年初めの乗り鉄2018~中国地方のローカル線巡り(4日目) [鉄道・鉄道旅行]
4日目(最終日)は岡山から津山線にて津山まで行き、津山で観光(津山まなびの鉄道館と津山城址)の後に姫新線にて姫路まで乗車。
ローカル線乗り鉄は姫路まででその後は帰路。
京都までは在来線で移動(少し寄り道あり)、最後は新幹線で戻るという行程です。
ということでまずは岡山駅からスタート。
日曜日の朝なので、人影はまばらです。
回送中のバスの案内表示が面白かったので撮影。
「すみません回送中です」という思いやりの心がある表現が関西ならでは、なのでしょうか?
ちなみに前日の浜田駅前にいたバスでも同様でした。
岡山は四国方面の列車も多く発着するので、ここでその車両を紹介。
写真上が松山行きの特急しおかぜ号、写真下が高知・宿毛行きの特急南風号。
しおかぜは電車・南風は気動車ですがいずれも振り子式の車両です。
ただ制御装置付きの振り子なので、乗り物酔いは解消されている模様。
※しおかぜは3日目夜に撮影、南風は1日目に撮影
こちらは岡山と高松を結ぶ快速マリンライナー。
先頭車両が2階建てのグリーン&指定席車という豪華仕様。
関西の普通・快速列車でグリーン車を設けていること自体レアなケースなのですが、更にレアなのがこの列車の場合「グリーン指定席」であること。
当日も18きっぷを利用していますが、普通・快速列車であってもグリーン指定席は18きっぷで利用できないという制限があったりします。
(首都圏の普通・快速列車に連結されているグリーン車は自由席なので、18きっぷで利用可能です)
ちなみに1階席は普通車指定席なので、こちらも18きっぷ利用可能。
非常にややこしいですが、気になったので紹介させていただきました。
1号車の側面。
特徴的なのが「5102」という車両表記で、実はJR四国の場合「クハ」「モハ」などの国鉄方式ではなく、数字4桁のみの私鉄(民鉄)風の形式表示を取っています。
なのでこの車両の場合、形式は「5000系」ということになります。
2号車以降は普通の近郊型車両。
JR西日本の223系ですが、前より4両はJR四国所有の車両ということで形式が5000系になっています。
(上の写真で水色のJRの文字が付いているのがJR四国車、白のJR文字がJR西日本車)
話がかなり脱線してしまいましたが、岡山から最初に乗車する車両はこちら。
2日目にも乗車した首都圏色(タラコ色とも言う)の気動車、キハ40型です。
岡山地区の気動車は以前はこのような地域カラーでした。
この塗色もシックな感じで良かったのですが…。
(2010年11月 吉備線総社駅にて撮影)
それはともかく、岡山駅を出発。
最初はのどかな田園地帯を走行。
天気も快晴で気分良いです。
川を高速道路が横切る、ちょっとダイナミックな光景。
高速は山陽自動車道でしょうか?
この辺りは川沿いを走行しますが、川共々緩やかなカーブを描くという絵になる光景ですね。
ちなみに川の名前は旭川。
何かの集落に見えますが、藤棚と思われる四角形の謎の構造物が点在しています。
金川(かながわ)駅に到着。
ローマ字でも「Kanagawa」と表記されると、どうしても地元の「神奈川」を思い出してしまう。
京急線の神奈川駅。
(後日撮影したもの)
当駅(金川)でで対向列車待ち合わせのためしばし停車。
勾配はひと段落して岡山の内陸地に入ります。
福渡=ふくわたり、ご利益ありそうな駅名です。
神目とか書いて「こうめ」と読みます。
平仮名でこうめと書かれるとどうしても「小梅」を連想してしまいます…。
亀甲=かめのこう。
駅名に由来してか、駅標の横にいる亀(の置物)が愛らしいです。
ちなみに駅舎の屋根も亀の甲羅の形らしい。
(実物を見れませんでしたが)
そんな感じで岡山から1時間半ちょっと、終点の津山駅に到着。
反対側ホームに停車中の車両は姫新線の気動車。
駅構内は車両基地(車庫)になっていますが、車庫の奥にこの後見学する「津山まなびの鉄道館」があります。
前回(約7年前)と比べて、駅前の広場も新しくなりました。
駅舎が隠れてしまったのは残念ですが…。
駅前には蒸気機関車のC11型が展示されています。
(これも以前はなかった)
B'zの稲葉さんは津山市出身ということで、駅前にもポスターが展示されていました。
ちなみに稲葉さんのご実家の最寄り駅は隣の東津山だそう。
この後は津山まなびの鉄道館へ。
津山駅から西側(新見方面)へ徒歩で10分程度、扇形機関庫の裏手がまなびの鉄道館入口です。
入館料金は大人300円。
※津山まなびの鉄道館 ホームページ
津山まなびの鉄道館は近代化遺産にも登録されているこの「旧津山扇形機関車庫」と収蔵されている車両を中心とした展示施設。
施設にある車両は以前から機関庫に収められて保存(通称「津山入り」と言われていた)されていましたが、非公開だったものをこのたび展示施設として整備し公開に至りました。
この扇形機関庫は現存するもので国内2位の規模。
(1位はもちろん京都の梅小路機関車庫)
収蔵されている車両は主に岡山・鳥取地区で活躍していたもので、気動車・ディーゼル機関車が中心です。
機関庫の中心には転車台(ターンテーブル)があり、入れ替わりで収蔵されている車両が展示されています。
当日は一般形気動車のキハ52形が展示。
キハ52形は2基のエンジンを搭載していることから山岳地区で特に重宝された車両で、この車両は2010年まで大糸線(新潟)で使用されていました。
気動車のキハ33形(左)とキハ181形(右)。
キハ33形は客車(オハ50形)にエンジンを取り付けて気動車に改造した車両。
キハ33形は2両のみ製造されたというレアな形式ですが、客車を気動車に改造した車両(PDCと言ったりする)は他にも例があります(北海道で活躍したキハ141形など)。
キハ181形形は勾配線区向けに大馬力(500ps)のエンジンを搭載した特急型気動車で、岡山地区では特急やくも、最晩年には播但線などを走行する特急はまかぜに使用されていました。
急行型気動車の代表形式であるキハ58形とキハ28形。
外見上は見分けがつきませんが(写真左側はキハ58・右側がキハ28の模様)、両形式の違いはキハ58形が走行用エンジンを2基搭載、キハ28形が走行用エンジン1基と冷房電源用エンジンを搭載している点。
この2両は岡山地区で最後まで使用されていた車両で2010年11月に引退、以後この機関庫にて保存されていました。
前回津山駅に訪れた際にちょうどこのキハ58・キハ28形が引退する時期だったので、引退記念きっぷを入手していました。
蒸気機関車のD51形、いわゆる「デゴイチ」ですが、この車両は初期型(2号機)ということで煙突から給水暖め器・砂箱までが一体化したドームで覆われていることから「なめくじ」の愛称で呼ばれていました。
当機関庫収蔵車両で唯一の蒸気機関車ですが、貴重な車両だったりします。
手前の柱に取り付けられているのはD51 755機の汽笛で、「旅立ちの汽笛」として実際に鳴らすことができます。
ディーゼル機関車のDF50形(左)とDD13形(右)。
DF50形は幹線用として初めて量産された電気式のディーゼル機関車。
(電気式とはエンジンで発電してモーターを駆動させて走行するという、今の自動車で言うとノートeパワーと同じ方式)
ただ幹線用のディーゼル機関車としては出力があまり大きくなかったためか主に亜幹線(山陰本線・紀勢本線・四国地区など)で活躍していました。
DD13形は主に入れ替え用として使用されていた小型ディーゼル機関車。
ただし入れ替え用機関車としてはDE10形などが普及したため、活躍期間は長くなかったようです。
国鉄形ディーゼル機関車の決定版とも言えるDD51形(右)。
客車・貨物両用で、晩年の寝台特急北斗星・トワイライトエクスプレスの牽引車としても使用。
一部世代交代が進んでいますが現在でも貨物牽引車として活躍しています。
写真左側はDD15形という、DD13形にラッセル器を付けた除雪用の機関車。
たった1両のみ製造されたという超レアな機関車であるDE50形(写真中央)。
日本最大の2000馬力というハイパワー機関を搭載し、非電化幹線の次世代主力機として開発されましたが、投入予定線区の急速な電化により量産には至らなかったという経緯の持ち主です。
ちなみに先に紹介したDD51形は1100馬力の機関が2基=2200馬力なので、総合的な出力はDD51形の方が勝っています。
写真右側はDD16形というローカル線向けの小型ディーゼル機関車。
収蔵されている車両は除雪機を装備した除雪用機関車として運用されていました。
写真左側は10t貨車移動機という入れ替え作業用の車両で、分類上は車両ではなく機械として扱われていました。
先のDD16形の後部に取り付けられているラッセル器。
単独1台で車庫から突き出しているので、何か寂しげなか感じがしなくもない…。
ちなみに実際運用時は機関車の両側にラッセル器が取り付けられます。
(展示車両は片側のみ装備)
施設の柵を隔てて向こう側は現役車両の車庫。
車両全体のみならず台車周りの機器もじっくり観察できます。
京都の鉄道博物館(梅小路)も現役車両の車庫に隣接していますが、ここの方がより車庫に近いためGoodです。
機関庫の端に設けられている「まちなみルーム」には、津山の町並みを表現した鉄道模型(Nゲージ)の大型レイアウトがありました。
約2時間間隔で実際に車両を走行するデモンストレーションが行われます。
模型上で津山機関庫も忠実に再現。
車庫内に収まっている車両も実車とほぼ一致しているようです。
しかしこう見るとかなり大規模な機関庫であることが分かります。
(さすが全国2位)
というかこれを見て、自分も久しぶりにレイアウトを作ってみたいという気分に駆られました。
(一応レイアウトの台枠までは作っているが、その後の作業がなかなか着手できていない)
ちょうどお昼時に、中央の転車台が一周するイベントもありました。
D51形の横の柱に取り付けられた「旅立ちの汽笛」を合図に、転車台が一周します。
現在津山駅周辺の路線でSL列車は運行されていませんが、SL列車運行の際は活用できそうですね。
この他に「あゆみルーム」では岡山の鉄道の歴史を、「しくみルーム」では鉄道の構造・運用方法が分かるコーナーを設けています。
(ちなみに今更ながら蒸気機関車が動くメカニズムが分かった)
施設の添乗員さんもかなり熱心に解説されており、とてもアットホームな感じ。
鉄道博物館などの大規模な施設だと敷居が高いと感じられる方でも、ここはかなり楽しめるのではないかと思いました。
津山に来る機会があれば、是非とも見学をお勧め!
ということで、当初の予定よりかなり長居してしまいました。
この後は予定を変更して津山城址へ。
写真中央奥の高台が津山城址(復元された備中櫓)。
写真手前は津山市街を東西に流れる吉井川。
まなびの鉄道館(もしくは津山駅)から徒歩で15~20分程度。
津山城址の入口。
桜のシーズンだと綺麗な風景になりそう。
※津山城 鶴山公園:入場料300円(まなびの鉄道館とのセット割引もあり)
入口から石段を登って見えるのがこの備中櫓(びっちゅうやぐら)。
津山城の建造物は天守も含め現存するものはありませんが、この備中櫓のみ歴史的価値が高いものとして復元されています。
本丸へと続く道。
道は城郭特有の入り組んだ構造(敵からの侵入を防ぐ)となっており、何重もの石垣で囲まれています。
本丸跡地。
復元された備中櫓(写真左奥)以外建物は何も残っていないので、広大な広場になっています。
備中櫓については内部見学可能です(別途入館料はかかりません)。
櫓内部から見た津山市街。
川の向こう、右奥が津山駅。
櫓横の石垣の間を通って天守台へ。
高台にある天守台(天守閣の跡地)。
天守台の上にも登れます。
天守台上から本丸方向を見る。
天守台上から見た備中櫓全景。
こう見ると実に立派な造りです。
天守台上から津山市街を見る。
ここが敷地内で一番高い場所なので、市街を一望できます。
写真中央のやや左寄りの位置が津山駅かと思います。
東側石垣脇にある裏道。
紅葉シーズン時には美しい風景が楽しめるかも。
北側の櫓跡。
城の石垣は全体的にほぼそのまま残っています。
敷地南側、備中櫓の1段下の石垣は一部だけ崩れています。
城の敷地を一回りして備中櫓の下に戻ってきました。
城を後にして津山駅に戻り、乗り鉄旅行を再開。
津山線ホームには「ノスタルジー」と表記がある車両が停車中。
往年のクリーム色・朱色2色の気動車一般色(キハ47形ではオリジナルでも存在しなかった)で、車内のシートも国鉄時代の紺色のものに復元されたレトロ仕様。
乗車してみたかったですが、残念ながらこの後乗るのは別の車両…。
乗車するのは姫新(きしん)線。
姫路と新見を結ぶ路線なので両方の頭文字を取って姫新線です。
まずは津山から兵庫県の作用(さよ)という駅まで。
車両は三江線と同タイプのキハ120形。
ということで津山駅を出発。
1駅先の東津山駅。
津山・東津山は鳥取方面へと向かう因美線と線路を共有しています。
※以後姫路まで逆かぶりつきで撮影
東津山の先で因美線と分かれます。
美作(みまさか)大崎駅。
岡山県北部は旧国名で美作に当たるので、沿線周辺では美作のつく駅名が多いです。
横の時刻表を見ると決して本数は多くありませんが、1時間1本のペースではあるようです。
この区間の何か所で見られる「制限25」の表示。
時速25km以下に速度を押さえないといけないという区間で、路線の所要時間が伸びる要因になっています。
路盤が弱く線路を傷めないための措置らしい…。
姫新線はほぼ沿線全体で高速道路(中国自動車道)と並行。
かつて姫新線では大阪方面から直通する急行列車が運行されていましたが、中国道の開通後は高速バスに大阪方面への乗客を奪われた関係で急行列車は廃止され、現在ではローカル(普通)列車のみとなっています。
線路が新しくなった区間もあり、この辺りは高速走行も可能。
実は姫新線でも姫路寄りの区間は線路が改良と新型車両の導入によって高速化がされており、沿線の活性化に動きが出ています。
ただこの辺りはまだ本格的に高速化の工事は及んでいないので、せめて津山まで高速化事業を進めて直通列車の運行をすれば遠距離の乗客も戻るのではないのかと思ったりします。
さすがに(廃止が決まった)三江線では無理がありますが、姫新線の場合は改善の余地はまだまだある気がします。
木々の間を抜けて…
この辺りもスピードが出ている感じ。
既存の線路の右側にはかつて別の線路があった形跡があります。
美作土居駅にて。
またもや制限25の表示。
片側が斜面なので路盤の状態は悪そうですが…。
作用の1つ手前の上月(こうづき)駅。
上月止まりの列車もあるためかホームが2番線までありますが、左側のホームはあまり使われていない模様。
作用の手前で智頭急行線と合流。
(右側が智頭急行線の線路)
終点の作用駅に到着。
ちなみに駅名・町名ともに漢字は「作用」ですが、駅名は「さよ」で町名は「さよう」と読みます。
姫新線・智頭急行線の接続駅ということもあり、ホームは4番線まであります。
次の姫路方面の列車の発車時刻まで1時間近く空くため、駅の周辺を散策することに。
駅舎は簡素な造り。
特急列車(智頭急行線のスーパーはくと・スーパーいなば)の停車駅としてはやや寂しげですが、改札は有人(無人駅ではない)です。
智頭急行線の普通列車は姫新線と同じく1両編成。
駅から徒歩10分程度の場所にある、「佐用の大イチョウ」と呼ばれるイチョウの大木。
さすがに大きいです。
大イチョウに接近。
まさにご神木という感じです。
大イチョウの横を姫新線の列車が通り過ぎていきました。
新しい車両なので折り返しの姫路方面の列車ではないかと。
駅に戻ると、先ほど通り過ぎていいった列車が到着していました。
姫新線の高速化にともない導入された新型車両のキハ122形で、223系電車の気動車版といった感じです。
実は昨年同じタイプの車両に乗車していたりします。
新潟県の元北陸本線の区間を走る、えちごトキめき鉄道のET122形。
両車両ともに製造元は同じ(新潟トランシス製)なので、性能的にも同等かと。
それはともかく、佐用駅を出発。
先ほど間近で見た大イチョウの前を通り過ぎます。
その先で智頭急行線と線路が分かれます。
※この写真のみ前面かぶりつきで撮影
佐用の1つ先、播磨徳久(はりまとくさ)駅。
旧国名の「播磨」がついているので、兵庫県です。
(ちなみに上月駅がちょうど岡山と兵庫の県境)
少し波打っているものの直線が続き、その分スピードも出ます。
三日月という趣のある駅名ですが…。
後ろを振り向くと、山に三日月型の模様が。
何とも洒落た演出です。
千本=せんぼんという、これまた変わった駅名。
佐用から乗車した列車は播磨新宮止まりなので、ここで姫路行きに乗り換えます。
姫路行きは2両編成。
車両はキハ122の片運転台タイプのキハ127形。
姫路の2つ手前の余部(よべ)駅。
余部~姫路間の列車も多く、ラッシュ時は10分間隔と通勤路線並みのダイヤだったりします。
終点の姫路に到着。
ローカル線の旅はここで終了で、後は帰路の移動となります。
既に日没後なので、以後の車窓の撮影は不可。
向かいには播但線の103系電車も。
103系電車といえば昨年ついに大阪環状線から撤退したので、残るは播但線などの僅かな区間となってしまいました。
(あ、関西線や奈良線があったか…)
播但線も今回の旅のオプションで乗車予定もありましたが、津山で時間を食ったため乗車はまたの機会ということで。
(日没後に乗車しても面白くないですし)
播但線を経由して鳥取方面へと向かう特急はまかぜも見かけました。
姫路からは再び新快速に乗車して、大阪・京都方面へ。
このまま終点(乗車した列車は米原行き)まで乗車しても良かったのですが、途中の尼崎で下車して少し寄り道を。
尼崎から地下区間を走る東西線に乗車してみます。
※写真は別の車両、イメージということで…
途中駅の大阪天満宮。
言ってみれば単なる乗りつぶしですが、JR東西線は地下鉄なので夜間に乗車しても昼間と変わらないというのが東西線に乗車した理由です。
京橋で大阪環状線に乗り換え。
デビューしたての大阪環状線の新車(323系だったか)に乗車できました。
ロングシートですがシートの座り心地はかなり良い気がします。
大阪で再度新快速に乗り京都へ。
ラストは京都から新幹線。
行きと同様自由席ですが、のぞみは混雑気味だったので後から来たひかりに乗りました。
ひかりの場合自由席でも比較的席に余裕があったので、お勧めかも。
最終的に自宅に着いたのが23時過ぎでしたが、無事全行程終了。
*まとめ*
3泊4日と例年より1日多い行程で、しかもかつてないほど遠方の旅だったので、かなりのボリューム。
途中徒歩での行程あり、特急やくもで乗り物酔いに見舞われるなど体力的にもしんどかった気がします。
次回は少し楽な行程にしたいと思います。
(どこに行くかは全然決めていませんが…)
~終わり~
ローカル線乗り鉄は姫路まででその後は帰路。
京都までは在来線で移動(少し寄り道あり)、最後は新幹線で戻るという行程です。
ということでまずは岡山駅からスタート。
日曜日の朝なので、人影はまばらです。
回送中のバスの案内表示が面白かったので撮影。
「すみません回送中です」という思いやりの心がある表現が関西ならでは、なのでしょうか?
ちなみに前日の浜田駅前にいたバスでも同様でした。
岡山は四国方面の列車も多く発着するので、ここでその車両を紹介。
写真上が松山行きの特急しおかぜ号、写真下が高知・宿毛行きの特急南風号。
しおかぜは電車・南風は気動車ですがいずれも振り子式の車両です。
ただ制御装置付きの振り子なので、乗り物酔いは解消されている模様。
※しおかぜは3日目夜に撮影、南風は1日目に撮影
こちらは岡山と高松を結ぶ快速マリンライナー。
先頭車両が2階建てのグリーン&指定席車という豪華仕様。
関西の普通・快速列車でグリーン車を設けていること自体レアなケースなのですが、更にレアなのがこの列車の場合「グリーン指定席」であること。
当日も18きっぷを利用していますが、普通・快速列車であってもグリーン指定席は18きっぷで利用できないという制限があったりします。
(首都圏の普通・快速列車に連結されているグリーン車は自由席なので、18きっぷで利用可能です)
ちなみに1階席は普通車指定席なので、こちらも18きっぷ利用可能。
非常にややこしいですが、気になったので紹介させていただきました。
1号車の側面。
特徴的なのが「5102」という車両表記で、実はJR四国の場合「クハ」「モハ」などの国鉄方式ではなく、数字4桁のみの私鉄(民鉄)風の形式表示を取っています。
なのでこの車両の場合、形式は「5000系」ということになります。
2号車以降は普通の近郊型車両。
JR西日本の223系ですが、前より4両はJR四国所有の車両ということで形式が5000系になっています。
(上の写真で水色のJRの文字が付いているのがJR四国車、白のJR文字がJR西日本車)
話がかなり脱線してしまいましたが、岡山から最初に乗車する車両はこちら。
2日目にも乗車した首都圏色(タラコ色とも言う)の気動車、キハ40型です。
岡山地区の気動車は以前はこのような地域カラーでした。
この塗色もシックな感じで良かったのですが…。
(2010年11月 吉備線総社駅にて撮影)
それはともかく、岡山駅を出発。
最初はのどかな田園地帯を走行。
天気も快晴で気分良いです。
川を高速道路が横切る、ちょっとダイナミックな光景。
高速は山陽自動車道でしょうか?
この辺りは川沿いを走行しますが、川共々緩やかなカーブを描くという絵になる光景ですね。
ちなみに川の名前は旭川。
何かの集落に見えますが、藤棚と思われる四角形の謎の構造物が点在しています。
金川(かながわ)駅に到着。
ローマ字でも「Kanagawa」と表記されると、どうしても地元の「神奈川」を思い出してしまう。
京急線の神奈川駅。
(後日撮影したもの)
当駅(金川)でで対向列車待ち合わせのためしばし停車。
勾配はひと段落して岡山の内陸地に入ります。
福渡=ふくわたり、ご利益ありそうな駅名です。
神目とか書いて「こうめ」と読みます。
平仮名でこうめと書かれるとどうしても「小梅」を連想してしまいます…。
亀甲=かめのこう。
駅名に由来してか、駅標の横にいる亀(の置物)が愛らしいです。
ちなみに駅舎の屋根も亀の甲羅の形らしい。
(実物を見れませんでしたが)
そんな感じで岡山から1時間半ちょっと、終点の津山駅に到着。
反対側ホームに停車中の車両は姫新線の気動車。
駅構内は車両基地(車庫)になっていますが、車庫の奥にこの後見学する「津山まなびの鉄道館」があります。
前回(約7年前)と比べて、駅前の広場も新しくなりました。
駅舎が隠れてしまったのは残念ですが…。
駅前には蒸気機関車のC11型が展示されています。
(これも以前はなかった)
B'zの稲葉さんは津山市出身ということで、駅前にもポスターが展示されていました。
ちなみに稲葉さんのご実家の最寄り駅は隣の東津山だそう。
この後は津山まなびの鉄道館へ。
津山駅から西側(新見方面)へ徒歩で10分程度、扇形機関庫の裏手がまなびの鉄道館入口です。
入館料金は大人300円。
※津山まなびの鉄道館 ホームページ
津山まなびの鉄道館は近代化遺産にも登録されているこの「旧津山扇形機関車庫」と収蔵されている車両を中心とした展示施設。
施設にある車両は以前から機関庫に収められて保存(通称「津山入り」と言われていた)されていましたが、非公開だったものをこのたび展示施設として整備し公開に至りました。
この扇形機関庫は現存するもので国内2位の規模。
(1位はもちろん京都の梅小路機関車庫)
収蔵されている車両は主に岡山・鳥取地区で活躍していたもので、気動車・ディーゼル機関車が中心です。
機関庫の中心には転車台(ターンテーブル)があり、入れ替わりで収蔵されている車両が展示されています。
当日は一般形気動車のキハ52形が展示。
キハ52形は2基のエンジンを搭載していることから山岳地区で特に重宝された車両で、この車両は2010年まで大糸線(新潟)で使用されていました。
気動車のキハ33形(左)とキハ181形(右)。
キハ33形は客車(オハ50形)にエンジンを取り付けて気動車に改造した車両。
キハ33形は2両のみ製造されたというレアな形式ですが、客車を気動車に改造した車両(PDCと言ったりする)は他にも例があります(北海道で活躍したキハ141形など)。
キハ181形形は勾配線区向けに大馬力(500ps)のエンジンを搭載した特急型気動車で、岡山地区では特急やくも、最晩年には播但線などを走行する特急はまかぜに使用されていました。
急行型気動車の代表形式であるキハ58形とキハ28形。
外見上は見分けがつきませんが(写真左側はキハ58・右側がキハ28の模様)、両形式の違いはキハ58形が走行用エンジンを2基搭載、キハ28形が走行用エンジン1基と冷房電源用エンジンを搭載している点。
この2両は岡山地区で最後まで使用されていた車両で2010年11月に引退、以後この機関庫にて保存されていました。
前回津山駅に訪れた際にちょうどこのキハ58・キハ28形が引退する時期だったので、引退記念きっぷを入手していました。
蒸気機関車のD51形、いわゆる「デゴイチ」ですが、この車両は初期型(2号機)ということで煙突から給水暖め器・砂箱までが一体化したドームで覆われていることから「なめくじ」の愛称で呼ばれていました。
当機関庫収蔵車両で唯一の蒸気機関車ですが、貴重な車両だったりします。
手前の柱に取り付けられているのはD51 755機の汽笛で、「旅立ちの汽笛」として実際に鳴らすことができます。
ディーゼル機関車のDF50形(左)とDD13形(右)。
DF50形は幹線用として初めて量産された電気式のディーゼル機関車。
(電気式とはエンジンで発電してモーターを駆動させて走行するという、今の自動車で言うとノートeパワーと同じ方式)
ただ幹線用のディーゼル機関車としては出力があまり大きくなかったためか主に亜幹線(山陰本線・紀勢本線・四国地区など)で活躍していました。
DD13形は主に入れ替え用として使用されていた小型ディーゼル機関車。
ただし入れ替え用機関車としてはDE10形などが普及したため、活躍期間は長くなかったようです。
国鉄形ディーゼル機関車の決定版とも言えるDD51形(右)。
客車・貨物両用で、晩年の寝台特急北斗星・トワイライトエクスプレスの牽引車としても使用。
一部世代交代が進んでいますが現在でも貨物牽引車として活躍しています。
写真左側はDD15形という、DD13形にラッセル器を付けた除雪用の機関車。
たった1両のみ製造されたという超レアな機関車であるDE50形(写真中央)。
日本最大の2000馬力というハイパワー機関を搭載し、非電化幹線の次世代主力機として開発されましたが、投入予定線区の急速な電化により量産には至らなかったという経緯の持ち主です。
ちなみに先に紹介したDD51形は1100馬力の機関が2基=2200馬力なので、総合的な出力はDD51形の方が勝っています。
写真右側はDD16形というローカル線向けの小型ディーゼル機関車。
収蔵されている車両は除雪機を装備した除雪用機関車として運用されていました。
写真左側は10t貨車移動機という入れ替え作業用の車両で、分類上は車両ではなく機械として扱われていました。
先のDD16形の後部に取り付けられているラッセル器。
単独1台で車庫から突き出しているので、何か寂しげなか感じがしなくもない…。
ちなみに実際運用時は機関車の両側にラッセル器が取り付けられます。
(展示車両は片側のみ装備)
施設の柵を隔てて向こう側は現役車両の車庫。
車両全体のみならず台車周りの機器もじっくり観察できます。
京都の鉄道博物館(梅小路)も現役車両の車庫に隣接していますが、ここの方がより車庫に近いためGoodです。
機関庫の端に設けられている「まちなみルーム」には、津山の町並みを表現した鉄道模型(Nゲージ)の大型レイアウトがありました。
約2時間間隔で実際に車両を走行するデモンストレーションが行われます。
模型上で津山機関庫も忠実に再現。
車庫内に収まっている車両も実車とほぼ一致しているようです。
しかしこう見るとかなり大規模な機関庫であることが分かります。
(さすが全国2位)
というかこれを見て、自分も久しぶりにレイアウトを作ってみたいという気分に駆られました。
(一応レイアウトの台枠までは作っているが、その後の作業がなかなか着手できていない)
ちょうどお昼時に、中央の転車台が一周するイベントもありました。
D51形の横の柱に取り付けられた「旅立ちの汽笛」を合図に、転車台が一周します。
現在津山駅周辺の路線でSL列車は運行されていませんが、SL列車運行の際は活用できそうですね。
この他に「あゆみルーム」では岡山の鉄道の歴史を、「しくみルーム」では鉄道の構造・運用方法が分かるコーナーを設けています。
(ちなみに今更ながら蒸気機関車が動くメカニズムが分かった)
施設の添乗員さんもかなり熱心に解説されており、とてもアットホームな感じ。
鉄道博物館などの大規模な施設だと敷居が高いと感じられる方でも、ここはかなり楽しめるのではないかと思いました。
津山に来る機会があれば、是非とも見学をお勧め!
ということで、当初の予定よりかなり長居してしまいました。
この後は予定を変更して津山城址へ。
写真中央奥の高台が津山城址(復元された備中櫓)。
写真手前は津山市街を東西に流れる吉井川。
まなびの鉄道館(もしくは津山駅)から徒歩で15~20分程度。
津山城址の入口。
桜のシーズンだと綺麗な風景になりそう。
※津山城 鶴山公園:入場料300円(まなびの鉄道館とのセット割引もあり)
入口から石段を登って見えるのがこの備中櫓(びっちゅうやぐら)。
津山城の建造物は天守も含め現存するものはありませんが、この備中櫓のみ歴史的価値が高いものとして復元されています。
本丸へと続く道。
道は城郭特有の入り組んだ構造(敵からの侵入を防ぐ)となっており、何重もの石垣で囲まれています。
本丸跡地。
復元された備中櫓(写真左奥)以外建物は何も残っていないので、広大な広場になっています。
備中櫓については内部見学可能です(別途入館料はかかりません)。
櫓内部から見た津山市街。
川の向こう、右奥が津山駅。
櫓横の石垣の間を通って天守台へ。
高台にある天守台(天守閣の跡地)。
天守台の上にも登れます。
天守台上から本丸方向を見る。
天守台上から見た備中櫓全景。
こう見ると実に立派な造りです。
天守台上から津山市街を見る。
ここが敷地内で一番高い場所なので、市街を一望できます。
写真中央のやや左寄りの位置が津山駅かと思います。
東側石垣脇にある裏道。
紅葉シーズン時には美しい風景が楽しめるかも。
北側の櫓跡。
城の石垣は全体的にほぼそのまま残っています。
敷地南側、備中櫓の1段下の石垣は一部だけ崩れています。
城の敷地を一回りして備中櫓の下に戻ってきました。
城を後にして津山駅に戻り、乗り鉄旅行を再開。
津山線ホームには「ノスタルジー」と表記がある車両が停車中。
往年のクリーム色・朱色2色の気動車一般色(キハ47形ではオリジナルでも存在しなかった)で、車内のシートも国鉄時代の紺色のものに復元されたレトロ仕様。
乗車してみたかったですが、残念ながらこの後乗るのは別の車両…。
乗車するのは姫新(きしん)線。
姫路と新見を結ぶ路線なので両方の頭文字を取って姫新線です。
まずは津山から兵庫県の作用(さよ)という駅まで。
車両は三江線と同タイプのキハ120形。
ということで津山駅を出発。
1駅先の東津山駅。
津山・東津山は鳥取方面へと向かう因美線と線路を共有しています。
※以後姫路まで逆かぶりつきで撮影
東津山の先で因美線と分かれます。
美作(みまさか)大崎駅。
岡山県北部は旧国名で美作に当たるので、沿線周辺では美作のつく駅名が多いです。
横の時刻表を見ると決して本数は多くありませんが、1時間1本のペースではあるようです。
この区間の何か所で見られる「制限25」の表示。
時速25km以下に速度を押さえないといけないという区間で、路線の所要時間が伸びる要因になっています。
路盤が弱く線路を傷めないための措置らしい…。
姫新線はほぼ沿線全体で高速道路(中国自動車道)と並行。
かつて姫新線では大阪方面から直通する急行列車が運行されていましたが、中国道の開通後は高速バスに大阪方面への乗客を奪われた関係で急行列車は廃止され、現在ではローカル(普通)列車のみとなっています。
線路が新しくなった区間もあり、この辺りは高速走行も可能。
実は姫新線でも姫路寄りの区間は線路が改良と新型車両の導入によって高速化がされており、沿線の活性化に動きが出ています。
ただこの辺りはまだ本格的に高速化の工事は及んでいないので、せめて津山まで高速化事業を進めて直通列車の運行をすれば遠距離の乗客も戻るのではないのかと思ったりします。
さすがに(廃止が決まった)三江線では無理がありますが、姫新線の場合は改善の余地はまだまだある気がします。
木々の間を抜けて…
この辺りもスピードが出ている感じ。
既存の線路の右側にはかつて別の線路があった形跡があります。
美作土居駅にて。
またもや制限25の表示。
片側が斜面なので路盤の状態は悪そうですが…。
作用の1つ手前の上月(こうづき)駅。
上月止まりの列車もあるためかホームが2番線までありますが、左側のホームはあまり使われていない模様。
作用の手前で智頭急行線と合流。
(右側が智頭急行線の線路)
終点の作用駅に到着。
ちなみに駅名・町名ともに漢字は「作用」ですが、駅名は「さよ」で町名は「さよう」と読みます。
姫新線・智頭急行線の接続駅ということもあり、ホームは4番線まであります。
次の姫路方面の列車の発車時刻まで1時間近く空くため、駅の周辺を散策することに。
駅舎は簡素な造り。
特急列車(智頭急行線のスーパーはくと・スーパーいなば)の停車駅としてはやや寂しげですが、改札は有人(無人駅ではない)です。
智頭急行線の普通列車は姫新線と同じく1両編成。
駅から徒歩10分程度の場所にある、「佐用の大イチョウ」と呼ばれるイチョウの大木。
さすがに大きいです。
大イチョウに接近。
まさにご神木という感じです。
大イチョウの横を姫新線の列車が通り過ぎていきました。
新しい車両なので折り返しの姫路方面の列車ではないかと。
駅に戻ると、先ほど通り過ぎていいった列車が到着していました。
姫新線の高速化にともない導入された新型車両のキハ122形で、223系電車の気動車版といった感じです。
実は昨年同じタイプの車両に乗車していたりします。
新潟県の元北陸本線の区間を走る、えちごトキめき鉄道のET122形。
両車両ともに製造元は同じ(新潟トランシス製)なので、性能的にも同等かと。
それはともかく、佐用駅を出発。
先ほど間近で見た大イチョウの前を通り過ぎます。
その先で智頭急行線と線路が分かれます。
※この写真のみ前面かぶりつきで撮影
佐用の1つ先、播磨徳久(はりまとくさ)駅。
旧国名の「播磨」がついているので、兵庫県です。
(ちなみに上月駅がちょうど岡山と兵庫の県境)
少し波打っているものの直線が続き、その分スピードも出ます。
三日月という趣のある駅名ですが…。
後ろを振り向くと、山に三日月型の模様が。
何とも洒落た演出です。
千本=せんぼんという、これまた変わった駅名。
佐用から乗車した列車は播磨新宮止まりなので、ここで姫路行きに乗り換えます。
姫路行きは2両編成。
車両はキハ122の片運転台タイプのキハ127形。
姫路の2つ手前の余部(よべ)駅。
余部~姫路間の列車も多く、ラッシュ時は10分間隔と通勤路線並みのダイヤだったりします。
終点の姫路に到着。
ローカル線の旅はここで終了で、後は帰路の移動となります。
既に日没後なので、以後の車窓の撮影は不可。
向かいには播但線の103系電車も。
103系電車といえば昨年ついに大阪環状線から撤退したので、残るは播但線などの僅かな区間となってしまいました。
(あ、関西線や奈良線があったか…)
播但線も今回の旅のオプションで乗車予定もありましたが、津山で時間を食ったため乗車はまたの機会ということで。
(日没後に乗車しても面白くないですし)
播但線を経由して鳥取方面へと向かう特急はまかぜも見かけました。
姫路からは再び新快速に乗車して、大阪・京都方面へ。
このまま終点(乗車した列車は米原行き)まで乗車しても良かったのですが、途中の尼崎で下車して少し寄り道を。
尼崎から地下区間を走る東西線に乗車してみます。
※写真は別の車両、イメージということで…
途中駅の大阪天満宮。
言ってみれば単なる乗りつぶしですが、JR東西線は地下鉄なので夜間に乗車しても昼間と変わらないというのが東西線に乗車した理由です。
京橋で大阪環状線に乗り換え。
デビューしたての大阪環状線の新車(323系だったか)に乗車できました。
ロングシートですがシートの座り心地はかなり良い気がします。
大阪で再度新快速に乗り京都へ。
ラストは京都から新幹線。
行きと同様自由席ですが、のぞみは混雑気味だったので後から来たひかりに乗りました。
ひかりの場合自由席でも比較的席に余裕があったので、お勧めかも。
最終的に自宅に着いたのが23時過ぎでしたが、無事全行程終了。
*まとめ*
3泊4日と例年より1日多い行程で、しかもかつてないほど遠方の旅だったので、かなりのボリューム。
途中徒歩での行程あり、特急やくもで乗り物酔いに見舞われるなど体力的にもしんどかった気がします。
次回は少し楽な行程にしたいと思います。
(どこに行くかは全然決めていませんが…)
~終わり~
2018-02-03 10:14
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