GWの乗り鉄2022~房総半島横断Part2 [鉄道・鉄道旅行]
ということで今年のGWはコロナ感染による外出制限が無かったため3年ぶり(になるのか?)に乗り鉄旅に出てみました。
といってもまだ宿泊を伴う遠出は厳しいので日帰りで行ける圏内ということで、昨年夏に行く予定だった小湊鉄道といすみ鉄道を乗り継ぐ房総半島横断の乗り鉄で。
このルートは以前(2016年)のGWにも行きましたが、今回は千葉から外房線経由で大原に行き、そこからいすみ鉄道で西方面に向かうという前回と逆方向の行程としました。
まずは都心から千葉まで向かいますが、今までと同様JR総武快速線にて。
横須賀・総武快速線は新車のE235系への置き換えが進行中ですが現状それほど編成数がなく、まだまだ既存のE217系が大多数といった感じです。
前の写真のE217系も途中の市川駅にて特急通過待ちの際に撮影しましたが、横の線路を通過した特急列車も中央本線の特急あずさから転籍したE257系のリニューアル車でした。
踊り子用のリニューアル車はよく見かけますが、これは波動輸送用の5000番台だったか。
いずれにしろ初めてお目にかかりました。
幕張車両センターを通過。
房総地区のローカル及び特急車両の車両基地です(略称:千マリ)。
千葉駅に到着後、外房線に乗り換え。
房総地区ローカルも千葉寄りの列車は209系がまだまだ現役です。
蘇我駅を出た後にある外房・内房線の分岐地点。
左にカーブする方向が外房線の線路で、乗車中の列車は外房線方向に進行。
※以後上総一ノ宮まで前方(かぶりつき)視点にて撮影
外房線も千葉寄りは列車本数もある程度多いので、割と頻繁に対向列車とすれ違いします。
途中の土気(とけ)から大網までは山あいでトンネルもありますが、この付近はかつてはがけ崩れが多発する交通の難所だったそう。
現在の区間は新線に付け替えられたため、難なく走行できるようになりました。
大網駅に到着するところ。
右方向にカーブするのが本線となる外房線のホームで、ポイントで左手に行く先が東金線のホーム。
大網駅に停車中。
窓の金網越しに東金線の車両が見えるのが面白い構図。
大網駅を出た後は長い直線区間が続き、線路の左右には水田が広がる風景です。
茂原駅に到着。
高架で2面4線のホームという、外房線内の基幹駅といった感じ。
茂原駅を出た後に特急列車とすれ違い。
千葉から乗車した列車はここ上総一ノ宮止まり。
次の大原方面の列車の発車まで時間もあり、駅名でもある上総國一ノ宮である玉前(たまさき)神社の参拝のため一旦改札を出ます。
上総一ノ宮駅の駅舎はシンプルな造り。
駅から徒歩7~8分程度で玉前神社の入口に到着。
本殿手前の鳥居をくぐり抜けて…
本殿に到着。
昨年春からの一之宮巡りは上州・相模・武蔵に続きここ上総で4回目。
本殿を別の角度から。
やはり一之宮ということで立派な佇まい。
神社の御神木(?)を周回するはだしの道。
入口の説明では素足で3周するとご利益があるとのこと。
とりあえず素足で歩いたものの、玉砂利の上を3周はさすがに無理っぽいので1周のみとしました。
本殿下の鳥居の右手にあるさざれ石。
国家「君が代」の歌詞内にも出てきます。
一通りお参りを済ませた後、上総一ノ宮駅に戻ります。
駅に戻る途中で見た玉前神社の碑。
駅に着いたところちょうど臨時便の列車が発車するところでしたが、10分くらい後に定期の列車が出るので臨時便はスルーすることに。
(車両が209系ということもあり…)
こちらが定期の列車ですが、車両は房総地区ローカルの新車となるE131系。
2両編成でワンマン運転に対応。
行先が(内房線の)木更津となっていますが、今年春のダイヤ改正で千葉から外房線はここ上総一ノ宮、内房線は君津(木更津)を境に普通列車の運行系統を分けたようです。
そんな感じで上総一ノ宮駅を発車。
奥に京葉線の車両が見えます。
※以後大原まで後方(逆かぶりつき)視点で撮影
上総一ノ宮から先は単線になります。
といっても一部は複線。
その後再び単線に。
大原駅の手前でいすみ鉄道の線路と合流。
(左側の線路がいすみ鉄道)
大原駅に到着。
いすみ鉄道に乗り換えるため当駅で下車します。
比較的広い駅ホーム。
夏は海水浴客が多いことから広めのホームにしているのかもしれません。
大原駅の駅舎はJRといすみ鉄道と隣接している構造。
いすみ鉄道の次の列車の発車時刻まで40分以上あるため、駅の周辺で待機。
しばらくすると"後続の特急列車が到着。
いすみ鉄道の改札口。その奥のJR線ホームには特急列車が停車中。
ようやくいすみ鉄道の列車が到着。
菜の花をイメージした(と思う)いすみ鉄道標準カラーの2両編成。
後方車両の側面にはいすみ鉄道の社紋と「いすみ301」の表記が。
形式はいすみ300形の模様(前方車両はいすみ350形)。
そんな感じで大原駅を発車。
発車後すぐに進行方向右手にカーブして外房線の線路と分かれます。
引き続き後方(逆かぶりつき)視点で撮影のため、上の写真だと奥が大原駅方面です。
大原駅の1つ隣の西大原駅を発車したところ。
行き違い設備もなくホームも短いのでいかにもローカル線的な雰囲気。
水田の合間を抜けるという、なかなかのビューポイント。
田んぼはちょうど田植えが終わったところか。
次の上総東(かずさあずま)駅で対向列車とすれ違い。
途中橋もあり、だんだんと丘陵地帯に入ります。
いすみ鉄道内でも基幹駅となる国吉駅に停車中ですが、奥の線路には国鉄形車両も停車中でした。
(停車ではなく留置中といった方が正しいか)
手前にはレールバスタイプの旧車の姿も。
前の写真を拡大。
行先表示に「久留里線」の表記があるので元久留里線の車両の模様。
扉が外吊り式なのでキハ30(もしくは35)形のようです。
国吉駅を発車したところ。
駅の係員が手を振っていました。
再び水田地帯。
これまた見事な光景です。
次の上総中川駅で目的の観光地に向かうため下車します。
その上総中川駅ですが、ご覧の通りローカル感満載…。
入口は一見では駅とは分からない感じでした。
で、ここからの行先ですが…
上総中川駅の北にある「いすみポッポの丘」という場所。
個人経営の鉄道施設で、徒歩だと30分くらいかかるらしい…。
まずは駅入口の南にある車道(国道)に出て大原方面に戻る方向で歩き、途中で北方向に曲がり駅手前の踏切を渡ります。
(奥にちらっと見えるのが上総中川駅)
途中の坂の壁にはいすみ鉄道の車両と思われる絵が。
その後は北方向に、水田の横をひたすら歩きます…。
ようやく「ポッポの丘」の案内板を発見。
ここまでで駅から30分位経過していたので向かう方向が間違っていないか不安でしたが、どうやら間違いない模様。
案内板の位置から5分後に無事到着。
坂を上った先に入口があり、入口近くには千葉都市モノレールの車両が展示。
千葉都市モノレールは懸垂式(上のレールから吊るタイプ)なので車両の下部には車輪がありませんが、ぱっと見地面に直に置いている感じでした。
(よく見ると少しすき間があるので直ではない模様)
右の車両では運転台が開放中だったため、子供たちが代わる代わる座っていました。
モノレール車両の隣にはプルートレイン車両のカット車体(半生首?)。
ヘッドマークが「富士」なので車両は24系25形?
こちらは中央線で走っていた(?)103系。
外装補修中らしく、状態はかなり悪いですが…。
その隣には久留里線で活躍していたキハ38形(左)と旧型国電から改造された荷物電車のクモニ83形(右)。
クモニ83形の足元を見ると…。
コイルばね台車の更に前の世代の、旧型国電由来の無骨な台車でした。
隣のキハ38形はトップナンバー(1)でした。
ちなみにキハ38形は国鉄の末期に新製された気動車ですが、エンジンや台車などの足回りはキハ35形からの流用で上の車体のみを新製したのでキハ35形からの改造車ともいえます。
遅ればせながら、ポッポの丘についての案内。
冒頭でも触れた通り個人経営(牧場の敷地の模様)の鉄道施設で、鉄道博物館というよりは鉄道公園といいった感じです。
※過去に訪れた鉄道施設では「碓井鉄道文化むら」が雰囲気的に一番近いかも
入場料は無料(但し車で来た場合の駐車場代については有料)。
展示車両が主にポランティア団体が管理していることもあって売店(一部の車両内にある)での物品購入や寄付をお願いしています。
参考:ポッポの丘公式ホームページ
前の写真の案内板にもありましたが、どうやらいすみ鉄道の公式キャラらしいです。
名前は「上総いすみちゃん」。
キャラのパネルはいすみ鉄道の車両(いすみ204形)の前に展示。
そして何とポッポの丘のマスコットキャラクターも存在。
名前は「下総おうみちゃん」。
キャラのパネルは銚子電鉄のデハ701号の前に展示されていて、キャラデザインもデハ701号をイメージした感じ。
再び車両紹介へ。
キハ38形の隣にある銚子電鉄デハ701(左)と長野電鉄モハ1003(右)。
デハ701が1941年製、モハ1003が1943年製とポッポの丘内の展示車両ではかなりの古参です。
デハ701を別の角度から。
手前の舗装した路面が何となく駅のホーム状になっているのが面白い。
万葉線という高岡市(富山県)にある路面電車の車両。
(形式:デ7052)
園内唯一の路面電車車両で、車内はガチャコーナーになっていました。
地方私鉄の3車両。
手前からいすみ鉄道いすみ204形、北陸鉄道モハ3752、銚子電鉄デハ702。
3両は車内から移動可能で、食事・休憩スペースとして利用されています。
いすみ204形の前面。
(反対側の)銚子電鉄デハ702の前面。
先に紹介したデハ701(写真の手前にちょこっと映っている)と同一形式。
ポッポの丘の駅名標も存在。
旧国鉄形式で、平仮名~漢字混じり~ローマ字表記と続き、駅所在地も表記(千葉県いすみ市)。
隣駅の「ちょうし」は良いとして、反対側の「牛舎8号」が牧場ならではで面白いです。
ちなみに駅名標の後ろにある入れ替え用の機関車と車掌車(ヨ8000形」は実際に動きます。
案内板の手前にある3輪トラック。
保存状態は良いので実際に動くのかもしれません。
「駅前通運」は恐らく架空の業者名かと(ロゴマークは日本通運のもの?)。
鉄道博物館には付き物の巨大レイアウトはさすがにありませんでしたが、ポッポの丘を再現したミニレイアウトが展示されていました。
Nゲージ規格ですが模型の車両が実際の展示車両と一致しているのはさすがです。
(一番手前の気動車2両はいすみ鉄道で運用されているキハ52形と小湊鉄道の気動車と思われます)
千葉都市モノレールの車両を再度撮影。
1988年に千葉都市モノレールの開業と同時に導入された車両で、形式は1000形。
何でも湘南モノレールの車両をモデルとして製造されたそうです。
(湘南モノレールも懸垂式なので)
ちなみにモノレールの「台車」も別の場所に展示。
車輪がゴムタイヤということもあり、一般の鉄道の台車とはかなり趣が異なりますが…。
ちなみに懸垂式モノレールなので、台車は車体の上部(屋根の上)に付きます。
コンテナ貨車に積載されるコンテナも展示されていましたが、何故にコンテナの上にパンタグラフが?
(サイズ的に丁度合っているのがまた面白い)
こちらも園内の線路を走行する入換用ディーゼル機関車と車掌車。
ディーゼル機関車は国鉄の「20t入換動車」といい、通常のディーゼル機関車とは異なり車籍を有さない機械扱いの車両とのこと。
園内で走行するディーゼル機関車は他に「10t入換動車」があり。
(先に紹介した駅名標の奥に映っていた車両)
機関車に牽引される車掌車は国鉄の「ヨ5000形」。
ヨ5000形は3両編成。
ヨ5000形の車内。
車内の壁や窓枠が木製なので、車掌車としてはかなり古め?
京急の車両(旧1000形)もカットモデルながらも展示。
行先が「川崎ー小島新田」となっているので、大師線での運用を再現したもの?
外装はかなり傷んでいて足場が設置された状態なので目下修復中といったところでしょうか。
丸の内線の赤い車両も展示(400形454)。
以前の丸の内線の車両といえば赤色の塗装に車体側面の白いラインの中央に配置されたサインカーブ状の模様が特徴でしたね。
現行の丸の内線の車両でもこの模様を再現した編成も見かけます。
400形の車内。
壁のピンク色の塗装も以前の丸の内線の車両の特徴でした。
ここから先は園内の高台方面の展示車両の紹介になりますが、高台に向かう坂の途中、横の斜面に展示されている(置かれていると言った方が正しいのか…)のは何と大山ケーブルの旧車両の「たんざわ号」。
ここポッポの丘で再会できるとは!
たんざわ号を上方向から撮影。
斜面に直置きされている状態ですが、車両と斜面との角度的にはちゃんと合っている感じ?
展示車両の外装は大山ケーブルの旧車両での最終運行時のままのようですが、どうやら「タンザワン」というマスコットキャラクターが存在していたらしいです。
(1号車にあたる「おおやま号」のマスコットキャラは「オオヤマン」)
これらのマスコットキャラについては毎年大山に行っているものの全く記憶に無かったのですが、過去に登山した際に撮影した写真を探したところ…
2013年10月に撮影した「たんざわ号」の写真を発見。
確かに車体正面の左下に「タンザワン」のイラストが…。
同日に撮影した「おおやま号」の写真も。
こちらも「オオヤマン」のイラストが確認できます。
※両写真とも当日は徒歩で下社まで移動したため、道中のケーブルカー交差地点にて撮影したもの
高台エリアに到着してまず目につくのが、こちらのDE10形ディーゼル機関車と寝台客車2両。
園内に展示されているDE10形はDE10 30号機で、北海道方面で運用され廃車後船の科学館(お台場)に係留されていた青函連絡船「羊蹄丸」の甲板内に展示されたものを同船の解体後にここポッポの丘に移設されたという経緯を持ちます。
当日はボランティアの係員が常駐のため、車体側面のデッキを経由して運転席内の見学が可能でした。
ということで狭い側面デッキの上を伝うような感じでDE10形の運転席へ。
入ってすぐ気づいたのが、DE10形の場合運転台が横向きの配置だったこと。
これはDE10形が操車場での貨車の入換作業や地方ローカル線など短距離区間の走行を考慮したためと思われます。
ちなみに反対サイドも横向き配置。
位置的にはこちらが機関車の正面で、ちょうど上の写真のように座席を斜め45度にして運転するのがDE10形の標準運転スタイルなのかもしれません…。
寝台客車はこちらから乗車。
車内は常時開放している訳ではないため乗り降り用の昇降台は無く車両に付いているステップ(はしご)から直に登るという、かなりワイルドな感じ。
(この辺が個人経営の鉄道施設ならではといったところか…)
ちなみに当日は寝台客車の行先表示が「特急さくら 佐世保」になっていました。
客車2両目の行先表示は「特急いなば 米子」。
寝台客車の1両目(オロネ24-2)の車内。
末期は寝台特急「日本海」で運用されていた車両で開放2段式(プルマン式)のA寝台車。
ちなみに開放型A寝台の展示車両はここで展示されているオロネ24-2が国内で唯一だそうです。
寝台客車の2両目(オハネフ24-2)の車内。
オロネ24-2と同様に末期は寝台特急「日本海」で運用されていた車両の模様。
オハネフ24は車掌室付きのB寝台車で、製造当初は3段式のB寝台車でしたが途中で2段式のB寝台車に改造されています。
前写真の開放型A寝台は列車の進行方向と平行している(ベッドの幅が広い)のに対してB寝台車は列車の進行方向と直交している(ベッドの幅が狭い)のが違いです。
降り口はB寝台車(オハネフ24形)の車端部。
その隣には主に房総地区で活躍した車両たちが展示(いずれもカットモデルでの展示)。
左からクハ183-1527(183系1500番台)、クハ183-21(183系0番台)、クハ111-2152(113系2000番台)、クハ111-1072(113系1000番台)。
183系は特急あずさの他、房総地区の特急列車での活躍が多かった車両。
113系1000番台は横須賀・総武快速線で主に運用、同2000番台は東海道本線の普通列車として主に運用。
晩年は横須賀・総武快速線での運用だったという経緯から縁あってここに展示されているようです。(その際リバイバル塗装されたためか、2000番台は湘南色になっています)
別の角度から撮影。
183系は当日2両とも「さざなみ」のヘッドマーク表示でした。
高台から見たポッポの丘の全景。
手前に千葉都市モノレールの車両、奥にJR(旧国鉄)と私鉄の古参車両が展示されている配置。
園内の展示車両の大半はこのエリアにあります。
反対側。
京急の旧1000形(カットモデル)と丸の内線400形が展示。
(手前は駐車スペース)。
奥に見える入れ替え機関車と車掌車3両は走行可能な車両ですが、この時は停車中の状態でした。
ポッポの丘の見学はここまでにして、ここからは大多喜方面へ。
来た道を引き返して上総中川駅に戻りいすみ鉄道経由で大多喜に向かうか、直接徒歩で向かうかの選択ですが、上総中川駅に戻った際の次の便に乗れるか微妙だったため直接徒歩で向かうことに。
ポッポの丘ということもあり丘陵地帯のため、大多喜方面に向かう道中は最初は下り坂。
ただ延々と伸びる直線…。
途中川を渡り…。
いすみ鉄道の踏切にさしかかりました。
手持ちの時刻表を参照してちょうど列車が通過する時刻に近かったため、少し待機。
目の前を列車が通過。
そのまま大多喜方面へと向かっていきました。
(車両は大原から乗車したいすみ300形と350形の組み合わせ)
この列車が本来上総中川駅から乗車しようとした便で時刻が少々遅れ気味だったので、結果間に合ったかもしれない…。
今となってはしょうがないので、踏み切りを渡り更に大多喜方面に進みます。
国道に出てしばらく西方面に進むと橋にさしかかりますが、ようやく大多喜城が遠くに見えるように。
もうすぐ大多喜駅に着くところですが、街並みは城下町っぽい雰囲気でした。
(古い建物が多く残っている)
ようやく大多喜駅に到着。
ポッポの丘から当初徒歩40分程度の予測でしたが、結局1時間近くかかってしまいました。
(踏切での待機時間があったので、これはしょうがない?)
駅で小休止した後は高台にある大多喜城を目指します。
(上の写真の地図で、下の方)
前の写真の地図を部分的に拡大。
これから向かう大多喜城ですが、現在休館中とのこと。
ただ城の中(展示施設)に入ることができないだけで城の周辺は散策可能とのことなので、このまま城に向かいます。
駅を出発してすぐに、車庫に停車中の国鉄形の気動車が。
いすみ鉄道で主に観光列車として運用しているキハ52形です(後方はキハ28形)。
車両の連結部分。
後方のキハ28形はかなり傷んでいる様子でした。
後日報道があったのですが、キハ28形については車両の保守面に問題がある(補修用部品の調達が困難になるなど)ため、年内にも定期運行を終了する予定だそうです。
前方のキハ52形の方はまだいけそうな感じ。
そういえば現在車両の塗色が朱色とクリーム色の通称「一般色」になっていますが、以前(2016年)に乗車した際は首都圏色(朱色の1色)だったような…。
2016年に上総中野駅で撮影した写真。
やはり首都圏色(通称タラコ色)でした…。
線路の踏切を渡り、城方面へ。
振り返ると川の向こうにいすみ鉄道の鉄橋が見えました。
「大多喜城はこちら」の矢印が。
ちなみに奥に見える紫色ののぼりは何かというと…。
「本多忠勝・忠朝を大河ドラマに」ののぼりでした。
本多忠勝・忠朝親子は大多喜城の代表的な城主ということもあり、是非とも誘致できればということでしょうか。
ちなみに大多喜町で近年の大河ドラマのロケも行われているので、実現の可能性はあるかもしれません。
城手前の坂道にある大多喜城跡の碑と案内板。
「跡」とあるのも城自体が完全復元されたものではなく、天守閣を模した鉄筋コンクリート造の建物だからなのでしょう。
建物の正式名称も「千葉県立中央博物館大多喜城分館」となります。
坂を上って大多喜城に到着。
鉄筋コンクリート造の建物といってもかつての天守閣の外観に極力近づけたということもあり、立派な佇まいです。
城の入口にカラーコーンが置かれて中に入れないようになっていますが、建物を覆う仮囲いもなくまだ工事の着手はされていないようです。
ちなみに天守閣だけだと3層ですが、館内は実際4階建てです。
(下層の石垣部分が1階にあたる)
城を別の角度から。
城の外側、ちょうど大多喜駅方面にある城壁ですが、四角と三角の穴が交互にあるのが確認できます。
実用的な意味もさることながら、意匠(デザイン)的な意味合いもあるような感じが。
城壁の横から見た大多喜町の様子。
手前は大多喜高校の敷地で、奥がポッポの丘方面?
ちなみに大多喜高校の敷地もかつては大多喜城の本丸だったため、いくつかの遺構が残っています(後程紹介)。
城内には入館できませんでしたが、敷地内にある研修室(?)で特別展示がされていて、通常は城内の展示室にある鎧のいくつかが展示されていました。
(その他パネル展示もあり)
この特別展示については入館無料でした。
天守閣から少し離れた場所にある鐘楼。
天守閣から階段を下りた先、大多喜高校の敷地内にある大井戸。
説明によると本多忠勝築城の際に造られたもので、当時の日本最大の井戸だったそう。
あと今更ですが、大多喜城の正式名は「上総大多喜城」でした。
こちらも大多喜高校の敷地内にある薬医門。
説明によると、この薬医門と先程の大井戸が本多忠勝築城当時から残っている遺構とのことです。
一旦大多喜駅方面に戻りましたがまだ次の列車の発車時刻まで時間があるため、少し足を延ばして駅から南の方向にある夷隅神社へ。
夷隅神社から大多喜駅に戻る方向へ、ゆるやかにカーブする歩道を進んで…。
駅の手前にある大手門(先に紹介したキハ52形の手前にある)。
これも大多喜城の遺構の1つらしいです(近年に復元されたものと思われますが…)。
ということで再び大多喜駅へ。
駅舎上の時計の針が5時(17時)近くになり、陽が落ち始めたところ。
上総中野行きの列車の到着まで10分少々あるため、駅構内を少し散策。
大多喜駅の駅名標。
「デンタルサポート」の副駅名が付いていますが、命名権(ネーミングライツ)の一種でしょうか?
大多喜駅の駅舎に隣接している上総中野方面のホーム。
(大原方面のホームから撮影)
こちらは大原方面のホーム(上総中野方面ホームから撮影)。
大多喜駅では上りと下り線のホームが千鳥状の配置になっているのが分かります。
駅ホームの横には留置中?のキハ20形の姿が。
外見は先程のキハ52形ににていますが、実際は新鋭のいすみ350形と同仕様の車両。
今後は(キハ28形引退後に)キハ52形とコンビを組む予定なのでしょうか?
そうこうしているうちに上総中野行きの列車が到着。
先頭車両はいすみ350形、こちらに乗車します。
乗車後後部車両に移動して、引き続き後方視点(逆かぶりつき)で撮影。
陽が暮れ始めているのでやや逆行気味。
ひがしふさもと(東総元)駅の駅名標は特別仕様?
車窓も段々と山あいになっていきます。
山中の田んぼといった感じの風景。
終点に近づくにつれてかなり山深くなります。
終点の上総中野駅に到着。
いすみ鉄道の車両から…
隣ホームに停車中の小湊鉄道の車両にすぐさま乗り換え。
乗り換え時間が殆ど無かったため、飛び乗るような感じで小湊鉄道の車両に乗車。
ちなみに車両は最近JRから譲り受けたキハ40形ではなく、従来のキハ200形でした。
後部車両に乗車したため、引き続き逆逆かぶりつきで撮影。
ちょっと寂しい感じの風景ですが…
上総大久保。
前の駅が「ようろうけいこく」になっているので、前の「ちょっと寂しい感じの風景」なのは養老渓谷駅ってことか…。
奥の方が木のトンネルになっています。
日没時ながらもこれは比較的うまく撮れたか。
いたぶ=飯給、何気に難読駅名?
次の里見駅では新鋭?のキハ40形が停車中でした。
中ほどの留置線に停車中だったので、この時間帯での運用には入っていない様子。
キハ40形の1両目はJR在籍時の塗色(只見線カラー?)のままでしたが、2両目は塗色変更がされていました。
更に製造番号も変更されている模様(キハ40 1はJR在籍車では無かったと思われる)。
2両目の前面。
(旧国鉄の)一般色に見えますがそうではなく小湊鉄道カラー?
側面には小湊鉄道の略表記である「KTK」のロゴも確認できます。
側面の拡大写真。
車両基地所属の項目で「小コイ」の表記が確認できますが、小=小湊鉄道でコイ=五井を指しているのではないでしょうか?
(小湊鉄道の車両基地は五井駅にあるので)
次に小湊鉄道に乗る機会があれば是非乗車してみたいです。
沿線の湖(ダム湖)ですが、これもうまく撮れた感じ?
上総鶴舞(かずさつるまい)駅。
駅舎がかなり古く、「関東の駅100選」に選ばれています。
上総鶴舞駅の改札。
車内の映り込みがあり、さすがに無理があったか…。
陽が落ちてきたので車窓風景はこの辺りが限界か。
上総牛久駅。
五井発でここ上総牛久駅で折り返す列車もあり。
上総牛久駅の構内。
といっても後部車両からの撮影なので駅ホームが全く写っていませんが、手前に3本線路が伸びているので2面3線のホーム構成であることが分かります。
この後は日没後につき、途中駅名の紹介のみ。
うまたて=馬立。
殆ど駅名が見えませんが、光風台。
あまありき=海士有木、これも難読駅名に入るか?
終点の五井に到着。
ご い、五 井、GO Iと、何ともシンプルな表記。
五井駅に到着したのはちょうど19時でしたが、辺りはすっかり陽が暮れていました。
車両の側面。
差し替え式のサボ(行先表示)、K.T.K.のロゴ、キハ211の表記等、古き良き鉄道の雰囲気満点です。
JRホーム側から見た小湊鉄道の車両で、当日の行程の最後の写真とさせていただきます。
(この後は内房線で蘇我まで、蘇我から京葉線で新木場まで、新木場からりんかい線で大井町までといった行程ですが写真は割愛)
結果的にポッポの丘から大多喜まで徒歩で移動したことが響いて終盤の小湊鉄道に乗り換えた時点ですでに日没に差し掛かってしまったことが残念といえば残念でした。
(当初小湊鉄道内での途中下車も検討していましたが、さすがに無理だった)
まあそれはまたの機会ということで、今回はこれにて終了。
といってもまだ宿泊を伴う遠出は厳しいので日帰りで行ける圏内ということで、昨年夏に行く予定だった小湊鉄道といすみ鉄道を乗り継ぐ房総半島横断の乗り鉄で。
このルートは以前(2016年)のGWにも行きましたが、今回は千葉から外房線経由で大原に行き、そこからいすみ鉄道で西方面に向かうという前回と逆方向の行程としました。
まずは都心から千葉まで向かいますが、今までと同様JR総武快速線にて。
横須賀・総武快速線は新車のE235系への置き換えが進行中ですが現状それほど編成数がなく、まだまだ既存のE217系が大多数といった感じです。
前の写真のE217系も途中の市川駅にて特急通過待ちの際に撮影しましたが、横の線路を通過した特急列車も中央本線の特急あずさから転籍したE257系のリニューアル車でした。
踊り子用のリニューアル車はよく見かけますが、これは波動輸送用の5000番台だったか。
いずれにしろ初めてお目にかかりました。
幕張車両センターを通過。
房総地区のローカル及び特急車両の車両基地です(略称:千マリ)。
千葉駅に到着後、外房線に乗り換え。
房総地区ローカルも千葉寄りの列車は209系がまだまだ現役です。
蘇我駅を出た後にある外房・内房線の分岐地点。
左にカーブする方向が外房線の線路で、乗車中の列車は外房線方向に進行。
※以後上総一ノ宮まで前方(かぶりつき)視点にて撮影
外房線も千葉寄りは列車本数もある程度多いので、割と頻繁に対向列車とすれ違いします。
途中の土気(とけ)から大網までは山あいでトンネルもありますが、この付近はかつてはがけ崩れが多発する交通の難所だったそう。
現在の区間は新線に付け替えられたため、難なく走行できるようになりました。
大網駅に到着するところ。
右方向にカーブするのが本線となる外房線のホームで、ポイントで左手に行く先が東金線のホーム。
大網駅に停車中。
窓の金網越しに東金線の車両が見えるのが面白い構図。
大網駅を出た後は長い直線区間が続き、線路の左右には水田が広がる風景です。
茂原駅に到着。
高架で2面4線のホームという、外房線内の基幹駅といった感じ。
茂原駅を出た後に特急列車とすれ違い。
千葉から乗車した列車はここ上総一ノ宮止まり。
次の大原方面の列車の発車まで時間もあり、駅名でもある上総國一ノ宮である玉前(たまさき)神社の参拝のため一旦改札を出ます。
上総一ノ宮駅の駅舎はシンプルな造り。
駅から徒歩7~8分程度で玉前神社の入口に到着。
本殿手前の鳥居をくぐり抜けて…
本殿に到着。
昨年春からの一之宮巡りは上州・相模・武蔵に続きここ上総で4回目。
本殿を別の角度から。
やはり一之宮ということで立派な佇まい。
神社の御神木(?)を周回するはだしの道。
入口の説明では素足で3周するとご利益があるとのこと。
とりあえず素足で歩いたものの、玉砂利の上を3周はさすがに無理っぽいので1周のみとしました。
本殿下の鳥居の右手にあるさざれ石。
国家「君が代」の歌詞内にも出てきます。
一通りお参りを済ませた後、上総一ノ宮駅に戻ります。
駅に戻る途中で見た玉前神社の碑。
駅に着いたところちょうど臨時便の列車が発車するところでしたが、10分くらい後に定期の列車が出るので臨時便はスルーすることに。
(車両が209系ということもあり…)
こちらが定期の列車ですが、車両は房総地区ローカルの新車となるE131系。
2両編成でワンマン運転に対応。
行先が(内房線の)木更津となっていますが、今年春のダイヤ改正で千葉から外房線はここ上総一ノ宮、内房線は君津(木更津)を境に普通列車の運行系統を分けたようです。
そんな感じで上総一ノ宮駅を発車。
奥に京葉線の車両が見えます。
※以後大原まで後方(逆かぶりつき)視点で撮影
上総一ノ宮から先は単線になります。
といっても一部は複線。
その後再び単線に。
大原駅の手前でいすみ鉄道の線路と合流。
(左側の線路がいすみ鉄道)
大原駅に到着。
いすみ鉄道に乗り換えるため当駅で下車します。
比較的広い駅ホーム。
夏は海水浴客が多いことから広めのホームにしているのかもしれません。
大原駅の駅舎はJRといすみ鉄道と隣接している構造。
いすみ鉄道の次の列車の発車時刻まで40分以上あるため、駅の周辺で待機。
しばらくすると"後続の特急列車が到着。
いすみ鉄道の改札口。その奥のJR線ホームには特急列車が停車中。
ようやくいすみ鉄道の列車が到着。
菜の花をイメージした(と思う)いすみ鉄道標準カラーの2両編成。
後方車両の側面にはいすみ鉄道の社紋と「いすみ301」の表記が。
形式はいすみ300形の模様(前方車両はいすみ350形)。
そんな感じで大原駅を発車。
発車後すぐに進行方向右手にカーブして外房線の線路と分かれます。
引き続き後方(逆かぶりつき)視点で撮影のため、上の写真だと奥が大原駅方面です。
大原駅の1つ隣の西大原駅を発車したところ。
行き違い設備もなくホームも短いのでいかにもローカル線的な雰囲気。
水田の合間を抜けるという、なかなかのビューポイント。
田んぼはちょうど田植えが終わったところか。
次の上総東(かずさあずま)駅で対向列車とすれ違い。
途中橋もあり、だんだんと丘陵地帯に入ります。
いすみ鉄道内でも基幹駅となる国吉駅に停車中ですが、奥の線路には国鉄形車両も停車中でした。
(停車ではなく留置中といった方が正しいか)
手前にはレールバスタイプの旧車の姿も。
前の写真を拡大。
行先表示に「久留里線」の表記があるので元久留里線の車両の模様。
扉が外吊り式なのでキハ30(もしくは35)形のようです。
国吉駅を発車したところ。
駅の係員が手を振っていました。
再び水田地帯。
これまた見事な光景です。
次の上総中川駅で目的の観光地に向かうため下車します。
その上総中川駅ですが、ご覧の通りローカル感満載…。
入口は一見では駅とは分からない感じでした。
で、ここからの行先ですが…
上総中川駅の北にある「いすみポッポの丘」という場所。
個人経営の鉄道施設で、徒歩だと30分くらいかかるらしい…。
まずは駅入口の南にある車道(国道)に出て大原方面に戻る方向で歩き、途中で北方向に曲がり駅手前の踏切を渡ります。
(奥にちらっと見えるのが上総中川駅)
途中の坂の壁にはいすみ鉄道の車両と思われる絵が。
その後は北方向に、水田の横をひたすら歩きます…。
ようやく「ポッポの丘」の案内板を発見。
ここまでで駅から30分位経過していたので向かう方向が間違っていないか不安でしたが、どうやら間違いない模様。
案内板の位置から5分後に無事到着。
坂を上った先に入口があり、入口近くには千葉都市モノレールの車両が展示。
千葉都市モノレールは懸垂式(上のレールから吊るタイプ)なので車両の下部には車輪がありませんが、ぱっと見地面に直に置いている感じでした。
(よく見ると少しすき間があるので直ではない模様)
右の車両では運転台が開放中だったため、子供たちが代わる代わる座っていました。
モノレール車両の隣にはプルートレイン車両のカット車体(半生首?)。
ヘッドマークが「富士」なので車両は24系25形?
こちらは中央線で走っていた(?)103系。
外装補修中らしく、状態はかなり悪いですが…。
その隣には久留里線で活躍していたキハ38形(左)と旧型国電から改造された荷物電車のクモニ83形(右)。
クモニ83形の足元を見ると…。
コイルばね台車の更に前の世代の、旧型国電由来の無骨な台車でした。
隣のキハ38形はトップナンバー(1)でした。
ちなみにキハ38形は国鉄の末期に新製された気動車ですが、エンジンや台車などの足回りはキハ35形からの流用で上の車体のみを新製したのでキハ35形からの改造車ともいえます。
遅ればせながら、ポッポの丘についての案内。
冒頭でも触れた通り個人経営(牧場の敷地の模様)の鉄道施設で、鉄道博物館というよりは鉄道公園といいった感じです。
※過去に訪れた鉄道施設では「碓井鉄道文化むら」が雰囲気的に一番近いかも
入場料は無料(但し車で来た場合の駐車場代については有料)。
展示車両が主にポランティア団体が管理していることもあって売店(一部の車両内にある)での物品購入や寄付をお願いしています。
参考:ポッポの丘公式ホームページ
前の写真の案内板にもありましたが、どうやらいすみ鉄道の公式キャラらしいです。
名前は「上総いすみちゃん」。
キャラのパネルはいすみ鉄道の車両(いすみ204形)の前に展示。
そして何とポッポの丘のマスコットキャラクターも存在。
名前は「下総おうみちゃん」。
キャラのパネルは銚子電鉄のデハ701号の前に展示されていて、キャラデザインもデハ701号をイメージした感じ。
再び車両紹介へ。
キハ38形の隣にある銚子電鉄デハ701(左)と長野電鉄モハ1003(右)。
デハ701が1941年製、モハ1003が1943年製とポッポの丘内の展示車両ではかなりの古参です。
デハ701を別の角度から。
手前の舗装した路面が何となく駅のホーム状になっているのが面白い。
万葉線という高岡市(富山県)にある路面電車の車両。
(形式:デ7052)
園内唯一の路面電車車両で、車内はガチャコーナーになっていました。
地方私鉄の3車両。
手前からいすみ鉄道いすみ204形、北陸鉄道モハ3752、銚子電鉄デハ702。
3両は車内から移動可能で、食事・休憩スペースとして利用されています。
いすみ204形の前面。
(反対側の)銚子電鉄デハ702の前面。
先に紹介したデハ701(写真の手前にちょこっと映っている)と同一形式。
ポッポの丘の駅名標も存在。
旧国鉄形式で、平仮名~漢字混じり~ローマ字表記と続き、駅所在地も表記(千葉県いすみ市)。
隣駅の「ちょうし」は良いとして、反対側の「牛舎8号」が牧場ならではで面白いです。
ちなみに駅名標の後ろにある入れ替え用の機関車と車掌車(ヨ8000形」は実際に動きます。
案内板の手前にある3輪トラック。
保存状態は良いので実際に動くのかもしれません。
「駅前通運」は恐らく架空の業者名かと(ロゴマークは日本通運のもの?)。
鉄道博物館には付き物の巨大レイアウトはさすがにありませんでしたが、ポッポの丘を再現したミニレイアウトが展示されていました。
Nゲージ規格ですが模型の車両が実際の展示車両と一致しているのはさすがです。
(一番手前の気動車2両はいすみ鉄道で運用されているキハ52形と小湊鉄道の気動車と思われます)
千葉都市モノレールの車両を再度撮影。
1988年に千葉都市モノレールの開業と同時に導入された車両で、形式は1000形。
何でも湘南モノレールの車両をモデルとして製造されたそうです。
(湘南モノレールも懸垂式なので)
ちなみにモノレールの「台車」も別の場所に展示。
車輪がゴムタイヤということもあり、一般の鉄道の台車とはかなり趣が異なりますが…。
ちなみに懸垂式モノレールなので、台車は車体の上部(屋根の上)に付きます。
コンテナ貨車に積載されるコンテナも展示されていましたが、何故にコンテナの上にパンタグラフが?
(サイズ的に丁度合っているのがまた面白い)
こちらも園内の線路を走行する入換用ディーゼル機関車と車掌車。
ディーゼル機関車は国鉄の「20t入換動車」といい、通常のディーゼル機関車とは異なり車籍を有さない機械扱いの車両とのこと。
園内で走行するディーゼル機関車は他に「10t入換動車」があり。
(先に紹介した駅名標の奥に映っていた車両)
機関車に牽引される車掌車は国鉄の「ヨ5000形」。
ヨ5000形は3両編成。
ヨ5000形の車内。
車内の壁や窓枠が木製なので、車掌車としてはかなり古め?
京急の車両(旧1000形)もカットモデルながらも展示。
行先が「川崎ー小島新田」となっているので、大師線での運用を再現したもの?
外装はかなり傷んでいて足場が設置された状態なので目下修復中といったところでしょうか。
丸の内線の赤い車両も展示(400形454)。
以前の丸の内線の車両といえば赤色の塗装に車体側面の白いラインの中央に配置されたサインカーブ状の模様が特徴でしたね。
現行の丸の内線の車両でもこの模様を再現した編成も見かけます。
400形の車内。
壁のピンク色の塗装も以前の丸の内線の車両の特徴でした。
ここから先は園内の高台方面の展示車両の紹介になりますが、高台に向かう坂の途中、横の斜面に展示されている(置かれていると言った方が正しいのか…)のは何と大山ケーブルの旧車両の「たんざわ号」。
ここポッポの丘で再会できるとは!
たんざわ号を上方向から撮影。
斜面に直置きされている状態ですが、車両と斜面との角度的にはちゃんと合っている感じ?
展示車両の外装は大山ケーブルの旧車両での最終運行時のままのようですが、どうやら「タンザワン」というマスコットキャラクターが存在していたらしいです。
(1号車にあたる「おおやま号」のマスコットキャラは「オオヤマン」)
これらのマスコットキャラについては毎年大山に行っているものの全く記憶に無かったのですが、過去に登山した際に撮影した写真を探したところ…
2013年10月に撮影した「たんざわ号」の写真を発見。
確かに車体正面の左下に「タンザワン」のイラストが…。
同日に撮影した「おおやま号」の写真も。
こちらも「オオヤマン」のイラストが確認できます。
※両写真とも当日は徒歩で下社まで移動したため、道中のケーブルカー交差地点にて撮影したもの
高台エリアに到着してまず目につくのが、こちらのDE10形ディーゼル機関車と寝台客車2両。
園内に展示されているDE10形はDE10 30号機で、北海道方面で運用され廃車後船の科学館(お台場)に係留されていた青函連絡船「羊蹄丸」の甲板内に展示されたものを同船の解体後にここポッポの丘に移設されたという経緯を持ちます。
当日はボランティアの係員が常駐のため、車体側面のデッキを経由して運転席内の見学が可能でした。
ということで狭い側面デッキの上を伝うような感じでDE10形の運転席へ。
入ってすぐ気づいたのが、DE10形の場合運転台が横向きの配置だったこと。
これはDE10形が操車場での貨車の入換作業や地方ローカル線など短距離区間の走行を考慮したためと思われます。
ちなみに反対サイドも横向き配置。
位置的にはこちらが機関車の正面で、ちょうど上の写真のように座席を斜め45度にして運転するのがDE10形の標準運転スタイルなのかもしれません…。
寝台客車はこちらから乗車。
車内は常時開放している訳ではないため乗り降り用の昇降台は無く車両に付いているステップ(はしご)から直に登るという、かなりワイルドな感じ。
(この辺が個人経営の鉄道施設ならではといったところか…)
ちなみに当日は寝台客車の行先表示が「特急さくら 佐世保」になっていました。
客車2両目の行先表示は「特急いなば 米子」。
寝台客車の1両目(オロネ24-2)の車内。
末期は寝台特急「日本海」で運用されていた車両で開放2段式(プルマン式)のA寝台車。
ちなみに開放型A寝台の展示車両はここで展示されているオロネ24-2が国内で唯一だそうです。
寝台客車の2両目(オハネフ24-2)の車内。
オロネ24-2と同様に末期は寝台特急「日本海」で運用されていた車両の模様。
オハネフ24は車掌室付きのB寝台車で、製造当初は3段式のB寝台車でしたが途中で2段式のB寝台車に改造されています。
前写真の開放型A寝台は列車の進行方向と平行している(ベッドの幅が広い)のに対してB寝台車は列車の進行方向と直交している(ベッドの幅が狭い)のが違いです。
降り口はB寝台車(オハネフ24形)の車端部。
その隣には主に房総地区で活躍した車両たちが展示(いずれもカットモデルでの展示)。
左からクハ183-1527(183系1500番台)、クハ183-21(183系0番台)、クハ111-2152(113系2000番台)、クハ111-1072(113系1000番台)。
183系は特急あずさの他、房総地区の特急列車での活躍が多かった車両。
113系1000番台は横須賀・総武快速線で主に運用、同2000番台は東海道本線の普通列車として主に運用。
晩年は横須賀・総武快速線での運用だったという経緯から縁あってここに展示されているようです。(その際リバイバル塗装されたためか、2000番台は湘南色になっています)
別の角度から撮影。
183系は当日2両とも「さざなみ」のヘッドマーク表示でした。
高台から見たポッポの丘の全景。
手前に千葉都市モノレールの車両、奥にJR(旧国鉄)と私鉄の古参車両が展示されている配置。
園内の展示車両の大半はこのエリアにあります。
反対側。
京急の旧1000形(カットモデル)と丸の内線400形が展示。
(手前は駐車スペース)。
奥に見える入れ替え機関車と車掌車3両は走行可能な車両ですが、この時は停車中の状態でした。
ポッポの丘の見学はここまでにして、ここからは大多喜方面へ。
来た道を引き返して上総中川駅に戻りいすみ鉄道経由で大多喜に向かうか、直接徒歩で向かうかの選択ですが、上総中川駅に戻った際の次の便に乗れるか微妙だったため直接徒歩で向かうことに。
ポッポの丘ということもあり丘陵地帯のため、大多喜方面に向かう道中は最初は下り坂。
ただ延々と伸びる直線…。
途中川を渡り…。
いすみ鉄道の踏切にさしかかりました。
手持ちの時刻表を参照してちょうど列車が通過する時刻に近かったため、少し待機。
目の前を列車が通過。
そのまま大多喜方面へと向かっていきました。
(車両は大原から乗車したいすみ300形と350形の組み合わせ)
この列車が本来上総中川駅から乗車しようとした便で時刻が少々遅れ気味だったので、結果間に合ったかもしれない…。
今となってはしょうがないので、踏み切りを渡り更に大多喜方面に進みます。
国道に出てしばらく西方面に進むと橋にさしかかりますが、ようやく大多喜城が遠くに見えるように。
もうすぐ大多喜駅に着くところですが、街並みは城下町っぽい雰囲気でした。
(古い建物が多く残っている)
ようやく大多喜駅に到着。
ポッポの丘から当初徒歩40分程度の予測でしたが、結局1時間近くかかってしまいました。
(踏切での待機時間があったので、これはしょうがない?)
駅で小休止した後は高台にある大多喜城を目指します。
(上の写真の地図で、下の方)
前の写真の地図を部分的に拡大。
これから向かう大多喜城ですが、現在休館中とのこと。
ただ城の中(展示施設)に入ることができないだけで城の周辺は散策可能とのことなので、このまま城に向かいます。
駅を出発してすぐに、車庫に停車中の国鉄形の気動車が。
いすみ鉄道で主に観光列車として運用しているキハ52形です(後方はキハ28形)。
車両の連結部分。
後方のキハ28形はかなり傷んでいる様子でした。
後日報道があったのですが、キハ28形については車両の保守面に問題がある(補修用部品の調達が困難になるなど)ため、年内にも定期運行を終了する予定だそうです。
前方のキハ52形の方はまだいけそうな感じ。
そういえば現在車両の塗色が朱色とクリーム色の通称「一般色」になっていますが、以前(2016年)に乗車した際は首都圏色(朱色の1色)だったような…。
2016年に上総中野駅で撮影した写真。
やはり首都圏色(通称タラコ色)でした…。
線路の踏切を渡り、城方面へ。
振り返ると川の向こうにいすみ鉄道の鉄橋が見えました。
「大多喜城はこちら」の矢印が。
ちなみに奥に見える紫色ののぼりは何かというと…。
「本多忠勝・忠朝を大河ドラマに」ののぼりでした。
本多忠勝・忠朝親子は大多喜城の代表的な城主ということもあり、是非とも誘致できればということでしょうか。
ちなみに大多喜町で近年の大河ドラマのロケも行われているので、実現の可能性はあるかもしれません。
城手前の坂道にある大多喜城跡の碑と案内板。
「跡」とあるのも城自体が完全復元されたものではなく、天守閣を模した鉄筋コンクリート造の建物だからなのでしょう。
建物の正式名称も「千葉県立中央博物館大多喜城分館」となります。
坂を上って大多喜城に到着。
鉄筋コンクリート造の建物といってもかつての天守閣の外観に極力近づけたということもあり、立派な佇まいです。
城の入口にカラーコーンが置かれて中に入れないようになっていますが、建物を覆う仮囲いもなくまだ工事の着手はされていないようです。
ちなみに天守閣だけだと3層ですが、館内は実際4階建てです。
(下層の石垣部分が1階にあたる)
城を別の角度から。
城の外側、ちょうど大多喜駅方面にある城壁ですが、四角と三角の穴が交互にあるのが確認できます。
実用的な意味もさることながら、意匠(デザイン)的な意味合いもあるような感じが。
城壁の横から見た大多喜町の様子。
手前は大多喜高校の敷地で、奥がポッポの丘方面?
ちなみに大多喜高校の敷地もかつては大多喜城の本丸だったため、いくつかの遺構が残っています(後程紹介)。
城内には入館できませんでしたが、敷地内にある研修室(?)で特別展示がされていて、通常は城内の展示室にある鎧のいくつかが展示されていました。
(その他パネル展示もあり)
この特別展示については入館無料でした。
天守閣から少し離れた場所にある鐘楼。
天守閣から階段を下りた先、大多喜高校の敷地内にある大井戸。
説明によると本多忠勝築城の際に造られたもので、当時の日本最大の井戸だったそう。
あと今更ですが、大多喜城の正式名は「上総大多喜城」でした。
こちらも大多喜高校の敷地内にある薬医門。
説明によると、この薬医門と先程の大井戸が本多忠勝築城当時から残っている遺構とのことです。
一旦大多喜駅方面に戻りましたがまだ次の列車の発車時刻まで時間があるため、少し足を延ばして駅から南の方向にある夷隅神社へ。
夷隅神社から大多喜駅に戻る方向へ、ゆるやかにカーブする歩道を進んで…。
駅の手前にある大手門(先に紹介したキハ52形の手前にある)。
これも大多喜城の遺構の1つらしいです(近年に復元されたものと思われますが…)。
ということで再び大多喜駅へ。
駅舎上の時計の針が5時(17時)近くになり、陽が落ち始めたところ。
上総中野行きの列車の到着まで10分少々あるため、駅構内を少し散策。
大多喜駅の駅名標。
「デンタルサポート」の副駅名が付いていますが、命名権(ネーミングライツ)の一種でしょうか?
大多喜駅の駅舎に隣接している上総中野方面のホーム。
(大原方面のホームから撮影)
こちらは大原方面のホーム(上総中野方面ホームから撮影)。
大多喜駅では上りと下り線のホームが千鳥状の配置になっているのが分かります。
駅ホームの横には留置中?のキハ20形の姿が。
外見は先程のキハ52形ににていますが、実際は新鋭のいすみ350形と同仕様の車両。
今後は(キハ28形引退後に)キハ52形とコンビを組む予定なのでしょうか?
そうこうしているうちに上総中野行きの列車が到着。
先頭車両はいすみ350形、こちらに乗車します。
乗車後後部車両に移動して、引き続き後方視点(逆かぶりつき)で撮影。
陽が暮れ始めているのでやや逆行気味。
ひがしふさもと(東総元)駅の駅名標は特別仕様?
車窓も段々と山あいになっていきます。
山中の田んぼといった感じの風景。
終点に近づくにつれてかなり山深くなります。
終点の上総中野駅に到着。
いすみ鉄道の車両から…
隣ホームに停車中の小湊鉄道の車両にすぐさま乗り換え。
乗り換え時間が殆ど無かったため、飛び乗るような感じで小湊鉄道の車両に乗車。
ちなみに車両は最近JRから譲り受けたキハ40形ではなく、従来のキハ200形でした。
後部車両に乗車したため、引き続き逆逆かぶりつきで撮影。
ちょっと寂しい感じの風景ですが…
上総大久保。
前の駅が「ようろうけいこく」になっているので、前の「ちょっと寂しい感じの風景」なのは養老渓谷駅ってことか…。
奥の方が木のトンネルになっています。
日没時ながらもこれは比較的うまく撮れたか。
いたぶ=飯給、何気に難読駅名?
次の里見駅では新鋭?のキハ40形が停車中でした。
中ほどの留置線に停車中だったので、この時間帯での運用には入っていない様子。
キハ40形の1両目はJR在籍時の塗色(只見線カラー?)のままでしたが、2両目は塗色変更がされていました。
更に製造番号も変更されている模様(キハ40 1はJR在籍車では無かったと思われる)。
2両目の前面。
(旧国鉄の)一般色に見えますがそうではなく小湊鉄道カラー?
側面には小湊鉄道の略表記である「KTK」のロゴも確認できます。
側面の拡大写真。
車両基地所属の項目で「小コイ」の表記が確認できますが、小=小湊鉄道でコイ=五井を指しているのではないでしょうか?
(小湊鉄道の車両基地は五井駅にあるので)
次に小湊鉄道に乗る機会があれば是非乗車してみたいです。
沿線の湖(ダム湖)ですが、これもうまく撮れた感じ?
上総鶴舞(かずさつるまい)駅。
駅舎がかなり古く、「関東の駅100選」に選ばれています。
上総鶴舞駅の改札。
車内の映り込みがあり、さすがに無理があったか…。
陽が落ちてきたので車窓風景はこの辺りが限界か。
上総牛久駅。
五井発でここ上総牛久駅で折り返す列車もあり。
上総牛久駅の構内。
といっても後部車両からの撮影なので駅ホームが全く写っていませんが、手前に3本線路が伸びているので2面3線のホーム構成であることが分かります。
この後は日没後につき、途中駅名の紹介のみ。
うまたて=馬立。
殆ど駅名が見えませんが、光風台。
あまありき=海士有木、これも難読駅名に入るか?
終点の五井に到着。
ご い、五 井、GO Iと、何ともシンプルな表記。
五井駅に到着したのはちょうど19時でしたが、辺りはすっかり陽が暮れていました。
車両の側面。
差し替え式のサボ(行先表示)、K.T.K.のロゴ、キハ211の表記等、古き良き鉄道の雰囲気満点です。
JRホーム側から見た小湊鉄道の車両で、当日の行程の最後の写真とさせていただきます。
(この後は内房線で蘇我まで、蘇我から京葉線で新木場まで、新木場からりんかい線で大井町までといった行程ですが写真は割愛)
結果的にポッポの丘から大多喜まで徒歩で移動したことが響いて終盤の小湊鉄道に乗り換えた時点ですでに日没に差し掛かってしまったことが残念といえば残念でした。
(当初小湊鉄道内での途中下車も検討していましたが、さすがに無理だった)
まあそれはまたの機会ということで、今回はこれにて終了。
2022-05-08 10:36