春の乗り鉄旅行・新潟編(2日目) [旅行]
2日目は新潟を出発して弥彦山へ行き神社のお参りとロープウェイで山頂に行って散策。
下山してそのまま首都圏に戻るという行程です。
ということでまずは宿泊したホテルを出発して新潟駅へ。
新潟駅は目下在来線ホームの高架化工事の最中ですが、駅舎はまだ旧いまま。
今のところホームも新幹線以外は地上のままなので工事が完成するのはまだまだ先かと思いますが、完成の際には駅舎も建て替えられると思われるので風景はがらりと変わるのではないでしょうか?
新潟からは越後線で吉田駅まで乗車しますが、発車時刻まで多少余裕があったので他の車両を撮影するとします。
北陸新幹線開通時に新設された、新潟と上越妙高(新井)を結ぶ特急しらゆき号。
車両は同じく新潟発の特急いなほと同型のE653系。
4両でグリーン車なしという短編成の特急列車です。
既存の特急型車両である485系はまだ一部の快速列車に使用されているようですが、定期の特急列車からは完全に撤退してしまったためか見かけることはありませんでした。
前日にも乗車した湘南色の115系。
新潟地区では朝夕のラッシュ時には見かけるものの、日中はこれから乗車するような新型の車両ばかりで運用されていました。
こちらがこれから乗車する車両ですが、昨年新潟地区のニュータイプとしてデビューしたE129系。
首都圏を走るE233系をベースとしてローカル仕様とした車両で、2両・3両・4両の編成の3タイプがあるようでそれらを組み合わせて柔軟に両数を調整できるようになっています。
ワンマン運転にも対応するので、確かに115系よりは使い勝手が良さそうです。
ということで新車特有の臭い(?)に包まれつつ、新潟駅を発車。
新潟駅を出てすぐに、信濃川を渡ります。
ほぼ河口付近ですが、奥にはビルが立ち並び一見すると首都圏みたいな風景ですね。
途中の内野駅で対向列車と行き違い。
越後線はそれほど本数は多くないものの朝夕ラッシュ時は通勤・通学客も多いのでこの時間帯は行き違いすることが多かったです。
周囲は田園地帯になり、これから登る弥彦山が見えてきました。
吉田の少し手前、一文字の巻(まき)駅。
新潟から1時間弱で吉田駅に到着。
ここで弥彦線に乗り換えて終点の弥彦駅に向かいます。
吉田駅は越後線と弥彦線とが交差している(共に途中駅)ため、隣駅の行き先が4箇所ということでX型の駅表記になっています。
但し越後線・弥彦線とも吉田駅を境に運行系統が分かれていて、線内を通しで運行する列車は少ないようです。
X型の駅表記と言えば前日通過した新津駅もそうですね。
こちらは信越線が途中駅、磐越西線・羽越本線が始発駅となっています。
弥彦線・弥彦行きの電車はワンマン列車のE127系。
以前から新潟地区のローカル列車として活躍している車両ですが、多くが北陸新幹線開通と同時に発足した「えちごトキめき鉄道」用の車両として譲渡されたので、現在では少数派の模様。
一面田園地帯。
この時期はまだ田植え前ですが、夏場は緑一面で美しい風景かと思います。
終点の弥彦駅に到着。
吉田の2駅先なので、乗車時間は10分も満たなかったです。
駅周辺の桜が綺麗でした。
弥彦駅の駅舎は寺社風のデザイン。
彌彦神社にまつわるものかと思いますが、赤色を主体とした非常に映える色合いです。
駅を降りてからは弥彦公園を経て彌彦神社、更にはロープウェイで山頂へ。
弥彦駅から彌彦神社までは大体徒歩15分程度なのですが、少し迂回する形になるものの駅に隣接している弥彦公園を経由しても問題なく行けるので、公園を散策しつつ向かうことに。
折りしも桜のシーズンで、歩道からの風景も非常に綺麗でした。
公園内にはトンネルもありましたが、歩道用のトンネルとしてはポータルの造りが立派ですね。
元々鉄道ないしは車道用として造られたものでしょうか?
トンネルを抜けた先にある桜並木も非常に綺麗でした。
公園の出口付近にあった弥彦村の案内図。
道を真っすぐ(東側)に進むと彌彦神社、更にロープウェイで山頂まで行きます。
「おやひこさま」として親しまれている彌彦神社の入り口、一の鳥居に到着。
二の鳥居を過ぎて、神社境内へ。
境内に入る前に、右手にある神社の摂社と末社へ。
向かって1番右側の茅葺き屋根の「十柱神社」は重要文化財です。
改めて境内に入ると神社の御社殿が。
「越後一宮」と称するだけあり、立派な造りです。
ちなみに現在の御社殿は大正5年に再建されたもの。
神社からロープウェイ山麓駅へと向かう「万葉の道」。
ロープウェイ山麓駅までは徒歩10分程度ですが、無料のシャトルバスも出ています。
(行きは徒歩で帰りはシャトルバスを利用した)
万葉の道の途中にある弥彦山登山道の入り口。
ここから山頂まで90分位とのことですが、今回は山登りをする時間も無いのでそのままロープウェイの駅へ。
機会があれば山登りしたいですね。
ロープウェイ山麓駅に到着。
ロープウェイの運賃は大人往復で1.400円、片道750円。
ロープウェイのゴンドラは「やまひこ号」と「うみひこ号」の2台がありますが、行きは左側のやまひこ号に乗車。
山麓駅ホームから山頂駅方面を望む。
乗車時間は6分程度。
中間地点で下りの「うみひこ号」とすれ違い。
眼下に越後平野が広がります。
写真中央の芝生部分が弥彦競輪場。
神社のすぐ近くに競輪場があるというのも面白いですが…。
ロープウェイ山頂駅に到着。
弥彦山は標高634m。
東京スカイツリーと同じ高さということで、積極的にアピールしていました。
上にある展望食堂では「ツリーパフェ」なんてメニューもありました…。
ちなみに背後に見える構造物はパノラマタワーとクライミングカー。
パノラマタワー(右側)は回転昇降展望塔で、山頂周囲を360°一望できるという観光施設。
クライミングカー(中央)は弥彦山スカイラインの駐車場と山頂駅を結ぶ斜行エレベーター。
「カー」と名乗っていますが実際は身延山にもあった斜行エレベーターと同様の乗り物と見た方が良いでしょう。
※パノラマタワー:650円(団体割引あり) クライミングカー:往復380円
(いずれも大人料金)
山頂広場の下を通る弥彦山スカイライン。
マイカーで来る場合は下の駐車場からクライミングカー(もしくは徒歩)で広場に来る感じ。
弥彦山スカイラインは日本海を眼下に望める峠道で、実は実写版「頭文字D」のロケ地だったそう。
山頂広場内には小さな遊園地もありましたが、閉鎖してから結構経っている感じでした。
昭和の時代ではお約束でしたが、他の観光地と同様にレジャーの多様化もしくは子供の嗜好の変化により廃る運命にあるということですね…。
展望食堂の前にある「やひこざくら(ヤヒコザクラ)」。
白山桜の変種でこのヤヒコザクラは山中でも貴重な一株として天然記念物に指定されているそうです。
花が満開になるのは4月下旬ごろとのことで、当日は時期的にまだ早い模様。
登山道の合流地点となる九合目。
当日は晴天で暖かかったことから絶好の登山日和ということで山頂付近も登山客で賑わっていました。
九合目の広場から撮影、眼下には日本海が広がります。
空気が澄んでいればその先に佐渡島が見えるそうですが、当日は霞んでいたのでみることはできず…。
ロープウェイ山頂駅から弥彦山頂・御神廟までは徒歩15分ほど。
道は多少アップダウンがあるものの勾配はきつくないのでちょっとした散策には最適かと。
登山道の脇にはカタクリや一輪草(キクザキイチゲ)などの山花を多く見かけました。
山頂付近、眼下に越後平野を一望できます。
ロープウェイから見た時より更に標高が高いので、一面に広がるという感じ。
夏だと水田の緑で更に美しい光景になるのかと思います。
山頂・御神廟入り口の鳥居。
鳥居の右手に御神廟の社務所があり、ご朱印やお守り・絵馬等を授かることができます。
(自分はここと神社本殿でご朱印を受けました)
山頂で振り返ると対面にある十宝山が一望できました。
手前にロープウェイ山頂駅とパノラマタワーも見えます。
山頂の御神廟。
パンフレットなどを見ると以前は両脇に針葉樹系の樹木があったようですが、枯れてしまったのか現在は何も無かったです。
山頂から南東方面を望む。
地図で確認したところ、山の向こうに見える川は信濃川(新信濃川)でその奥は長岡市のようです。
こちらは南方面、奥に見えるのが寺泊港。
アップで撮影した寺泊港。
ちょっと滞在の後、山頂駅方面に戻るとします。
山頂駅の少し上にある展望食堂の屋上から見た十宝山。
手前にちょこっとクライミングカーのゴンドラが見えています。
屋上から日本海側を見ると、ちょうどパノラマタワーの展望室が頂上付近に来ていました。
展望室自体が回転しながら頂上まで上がり、しばし停止した後にまた回転しながら下るという仕掛けですが、果たして眺望はいかがなのでしょうか?
ちなみに定員は52名とのことですが、この時の乗客は上段の席に僅かにいたといった感じでした。
GWの時にはそれなりの客数が稼げるかと思いますが、この感じだと次回に大幅な補修が必要になった時に廃止される見込みが大かと。
これも昭和時代の産物の宿命なのか…。
ちなみにクライミングカーの方はバリアフリーの観点から新しく作り直されるなどして存続するのではないかと思います。
(身延山の先例もありますので)
振り返って山頂方面を見ると、テレビ用のアンテナが林立していました。
周辺に高い山が無いことや標高的に電波の感度が丁度良いのかもしれません。
(スカイツリーの高さと同じ位ですし)
昼にさしかかりますが帰りの電車に間に合うようにするため、そろそろ下山することに。
ロープウェイの下りは右側の「うみひこ号」に乗車しました。
神社の境内には鹿苑があり、シカさんもいらっしゃいました。
パンフレットには10数頭いるそうですが、当日見かけたのは3頭のみでした。
鹿苑の横には10数種の日本鶏を飼育している鶏舎もあります。
彌彦神社の外にある住吉神社には「蛸ケヤキ」と呼ばれるケヤキの巨木がありました。
神社のご神木ということですね。
この後弥彦駅に戻り、首都圏を目指して帰路につくことに。
弥彦駅のホームに立つと、満開の桜の間から電車が到着。
いかにも春らしい、絵になる光景。
沿線には見事な風景を撮ろうと、撮り鉄さんがいっぱいいました。
(一般のギャラリーも含んでいますが)
自分はこの電車に乗り遅れると大変なので、ホームから写真を1・2枚撮って止む無く乗車します。
途中の矢作駅付近から見える大鳥居。
昭和57年に上越新幹線の開通記念の際に建てられたのだそう。
ちなみにこの大鳥居は高さ30.16mで完成当時は高さ日本一でしたが、現在では和歌山の熊野本宮大社の鳥居(高さ33.9m)が高さ日本一となります。
参考:写真左が熊野本宮大社(和歌山)、右が大神神社(奈良)の大鳥居。
大神神社の大鳥居高さ32.2mで国内第2位。
(共に筆者撮影)
大鳥居を通り過ぎ、弥彦山を後にします。
弥彦から乗車した電車は吉田止まりで次は東三条行きに乗り換えますが、待ち合わせ時間が多少あるので一旦駅の外に出てみます。
ここで昼食を取ろうとしましたが、駅周辺に食事できる店は無く駅構内にも食堂はおろか売店すらありませんでした。
(NEW DAYSがあったようですが最近閉店してしまった模様)
仕方なく駅周辺をぶらついたところ、交差点で風変わりな信号機を発見。
十字路の真ん中に信号機があるとは…。
駅に戻り、東三条行きの電車に乗車します。
路線は引き続き弥彦線、車両は最新型のE129系。
途中の燕駅。
かつては新潟交通線を接続していましたが、廃止となってしまったので現在は弥彦線単独の駅です。
燕と次の燕三条との間で信濃川を渡ります。
燕三条駅は上越新幹線との接続駅。
新幹線特有の長いホーム(駅舎)とローカル線の短いホームとのアンバランスさが印象的でした。
(これはローカル線と接続する新幹線駅全てに言えることなのですが…)
弥彦線の終点東三条に到着。
すぐさま長岡行きの信越線に乗り換えます。
信越線の車窓からも辛うじて弥彦山が見えました。
周囲が田んぼの東光寺駅でも駅舎の横にある桜が満開でした。
川の向こうに見えるのは越後山脈の山々。
山頂付近はまだ雪が残っていました。
長岡で上越線、越後湯沢方面に乗り換え。
車両は引き続きE129系で、上越線でも既存の115系の姿を見ることは無かったです。
しかもこの列車が2両編成のワンマン運転で、ついに幹線クラスの上越線でもワンマン運転が導入されるようになるとは。
国鉄時代の栄華からみると隔世の感がありますが、沿線の需要を考えるとこれも時代の流れですか…。
尤も新車の導入で可能になったのは言うまでもありませんが。
※ちなみに長岡駅内に蕎麦屋があったので、ここで遅めの昼食を取りました。
全線複線で勾配・カーブもそれほどきつくない(つまり高速で走行できる)など、線路規格はまぎれもなく本線級。
途中の駅も長大編成に対応した長いホームなのですが、それに対して走る電車がたったの2両編成というのも、ローカル線に成り下がってしまった寂しさを感じなくもないです。
尤も115系の時も3両編成が基本なのであまり大差はないのですが…。
小出駅の手前で只見線と合流(緑の鉄橋の線路)。
橋の下を流れるのは魚野川。
小出駅の只見線ホーム。
列車が来る様子は全くなかったです。
(時刻表で確認したところ、小出発の列車は1日4本だった…)
只見線は小出から通しで乗ると会津若松へ行けるのですが、現時点で災害による不通区間があり、代行バスが走っているものの接続が非常に悪いので、全線復旧した暁に乗車したいですね。
(その際に同時に会津若松の観光ができればと)
越後湯沢の前の新幹線接続駅である浦佐駅で一旦下車。
相変わらず新幹線のホームが長いですが、在来線(上越線)のホームもそれなりに長いので何とか面目を保っているといったところです。
で、なぜ浦佐駅で下車したかと言うと…。
駅前にある田中角栄像。
前回(2年前)は車内から背面した見ることができませんでしたが、今回まともに見ることができました。
もろに逆光ですが…。
アップで撮影。
これも何とか露出補正をかけてはっきりと見えるようになったのですが。
ちなみに像の上にかかっている屋根はご息女である眞紀子氏の要望によって設けられたのだそう。
像の台座にある碑文。
角栄氏の略歴や数々の功績について記されています。
元内閣総理大臣である田中角栄氏についてはロッキード事件を始めとする金脈問題に影響する負のイメージがどうしても付きまとってしまうのですが、日中国交正常化を果たしたり全国の交通網の整備に貢献するなど、特に近年その評価が見直されている動きが見られます。
浦佐駅を通る上越新幹線や関越自動車道についても間違いなく氏の功績であることは誰もが認めるところですが。
こんな「お願い」の案内板も。
「銅像を傷つけたり汚したりしないよう」とのことですが、ということは過去にそういうことがあったということなのでしょうか?
昭和時代の偉人の一人であることは間違いないのですが、確かに(正負両面において)でこれほど影響を及ぼした人物はいないと思います。
参考:Wikipediaの記事
当初は越後湯沢から新幹線に乗り換えて高崎までワープする予定でしたが、浦佐も新幹線が停まる駅なのでここは角栄氏の功績を讃える形で浦佐から新幹線に乗車することとします。
(丁度待ち合わせの列車があったというのも理由でありますが)
浦佐駅の新幹線用コンコース。
他の新幹線駅と同じ造りですが、駅の利用者に対して異様な広さが目立ちました…。
ちなみに中央にあるのは最近デビューした「現美新幹線」のPR広告。
現美新幹線は越後湯沢~新潟間で運行される、全国で2番目の新幹線専用のイベント列車。
1番目は山形新幹線の足湯に浸かれる「とれいゆ つばさ」ですが、走行区間が山形新幹線内、つまりは在来線を改軌した区間なので純粋に新幹線専用の線路を走行するイベント列車として始めてということになるのでしょうか?
浦佐駅の新幹線ホーム。
通過線も含めて駅構内全体が屋根に覆われているという、雪国独特の造りです。
上越新幹線の越後湯沢から先の駅はほぼ同様の構造になっている模様。
新幹線だと浦佐の次は越後湯沢(反対側は長岡)。
ほどなくして東京行きの「Maxとき」が到着。
Maxなので車両はオール2階建てのE4系。
Maxは現在では中央の帯の色がピンク(とき色)ですが、以前は帯の色は黄色でした。
以前のMax(日暮里にて撮影)。
高崎までの途中駅は越後湯沢と上毛高原の2駅のみ。
(乗車した「とき」はいずれの駅も停車)
この区間は長大トンネルである大清水トンネルを始め大半がトンネル区間だったことから車窓の風景は殆んど拝めず、まさしく「ワープ」でした。
上毛高原~高崎間にてわずかに見えた車窓。
下に見える線路は吾妻線。
吾妻線は昨年年明けに乗車しました。
浦佐から40分程度で高崎に到着。
在来線だと2時間は確実にかかる(接続が悪いと3時間以上になる)区間なので、新幹線の凄さを改めて実感しました。
もちろん18きっぷは新幹線では使えないため自腹を切ることになりましたが、この区間は効果的なワープであると言えます。
Max=Multi Amenity Expressの略だったんですね。
ロゴの上にはトキ(朱鷺)のイラストが描かれており、帯の色もとき色であることからMaxは上越新幹線専用の車両ということになるんですね。
以前は東北新幹線系統(やまびこ・なすの)での運用もありましたが、東北新幹線ではE5系・北陸新幹線ではE7系などの路線に特化した車両での運用に変化した結果上越新幹線のみに運用が狭められた訳ですが、更に車両の特性上高速運転に適応できないために近い将来引退する可能性もあるようです。
という噂もあるので乗り納めの意味も含めて今回Maxに乗車してみました。
高崎から再び在来線(高崎線)に乗車。
東海道線直通の小田原行きなので、これが当旅行で実質的に最後に乗車した電車ということになります。
車両は首都圏でおなじみのE233系。
次の倉賀野駅で八高線の気動車とすれ違い。
倉賀野の先で烏川(利根川の支流)を渡ります。
正面に見える鉄橋は下り線のもの。
群馬県から埼玉県へ。
正面に見えるのは秩父の山々?
熊谷付近の貨物ターミナル。
以降は日没+首都圏区間に入るので、車窓の撮影はなし。
高崎から大宮までは比較的車内は空いていましたが、大宮以降は帰りの乗車客で車内はそれなりに混雑しました。
ラストは横須賀線の武蔵小杉駅。
これにて今回の旅は終了。
1泊2日という短い期間でしたが、在来線を乗り継ぐと2泊3日くらいのボリュームになるなというのが率直な感想です。
ただ今回のような桜の季節に遠方の旅行に行くという経験は初めてだったので、そういう意味では貴重は旅だったと思います。
~終わり~
下山してそのまま首都圏に戻るという行程です。
ということでまずは宿泊したホテルを出発して新潟駅へ。
新潟駅は目下在来線ホームの高架化工事の最中ですが、駅舎はまだ旧いまま。
今のところホームも新幹線以外は地上のままなので工事が完成するのはまだまだ先かと思いますが、完成の際には駅舎も建て替えられると思われるので風景はがらりと変わるのではないでしょうか?
新潟からは越後線で吉田駅まで乗車しますが、発車時刻まで多少余裕があったので他の車両を撮影するとします。
北陸新幹線開通時に新設された、新潟と上越妙高(新井)を結ぶ特急しらゆき号。
車両は同じく新潟発の特急いなほと同型のE653系。
4両でグリーン車なしという短編成の特急列車です。
既存の特急型車両である485系はまだ一部の快速列車に使用されているようですが、定期の特急列車からは完全に撤退してしまったためか見かけることはありませんでした。
前日にも乗車した湘南色の115系。
新潟地区では朝夕のラッシュ時には見かけるものの、日中はこれから乗車するような新型の車両ばかりで運用されていました。
こちらがこれから乗車する車両ですが、昨年新潟地区のニュータイプとしてデビューしたE129系。
首都圏を走るE233系をベースとしてローカル仕様とした車両で、2両・3両・4両の編成の3タイプがあるようでそれらを組み合わせて柔軟に両数を調整できるようになっています。
ワンマン運転にも対応するので、確かに115系よりは使い勝手が良さそうです。
ということで新車特有の臭い(?)に包まれつつ、新潟駅を発車。
新潟駅を出てすぐに、信濃川を渡ります。
ほぼ河口付近ですが、奥にはビルが立ち並び一見すると首都圏みたいな風景ですね。
途中の内野駅で対向列車と行き違い。
越後線はそれほど本数は多くないものの朝夕ラッシュ時は通勤・通学客も多いのでこの時間帯は行き違いすることが多かったです。
周囲は田園地帯になり、これから登る弥彦山が見えてきました。
吉田の少し手前、一文字の巻(まき)駅。
新潟から1時間弱で吉田駅に到着。
ここで弥彦線に乗り換えて終点の弥彦駅に向かいます。
吉田駅は越後線と弥彦線とが交差している(共に途中駅)ため、隣駅の行き先が4箇所ということでX型の駅表記になっています。
但し越後線・弥彦線とも吉田駅を境に運行系統が分かれていて、線内を通しで運行する列車は少ないようです。
X型の駅表記と言えば前日通過した新津駅もそうですね。
こちらは信越線が途中駅、磐越西線・羽越本線が始発駅となっています。
弥彦線・弥彦行きの電車はワンマン列車のE127系。
以前から新潟地区のローカル列車として活躍している車両ですが、多くが北陸新幹線開通と同時に発足した「えちごトキめき鉄道」用の車両として譲渡されたので、現在では少数派の模様。
一面田園地帯。
この時期はまだ田植え前ですが、夏場は緑一面で美しい風景かと思います。
終点の弥彦駅に到着。
吉田の2駅先なので、乗車時間は10分も満たなかったです。
駅周辺の桜が綺麗でした。
弥彦駅の駅舎は寺社風のデザイン。
彌彦神社にまつわるものかと思いますが、赤色を主体とした非常に映える色合いです。
駅を降りてからは弥彦公園を経て彌彦神社、更にはロープウェイで山頂へ。
弥彦駅から彌彦神社までは大体徒歩15分程度なのですが、少し迂回する形になるものの駅に隣接している弥彦公園を経由しても問題なく行けるので、公園を散策しつつ向かうことに。
折りしも桜のシーズンで、歩道からの風景も非常に綺麗でした。
公園内にはトンネルもありましたが、歩道用のトンネルとしてはポータルの造りが立派ですね。
元々鉄道ないしは車道用として造られたものでしょうか?
トンネルを抜けた先にある桜並木も非常に綺麗でした。
公園の出口付近にあった弥彦村の案内図。
道を真っすぐ(東側)に進むと彌彦神社、更にロープウェイで山頂まで行きます。
「おやひこさま」として親しまれている彌彦神社の入り口、一の鳥居に到着。
二の鳥居を過ぎて、神社境内へ。
境内に入る前に、右手にある神社の摂社と末社へ。
向かって1番右側の茅葺き屋根の「十柱神社」は重要文化財です。
改めて境内に入ると神社の御社殿が。
「越後一宮」と称するだけあり、立派な造りです。
ちなみに現在の御社殿は大正5年に再建されたもの。
神社からロープウェイ山麓駅へと向かう「万葉の道」。
ロープウェイ山麓駅までは徒歩10分程度ですが、無料のシャトルバスも出ています。
(行きは徒歩で帰りはシャトルバスを利用した)
万葉の道の途中にある弥彦山登山道の入り口。
ここから山頂まで90分位とのことですが、今回は山登りをする時間も無いのでそのままロープウェイの駅へ。
機会があれば山登りしたいですね。
ロープウェイ山麓駅に到着。
ロープウェイの運賃は大人往復で1.400円、片道750円。
ロープウェイのゴンドラは「やまひこ号」と「うみひこ号」の2台がありますが、行きは左側のやまひこ号に乗車。
山麓駅ホームから山頂駅方面を望む。
乗車時間は6分程度。
中間地点で下りの「うみひこ号」とすれ違い。
眼下に越後平野が広がります。
写真中央の芝生部分が弥彦競輪場。
神社のすぐ近くに競輪場があるというのも面白いですが…。
ロープウェイ山頂駅に到着。
弥彦山は標高634m。
東京スカイツリーと同じ高さということで、積極的にアピールしていました。
上にある展望食堂では「ツリーパフェ」なんてメニューもありました…。
ちなみに背後に見える構造物はパノラマタワーとクライミングカー。
パノラマタワー(右側)は回転昇降展望塔で、山頂周囲を360°一望できるという観光施設。
クライミングカー(中央)は弥彦山スカイラインの駐車場と山頂駅を結ぶ斜行エレベーター。
「カー」と名乗っていますが実際は身延山にもあった斜行エレベーターと同様の乗り物と見た方が良いでしょう。
※パノラマタワー:650円(団体割引あり) クライミングカー:往復380円
(いずれも大人料金)
山頂広場の下を通る弥彦山スカイライン。
マイカーで来る場合は下の駐車場からクライミングカー(もしくは徒歩)で広場に来る感じ。
弥彦山スカイラインは日本海を眼下に望める峠道で、実は実写版「頭文字D」のロケ地だったそう。
山頂広場内には小さな遊園地もありましたが、閉鎖してから結構経っている感じでした。
昭和の時代ではお約束でしたが、他の観光地と同様にレジャーの多様化もしくは子供の嗜好の変化により廃る運命にあるということですね…。
展望食堂の前にある「やひこざくら(ヤヒコザクラ)」。
白山桜の変種でこのヤヒコザクラは山中でも貴重な一株として天然記念物に指定されているそうです。
花が満開になるのは4月下旬ごろとのことで、当日は時期的にまだ早い模様。
登山道の合流地点となる九合目。
当日は晴天で暖かかったことから絶好の登山日和ということで山頂付近も登山客で賑わっていました。
九合目の広場から撮影、眼下には日本海が広がります。
空気が澄んでいればその先に佐渡島が見えるそうですが、当日は霞んでいたのでみることはできず…。
ロープウェイ山頂駅から弥彦山頂・御神廟までは徒歩15分ほど。
道は多少アップダウンがあるものの勾配はきつくないのでちょっとした散策には最適かと。
登山道の脇にはカタクリや一輪草(キクザキイチゲ)などの山花を多く見かけました。
山頂付近、眼下に越後平野を一望できます。
ロープウェイから見た時より更に標高が高いので、一面に広がるという感じ。
夏だと水田の緑で更に美しい光景になるのかと思います。
山頂・御神廟入り口の鳥居。
鳥居の右手に御神廟の社務所があり、ご朱印やお守り・絵馬等を授かることができます。
(自分はここと神社本殿でご朱印を受けました)
山頂で振り返ると対面にある十宝山が一望できました。
手前にロープウェイ山頂駅とパノラマタワーも見えます。
山頂の御神廟。
パンフレットなどを見ると以前は両脇に針葉樹系の樹木があったようですが、枯れてしまったのか現在は何も無かったです。
山頂から南東方面を望む。
地図で確認したところ、山の向こうに見える川は信濃川(新信濃川)でその奥は長岡市のようです。
こちらは南方面、奥に見えるのが寺泊港。
アップで撮影した寺泊港。
ちょっと滞在の後、山頂駅方面に戻るとします。
山頂駅の少し上にある展望食堂の屋上から見た十宝山。
手前にちょこっとクライミングカーのゴンドラが見えています。
屋上から日本海側を見ると、ちょうどパノラマタワーの展望室が頂上付近に来ていました。
展望室自体が回転しながら頂上まで上がり、しばし停止した後にまた回転しながら下るという仕掛けですが、果たして眺望はいかがなのでしょうか?
ちなみに定員は52名とのことですが、この時の乗客は上段の席に僅かにいたといった感じでした。
GWの時にはそれなりの客数が稼げるかと思いますが、この感じだと次回に大幅な補修が必要になった時に廃止される見込みが大かと。
これも昭和時代の産物の宿命なのか…。
ちなみにクライミングカーの方はバリアフリーの観点から新しく作り直されるなどして存続するのではないかと思います。
(身延山の先例もありますので)
振り返って山頂方面を見ると、テレビ用のアンテナが林立していました。
周辺に高い山が無いことや標高的に電波の感度が丁度良いのかもしれません。
(スカイツリーの高さと同じ位ですし)
昼にさしかかりますが帰りの電車に間に合うようにするため、そろそろ下山することに。
ロープウェイの下りは右側の「うみひこ号」に乗車しました。
神社の境内には鹿苑があり、シカさんもいらっしゃいました。
パンフレットには10数頭いるそうですが、当日見かけたのは3頭のみでした。
鹿苑の横には10数種の日本鶏を飼育している鶏舎もあります。
彌彦神社の外にある住吉神社には「蛸ケヤキ」と呼ばれるケヤキの巨木がありました。
神社のご神木ということですね。
この後弥彦駅に戻り、首都圏を目指して帰路につくことに。
弥彦駅のホームに立つと、満開の桜の間から電車が到着。
いかにも春らしい、絵になる光景。
沿線には見事な風景を撮ろうと、撮り鉄さんがいっぱいいました。
(一般のギャラリーも含んでいますが)
自分はこの電車に乗り遅れると大変なので、ホームから写真を1・2枚撮って止む無く乗車します。
途中の矢作駅付近から見える大鳥居。
昭和57年に上越新幹線の開通記念の際に建てられたのだそう。
ちなみにこの大鳥居は高さ30.16mで完成当時は高さ日本一でしたが、現在では和歌山の熊野本宮大社の鳥居(高さ33.9m)が高さ日本一となります。
参考:写真左が熊野本宮大社(和歌山)、右が大神神社(奈良)の大鳥居。
大神神社の大鳥居高さ32.2mで国内第2位。
(共に筆者撮影)
大鳥居を通り過ぎ、弥彦山を後にします。
弥彦から乗車した電車は吉田止まりで次は東三条行きに乗り換えますが、待ち合わせ時間が多少あるので一旦駅の外に出てみます。
ここで昼食を取ろうとしましたが、駅周辺に食事できる店は無く駅構内にも食堂はおろか売店すらありませんでした。
(NEW DAYSがあったようですが最近閉店してしまった模様)
仕方なく駅周辺をぶらついたところ、交差点で風変わりな信号機を発見。
十字路の真ん中に信号機があるとは…。
駅に戻り、東三条行きの電車に乗車します。
路線は引き続き弥彦線、車両は最新型のE129系。
途中の燕駅。
かつては新潟交通線を接続していましたが、廃止となってしまったので現在は弥彦線単独の駅です。
燕と次の燕三条との間で信濃川を渡ります。
燕三条駅は上越新幹線との接続駅。
新幹線特有の長いホーム(駅舎)とローカル線の短いホームとのアンバランスさが印象的でした。
(これはローカル線と接続する新幹線駅全てに言えることなのですが…)
弥彦線の終点東三条に到着。
すぐさま長岡行きの信越線に乗り換えます。
信越線の車窓からも辛うじて弥彦山が見えました。
周囲が田んぼの東光寺駅でも駅舎の横にある桜が満開でした。
川の向こうに見えるのは越後山脈の山々。
山頂付近はまだ雪が残っていました。
長岡で上越線、越後湯沢方面に乗り換え。
車両は引き続きE129系で、上越線でも既存の115系の姿を見ることは無かったです。
しかもこの列車が2両編成のワンマン運転で、ついに幹線クラスの上越線でもワンマン運転が導入されるようになるとは。
国鉄時代の栄華からみると隔世の感がありますが、沿線の需要を考えるとこれも時代の流れですか…。
尤も新車の導入で可能になったのは言うまでもありませんが。
※ちなみに長岡駅内に蕎麦屋があったので、ここで遅めの昼食を取りました。
全線複線で勾配・カーブもそれほどきつくない(つまり高速で走行できる)など、線路規格はまぎれもなく本線級。
途中の駅も長大編成に対応した長いホームなのですが、それに対して走る電車がたったの2両編成というのも、ローカル線に成り下がってしまった寂しさを感じなくもないです。
尤も115系の時も3両編成が基本なのであまり大差はないのですが…。
小出駅の手前で只見線と合流(緑の鉄橋の線路)。
橋の下を流れるのは魚野川。
小出駅の只見線ホーム。
列車が来る様子は全くなかったです。
(時刻表で確認したところ、小出発の列車は1日4本だった…)
只見線は小出から通しで乗ると会津若松へ行けるのですが、現時点で災害による不通区間があり、代行バスが走っているものの接続が非常に悪いので、全線復旧した暁に乗車したいですね。
(その際に同時に会津若松の観光ができればと)
越後湯沢の前の新幹線接続駅である浦佐駅で一旦下車。
相変わらず新幹線のホームが長いですが、在来線(上越線)のホームもそれなりに長いので何とか面目を保っているといったところです。
で、なぜ浦佐駅で下車したかと言うと…。
駅前にある田中角栄像。
前回(2年前)は車内から背面した見ることができませんでしたが、今回まともに見ることができました。
もろに逆光ですが…。
アップで撮影。
これも何とか露出補正をかけてはっきりと見えるようになったのですが。
ちなみに像の上にかかっている屋根はご息女である眞紀子氏の要望によって設けられたのだそう。
像の台座にある碑文。
角栄氏の略歴や数々の功績について記されています。
元内閣総理大臣である田中角栄氏についてはロッキード事件を始めとする金脈問題に影響する負のイメージがどうしても付きまとってしまうのですが、日中国交正常化を果たしたり全国の交通網の整備に貢献するなど、特に近年その評価が見直されている動きが見られます。
浦佐駅を通る上越新幹線や関越自動車道についても間違いなく氏の功績であることは誰もが認めるところですが。
こんな「お願い」の案内板も。
「銅像を傷つけたり汚したりしないよう」とのことですが、ということは過去にそういうことがあったということなのでしょうか?
昭和時代の偉人の一人であることは間違いないのですが、確かに(正負両面において)でこれほど影響を及ぼした人物はいないと思います。
参考:Wikipediaの記事
当初は越後湯沢から新幹線に乗り換えて高崎までワープする予定でしたが、浦佐も新幹線が停まる駅なのでここは角栄氏の功績を讃える形で浦佐から新幹線に乗車することとします。
(丁度待ち合わせの列車があったというのも理由でありますが)
浦佐駅の新幹線用コンコース。
他の新幹線駅と同じ造りですが、駅の利用者に対して異様な広さが目立ちました…。
ちなみに中央にあるのは最近デビューした「現美新幹線」のPR広告。
現美新幹線は越後湯沢~新潟間で運行される、全国で2番目の新幹線専用のイベント列車。
1番目は山形新幹線の足湯に浸かれる「とれいゆ つばさ」ですが、走行区間が山形新幹線内、つまりは在来線を改軌した区間なので純粋に新幹線専用の線路を走行するイベント列車として始めてということになるのでしょうか?
浦佐駅の新幹線ホーム。
通過線も含めて駅構内全体が屋根に覆われているという、雪国独特の造りです。
上越新幹線の越後湯沢から先の駅はほぼ同様の構造になっている模様。
新幹線だと浦佐の次は越後湯沢(反対側は長岡)。
ほどなくして東京行きの「Maxとき」が到着。
Maxなので車両はオール2階建てのE4系。
Maxは現在では中央の帯の色がピンク(とき色)ですが、以前は帯の色は黄色でした。
以前のMax(日暮里にて撮影)。
高崎までの途中駅は越後湯沢と上毛高原の2駅のみ。
(乗車した「とき」はいずれの駅も停車)
この区間は長大トンネルである大清水トンネルを始め大半がトンネル区間だったことから車窓の風景は殆んど拝めず、まさしく「ワープ」でした。
上毛高原~高崎間にてわずかに見えた車窓。
下に見える線路は吾妻線。
吾妻線は昨年年明けに乗車しました。
浦佐から40分程度で高崎に到着。
在来線だと2時間は確実にかかる(接続が悪いと3時間以上になる)区間なので、新幹線の凄さを改めて実感しました。
もちろん18きっぷは新幹線では使えないため自腹を切ることになりましたが、この区間は効果的なワープであると言えます。
Max=Multi Amenity Expressの略だったんですね。
ロゴの上にはトキ(朱鷺)のイラストが描かれており、帯の色もとき色であることからMaxは上越新幹線専用の車両ということになるんですね。
以前は東北新幹線系統(やまびこ・なすの)での運用もありましたが、東北新幹線ではE5系・北陸新幹線ではE7系などの路線に特化した車両での運用に変化した結果上越新幹線のみに運用が狭められた訳ですが、更に車両の特性上高速運転に適応できないために近い将来引退する可能性もあるようです。
という噂もあるので乗り納めの意味も含めて今回Maxに乗車してみました。
高崎から再び在来線(高崎線)に乗車。
東海道線直通の小田原行きなので、これが当旅行で実質的に最後に乗車した電車ということになります。
車両は首都圏でおなじみのE233系。
次の倉賀野駅で八高線の気動車とすれ違い。
倉賀野の先で烏川(利根川の支流)を渡ります。
正面に見える鉄橋は下り線のもの。
群馬県から埼玉県へ。
正面に見えるのは秩父の山々?
熊谷付近の貨物ターミナル。
以降は日没+首都圏区間に入るので、車窓の撮影はなし。
高崎から大宮までは比較的車内は空いていましたが、大宮以降は帰りの乗車客で車内はそれなりに混雑しました。
ラストは横須賀線の武蔵小杉駅。
これにて今回の旅は終了。
1泊2日という短い期間でしたが、在来線を乗り継ぐと2泊3日くらいのボリュームになるなというのが率直な感想です。
ただ今回のような桜の季節に遠方の旅行に行くという経験は初めてだったので、そういう意味では貴重は旅だったと思います。
~終わり~
2016-04-14 18:27
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