へ。
中国(秦)から派遣された徐福を記念して造営された公園です。

徐福像

公園内にある徐福像。
奥に徐福の墓があります。

石橋のデザインも面白い

石橋のデザインも面白く、建造物も中華風の様式です。

徐福公園に関する案内板

徐福は秦の時代(約2200年前)紀元前の人物ですが、全国に伝承が残っているものの江戸時代に藩主の命により徐福の墓が立てられたなど、この地に縁の深い人物のようです。
ここ熊野の地で捕鯨を始めたのも徐福であるとのこと。

この時点で17時を回っていたので、当日の観光は終了。
当日の宿泊先が熊野市なので、新宮駅に戻り熊野市方面の列車を待ちます。
(ここから18きっぷでは大損なので、普通にきっぷを購入しました)

ようやくこれに乗れた!

待機していたのは…キハ48形、ようやくこれに乗れます!
新宮から熊野市まで乗車時間は30分程度でしたが、乗り心地は悪くなかったです。

一般用気動車では珍しく空気ばね台車を搭載

現行の国鉄型一般用気動車であるキハ40系列は通常揺れやすいコイルばね台車なのですが、乗車したキハ48形については一般用気動車では珍しく空気ばね台車(形式で言うとDT32系列)を搭載していたためか、揺れはあまりありませんでした。
結論として、これならば長距離乗車も苦ではないかと。
願わくば前日の多気~新宮間で乗りたかったと思わずにはいられません。

何にしてもこの形式が完全撤退する日もそう遠くないと思われるので、短距離ながら乗車できて良かったです。

熊野市駅に到着

そして熊野市駅に到着。
かろうじてまだ日没前でした。

特産物の「那智黒石」

駅のホームには特産物である「那智黒石」が展示。
黒の碁石などに使われる、この地区の名石です。
(勿論・那智の特産物でもある)

紀勢本線を走る車両の写真が展示

駅の改札口には紀勢本線(と参宮線)を走る車両の写真が展示されていました。
左上の黄色い前面の車両は「ドクター東海」と呼ばれる検測用車両。
さすがにこれは今回お目にかかる機会はありませんでした。
「国鉄一般色」のキハ48形は各所で見ましたが。

ということで4日目の行程終了です。

※4日目まとめ
ほぼ観光メインでしたが、当日も予定通りのスケジュールをこなせました。
この日に新宮で宿を確保できず熊野市で宿泊することになったために最後鉄道を利用しましたが、運良くキハ48形に乗車できたのでかえってこれが功を奏しました。
結果オーライということで。

(5日目に続く)
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